王子と姫の空回り3
目を覚ますと、頭がガンガンした。体を起こして周りを見渡す。知らない部屋だ。青と白を基調とした家具に見覚えはない。
私が乗っている、ふわふわ布団の乗った天蓋付きベッドも初めて見る。カーテンの隙間から光が溢れているので朝か昼だ。
「あれ、いつ……」
かなり気持ち悪い。この気分不快はお酒のせいだ。お水が欲しい、と思ったらサイドテーブルに水の入ったグラスがあった。その下には折ってある羊皮紙。
【飲ませ過ぎてすまない。ユースと間違えられて困った。昨夜の内容はユース本人と話し合ってくれ。陛下も俺も口外しない。似ているから謝罪はいらない。 フィラント】
やらかした! 羊皮紙を見つめて硬直。酔っ払って、フィラント王子とユース王子を間違えて……泣きついた……。
うっすらした記憶の中だと、メソメソ泣き続け、ユース王子だと思い込んでいるフィラント王子の膝を「近寄ったら何で離れるのですか」とポカポカ叩き……あやすように背中をとんとんされ……あとは覚えていない。
グラスを手に取り水を飲む。羊皮紙は二枚あった。
【話に夢中だったのと、顔色が変わらないので酔っていると気がつかなかった。ボトルが空になりかけていたとはすまない。謝罪は要らないのでユースと話しなさい。昨夜のはフィラントだ。二人は似ている。 リチャード】
穴があったら入りたい。謝罪は要らないって必要だ。国王陛下とフィラント王子にすぐにでも謝ろう。しかし、と思い留まる。二人とも仕事中かもしれない。今は朝? 昼?
寝台から降りて、カーテンを開く。太陽が低いないから昼だ。壁に飾られる振り子時計を発見。時刻は11時。王女レッスン時の起床時間はとっくに過ぎている。
昨日は休養日だったけど、朝起きて、自分で支度をしていたら、エトワール妃付き侍女のミレーが現れて髪を結ったり化粧をしてくれた。時刻は覚えていないけど、11時という遅い時間ではなかった。
ここはどこ? 私、探されていたりしないよね?
ふと気がつく。ドレスから寝巻きに着替えている。
「ママー! レティちゃんおきた!」
扉が少し開いて、クラウス王子の姿が一瞬見えた。
「もーへびいない!」
遠ざかる声を聞きながら、ここは東塔なのかとぼんやり部屋を眺める。以前、私が寝泊りしていた部屋ではない。
部屋から出るか、エトワール妃を待つか悩む。扉を押そうか、押さないか戸惑っていたらエトワール妃が現れた。
「あらあら、目が腫れてひどいお顔。湯浴みより冷やすのが先かしら」
「おはようございますエトワール様……私……」
俯いたら顔を覗き込まれた。エトワール妃は楽しそうに笑っている。
「飲み過ぎて寝てしまったそうよ。お酒はほどほどにしましょうね。そのうち適量が分かるわ。しばらくは家族以外の前で飲まないように」
ぽんぽんと背中を叩かれる。謝ると「私もあるわよ。いたたまれないわよね」とクスクス笑われた。
「恥ずかしいから一人で支度します? ドレスなど、以前使っていたものをお泊まり用に置いてありますよ」
「は、はい。すみません。ありがとうございます」
「ふふっ。んー、湯浴みが先ね」
手招きされて、部屋を出る。それで今いた部屋がどこだか分かった。フィラント王子とエトワール妃の寝室だ。隣の私室や、クラウス王子の寝室に招かれた事がある。
「あの、お部屋。ありがとうございます」
「フィラント様を離さないから3人で川の字よ。着替えさせるのも一苦労。ユース様、ユース様って、可愛いわね。蛇がわらわら集まってきて少し驚いたわ」
肩を揺らすと、エトワール妃にほっぺたをつつかれた。うん。やはり穴に入りたい。再会翌日にこの醜態。
謝ったら、エトワール妃は「楽しかったわよ」と歯を見せて笑ってくれた。
★☆
湯浴みと着替えが終わると、侍女サシャが化粧をしてくれた。髪をとかしてもらい、結ってもらい、食堂へ招かれる。
エトワール妃とクラウス王子の2人と昼食を摂っている間、クラウス王子は歌に夢中。
