姫と王子の空回り4
ユース王子との夕食会場は、昨日の朝食と同じで食堂。ユース王子はディオク王子も誘った。そこに時間が合ったという国王陛下が増えて4人になった。
料理を運ぶ従者がいて、国王陛下とディオク王子がいると、ユース王子とは話しづらい。
3人からお披露目会の大まかな内容の説明をされて、食事内容の希望を尋ねられたりと、打ち合わせ会になった。
食後の散歩も皆でなのかな? と思ったらユース王子と2人だった。
食後、国王陛下とディオク王子は、打ち合わせの延長というように、話をしながら去っていったのだ。
食堂から廊下へ出て、ユース王子の腕に手を招かれる。廊下を歩き始めて気がつく。2人きりではない。ディオク王子といた時と同じで、護衛騎士がついてくる。
「君に城内を案内しようと思っている」
「それでしたら、今日ディオクお兄様がしてくれました」
「そうか、それなら……」
「昨夜、リチャードお兄様やフィラントお兄様と部屋でのんびりお話ししました。なので、その、今夜はユース様と……。あの、チェスはどうです?」
チラリと護衛騎士達を見る。それからユース王子に目配せ。2人きりになりたいと伝わるだろうか。
「ん? チェスか。それは良いな」
「はい!」
エスコートされて、着いたのはユース王子の部屋だった。
以前悩み過ぎて、セルペンスに案内されるがままに着いた場所。私やディオク王子の部屋のある塔とは別の塔にあったのか。
嵐の夜は泣きついて、抱きしめられて、あやされたこと以外あまり覚えていない。なので初めて訪れたような感覚。
青を基調とした調度品。絨毯が鷲柄。ゴブレットといい、ユース王子は鷲が好きみたい。本棚は一つだけで、そこに並んでいるタイトルは知らないものばかり。たぶん小説。
棚に色々と雑貨が飾ってあり、お酒のボトルがズラリと並んでいる。ベッドやクローゼットはないので、寝室とは別の私室だろう。
「この部屋に入ったことのある女性は君とエトワールだけ。鷲蛇姫は秘密の隠し通路を使えるようなので、自由に来て良い」
「えっ? 自由にですか?」
「城内の廊下を歩き回るよりも君用の通路の方が安心安全なので、あの秘密の隠し通路は好きに使ってくれ。しかし、城の外へ勝手に出るのはやめて欲しい。心配だ」
ソファに私を座らせると、ユース王子はチェスの用意を始めた。棚に飾ってあるチェス盤は青と白。大理石製に見える。チェスボックスは銀色に輝いていて、彫刻は森と数羽の鷲。
茶色い皮張りソファは、見た目と違ってあまり固くない。座り心地が良く、食べた後だからか、少し眠たくなってきた。
「自由に来て良いと言われても、勝手になんて……。正式な入り口をきちんとノックします」
「そう? 残念。突然現れて、寂しくて会いに来ましたって言われたら、胸が躍るけどな。後ろから抱きつかれたりとかさ」
そう言うと、ユース王子は私の隣に座った。
「そうして欲しいってことですか?」
「うん。是非。まあ君の性格では無理か。辛い時などは、すぐ来るんだぞ。それは出来るな?」
笑顔で顔を覗き込まれる。ぽんぽんと頭を撫でられて、ジッと見つめられて察っした。
どんどん顔が近寄ってくるのは、そういうこと。
よしっ! えいっ! と目を瞑ったけれど、何も起きない。一定のリズムで頭を撫でられているだけ。
これ……もしかして、目を開けたら揶揄われるんじゃ……。
何? キスしたかったの? という風に。
ゆっくりと目を開くと、ユース王子は柔らかく微笑んでいた。
「うん。可愛いな……」
眩しそうに目を細めて笑っている。これの言動は予想外。照れで言葉に詰まる。
婚約者役として雇われて、ユース王子がどう女性を口説くのか知っているつもりだったけど、全然違う。君の反応は楽しいと散々揶揄われていたのに何これ。
ああ、でもここのところのユース王子はずっとこうだった。穏やかで、優しく笑っていて、何かと褒めてくれる。
……でもキスは? しないの? この甘い空気で、2人きりで何もしないの?
