姫と王子の空回り5
「兄上、煩い。帰れよ」
「無理無理無理、何あれ、何なのあの生き物! 可愛いいいいい。ねえ、私にも早くキスしてってあの顔! かーわいいーー」
「俺に抱きつくな! 気持ち悪い顔をするな! 本人に言え!」
ベッドにダイブして、ディオクを抱き枕にしてゴロゴロ。頬を掌で押される。
「可愛いくらい言ったさ。当たり前だ。四六時中愛を囁く。なるべく格好良くだ。こんな姿を見せられるか」
引き離されたので、枕を代わりにする。ゴロゴロしながらディオクに体当たり。
「あー、気持ち悪い。吐き気がするよディオク君。こんな甘酸っぱい初恋みたいな気持ちを抱くなんて、気色悪い男だ」
「その通りだ。だから黙れ。それで部屋に帰れ。まさかこれを毎晩続けるのか?」
「うん。なんかこう、1人になると危ないから。想像してするのも悪い気がしてきてさ。そもそも、私は自分で自分をは好きではない」
「そんな申告するな! あれだ。来週結婚しろ。ほら、以前は16歳で結婚可だったしな。それを適応だ」
げしげし蹴られたので、蹴り返す。枕を捨てて、腕に抱きつく。耳元で嫌がらせにリップ音を出すと、ディオクはひいっと小さな悲鳴をあげた。
「この酔っ払い! 俺はレティアではない! 帰れって! 眠いから寝かしてくれ」
「酔ってない! 嫌がらせだ! ここに座れ! デートもキスもしていないのに、結婚なんて出来るか! それに素晴らしい式には準備期間が必要だ!」
自分が先に座り、掌でここに座れと示す。しかし無視された。ディオクは背中を向けて断固拒否という態度。兄の威厳ゼロ。当然である。逆の立場ならこんな鬱陶しい兄、要らない。
「来週の結婚までにデートしてキスしろ。そもそも夕食後に散歩へ行ったよな? もうデートしているじゃないか。結婚式は後からにしろ」
「阿呆かディオク。食後の散歩や団欒とデートは違う。キスしろって、1週間でおままごとキスから結婚しても良いくらいのキスなんて段階は踏まないだろう! お前は馬鹿か。レティアが連合国内の可憐な王女達に笑い者にされる」
耳を塞がれたので、諦めて横になる。確かにもう深夜で明日も仕事が山積みなので寝るか、と目を閉じる。
即座にレティアの顔が浮かぶ。ユース様もっと抱きしめてという懇願の眼差し。彼女が一挙一同に反応してくれるのは、楽しくて面白くて愛おしい。
レティアの懇願の眼差しが、キスして、という風に目を閉じて近寄ってきた大変可愛い顔に変わる。
「無理! 無理無理! うわあああ可愛い! 色気が無いからですか? ってその通りだ。あれを貪り食うなんて無理。それにあの可愛いおねだり拗ね顔をもっと何回も見たい。焦らして堪能したい。はああああ……可愛い……。まだ結婚なんて無理……」
「っだあ! だから寝ろよ! 千歩譲って結婚まで見張るのは良いけど煩い! 黙って寝ろ! 惚気るな!」
「なら兄上かフィラントを説得しろ。特にフィラント。結婚しろしろって強要して、いざ結婚出来ないから助けてって頼んだら放り投げるって酷いよね」
「俺もこんな兄上は捨てたい。出てけよ……」
布団をかぶってしまったので、引き剥がす。私を追い出さないのは、お兄ちゃんっ子だからだと分かっている。
「ねえねえディオク君、素敵な思い出になる自慢出来るファーストキスって何? どういうシチュエーション?」
また布団を被ったので諦めた。仰向けになり、天井を見つめる。あの清楚可憐な乙女の服を脱がす気になれない。
それ以前の問題で、そこらでキスもしんどい。順番、思い出、ロマンチック 、格好良くなどなど、とにかく思考回路がおかしくなっている。レティアには耐えると言ったけど、胸を触ろうという気も起きない。順番に徐々にだ。一気に進んだら勿体ない。
「それでさあディオク君」
返事なし。ディオクは昨夜と同様に屍になるようだ。まあ気持ちは分かる。逆なら同じ事をする。むしろどうにかして追い払う。
「私のファン達って、レティアを虐めそうじゃない? ほら、私が相手をしていたのって、情報がある以外だと、自ら迫ってくる自信家で勝ち気な女性だろう? 私って人気者だし、手を出してない子も参加したりして」
初めてや本気はお断り。社交辞令の範囲で褒めたりはするけど、自分から誑かして連れ込むのは無し。短期間で会うのは禁止。回数を重ねるのも禁止。好かれないように、ヤッたらすぐ帰るか追い出す。私室などのプライベート空間には絶対入れない。それがろくでなしなりのルール。別に誰にも言わないけど。
