約束
中庭の隅に置いてあるベンチに二人でそろって座る。ララは先ほどとは違い落ち着いたお姉さんのように話を聞いてくれる。ちなみにララは18歳、わたしの4つ年上だ。
「エリザベスとリリアンヌさんは本当に侯爵家に行くことになったの?」
「多分。お母さんに似ているから引き取るって言われた」
先ほどまでのやり取りを思い出し、ララに告げた。彼女は少しだけ表情を曇らせた
「ねえ、それって本当に大丈夫なの? 似ているからって平民2人を侯爵家に入れるなんて普通じゃないと思うんだけど。騙されているんじゃないの?」
「やっぱりそう思う? いくら平民で綺麗だからと言ったって、結婚なんて変よね。愛人の間違いなのかな?」
「普通、平民と貴族の結婚なんて許可は出ないわ。リリアンヌさんは愛人だとしても、その子供を連れていくなんて普通は嫌がると思う。考えられるとしたら、エリザベスを政略結婚の駒にしたいということぐらいかしら」
ますます怪しい雲行きに、情けない顔になった。
「どうしよう。わたし、貴族の愛人なんて嫌なんだけど」
「そうねぇ」
ララがわたしを頭の上からつま先までじろじろと見つめる。しばらく何か難しい顔をして考え込んでいたが、すぐに晴れやかに笑った。
「いい手があるわ。ベス、太っちゃいなさい」
「太る?」
「そう。どうせ侯爵家に行ったらいいもの食べられるんだから。どんどん美味しいものを食べて、ふくよかになってしまえば、是非愛人にと言い出す奴はいなくなるわ。貴族の男って、愛人は装飾品か何かだと思っているから」
確かに一理ある。
「お母さんに似ないようになればいいなら、髪、切っちゃう?」
そう言って、髪をつまんだ。お母さんよりも少しだけ色味が薄くて赤毛の混ざった髪だ。唯一、お父さんの色。お父さんの赤毛とお母さんの金が混ざり合って、光の具合によっては薄いピンクに見える。
「少年ぽくなって開けてはいけない扉を開いたら取り返しがつかないわよ。太るか、痩せるか、どちらかがいいわ」
「開けてはいけない扉?」
「わからないなら、知らなくてもいい話。あとは……」
「ベス!」
ララの言葉が途切れた。二人で顔を声のした方へ向ければ、こちらに走ってくる彼の姿が見えた。ララがその姿を見て肩をすくめた。
「今日はここまでね。貴族の家に行ったら余計な敵を作らないように気を付けることね。平民の敵は平民よ。使用人に気を付けなさい」
「うん、わかった」
「あとは、ちゃんとザックと話しなさい」
「なんでザックと?」
キョトンとした顔をすれば、ララは猫のように目を細めてにんまりと笑った。
「すぐにわかるわよ」
「ふうん? じゃあまた時間があったら、色々教えてね」
ララに頷いたのと同時にザックが背後からわたしの肩を掴んだ。その強さに驚いて振り返れば、至近距離に綺麗な緑の瞳があった。
「ベス! 侯爵家に引き取られるって聞いて……」
いつもは綺麗に整えられている薄い茶色の髪を乱しながらぜいぜいと荒い息をして、苦しそうに話す。2つ年上の彼はいつだって余裕の笑顔だから、こんなにも必死な彼を見るのが不思議だった。
ララは楽し気な笑みを浮かべて、手を振りながら行ってしまった。
「どこで聞いたの?」
「パン屋の常連のジジイどもに」
「じゃあ、どうなったのかも聞いたのね」
常連さんたちは最後までちゃんと見ていて、結果まで知っている。特に説明するようなこともないので、首を傾げた。
「行くのか?」
「多分。わたしたちは平民だし、侯爵様には逆らえないよ」
「……俺と結婚しよう」
突然何を言い出すのかと唖然とする。頭一つ分背の高いザックを見上げた。彼はとても真剣な表情で見下ろしていた。いつも穏やかで優しいザックであるが、思いつめたような目を向けられる。
「わたし、まだ14歳だから結婚は無理よ?」
「大丈夫だ。気にしない」
気にしないと言われても、この国の平民が結婚できる年齢は成人と認められる16歳からだ。平民だと年齢に達していなくても事実婚をしてしまう人もいるが、事実婚はお母さんが嫌がる。お母さんに言わせれば、大切にされていないという事らしい。
冗談かと思っていたが、あまりにも追い詰められたような目で見つめてくるから、少しだけ怖くなった。
「……ザック? なんか変」
ぽつりと零せば、ザックは大きく息を吸い込んだ。強めに掴まれていた肩からようやく彼の手が離れる。
「ごめん。焦っていた。ベスが16歳になったら、結婚しよう」
「ザックはわたしと結婚したいの?」
驚きに目を丸くすれば、ザックはようやく雰囲気を和らげた。
「そうだよ。ずっと好きなんだ」
「お兄ちゃんみたく?」
「違う。ちゃんと女の子として」
初めは呑み込めなかった言葉も、徐々に浸透して頭が最後に理解した。ぼんと顔が熱くなる。
「うそだぁ」
「ほんと。ベスが鈍いからちょうどよかった」
余裕を取り戻したのか、彼はわたしの両手を包み込むように優しく握りしめた。
「ザック」
「ずっと一緒にいたいんだ。ベスは俺が嫌い?」
「……そういう言い方はズルいと思う」
赤い顔をどうにもできずに拗ねれば、ザックが少しだけ屈みこんだ。
「どこにいても絶対に迎えに行くから」
「本当に?」
「約束する」
そう言ってちゅっと唇に温もりが触れた。驚きに目を見開けば、ザックが笑った。わたしの手を離すと、首元から何かを引っ張り出す。少し太めの皮ひもに括られた指輪を取り出した。器用に指輪から皮ひもを外すと、わたしの左手を持ちなおす。するりと指輪が薬指に嵌められた。
「あ……」
ブカブカの指輪とわたしの薬指を見て、二人で声を上げる。
「緩いのはしょうがないか。これがちょうどよくなったら結婚しよう」
かっこ悪い、とぼやきながら、彼は指輪を元通りに皮ひもを通した。それをわたしの首から下げてくれる。胸元にある指輪をそっと摘まんで間近に見つめた。
この指輪はザックのお母さんの形見だ。ずっと昔にそんな話をしてもらったことがあった。大切な指輪を受け取って、じんわりと嬉しさがこみあげてくる。
「ありがとう」
「俺、頑張るから」
そう言いながら、ザックはもう一度そっと啄むように唇にキスをした。わたしの頭の中は真っ白だった。