断ち切れない柵
エリザベスが侯爵家の養女になった。
それを知った時、思わず呻いてしまった。やはり多少強引でもあの時に籍を入れてしまえばよかったと、非現実的なことを考える。
「アイザック、お前の気持ちはわからなくもないが」
子爵家の当主である祖父が呆れたように項垂れた俺に声を掛けた。
「流石に14歳の少女を嫁にはできない」
「そんなはずはない。母上だって父上に見初められたのはそれぐらいだったはずだ」
「まあ、あれは陛下だから先に側室に入ることが許されたようなもので、実際には16歳になるまで待っていた。お前が彼女のことを本当に大切ならば16歳になるまで待つべきだ」
わかっている。
だから婚約指輪の代わりに母の形見を渡した。16歳になったら迎えに行くと約束したのだ。
ファリントン侯爵が本当にリリアンヌと結婚し、娘であるエリザベスを養女にするなんて考えていなかった。
リリアンヌは平民であるし、ファリントン侯爵がどんなに頑張っても貴族院から婚姻の許可が出るはずがないのだ。どんな手を使ったのか知らないが、それによって俺はエリザベスと結婚することが非常に難しくなってしまった。
彼女が平民のままなら、俺も爵位を放棄して平民として結婚しようと計画していた。
慎ましく暮らす程度の稼ぎなら問題ない。贅沢はさせられないが、苦労させずに暮らすことはできる。
「……エリザベスが貴族になったのだから、普通に婚約を申し込めばいい話なのか?」
そう呟けば、祖父が眉を寄せた。
「そうか、お前は知らないんだな」
祖父は腕を組み少しだけ視線を落として考え込む。悠長に祖父に付き合っている時間はないので、早急に父上に相談しないといけない。速やかに王位継承権放棄をして臣籍降下し、適当な爵位をもらってファリントン侯爵へエリザベスとの婚約を申し込む。
「俺は王城に戻ります」
「まあ、待て。そう簡単に彼女との結婚はできない」
「どうしてですか? 侯爵家の養女になったのなら、俺が王城に戻って王子としてきちんと役割を果たせばいいだけでしょう?」
イライラとしながら祖父に言葉を返した。早めに手を打たないと、エリザベスが他の男と婚約してしまう。ファリントン侯爵家と縁を繋ぎたい貴族など沢山いる。たとえ養女であっても繋がりが欲しい男なら真っ先に婚約を申し込むはずだ。
しかも彼女は母親に似ていて、とても美しい顔立ちをしている。少女から女性に成長したら、その美貌は隠しきれないはずだ。男たちがよだれを垂らして欲しがるのを想像し、さらに苛立った。自分以外が彼女と手を取るなど許せない。
「どうして彼女の母親が平民であるにも関わらず侯爵と結婚できたと思う?」
「俺はとてつもなく忙しいんです。お話なら戻ってきてから聞きます」
そっけなく答えてから腰を上げた。早くしないと、という気持ちだけしかなかった。
「はあ。せっかちな。母親ではなく陛下に性格は似たんだろうな」
そんなボヤキを聞くのは時間の無駄だと、一礼して部屋を出ようと歩き出した。
「彼女たちは旧王家の生き残りだ。何かしらの心配事があって、保護する意味で侯爵と結婚することになったのだろう」
「は?」
旧王家と聞いて、足が止まった。信じられない思いで祖父を見る。
「知っている人間は限られているが本当のことだ。リリアンヌ様は前女王の孫にあたる」
「旧王家の血筋はすでに絶えているはずです」
旧王家の話は幼いころから勉強の一環として教えられていた。前国王は女王であり、娘を一人産んだ。ところがこの娘は病弱で決められた相手と結婚したが、出産時に子供と共に亡くなった。
他に王位を継げるような人間がいないため、仕方がなく王家の血を継ぐ他国の王子を養子にもらった。その養子が現在の国王だ。そのため前国王の系統を旧王家として区別している。
