大気圏の魔女
新作です。よろしくお願いします。
小さいころ、夜空に輝くお星様は神様がちりばめた金平糖で、お月様はパンケーキだと思っていました。
でも、実際に夜空に飛び上がってわかったことがひとつ。
夜空に輝くお星様とお月様は、明るい点と白い凸凹の球体なのだと。
「のああああああああああああ!!!」
初っ端なからうるさくてごめんなさい。
でも、どうしても叫びたくなるような出来事に直面しているので勘弁してつかぁさい。
どんな出来事なのか、知りたくもないでしょうが、今の私が冷静になるために少し説明させていただきますと、大気圏をバンジージャンプしています。
身にまとっているのは学校の制服で、宇宙服とか耐熱スーツなんて代物は一切見につけていません。ただ、不思議と呼吸は苦しくなく、大気圏を絶賛落下中というのに熱くも痛くもありません。それでも衝撃は感じているし、怖いことに変わりはないのですが。
こほん。
説明したおかげで少し冷静さを取り戻せました。私って単純……。
さて、状況確認のために周囲を見渡しますと、まぁ素敵。青い地球が眼下に見えます。とてもきれいです。地球は青かったとは本当だったのですね。
そして反対へ目を向けますと真っ暗な宇宙が見えています。星が今は少しずつ輝いて見えていますが、先ほど宇宙に飛び出した直後は点が光っているだけで輝いては見えませんでした。ちらと見た太陽も真っ白でしたし。大気と言う最期のフィルターすらないのに直視して私、よく無事でしたね。もう今更な気がしますが。
「お星様は金平糖でも、お月様はパンケーキでもなかったのですね」
さすがに小学生のころに教科書を読んで知ってはいましたが、このように自身の目で確認すると、少し残念に思えてなりません。
空の上には天国はなくて、代わりに宇宙ステーションと人工衛星がありました。宇宙ステーションの中の人たちが私を発見することはないでしょうが、もし見つけたらきっとすごく驚きますね。私、NASAに連れていかれますよ。
「それよりも受身を取れるかどうかの心配をしたほうがいいと思う」
のんびりした声が聞こえて隣を見れば、頭の後ろに腕を組んで寝転がるような姿勢で落下している女性の姿がありました。一瞬びっくりしましたが、知り合いだったので悲鳴はあげずにすみました。
「ヨルムンさん、何をしているんですか?」
「大気圏バンジージャンプ?」
首をかしげてヨルムンさんは疑問系で答えてくれました。でも、私たちってゴムバンド、つけてませんよね。
「だから受身を取れるか心配しなよ。私は大丈夫だけど、日向は怪我するかもしれないよ?」
「怪我で済んだら幸いですね」
大気圏を生身で落下中という状況下での会話とは思えないほど、暢気な内容です。そも、会話はおろか、まともに見聴きすることすらできないはずの状況のはずなのですが、もう突っ込むのは疲れるのでやめます。考えるだけ無駄な事がわかってしまいましたので。
あ、申し遅れました。
私、一文字日向と申します。
「私が受身取ったら世界が弾けちゃうけど、日向なら受身をとった程度で半径数十メートルが吹き飛ぶだけじゃん」
「街中に落ちたら最悪ですね。そもそも大気圏から落ちて受身を取った程度で無事で済むはずが・・・・・・」
「海に落ちても結構痛いよ?」
「どの道痛いんですね」
「大丈夫大丈夫。ちょっと痛いだけだから」
「痛いですまないですよね」
「だったら、もうとっくの昔に消し炭になっていたり、落下の衝撃でヘルヘイムに行ってるよね?」
「まぁ、それはそうですが・・・・・・」
ヘルヘイムというのは、北欧神話における、地獄の名称です。地獄に行くのは嫌です。北欧神話の地獄は基本的に英雄でない人で、悪い人だけでなく、名誉を得られなかった人も落ちます。私はどうなんでしょう。
「大丈夫。大丈夫。たとえ地獄に行ったとしても、悪いようにはしないと思うよ。だって」
「はぁ・・・・・・」
ヨルムンさんが向ける目線の先に、私も顔を向けます。絶賛大気圏落下中の私たちからかなり離れた場所で、キラキラと何かが輝いています。