それでも、時折恋心っぽい感情を寄せられた。不思議だけど恋愛は理屈ではない。ゾフィーなんて未だに信じられない。数回会っただけで心中を図るとは。
多分、顔が良いからだろう。ゾフィーは元気かな、とは思ったが何かしてやろうとは思えない。好きと言ったらこいつは逃げる。それなら刺し殺せって、流石に擁護出来ない。
色恋で殺されかけたのは初めて。これまでの女癖の悪さが招くトラブルが本格化するのはここからだろう。みんな相手にされない。みんな恋人になれない。そこから一気に1人だけを宝物扱い。レティアが妬み嫉みの対象になるのは明らか。私を好きとかではなく女のプライドの問題。
今更後悔しても遅い。レティアに君は特別と伝え続け、守るだけだ。過去は変えられないけれど未来を決めるのはこれからの自分だ。
「自分で守ってやれ。虐めが原因でフラれても自業自得」
「そこは励むけど、蛇達が何かしないかなあって。レティアが嫉妬したっぽい時に、ドングリが飛んできたり、何かに足を噛まれる。ご夫人達が血みどろになったらどうしよう。本人は無自覚だし教えても多分無意味。賢そうな蛇は勝手に動いてる」
ディオクが起き上がり、私を見下ろした。
飛行船内で、失恋したレティアを慰めるために蛇がワラワラ、ワラワラ現れた話をする。
それからエブリーヌについて教える。素直になれない勝気な乙女は、親を唆してシャーロットからロクサスを強奪しようとした。しかも虐めたらしい。ディオクに、その足が動かなくなった伯爵令嬢のことを教える。
レティア姫を敵視して爪を立てたお姫様が怪我をした話もする。調べたら、他にも怪我をしたお姫様がいた。
「おい! そういうことは早く言え! 兄上が手を付けた女性をリストアップしろ! レティアから離せ!」
「顔なんてそんなに見てないし、覚えてない方も多い。社交場からつまみ出せない方もいるし」
「ならどうするんだよ!」
「レティアには関係ないことですって、素知らぬ顔をするしかない。でないと聖女の肩書きが呪いの魔女になる。ディオク、私だけでは対処出来ないこともあるからその時は助けてくれ。私ではなく彼女の心のケアの方だ」
「ああ、うん。それは、まあ……」
「蛇が暴れるのは止められないだろう。意思疎通が出来ないのだから。それで、話は戻るのだけど、君の思い描くロマンチックなファーストキスって何? レティア姫時代にそういう話を聞いたことがあるだろう? 君自身も夢見てそうだし参考にしたい」
あんまり深刻にしたくなくて、話題変更。フィズ国王も、気にしても、気を付けても、仕方ないことと言い切っていた。
ディオクが無言でポカポカ殴ってきた。地味に痛い。
「夢見てない! あれはフリ!」煩い! 黙れ!」
「愛読書の白薔薇令嬢と正十字騎士の内容でも参考にしてアドバイスして……っ痛」
「愛読してない! 姫の時に話のネタで必要だから読んでいただけ。それこそ自分で流行りの本を読め! 俺に聞くな! 愛読してないからな!」
「読んだよ! でもさ、本によってバラバラで参考にならない。いきなりヤッちゃうのとかあるし。やり過ぎな砂糖菓子小説や、過激そうでファンタジーなエロ小説を、ご令嬢達が愛読しているのはどうかと思う」
恋愛小説なんて読む日が来るとは思っていなかった。夜の指南書みたいなのから、子供は白鳥が届けるみたいな、お花畑話まであった。
多いのは結婚しようと言って、キスして、いきなり結婚式や初夜。
間はどうした。そこを知りたい。駆け落ちハッピーエンド物もそこがゴールか数年後で、間がすっぽり抜けている。
「ああ。エロ本として読んでいたのか?」
「違う! 純愛だ!」
ディオクは再度布団を被った。気まずそうな顔だったので、純愛小説の愛読というのは恥ずかしいことらしい。堂々とすれば良いのに。これをつつくのは悪いこと。
「君の趣味を覗き見は嫌だから、白薔薇令嬢と正十字騎士は今後も読まない」
「愛読していないし、ベストセラーだからむしろ読め。そして俺には一切アドバイスを求めるな。そもそも兄上は人の意見なんて聞かないだろう」
「いやあ、たまには聞くよ」
「なら寝ろ!」
「はあい」
確かにそろそろ寝ようと目を瞑る。悲しいけれど、可愛いレティアを思い出すと眠れないので、羊を数える。
羊が1匹。羊が2匹。羊を撫でるレティアが1人?