食事をさせるのも一苦労という様子で、手伝っている内に、申し訳ない気持ちは消えていった。
昼食後、クラウス王子と東塔の周りを散歩していると、謎の巨大犬のスコールに遭遇。クラウス王子はスコールにひっついたけど、私は遠くから眺めた。
スコールが去り、クラウス王子と鬼ごっこをしていたら、ディオク王子が登場。彼の姿を見つけた瞬間、クラウス王子は全速力で駆け寄った。
「デオおじいちゃ!」
「はいはい。おじさんな」
楽しげに笑いながら、ディオク王子は自分に飛びかかってきたクラウス王子を抱き上げた。なのに、目が合うと、目を細めた不機嫌そうな表情に変化。
「リチャード兄上の部屋で酔って寝て、フィラント兄上や姉上の世話になるってさあ」
「すみません」
怒られて当然。素直に頭を下げた。
「ユース兄上が後見人から降りて、俺になったのは知っているな。リチャード兄上に政務から外された」
「はい。あの、政務から外された?」
「当分、君の世話をしろってこと。クラウス、ママのところへ帰るぞ」
ディオク王子は仏頂面。私の脇を通り抜けて「いいやあ——」と泣いて騒ぐクラウス王子を連れて、東塔へと向かっていく。
遊ぶと泣きじゃくるクスクス王子を、庭の掃除中のサシャに渡すと、ディオク王子は私を連れて城へ向かった。
護衛らしき騎士が2名、遠巻きでついてくる。
「今月中に君の生活環境を整える。同時進行で式典へ行く準備。その前に、来週のお披露目会の準備。ユース兄上が、絶対遵守と決めた事以外は全部白紙にした。引き継ぎをしないと言い張るから、聞き取りからする」
「はい。よろしくお願いします」
応接室に行くまで無言。気まずい雰囲気。こじんまりとした応接室のソファに向かい合って座ると、ディオク王子は開口一番「悪かった」と私に謝った。
「何のことでしょうか」
「昨夜の、その……態度とかロクサス・ミラマーレのこととか……」
「まあ。昨日お話しした通り、気に病む必要なんてありません」
本人の中では納得いかないみたいでまた無言。どうしよう。
「聞き取りとは、何から話せば良いですか? 私も今日から何をして過ごすのか聞こうと思っていました。あと城内についても知りたくて、どなたに教われば良いのか相談しようと」
「何で怒らないんだよ」
不機嫌というよりも拗ね顔なのかも。少し頬が膨らんでいる。
「怒った方が良かったみたいですけれど、ユース様だって私に興味がない時は同じでしたし……。あれをしろ、これをしろと……」
妹やロクサス卿を人質にされて、流星国であれこれしろと命令されたことを話す。
途中で急に態度が変わったことや、結局ユース王子は自分で色々して疲れた様子だったことも伝える。
「そういえば、ユース様は分厚い書類を作っていました。レティア姫の生活と権限という」
「ああ。目の前で燃やされた。一部だけ渡されて、暖炉に放り投げられた」
ええ、という声が漏れた。ディオク王子の拗ねたような不機嫌顔はそのせいか。
「ユース兄上は俺に激怒している。危うく大量の蜘蛛を食わされるところだった」
キッと睨まれて、途方に暮れる。蜘蛛? 蜘蛛⁈ 想像したら気分が悪くなった。
「まあ、それは逆にユース様に対して怒った方が……蜘蛛だなんて……」
「ああ。ぶん殴った。言い過ぎのやり過ぎだからやり返した」
えええええ……。殴った……。知らないところで兄弟喧嘩が勃発していたなんて。
「それは……。兄弟喧嘩の原因になるとは……すみません。ユース様は何故そこまで怒ったのです? あの、ユース様にも聞いてみますけど……」
「いや、喧嘩は終わってる。ユース兄上が怒ったのは、多分君が怒らないって分かっていたからだ。何だよ昨日の。それに少しヴィクトリアに聞いた……。色々……」
それきり、ディオク王子はしょんぼりと俯いてしまった。また沈黙。重たい空気で息がしにくい。
「ヴィクトリアが何か言っていたのですか?」
「ヴィクトリアは新王女の教育係の雇用を、短期集中レッスンならという条件で応じた。なのに本人の希望で今回の外交に同行した。その時点で俺は君と少しでも話しをしてみるべきだったんだ。ごめん」