スペースデブリ(宇宙のごみ)や人工衛星ではありません。あきらかに量がおかしいです。
一箇所でイルミネーションのように次々と色を変えています。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ!」
物理法則とかいろいろ無視して私の聴覚に勇猛な女性の気迫が聞こえてきました。
なお、「オラ」ひとつ毎に光がひとつ生まれていることから、向こうで声の主が何かをしていることは明らかです。
「お、決着つくみたいだね」
ヨルムンさんの言葉通り、声と光が消えました。
私たちは雲海が目と鼻の先に見える位置まで落ちてきています。あの雲がクッションになってくれればなんて思いますが、雲はふわふわでもなんでもないということは、宇宙に行く前に体験しています。
「待たせた」
そういって、私の手をつかんだ人がいました。ヨルムンさんではありません。見上げれば、青と金の衣装を纏った美しい少女が私とヨルムンさんの手をつかんで見下ろしていました。
「ヘル、遅ーい」
ヨルムンさんがのんびりと抗議の声をあげます。
「だから待たせたと言っているだろう」
先ほどのオラオラ叫んでいた女性とは別の声です。この人は、基本的に声をあげない人です。
「お疲れ様です、ヘルさん」
「うむ」
私の言葉に、ヘルヘイムの主・ヘルさんは憮然と返事をしてくれました。
「それで、あの、戦っていた相手の人はどうしたんですか?」
「あぁ、あいつか? あいつなら今頃は太平洋のど真ん中だろう」
先ほど勇猛な雄たけびをあげていたのは、ヘルさんが戦っていた相手の人でした。
ヘルさんは相手の人の攻撃をすべて防ぎ、カウンターの一撃を入れて決着をつけたとのこと。私には見えていませんでしたが、ヘルさんの反撃を受けた相手の人は一瞬で大気圏を突破し、太平洋に落ちたんだそうです。
「それって、相手の人は・・・・・・」
「これくらいでくたばるような奴じゃない。ヨルムン、回収してきてくれるか」
「えー。面倒くさいなー」
「いいから行って来い」
ドスがかかった声と、気の弱い人なら直視しただけで心臓が止まっちゃいそうな目付きに、ヨルムンさんは固まった笑顔で「わかった」と答え、雲海へ向かって落ちていきました。
「全く、褒美がないと動こうとしない奴は困る」
それはとても面倒なことだからじゃないでしょうか。太平洋ってかなり広いですし。
「落ちた場所は大体検討がつくだろう。あいつならすぐに見つけられるさ」
何せ、蛇だしな。とはヘルさんの台詞。
それは、蛇だから探せるのではなく、ヨルムンさんだから探せるのでは、とも思いましたが、突っ込まないことにしました。
ヨルムンさん、頑張って探してください。心の中で応援しました。
「さて、帰るぞ。またあの馬鹿どもが騒ぎ出したら面倒だ」
いつの間にか取り出していた鎌に腰掛け、私の手を引っ張って横に乗せてくれるヘルさん。
「ありがとうございます」
「気にするな。お前は私の仲間なのだからな」
クールな表情のまま。ヘルさんは私を乗せたまま雲の海に飛び込みます。周りが一面真っ白になりますが、すぐ近くにいるヘルさんは何とか見ることができます。
触れる背中は、温かい場所とつめたい場所があります。初めて触ったときはビックリしましたけど、今ではもう慣れました。
「日向、今日の夕餉は何だ?」
「え? そうですね・・・・・・ご飯とお味噌汁と、デミグラスハンバーグにしましょう」
何気ない会話をしているうちに、雲の海を抜け、眼下には私の生まれ住んでいる街が見えてきました。
今までの暮らしでは見れなかった風景。それを、今見れているのは、ヘルさんたちと知り合ったから。
「まるで魔女みたいですね」
思わず口に出てしまった言葉でした。ヘルさんは振り向きもせず、
「魔女などと一緒にするな。私は地獄の支配者だ」
淡々とした、でもどこか頼もしく聞こえる声でそう言ったのでした。
お読みいただき、ありがとうございます。