まあ可愛い羊ですね、ユース様。いや、君の方が可愛いよレティ——……。
「無理! 可愛い————! 動物とレティアって良い組み合わせだ! 犬か猫を飼いたい!」
「いきなり何だよ! 寝ろよ!」
「犬かな、猫かな。ハムスターでも良いな。ハムスターブーム、終わってないし。でも動物より私の世話をして欲しいから却下だな」
眠れないのでディオクの体をつつく。
「ほらほら、殴りたいほど面倒だろう? 早く結婚させたいだろう? 協力してくれ」
「煩い。俺じゃなくてせめて姉上に聞け。他にもミネーヴァ達とか、城仕えの侍女とか色々。女性に聞け」
「噂が広まったら格好悪いだろう! エトワールは口が軽い。あと彼女とレティアとでは違う人種だから無意味。あの子は恋人になるには体からって、裸になってフィラントを襲った豪胆だ」
「ぶほっ。おい、姉上のプライベートな話をこんなところでバラすな。あの姉上がそんなことするか。嘘をつくな」
「レティア以上に無垢なお嬢様に見えたのになあ。フィラントが仏頂面で奥手だから、エロい指南書みたいな小説で一生懸命勉強したのかも。いじらしくて可愛いよな。片思いと思い込んで、押し続けて、最終的に色仕掛けとは……」
フィラントの奴は何をしたんだ? 恋人期間を用意して、その後に盛大な結婚式も用意してあげたのに、泣いたエトワールが裸になったって迫ってきたってどんな初夜だ。
ベロンベロンに酔っ払って、ようやく吐いたけど、揶揄える内容ではなかったからそっと胸に秘めて、兄弟だけの話にする。ディオクはこの手の話が苦手なので絶対に喋らない。
エトワールが余計なことを吹き込んだら、全裸のレティアに襲われるのか?
色仕掛けなら今日されたな。キスしてって、あのおねだりは、超絶可愛くて理性が吹き飛ぶ寸前だった。
恥じらいながら、そっとドレスを脱いで、もじもじするレティアは————いやダメだ。服を着せたい。優しく包み込んで、君が大切だからまだ早いと、真っ赤な頬にキスだけで終わらせよう。
一生の思い出になる素晴らしい結婚式の夜に、愛を囁きながらスマートにリードするのが理想的。
でも今日みたいに、キスのおねだりをされて、その後に泣かれたら——……するな。キスする。ユース様もっと、もっと、もっと、もっと、キスして抱きしめてと甘えられたら——……。頭真っ白。
「うわお、鼻血が出た! たらーって多分鼻血! ディオク、ディオク、ハンカチある?」
ベッドに座り、上を向いてディオクをバシバシ叩く。寝巻きなのでポケットにハンカチは入っていない。
薄明かりなので見えないけど、いきなり鼻水は出ないだろうし、匂いが血だ。これ、やっぱり初夜なんて無理。キスも怪しい。本人の前で鼻血なんて死ぬ程嫌だ。
「もう何なんだよ! 寝かせてくれよ! 鼻血なんて何を想像したんだよ! 自分の部屋に帰れ」
ディオクはサイドテーブルの引き出しから羊皮紙を出して、私の顔面に押しつけた。
「痛くて固い」
「煩い!」
何度目かの沈黙。羊皮紙をちぎり、垂れてきた鼻の方へ突っ込む。キスの想像で鼻血なんて自分でも情け無い。
寝ないと困るなと目を閉じる。レティアの顔が浮かばないように、羊はやめて、汚い髭面男を想像する。
汚い髭面男が1人、疲れ切ったリチャード兄上が1人? リチャード兄上の髭を剃り、さあ行くぞと言われて……。
家族で散歩ですか? ユース様、後でこっそり2人きりになりませんか? というレティアが1人出てきた。見たことのない水色の爽やかで可憐なワンピース姿で愛くるしい笑顔。
「うわああああ、可愛い————!」
「もう嫌だ! フィラント兄上助けてくれ!」
飛び起きたディオクはそのまま隠し通路を開いて飛び込んだ。慌ててディオクを追いかけて後ろからはがいじめ。
「それは、不味い! エトワールやクラウスの快眠を妨げるとぶっ殺される! せめてリチャード兄上にしてくれ!」
「来るな! 部屋はやるから1人で悶えてろ! 寝かしてくれ!」
「1人で寝るなんて、浮気をしていない証拠がなくなるだろう!」
暴れるとディオクと揉み合い、疲れて、ベッドに横になる。さすがに眠い。ようやく眠れそう。
眠りに落ちる寸前「明日から、走ってから寝ろ!」とディオクに怒られた。
フラグ
エトワールとフィラントの結婚話は同シリーズにある「成り上がり騎士と貧乏子爵令嬢の新婚生活」です。