お披露目会は危険な香り 5
私は謎の男性の腕に横抱きにされていて、目の前には、やけに凛とした立ち姿で、無表情気味のユース王子。何この状況。
成人の体と同じくらいの太さで、何メルテもあるセルペンスが、謎の男性と私をぐるりと囲んだ。
ホール内は静寂に包まれている。自分の心臓の音が煩くてならない。
「私の姫とは、ルシル姫でしょうか? 生き写しですが、そちらは孫のレティア姫でございます」
ユース王子は顔をしかめた。それから軽く微笑。その後、恭しいというように片膝をついて首を垂れた。
「姫は姫だ。番いよ、そう怒るでない。私の姫とは冗談だ。別に奪いに来たのではない」
謎の男性のフードの向こうから「ふふっ」という笑い声がして、巨大セルペンスが頭部を上下に揺らした。
「番い?」
ユース王子は顔を上げた。顔をしかめている。
「そう、そこの我等の僕、鷲蛇の小王が決めたのだろう?」
そこの、と謎の男性が告げた時、巨大セルペンスがリチャード国王の方に頭部を向けた。
「我は天地也。天地なる者とは萬物の父母なり。我から溢れ、地に落ち、人となったが、姫は天地の一部。人とは相も変わらず愚かなようで、恵の雨では理解しきれないようだから、こうしてわざわざ降りてきた」
私を抱く腕は逞しく、人の温もりを感じるのに、謎の男は自らを「天地」とは、つまり神様? 風と鷲の神様? 私がその神様の一部?
奇妙奇天烈過ぎて、理解が追いつかない。
「可愛い姫が、国を守る我の化身を庇い、ジッと耐えて骨折とは可哀想なことこの上なくて手当てに来た」
謎の男性に顔を覗きこまれた。フードの奥の顔が少しだけ判明。美術品のように整った顔立ちの青年。優しい笑顔を浮かべている。
あっと思ったら頬にキスをされた。動く気配なんてしなくて、唐突だったので、呆然としてしまった。
「このように体を作るのは少々疲れる。手当てもあるので姫のお披露目は終わりだ。似たようなことが続くなら保護のために連れ……」
謎の男の言葉を遮るように「失礼します!」という威風凛々とした声がホールに響いた。聞き覚えのある声。
雪花ホールの大扉が開き、その中央に白いマントが翻る。少し癖のある、黄金色の髪がシャンデリアの灯りでキラリと光った。
「リチャード・アルタイル国王陛下。大蛇連合国に属するドメキア王国、ドメキア王より——……」
入室してきたのは、衝撃的なことに、ルイ宰相だった。
諦めないで、追いかけてきた! っと慄く。私の何をそんなに気に入ったのだろう、という疑問も湧く。
ルイ宰相は私と目が合った瞬間足を止めた。驚いた様子。彼は目を見開いたまま、ゆっくりと視線を少し上げた。
「エ……」
「エリニース。西の地ではそういう名だな。ティダ、龍神、風と鷲の神、テルム、シュナ、土の神、何でも良いぞ。白銀大蛇王の腕が伝書鳩などするな。天命を守れ。働かせるために姫を贈っても良いが、まあ姫次第だ。一先ず行こう。手当てをせねば」
謎の男性がルイ宰相の言葉を遮った。
突然床が揺れた。かなり激しく揺れるので自然と身が竦む。神様らしい男性に「大丈夫だ」と囁かれた。
ホール中に青白い煙がもくもくと立ち上がる。あっという間に視界が悪化。目が少し痛くて、瞳に涙が滲む。
静寂を切り裂くように、雪花ホール内に悲鳴が上がる。招待客達が騒然としている。
謎の男性が歩き始めた。ゆっくりとした動きで、靴音も全然しない。
「少し寝ててもらう」
謎の男性にそう告げられた時、手首をチクリと何かに刺された。いや、恐らく噛まれた。手首ということは、私の腕に巻きつくセルペンス——……?