「まあそうなのですね。彼女には大変お世話になったので、短期集中レッスンだけとは残念です」
ディオク王子は頬を指で掻きながら、私を見上げた。
「おそらくヴィクトリアは戻ってくる。午前中、流星国との外交についての報告会だった。君の功績は圧倒的。それもあって、ユース兄上は俺と君が不仲にならないように、話しをするようにしたみたいだ」
「圧倒的だなんて、自分なりに励んではきましたけれど」
ユース王子の顔が浮かんだ瞬間、シルヴィア夫人のうふふ、という嘲笑も脳裏によぎる。
「圧倒的だ。国王陛下に君の認識不足を正すようにと……あー、どうした? やっぱり怒ってる?」
不安そうな目をしたディオク王子に、首を横に振る。シルヴィア夫人に対する嫉妬心が漏れていたのだろう。
「いえ。あの、お披露目会にはどなたが参加するのですか? その、あの……」
少し悩んだけれど、昨夜気がついたユース王子の女性関係と、自分はやきもち焼きらしいという話をした。
「上流貴族は浮気や愛人をある程度認めるって噂は本当ですか? ある程度とはどういう場合ですか? その、食い散らかしてとは……あの……。その、どなたがそうなのか知りませんが……。会いたくないなあと……」
「ユース兄上と話し合ってくれ。浮気したら捨てられると、一昨日から俺の部屋で寝てる。結婚するまで毎日見張れって、煩くて暑苦しくて邪魔」
ディオク王子は困り笑いでため息を吐いた。
「見張りですか?」
「本人に聞いてくれ。食い散らかしてって、その話はリチャード兄上だな。うっかり口を滑らせたんだろう」
「はい。あの」
「何故分かったかって? 兄上はそういう方だからだ。お披露目会の招待客は官僚達とその家族の予定だけど……。官僚達とその子供にするか。教育係や侍女選出の為とか理由をつけて。ユース兄上のお手つきはわんさかいるし」
「わんさか……」
「あのさあ、その、本気? ユース兄上のことを全然知らないみたいなのに、おまけについ最近心変わりしたばっかりで、結婚しますって本気か?」
問いかけられて、言い淀む。その通りで、すぐに結婚は気が引けてきている。
女癖も含めて、ユース王子の趣味や生活を全然知らないと帰国して思い知らされた。
ディオク王子に、ユース王子が私に告げた内容を話した。半恋人かもしれない、という不安も伝える。
「本気に見えるけど、兄上は嘘つき人間だからなあ。兄上について聞きたいことがあればいつでもどうぞ」
「はい。ありがとうございます。本人に聞いてみて、分からない時は皆さんに聞こうと思います」
「自分のためにそうした方が良い。話が逸れたけど、今後の生活の話だ」
「あの、まずは城内のことを知りたいです。見取り図とかあります? 立ち入り禁止場所なもも知りたいです」
「そうか。そこからか。今日は案内にするか」
「よろしくお願いします」
ディオク王子と2人で城内散策開始。その間、今回の外交におけるレティア姫の功績について説明された。
今回の外交の最大目的は交易契約。大蛇連合国と煌国の交易ルートの拠点の一箇所に、アルタイル王国アストライア街が加わると決まったらしい。内容はアルタイル王国にとって好条件。
元々、フィラント王子を通して決まりつつあった契約だったど、フィズ国王は「恵の聖女に友好を示してもらえ、今後も各国に定期的に祈りに来てくれるそうなので」と契約内容をかなり良くしてくれたという。
北西の地の蛇神信仰は強い。シャルル国王関係で、災害や病に化物出現などなど、色々あったらしい。伝承も山程あるとか。なので鷲蛇姫も取り合うと戦争や厄災に繋がるというのがフィズ国王の見解。
連合国内の秩序安定のついでに、私とアルタイル王国の保護をしてくれる。交易の拠点の一つにするから、戦争されていては困るそうだ。
「アルタイル王国は本格的に連合国の傘下になるだろう。東は荒れているし、隣国ゴルダガに睨まれているから良い話だ。フィラント兄上やエトワール妃のこれまでの成果を、君がさらに大きくした。それが遊んでいただけの真実」