政治的な混乱はあったようだが、元々旧王家の血筋は病弱でなかなか跡取りに恵まれなかったこともあり、仕方がないという意見が大半であったことと、隣国の後ろ盾もあったのも大きい。現在の国王になってから隣国とのつながりが強化され経済は発展し、より豊かになった。
「どうしてお祖父さまがそれを知っているのです?」
「若い頃、リリアンヌ様の母上である王女殿下の護衛だったからな」
「……知りませんでした。ですが、俺に話してよかったのですか?」
祖父は当時を思い出しているのか、目を細めた。
「本当ならば話すつもりはなかったが、お前がエリザベス様に惚れているから、事前に陛下に許可は貰っている」
「はあ?!」
惚れているとか事前の許可とか言われて、固まった。父上にも自分の気持ちが筒抜けになっているのが気になった。俺にわからないようについている護衛からの報告なのだろうか。
「お前が懇意にしているパン屋の常連。あいつらは引退した同僚だ」
「……もういいです。ところでリリアンヌさんは旧王家の血筋だと知っているのですか?」
パン屋の常連のジジイどもを思い出し、そして祖父を見る。どこか楽しげなのだから、きっと色々なことを聞いているに違いない。今までそのことに気がつかなかった自分にもがっかりだ。
「生まれてすぐに母を亡くし、養子に出されている。本人は知らないだろう。だが、血筋は血筋だ。王子であるお前が彼女を娶ることで、何が起こるか理解できるか?」
「王位継承権争い」
俺の上には二人の兄王子がいる。年の離れた二人の兄はとても優秀で、幼いころから帝王学を修めていた。俺は母上の身分が低いことで帝王学は施されていない。元々、成人後は爵位を与えて臣籍降下する予定だった。王家の身分にさほど魅力を感じていなかったからそれはそれで問題なかったが、俺がエリザベスと結婚することで均衡が崩れる。それぐらい、旧王家の血筋というのは由緒正しいものだ。
兄たちの治世を脅かす存在だと感じた人間がいたのならエリザベスを殺そうとするだろう。
エリザベスの安全を考えれば、どちらかの兄の側室になるのが一番いい。
それは嫌だった。
母を亡くして拗れた俺を受け止めてくれたのはエリザベスで、彼女がいたから他に目を向けることができた。ずっと一緒にいたかったから、教会にも通った。それなのに今さら兄たちに盗られてしまうのか。
「もう一つはお前には婚約者がいた筈だ」
「……いませんよ。確かに候補はいましたが、あまりにも財政がよくないから候補から外れているはずです。貴族たちが勝手にそう思っているだけです」
「事実はそうかもしれないが、社交界ではそう思われていない。上手く丸め込まないと彼女が排除されるぞ」
大きくため息をついた。
先ほどよりも幾分冷静になったと思う。まずは父上とそして兄上たちと話さないといけない。
俺は王位が欲しいわけじゃない。
ただエリザベスに側にいてもらいたいだけだから。
まだ14歳だし可哀想だけど既成事実を作ってしまって……。
よからぬ想像をしていたのが悪かったのか、いつの間にか立ち上がっていた祖父に頭を思いっきり殴られた。容赦ない拳骨に呻く。
「彼女のことをちゃんと考えろ。手っ取り早くなんて考えるな」
厳しい顔をした祖父が釘を刺してきた。
「わかっています。ちょっと考えただけです」
エリザベスとの結婚を目標に今まで目を背けていたすべてと向き合うことにした。
今まで放置しすぎたツケは大きかった。
事情をすでに知っていたのか、父上に会いに行けばすぐに執務室に通された。いつもはいない二人の兄もそろっている。
俺の顔を見るなり楽し気にニヤニヤされ、同席していた兄二人も生暖かい目で見つめてくる。1年ぶりぐらいに会いに来た息子が好きな女のために頭を下げているのだから、楽しいのだろう。
「初恋は初々しいね」
長兄に優しく微笑まれて顔が引きつった。次兄は父親と同じ顔でニヤついている。