「ああ、チェスだったな」
ユース王子は立ち上がって、反対側のソファへ移動した。雷に打たれた気分。抱きしめられるとか、キスされるとか、そういう状況だと思ったのに離れられてしまった。
「ユー……ス様……。あの……」
羞恥心と緊張、離れられたショックで声が震えて上手く喋れない。彼はどうしてすぐ私から離れるのだろう。
「ん? どうした?」
ユース王子は私の隣に戻ってきて、私の両手を取って笑いかけてくれた。ギュッとユース王子の手を握る。恥ずかしいけれど、顔が熱いけれど、ユース王子を見上げた。手汗が気になるけれど、手を繋いでいたい。すぐ離れないで。
「相談事か? 遠慮しなくて良い」
「いえあの……。その、隣同士でチェスをするのかと思ったので……」
隣同士でチェスって難しい。我ながら訳の分からないことを言ってしまった。すぐ手を離さないでと言いたいのに勇気が出ない。
「そんなの、チェスにならない」
その通り。手が離れて落胆。しかしユース王子は立ち上がらなかった。急に抱き上げられて慌てる。ソファに上がって横座りという体勢。それも、ユース王子の足と足の間に座り、後ろから抱きしめられるような格好。
ユース王子の手が私の手をにぎにぎと触る。これは全く予想していなかった事態。
「君の手は小さくて細いよな」
「そ、そ、そうですか? ユース様が大きいのでは……」
頭から湯気が出るかも。恥ずかしくてならない。でも嬉しい。これは恋人同士っぽい。
私もユース王子の手を触ってみようと思うのに、体は上手く動かない。されるがまま。
「ポッキリ折れそうで心配」
耳元で甘い声。顔は見えないけれど、先程と同じように微笑んでいると、容易に想像出来る。
「そんなに細いですか?」
「ああ。手だけではなくて体も。まあ、無くなった食欲が戻っているようなのは安心」
指を一本一本確認するような手つきと、背中に感じる熱で心臓が爆発しそう。
「しょ、食欲はあります……」
「痩せてしまった分、太った方が良い」
「私、そんなに痩せました?」
「ああ。今度ケーキの美味しいらしい店へ連れて行く。豪快に食べるリトルプリンセス2名も呼ぶか。また口周りをクリームだらけにしそうだな」
指と指が絡まった。手を握り締められて、握り返す。ユース王子はクスクス笑っている。
「またって、何もついてないのに2人を揶揄っただけではないですか。あの、ユース様は甘いものは嫌いですか? 甘いものを食べているところを見たことがないです」
「クリームは苦手。フルーツは好きだ。フルーツよりも君の方がうんと好き」
手が離れて、抱きしめられる。密着度が増した。この体勢、心臓に悪い。トトトトトトトッとどんどん脈が早くなっている。
「あの、私の何が、その……」
聞くチャンス! と懸命に声を出した。
「なんかスルッと入ってきた。そうしたらキラキラ光って見えて可愛くてならない。あと君は、多分根っこがフィラントに似てる」
穏やかで静かな声。恥ずかしくて緊張しているのに、すごく落ち着く。いつもそう。ユース王子といるととても安心する。
「交代のお話、聞きました」
「彼は殆ど忘れている。凍傷と頭の怪我の影響。フィラントの中では私が恩人になっている。政策のために秘密な」
「はい。信頼をありがとうございます」
「うん……。なあレティア、それで君は私とどこへ行きたい? 良い景色を眺めるのが好きみたいなので、結晶洞窟が良いのではないかと思っている。君なら入れるという、地下神殿の散策も興味ある」
「結晶洞窟? 結晶の洞窟なんてあるのですか?」
振り返ろうとしたら、ぎゅうっと抱きしめられた。その後、ほっぺたに軽いキス。そっと、触れるか触れないかというくらいの優しい感触。頭がぼーってしてきた。チェスなんてしないで、このままが良い。
「ああ。祖母から教えてもらった秘境で街外れにある」
「初……デート……ですか?」
「うん。再来週あたりに」
今のこれはデートとは違うのだろうか。これもデートだと思うけど。
「はあ、チェスなんてとても無理だな。部屋まで送ろう」
急に離れられて、ユース王子が立ち上がったので呆気にとられる。手を取られて立たされた。
ユース王子は私を見ないでカーテンを眺めている。
もう帰れ? 凄い甘い雰囲気で、怒らせるような話は何もしてない。チェスは無理は同意だけどもう帰れ?