意識が遠のいていく中、私の名前を呼ぶ声が耳の奥に響いた。
——姫、歌って
——ええ、勿論。セルペンスはこの歌が本当に好きね
セルペンスと、聞き覚えのない若い女性の笑い声。
なんだか幸せ。そう感じたのに、急に呼吸が苦しくなった。まるで真夏の正午の日向に立っていて、焼け焦げそうに熱い。
炎が見える。いや、包まれている。ごうごうと燃えるのは紅蓮の火ではなく不気味な紫——……。
「——……姫、姫」
ペシペシ、という頬を軽く叩く感触と呼びかけで目を覚ました。
ぼんやりとした頭に霞む視界。自分は目の前の青年に抱えられている。彼は座っているな。私はその上にいる。
ぼやけて逆さまの視界だが、体に感じる感触で、まずそう考えた。酷く怠く、指一本も動かせない。
「辛かったな。この薬は少々苦しむ。うなされて、悪夢でも見たか?」
優しく微笑む人物の骨張った大きな手が私の頬をそっと撫でた。顔はぼやけているが、夏空色の瞳だというのは分かる。そして、そこにしかめっ面の私の姿がうつっている。
「もう指は大丈夫。セルペンスが、喧しいので治療に来た」
彼はおそらく微笑んだ。少しずつ視界が良くなっている。
私は返事もお礼も、質問も、何も出来なかった。乾燥で口の中がはりついている。それに、唇を動かすのも辛いほどの脱力感。唇だけでなく、体全体が鉛のよう。
指は大丈夫と言われても、顔を動かして指を見たり、指を動かして確認することが出来ない。
「指の骨折ごときで呼び出すなと思うが、まあ気持ちは分かるので良しとする。そうそう。姫、進言には従わないとダメだぞ」
そう言うと、青年は私の背中に回している腕を動かした。上半身を起こされて、抱きしめられた。まるで赤ん坊をあやすような手つき。
「忙しかったらしいので、まあ仕方ない。……っ痒」
青年の体が私から離れた。彼の頭をアングイスが頭部で突っついている。かなり激しく。
「止めろ止めろバシレウス。少し愛でただけで、痒いから止めろ!」
シッシッと払うように、青年の手が動く。アングイスが青年の首に巻きつき、口先で私の肩を軽く押した。青年の体と更に距離が離れる。目と目を合わせられ、顔全体がよく見えるくらいに。
だんだんと視界がハッキリしてきて、青年の顔が見えるようになってきた。
短髪でその毛の色は黄金。意志の強そうな鋭い角度の眉に、キリリとしながらも大きくてどこか甘ったるい目。スッとした鼻に、厚くも薄くもない、大きくも小さくもないと感じる唇。これが、神様。まるで美の結晶。
美男子は何人か知っているからど、この方はとりわけ美しい。整った顔立ちや、太くも細くもない体つきだけではなく、後光がさして見える。
「あ……あの……」
何とか口が動いて、声も出た。しかし、小
さくて、しわがれている。
「ここが神殿。歌い、踊り、祈りなさい。アングイスがグチグチうるさい。俺の安眠を妨害する。セルペンスに言って、君に伝えろとアドバイスしたのに、それは無視する。本当、彼らはたまに訳が分からん」
目を動かして、周囲を確認。切り出されて磨かれた灰色の石を積んで作られた広々とした、飾り気のない空間。円形の部屋。壁の高い位置に、等間隔の穴がある。ここが神殿……。
アングイスがグチグチうるさい? アルタイル王国にもアングイスがいるの?
「来たついでだ。トラブルが多いようなので、人の護衛をつける。本人も名乗り上げるだろうが、カールだ。人に扮していた頃、彼女と共に生活していた。カールにエリニースからの手紙を預かったと渡してくれ」
ニコリと微笑みかけられて、ドレスのポケットに片手を突っ込まれ、私は瞬きを繰り返した。
エリニース。エリニス王子。彼が「大蛇になって消えた」という流星国の元王太子。バシレウス、と呼ばれるアングイスが側にいるのもその証拠。エリニス王子はアングイスという名の角蛇を、海蛇バシレウスと呼称していたらしい。
セルペンスが、「アングイスは、自分達はアングイスなのに、と怒っている」とぼやいていたことがある。
「カー……ル……さん?」
「気のおけない相手というのは、心安らかに生きていく上で必要だが、君みたいな人物にとって、そういう相手は見つかりにくい。カールは私が頼めばこの国に残るだろう」
よしよし、と子供相手にするように、頭を撫でられた。
「忙しかったのと、問題なさそうなので後回しにしていた。そして、やはり問題なさそうなので、そのまま放置する気でいた。しかし我等の姫が酷い怪我だ、許さんなどとセルペンスやアングイスが騒ぐので様子を見に来た」
エリニースの肩の向こうから、シュルリとセルペンスが姿を現した。
「酷い……け……」
「人もそうだが、身内に対して過保護なのさ。こういうことで、集落が滅びることもある難儀な血筋だ。しかし、仕方ない。そのように生まれてしまったのだから」
「血筋……。私……あの……」
「巣から離れたところで生まれ、存在を知られていなかったのに、君は城へ足を踏み入れ、彼らに認知された。実に運命的な話だ」
エリニースは微笑みを消し、真剣な表情で私を見据えた。
「セルペンスを君、君を大事な妹と置き換えて考えれば理解出来る。それから、牙には牙。罪には罰。悪しきは淘汰されるべき。それが世界の真の姿だ。しかし過剰な時もある。今日、あそこまで見せたら、トラブルは減るだろう」
私を見ているようで、見ていないような、遠くを見据えているような眼差し。
戸惑っていたら、エリニースの表情が、パッと明るい笑顔に変わった。屈託のない、無邪気な笑みに、妙に親近感が湧く。
温もりがあって、絶世の美男子とはいえ、見た目は人間。これが、神様?