「ユース様が私の背中に乗せてくれた功績ですね」
「何もしていない者には乗せられない。春招きの祝祭遅延は偶然だった。突然の晩餐会と舞踏会。そこで君は予想以上の働きをした」
「それがですね、親切な方が多くてとても楽しかったです」
「それは良かった。違う話も聞いているぞ。多くの国、複雑な人間関係。それを最も把握したのは君で、他の情報も集めてまとめた。君の作成した報告書を、ヘイルダム卿をはじめとした官僚達が素晴らしいと褒め称えている。怒られるとすれば、官僚に楽をさせたことだな」
「このように褒められて、まるで他人事みたいです。遊んでいただけなのを、こう、上手く表現しようと書類を作ったのです。功を奏したようで」
「娘に領地統治の関係資料や指示書を作らせたくなるわけだ。ったく。まあそういう才覚があったから娼館や奴隷商人に売らなかったのだろう」
「掃除洗濯炊事もするから便利だったと思います。売られそうな話を聞いたときに、色々考えました」
思い出したらセンチメンタル。本物の両親なのに、ちっとも愛してもらえない。自分が足りない子だからだ、そう思っていた。
蓋を開けたら養子で、念願の実の娘が出来たから鬱陶しかったが真相。あの親からよくアリスのような良い子が育ったものだ。
「レティア? あー。ほら。これからはこの城が家で俺達がいる」
「ありがとうございます。昨日から胸がいっぱいです」
「それは良かった」
話しをしていたら、城内探検はあっという間だった。最後に案内されたのはディオク王子の部屋。
私の部屋のすぐ裏側。知らなかった。
扉が開かれて目に飛び込んできたのは赤を基調とした調度品の数々。レティア姫の部屋と雰囲気が似ている。
「疲れただろう。少し休もう。あとは避難経路である隠し通路……」
「やあディオク君。私の可愛い宝物と仲良くしてくれて嬉しいよ」
背後から声を掛けられて、振り返る。昨日の朝ぶりのユース王子。会えて嬉しい。でも複雑。
ディオク王子は私を部屋へ招き入れて「どうぞ兄上」とユース王子も促した。室内に3人きり。
「ユース兄上、リチャード兄上がうっかり女を食い散らかしてなどと、話したらしいです」
ほら、と促されたけれどユース王子の顔が見れない。
そろそろと顔を上げる。ユース王子は困り笑い。ディオク王子は私の肩を叩き「2人でどうぞ」と退室してしまった。
「レティア……」
「……結婚しても浮気しますか? 気にしないのが上流貴族ですか?」
思い切って尋ねた。モヤモヤしていても仕方がない。深呼吸をして微笑みかける。涙が滲んできた。嫌だ。浮気なんてされたくない。そもそも、まだ恋人っぽくない。
「上流貴族は気にしていないのではない。我慢している者は多い。愛憎が渦巻いている」
「そう……なのですか……。なんだか怖いですね……」
「古今東西、身分も関係なく男女関係は複雑怪奇だ。浮気しますか? と聞かれると自信はない。女癖の悪いろくでなしだったからな」
「自信……ない……。そうですか……」
絶対浮気しないという言葉を期待していたのに、真逆の台詞を告げられるとは思わなかった。
「自分から熱心に口説いたのは10年ぶりくらい。君の泣き顔を見たくない。大切な宝物を傷つけたくない。だから必死に努力する。面倒とか、嫌だより、君の存在の方が勝った。夕食と夜の散歩の誘いに来たのだけれど、今夜の予定は空いているか?」
ユース王子は困り笑いのまま手を差し出してきたけれど、私の手を取りはしなかった。結婚しようと言った時と同じで、ジッと待っている。
「それなら……浮気された時に考えます……」
浮気事件はまだ起こっていない。嫌ですと伝えて、君が大事だから努力するというのなら信じたい。
私はそっとユース王子の右手に手を乗せた。一緒に夕食を摂って、散歩に行きたい。ギュッと手を握り締めた。
どうかこの手が他の女性にベタベタ触れませんようにと願いを込めて。