くっついたり離れたり、ユース王子って緩急が激しい。
「いえ、あの……まだ……」
「頭が働かなそうなのでチェスは無理」
クスクス笑うと、ユース王子は私の頬を撫でた。寂しそうに笑っている。手を引かれれたので、ひっぱり返した。
「疲れているから、もう帰れってことですか?」
ユース王子の目は怒っていないから、怒らせたのではない。それでもう帰れなら疲れていて休みたいの筈。疲れなら仕方ないと自分に言い聞かせる。
「まさか。疲れなんて吹き飛ぶ可愛さだ。癒されるから一晩中眺めていたいくらい」
照れ臭そうに微笑むと、ユース王子は私に背を向けた。手を繋いだまま。強めに引っ張られて、隣に立たされる。腰に手を回された。
「まあ寝不足は美容に悪い」
「眠いってことですか……」
「いや君の肌のこと」
そう言うと、ユース王子は部屋を出た。横顔は実に涼しく、名残惜しさのかけらもない。一晩中眺めていたいって嘘なのか。疲れや眠気ではなく、君は早く寝なさいってことか。つまり、完全に子供扱いだ。
先程と同じようなことを他の女性にもして、そのままキスしたり、あんなことやこんなこと——詳細は知らない——をしていたのに私はダメって事実に腹が立ってくる。ムカムカしてきた。
「私に色気が無いからですか?」
手を引かれて、部屋の中へ戻された。
「レティア。いきなりどうした」
「疲れて眠いから帰れなら帰ります……」
まだ帰りたくない。チェス一局分くらい一緒にいられると思っていたのに、もう帰れ。
褒められたり、秘密を打ち明けられて嬉しかった分悲しい。もう帰れって、もう帰れって嫌だ。
「チェスをすると言ったのに、こんなに短時間なのは寂しいです。でももう疲れた、眠いなら部屋に戻ります」
私ってこんなに自分勝手で我儘なのか。でも繋いでいる手を離したくない。キスされたら気が済むのだろうか。気持ちがぐちゃぐちゃ。彼の顔が見られない。
「まさか。名残惜しいので部屋まで遠回りして送ろうと思っていた。つまり散歩。レティア、君は嫁入り前の王女様だぞ。はいどうぞ、あーんってしてはいけない」
「へっ? あ、あの……」
「密室で可愛くおねだりされてキスだけというのは無理。しかし耐える。なにせ甘えんぼうの君は可愛いしおねだり姿も可愛い。また我慢して、きちんと止めるので是非誘惑してくれ。今夜はもう危険なので散歩に行く。まだ一緒にいたい」
私の気持ち、願望、全部漏れてるってことだ。キスだけでは終わらない……おねだり姿……軽くパニック。
「わた、わたくしは、あの……」
「そこまでと思っていないのは分かっている。私の問題」
行こうと言われて、腰に手を回されて、もう一度部屋の外へ出た。
ユース王子は本当に遠回りした。ゆっくりした足取りで、いくつかある中庭の一つへ移動。ユース王子は手の仕草だけで、護衛の騎士に出入口にて待機令を出した。
「春はまだ遠いな。温かくなるし、人も見ていないのでくっついてくれても良い」
ほら、と腕を出されて、おずおずと腕を組む。ユース王子が少しふざけた口調で「まだ寒いな」と言うので、えいっとくっつく。
ユース王子は微笑み、空を見上げて、のんびり歩き出した。
雲は多く、星があまり見えない。月も半分隠れていて、市街地もすっかり暗い。