「夜の作法でも教えようか? 最初は肝心だからな。記憶に残る素晴らしい夜になるぞ」
「結構です」
揶揄われてはたまらないと、すぐさま拒絶した。
「まだ関係を持っていないのか。私の血を継いでいるとは思えんな」
「期待を裏切ってスミマセン。俺は父上のようにケダモノではないので諦めてください」
父親の揶揄うような話し方に、イライラしてくる。あまり近寄らないせいか、たまにこうして顔を出すと必要以上に揶揄ってくるから足が遠のくのだ。
しかも年頃の息子だからという気持ちがあるのか、昼間なのに会話が下品だ。兄上たちは楽しそうに見ているだけで全然役に立たない。
「私としてはエリザベスをお前たちの兄のうちどちらかの側室にして安全を確保したいのだ」
「結婚相手に王子がいいのであれば、俺でもいいじゃないですか」
つっけんどんに言えば、首を振られた。
「お前では力が足らない」
至極当然のことを言われてぐっと言葉を飲み込んだ。
「だからな。お前がきちんと彼女を守れるほどの地盤を固めろ」
突然父上が国王の顔になる。俺もすっと気持ちを引き締めた。
「当然です。ですから、当分の間エリザベスの婚約は阻止してください」
「一つだけ条件を飲めば、ファリントン侯爵から申し出があっても許可しないようにする」
「条件?」
嫌な予感がしたが、聞かなくてはならないだろう。父上はにやりと笑った。
「彼女との約束の日はいつだ?」
「彼女が16歳になったら迎えに行くと約束しています」
「初々しい恋だね。羨ましいことだ」
揶揄う方向に流れ始めて、顔が引きつった。怒鳴ってやりたいけど、条件をまだ聞いていない。
「条件は何ですか?」
「お前の状態が整うまで接触を禁止する。それだけだ」
愕然としたが、エリザベスの婚約を阻止するためには仕方がない。
「父上、流石にそれはエリザベス嬢にとっても辛いのでは? どのくらいの時間がかかるかわからない」
長兄が躊躇いながらも意見する。思わぬ援護に縋るような目を長兄に向けた。
「何の理由もなく彼女と接触したら排除しようとする人間が湧くはずだ。二人の恋は障害が増えて盛り上がるかもしれないが命も危ない」
「旧王家のことを知る人間は少ないと聞いています」
祖父から聞いた情報を伝えてみれば、父上は頷いた。
「そうだ。宰相とそれから護衛についている者たちしか知らない。しかし、リリアンヌもエリザベスも義母上によく似ているのだよ」
「義母上? 前王女ですか?」
長兄が驚いたように聞き返す。父上は難しい顔をして頷いた。
「そうだ。見れば関連付けられるほどよく似ている。だから、すべてが片付くまで隠しておいた方が良い」
もっともな意見に肩を落とした。せめてもう少ししっかりとした約束をしておけばよかったと後悔する。解決するまで会えないなんて、エリザベスがどう思うのだろうか。
「なあに。お前が本気で兄たちに頼ればすぐに婚約は調うだろうよ」
「わかりました。全力で頼りに行きます」
きっぱりと言い切れば、二人の兄たちは苦笑した。
大抵のことはそれで乗り切ってきたが、最後まで解決しなかったのが婚約者候補でもないのに婚約者としてふるまう女だった。
常に否定をして、拒絶をしているにもかかわらず、人の言葉を聞かない。事実でないことをあたかも本当のことのように吹聴するものだから、婚約間近だと噂が広まっていた。
この噂をエリザベスが耳にすることを恐れて必死に打ち消すが、なかなか消えない。噂になればなるほど、この女の流言に拍車がかかる。外から固めようとするのが目的であることはわかっていた。だが、それを受け入れるわけにはいかない。
にっちもさっちもいかない現状に、頭を抱えた。使えるものを使って、この女をついには黙らせることができた。
決着がつくまでに、2年が経過していた。