「恐らく、二度と会うことはない。しかし妻になりたいというのなら歓迎するぞ。っ……。おい止めろバシレウス! 俺は諦めてないんだ!」
エリニースの顔が近づいてきて薄目になった時に、アングイスが彼の首をギュッと締めた。片手を首とアングイスの間に入れて抵抗している。
「分かった! 喧しい! 頭が痛くなるから騒ぐな!」
私からしたら、独り言。エリニースの叫び声だけが響き渡るという、実に奇妙な状況。
私がセルペンスと話しをしているのを、他人が見かけたら、このような感覚に陥ると改めて認識した。変だ。おかしい。少し怖い。
「あとは彼らが世話をするそうだから、俺は帰る。何であの色んな女の匂いが混ざった男は良くて、俺は怒られるんだ」
エリニースは私を抱えて立ち上がった。他の場所と何の変わりもない壁の方へ向かっていく。改めて見て、この円形の部屋は、天井がかなり高くて広さも大分ある。そしてがらんどう。狭まっていく天井と壁に床しかない。
この状況より、この神殿とやらが何なのか、彼らに世話とはどういうことか、というよりも「色んな女の匂いが混ざった男」ということの方が気になった。
「色んな女の……にお……」
「セルペンスが見張るらしい。良い気味だ。裏切りには反目なので、あの男は君に捨てられない限り、誓い破りをすると死ぬぞ」
私は目を見開いた。瞼は動いた。気怠さが徐々に消えてきている。
「あの男とは……」
「君の番い。今日婚姻したという男」
エリニースは私を抱えたまま立ち上がり、私をそっと床に立たせた。足に力が入らなくて、体がよろめく。腰を掴まれて支えられた。
「ありがとうございます」
「気になるならセルペンスに頼むと良い。彼らは国中、いや大陸中の事を調べられるぞ。深窓の姫君になるのも、予言や創世の姫になるのも自由さ」
トントントン、と左肩を叩かれる。歯を見せて笑いかけてきたエリニースは、くるりと私に背を向けた。
「ではまた。全く、この俺にちっともときめかないとは、君はおかしい。番いのいる女性はいつもこう。つまらん。セルペンスやアングイスも喧しいので帰る」
ヒラヒラと手を振り、エリニースは遠ざかっていった。
「あの、お待ち……」
「待たない。世界は謎と秘密に満ちている。あばよ」
トンッと跳ねると、エリニースは数メルテの高さにある壁の穴へ着地した。穴は奥行きがあるように見えるので、何処かへ続いているのだろう。
一人取り残されて途方に暮れてたが、ほんのわずかな時間だった。胸元からいつも一緒にいる大きさのセルペンスが現れて、「行こう姫」と声を掛けてきたから。
もう完全な体の脱力感はない。私は頷いた。
「付いていくけれど、何処へ行くのか教えて欲しいわ」
——忘れたの? ここから行けるのは巣だよ
「忘れたのではなくて、あなた達の姫はおばあ様のルシル姫なの。大事なことなのに、言い忘れていてごめんなさい」
——姫は姫。この匂いはみんなセルペンスの姫。
私の首にセルペンスが体を擦り寄せた。甘えるような仕草で、くすぐったい。
「そうなの? ふふっ。あはは。くすぐったいわ」
——姫はもう痛くない。姫が酷く痛い時、セルペンスはすぐ医者を頼む。ナーメにも頼んだ
「医者は先程のエリニース様? ナーメはどなた? お礼を言わないとならないわ」
私は自分の両手を顔の前にかざした。包帯は無く、腫れてもおらず、左右対象の元通りの手だ。痛みもない。
——喋り過ぎると怒られる。行こう姫。早く泳ぎたい
私の胸元から飛び出すと、セルペンスはシュルシュルと右前方の壁へと向かっていった。
同じくらいの速度で足を進めて追いかける。
「泳ぐ? 泳げる場所なのね。あのセルペンス、皆が心配しているかもしれないから、1度帰ってから巣? へ行くのではダメ?」
セルペンスが振り返り、床から胴体を離した。ピンと上体を伸ばして、頭部を横に振る。
——エリニースがまだ早いって。だから巣へお散歩する
「そう……なの。そうなのね」
レティア姫になってから、不思議なことばかり。
私は少々途方に暮れながら、まあセルペンスが側にいるし、一人で帰れないのは明らかなので、散歩へ行くことにした。