城の明かりはかなり減っているけれど、街よりは光に照らされている。高い位置だからか吹き抜ける風が強い。
「今夜の外は散歩向きではないな。風邪をひかせてしまうから戻ろう」
「あの、その今のうちに、2人のうちに1つだけ。月光の華とは何故ですか?」
「ん? ああ。星空乙女や星よりも輝く乙女が気に食わなくて。唯一無二の光は太陽だけど君は穏やかなので、月だなと。星と違って流れて儚く消えることもない」
「そういう意味で……。ありがとうございます。気に食わなくとは、やきもちですか?」
「何を笑っている。私は嫉妬深いぞ。今まで知らなかったけどな」
ほっぺたをつままれて、引っ張られる。次はぐるぐる円を描くように撫でられた。
「社交場で私の噂を聞くだろう。全部が本当ではないけれど、嘘や捻じ曲がったことばかりでもない。食べ散らしては一応私なりのルールがあった。腹が減っていたら、目の前に出されたご馳走を食べるだろう?」
「えっ? 腹が減っていたらって……」
「しかし、食べたら死ぬ物ですと言われたら、食べないだろう? 部屋でも我慢出来た。そのように本能や生理現象に理性を働かせることは可能だ。餓死寸前でも、食べたら君が泣くなら食べない。ずっとそうかは知らないけれど、今はそう思っている」
ユース王子は私のほっぺたから手を離した。
「やきもちが面倒で鬱陶しくなくて、むしろ可愛いとは驚き。純情娘なんて後腐れがあるから恐ろしくて触らなかったけど君は愛おしい。こんなに可愛いのに我慢するのは嫌だけど、君の尊厳を守る方が優先。以上。信じなくても良い。君の自由だ」
今まで告げられた言葉を総括すると、私はユース王子のこれまでの中でかなり特別な女性みたい。
ここまで言われて、お披露目会にユース王子と関係があった方には、参加してもらいたくないです。とは言えない。
部屋まで送ってもらい、別れ際に手の甲にキスをされた。護衛騎士が見ているから適切な距離感。名残惜しいけど「また明日」という台詞の効果は絶大。
ぽわっとした気分で室内に入ると、ソファにヴィクトリアが腰掛けていた。多分、見られていた。
「正式な侍女が決まるまでの世話役の1人に選ばれました。レティア様、就寝時間はとっくに過ぎていますよ。帰るに帰れないので今夜は泊まります。嬉しそうですけれど、良いことがありました?」
彼女が微笑んで掌で隣のスペースを示してくれた瞬間、私はきゃあああと照れながらヴィクトリアの隣へ移動して、ソワソワしながら座った。
「あの、良いことはその、ヴィクトリアがまた世話役をしてくれることです」
「先程のではなく? そうでございますか。引退して短期雇用もしぶしぶでしたのに、つい頼んでいました」
「そうなのですか。ありがとうございます」
「ペネロピー夫人も、鍛え甲斐があると張り切って、来週から戻ってきます。私語の許可も出たそうなので、あれこれ聞かれるでしょう」
「ヴィクトリアは私の欲しい言葉をくれますね。そんなに顔に出ていますか?」
「ええ。いつも身の置き場が無さそうでしたので。しかしもう大丈夫そうです。明るいお顔で安心しました」
クスリと笑うと、ヴィクトリアは私の髪を解いてくれた。これは彼女の仕事なので、理想のお母さんみたいと思ったのは秘密。
私は彼女に家族がどう接してくれたのか話し続け、ヴィクトリアの家族についても教えてもらった。