教会にて
「大変なことになった!」
大慌てで駆け込んだのは、パン屋から近い場所にある小さな教会だった。
この国は世界を創ったとされる女神さまを信仰している。女神信仰が生活に溶け込んでいるおかげで、この王都には1区画に1つ教会が必ずあった。教会には信仰を集めるだけではなく様々な役割があり、教会の運営には国が補助金を出していた。贅沢はできない金額ではあったが、お金に困るほど貧しいわけでもない。
わたしは両親が働いていたこともあって、店を手伝えない幼い時には毎日ここに預けられていた。親が働いている子供たちが教会には沢山いて、ここでは文字や簡単な計算、礼儀作法などを一緒に学んだ。
この国にあるどの教会でも同じように運営されているのだから、平民であってもとても暮らしやすい。少なくとも最小限の知識は授けてもらえる。
勝手知ったる教会に飛び込めば、中には教会長と見習い修道女、そして何人かの手伝いの人が掃除をしていた。みんな幼いころからお世話になっている人たちで、わたしが飛び込んできても驚きはするものの、笑って受け入れてくれる。
「どうしたの、エリザベス」
教会長は年配のおばあちゃんのような存在。
その優しい姿を見つけると、教会長の胸にドンと体ごと飛び込んだ。教会長は少しよろめきながらも、優しくわたしを抱きしめた。
「お母さんが侯爵様に連れていかれちゃう!」
「侯爵様?」
話が分からないのか、教会長は驚きに目を丸くした。もっとちゃんと説明しなくちゃと思うのだが、気持ちだけがぱんぱんで支離滅裂だ。とにかく話を聞いてもらいたかった。
「わたしも連れていかれちゃうみたいなの。絶対あの侯爵様は変態だわ。わたしがお母さんにそっくりだから変な目で見ているのよ。きっとあんなことやこんなことなんか、されちゃうのよー!」
「侯爵様って、この間リリアンヌさんに声を掛けていたファリントン侯爵様?」
興奮して食いついてきたのは行儀見習いで教会に通っているララだった。興奮状態でがっちりと肩を掴まれてしまう。その強い力に痛みを感じながら、振り返った。
「あの日もお母さんを質問責めにしていた、その何とか侯爵様よ。今日、突然やってきたと思ったら店の中で薔薇を一輪差し出してきたのよ!」
「きゃあああ! なんて素敵なの! ファリントン侯爵様は奥様を亡くされて後妻をとっていないのよね。43歳になるけど、それはそれはいい男なの! 後妻の座を狙っている女は本当に多いのよ!」
確かに見た目もいいし、身分もあり、文句なしの金持ちでもある。いい男であることは間違いないが、変態チックな男性は嫌だ。
わたしにとって嫌悪しかない侯爵様であったが、ララには違うらしい。彼女は両手を胸の前で組み、うっとりとした顔で妄想全開だ。
「いいわ、いいわぁ。何もかも持っている男が儚げな身分違いの女性と恋に落ちるなんて! きっと夜の方も素敵なんでしょうねぇ。君のすべてを僕にくれないかなんて言われたら……! 心も体も蕩けちゃうわ」
「ララ! そのようなことを子供の前で言うのはおやめなさい」
教会長がララの妄想を聞き咎めれば、ララが現実に戻ってきた。申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい。でも、本当に羨ましいわ」
ララはため息交じりに言う。わたしにはその羨ましい気持ちが全く理解できなかった。
「ララは侯爵様のこと、よく知っているの?」
「よく知っているわけではないわよ。社交界で噂されているような話ぐらいね。ほら、わたしは男爵家の娘だけど、貧乏だから社交界もそれほど参加できないのよ。それでも耳に入るぐらいには有名な人ね」
「……そうなんだ」
ララが貴族令嬢だということは知っていたが、意外と苦労もあるらしい。聞いているだけでも殺伐としてくる。
「わたしも腐っても貴族の娘だから、どうしても貴族に嫁ぎたいの。貴族で金持ちならヒヒジジイの後妻でも、多少女性に人気のない口下手の人だって問題ないわ」
ララの結婚対象者が妻を亡くした年上の男性も含まれていることに気がついて顔が引きつった。平民であるわたしには結婚はあくまで恋愛からの結婚だ。身分とか、財産とか多少気になっても、好きという気持ちの方が先だった。
明け透けに言うララに教会長が諦めたようなため息をついた。ララは可愛らしく肩をすくめてぺろりと舌を出した。その仕草は私たちと何ら変わらないもので、とてもとても貴族令嬢とは思えない。
「ララ、はしたないですよ。条件だけを追い求めていても、いい縁談には巡り合えませんよ」
「わかっています。そうだ、聞きたいことがあれば教えてあげる」
ララの提案はとてもありがたかった。ちらりと教会長を見れば、彼女も仕方がないというように笑う。
「平民から貴族家に行くのです。話を聞いておいた方が後々のためになるでしょう」
「ありがとうございます」
ぺこりとお辞儀をすると、ララと一緒に教会の中庭へと向かった。