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再会


 行きたくないと思うほど、行かなくてはいけない状況になる。


 夜会に向かう馬車に揺られ、ぼんやりと外を眺めた。日が落ち、夜の色がゆっくりと空を包み込み始めている。その淡い色合いを眺めながら、ため息をついた。

 馬車の向かいの席に座っているお義兄さまが心配そうに声を掛けてきた。


「急に参加することになって、すまないな」

「いいえ。いつもお世話になっていますから」


 先日の夜会を最後にしていいと言われていたのだが、今日は是非と乞われて夜会に参加することになった。お義兄さまの友人の主催で小規模の夜会のようだが、それでも貴族社会に慣れていないわたしにしたら疲れる場所だ。


 ソフィアがわたしの希望を聞いてドレスと宝飾品を選んでくれた。今日は胸元が開いていない意匠で、先日の夜会で着たドレスよりも大人しい感じだ。これなら目立たなくていい。

 お義兄さまはもっと華やかなドレスがいいと言っていたけど、自分の好みを押し通した。


 本当のことを言えば参加したくない。

 夜会に出ればきっと最近社交界に復帰した第3王子――ザックの噂を聞くことになるだろうから。貴族たちの噂話はどこまで本当であるかわからないが、わたしにしてみたらどれもこれも本当の話に聞こえる。


 結婚相手として人気のあるザックが相手なら、自分から動いて捕まえないと駄目だとソフィアは言うけれど、そう簡単ではない。すでに王家に認められた婚約者がいるのにどうしろと。流石に割り込むだけの度胸はない。


 わたしを慰める名目のお茶会の時に、ソフィアが参考になるからと貴族の恋愛の数々を教えてくれた。さらに貴族令嬢たちの間で人気のある恋愛小説を勧められるまま仕方がなく読んでみたが、頭が痛くなる内容だった。小説だから婚約者のいる身分違いの王子さまと平民が結ばれることも許されるけど、現実はそんなに甘くない。


 結局はわたしは自分の気持ちに折り合いをつけて、どこかでザックを諦めなくてはいけないのだろう。

 お母さんには信じて待ってあげてと言われたけど、信じたところで現実は変わらない。


 憂鬱そうにそう結論付けていたが、それでも心は自分の思った通りにならなくて、しくしくと胸が痛みだす。こんなにも痛むほど彼が好きだったのかと、自分自身驚いたほどだ。


「必要なところに挨拶だけしたら、すぐに帰ろう」

「それでいいのですか?」

「問題ない。あの友人のことだ。君にいい結婚相手を探してやろうというお節介なだけだから」


 お義兄さまも困ったように笑った。どうやらその友人の気遣いは本当にお節介にしかならないようだ。


「ああ、それから。君はとても綺麗だから、知らない男にはついて行ってはいけない。侯爵家の娘を連れ込むようなバカはいないだろうが、念のため気を付けてほしい」

「わかりました」


 出かける前にお義父さまに同じことを注意されていて、思わず笑ってしまった。お義父さまは本格的に代替わりを考えているようで、あまりお義兄さまに任せたことに口を出さないのだが、わたしについては貴族社会に連れてきた責任を感じているようだった。お母さんはわたしの不安定さに心配そうであったが、まだ自分の気持ちを説明できずにいた。


 見知らぬ男に対するあれこれと注意を聞いているうちに、馬車が止まる。どうやら到着したようだ。先にお義兄さまが下りて、わたしに手を差し出した。


「お姫様。お手をどうぞ」

「ありがとうございます」


 ここからは貴族としての振る舞いを気を付けないといけない。大きく息を吸ってから、差し出された手に自分の手をのせた。


 大丈夫。

 習った通りに振舞って、ささっと帰るだけ。


 自分自身を励まして、お義兄さまと夜会会場へと向かった。








 大丈夫だと思っていたのに。

 どうしてこんなことになっているのかしら?


 壁の花になろうと人目につかないところに一人で立っていたのが悪かったのか、お義兄さまと一緒に飲み物を取りに行った方がよかったのか。


 ほんの少しお義兄さまと離れた時、腕を引かれ、薄暗いバルコニーに強引に連れ出された。

 そして今の状況だ。


 淡い色合いのドレスがワインの色に染まっている。胸のあたりに引っ掛けられてしまったので、お酒の匂いが鼻を突いた。慣れないアルコールの香りは頭をくらくらさせる。


 唖然として立ち尽くしていれば、バルコニーに引き込んだ令嬢は薄く笑う。バルコニーは月明かりと窓から洩れるホールからの光しかないため、仄暗い。あまりよく彼女の顔立ちを確認することができないが、知らない人……だと思う。声も聞き覚えがない。


「薄汚い平民が貴族の夜会に参加しているなんて。さっさとお帰り」


 なんだろう、この人。


 濃い目の茶色の髪に、白い滑らかな肌。目は変にぎらついている。醜く歪む唇は笑っているのか、そういう顔付なのか。


 どうしたらいいのか悩んだ。

 こんなわかりやすい嫌がらせをするなんて、どういうつもりなのだろう。


 平民だってこんなわかりやすい嫌がらせはしない。せいぜい10歳までだ。年齢が上がればもっとわかりにくくてえげつない嫌がらせになっていくものだ。


「何をしている?」


 低い声が辺りに響いた。ゆっくりと顔を巡らせれば、バルコニーとホールとの入り口に一人の男性が立っていた。逆光になっているが、そこにいるのはザックだった。彼はひどく冷ややかな目で彼女を見つめていた。


「ここに野良猫がいたので追い出そうとしていたところですわ」


 彼女は悪びれることなく答える。どうやら身分を笠に追い出すことは貴族社会では咎められることではないようだ。


「侯爵令嬢に嫌がらせをしても問題ないと判断した貴女の頭が心配になるね」

「この女は平民よ」

「知らないのか? 彼女は正式に侯爵家の養女として迎えられている。少なくとも伯爵家程度が手を出していいわけがない」


 自分よりも身分が上だと言われたのが気に入らなかったのか、彼女は声を張り上げて非難した。


「こんな女のためにわたしが捨てられるなんて許せないわ!」

「いい加減にしてくれないか。貴女は婚約者候補ですらなかった。事実をきちんと認識してくれ」


 二人の会話から、彼女が前回の夜会の時にザックと一緒にいた令嬢だとようやく合致した。だいぶ印象が違うから、まったく気がつかなかった。しかもあの時は二人とも仲が良く微笑みあっているものだと思っていた。でも今のぎすぎすしたやり取りを聞く限り、少なくともザックは嫌っている。


「どうしてその女を選ぶのです? わたしはずっと小さい時から殿下の妃になると思って生きてきましたのに!」


 悲痛な訴えに、彼はため息を漏らした。


「違うだろう? 俺が王家に戻ってきたから、整っていた婚約を破棄した。俺と結婚した方が借金はなくなるし、贅沢ができるからな」

「わたしは殿下を愛しているから、婚約破棄したのです!」

「迷惑だ。貴女は俺の隣に立つ人間じゃない。これ以上付きまとうのなら、社交界への出入りを禁止させてもらう」


 彼女は体を大きく震わせた。ザックの淡々とした言葉はひどく心を傷つけたのだと思う。聞いているこちらも居たたまれないほどだ。

 彼女はわたしをぎらつく目で睨みつけた後、逃げるようにして歩き出した。すれ違う彼女にザックが視線を向けることはなかった。


「ベス」


 ぼんやりと彼女を見送っていると、優しい声で呼ばれた。


「ザック……」

「会いたかった」


 そう言って彼はふんわりとわたしを抱きしめた。




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