お姫様の新生活 2
アルタイル城の東塔。そこはフィラント王子一家の暮らす場所。絢爛な城内とは違い、とても質素で落ち着く。さらに、そこにいるのが優しいエトワール妃と、可愛いクラウス王子なので余計に。
久しぶりで緊張する。私は東塔の前で固まってしまった。
「やはり突然訪問なんて……」
「レティア様、どうしました? エトワール様! カールです! クラウス王子と遊びに来ました! レティア様もご一緒です」
いきなりカール令嬢が叫ぶので、私は更に固まった。カール令嬢は遠くの花壇へ手を振っている。見ると、質素な紺色のドレスに灰色のエプロン姿のエトワール妃がいた。脇にいるのは——……。
「レティちゃ!」
クラウス王子がぶんぶん手を振って、駆け寄ってくる。抱きつかれるなら嬉しいと手を広げたら、クラウス王子は途中で止まった。足元を見つめている。
「ママー! へびいる!」
クラウス王子がガシッと掴んだのは小さなアングイスだった。クラウス王子の腕と同じくらいの太さでと長さ。急に掴まれたのに、大人しくブラブラされている。次はぶんぶん振り回された。アングイスは、アルタイル王国にもいたのか。でもかなり小さい。
アングイスはクラウス王子を噛まないだろうけど、あんなに振り回したら可哀想。慌ててクラウス王子の元へ駆け寄る。
「まあクラウス。ヘビを離してあげなさい。それかもっと優しくよ。父や母がクラウスにするように」
「ぶんぶん! してる!」
クラウス王子はふて腐れたように俯き、靴で土を弄り始めた。アングイスはまだ頭の少し下を掴まれて、ぷらぷら揺られている。
——楽しい!
頭に響いてきたアングイスの声に、そうなのと呟き返す。乱暴に扱われて悲しむか怒るかと思ったけど、楽しいのか。変なの。
北西の地のアングイスとは声色が違う。クラウス王子に似たあどけない少年の声。このアングイスは子供ということだ。
——変なのはいつも遊んでくれる。でも何を言っているか分からない
そうなの? と脳内で囁き返す。最近気がついたけど、声を出さなくてもアングイスには伝わる。今回も「うん」と返事があった。
「間違えました。父や母がクラウスを抱っこして撫でるようにです」
うーん、と首を捻るとクラウス王子はアングイスを顔の前に持ってきて、反対側の手で頭部を撫でた。
アングイスは何も言わないけれど、尻尾をゆらゆら揺らして楽しげ。あの様子だとやはり噛まないだろう。
「レティちゃ、へび! たのしいって!」
走り出したクラウス王子は、そのまま私の足に抱きついた。アングイスを掲げ、自慢顔。
「レティア、カール令嬢、すみません。元気がありあまっていまして。レティア、疲れているかと思って明日会いに行こうと思ってました。来てくれて嬉しいわ。久しぶりね」
近寄ってくるエトワール妃に優しい笑顔で手招きされて、ドキドキしながら歩く。クラウス王子がレティと呼んだ時点で察したけれど、エトワール妃も私をレティアと呼ぶようだ。呼び捨てとは、家族ですよって言われたみたいで嬉しい。
「お久しぶりですエトワール様」
「お姉様でも良いですからね」
歯を見せて笑うと、エトワール妃は胸の前でグッと拳を握った。
「あはは、そう呼んで欲しいって言わないのですね、エトワール様。一人っ子だったから嬉しいって耳にタコが出来るくらい聞きましたけど。レティアちゃんは元気かしら、レティアちゃんは大丈夫かしら、レティアちゃんは……」
「まあカールさん! その話は秘密ですよ!」
頬を赤らめて、恥ずかしそうにすると、エトワール妃はクラウス王子の頭を軽く撫でた。しゃがんで息子の目を見て「へびさんにも帰る家があるから離してあげなさい」と語りかける。
クラウス王子は渋々アングイスを離して、地面に置いた。
——いつもすぐに遊ばなくなる。つまらない
そう言うと、アングイスはしゅるりと私の前へ移動し、ピョンピョン跳ねた。その次は私のドレスを登ってきて、肩の上に乗る。
「まあ。レティアちゃんは本当に蛇に好かれているのですね……」
怯えられず、感嘆の眼差しを投げられたので安堵する。エトワール妃はクラウス王子を抱き上げて、にっこりと微笑んだ。
笑顔にも、レティアちゃんという呼称にも胸が温まる。こんな風に迎え入れてもらえるなんて予想外。
クラウス王子はかくん、と糸が切れたように眠っている。子供って随分忙しい。
「は、はい! よく分かりませんけれど。気がつくと近くに蛇がいます」
「色々と言われるでしょうけれど、気にしないのが一番です。犬猫どころか蛇に好かれて、それが亡きルシル王妃と同じならば、ちっとも変なことでも恐ろしいことでもありませんからね。噛まない不思議なヘビですし」
さあどうぞ、とエトワール妃は私の腰に手を回してくれた。どうしよう。いきなりこんな台詞、予想していなかったから泣きそう。ユース王子、もう根回ししてくれていたんだ。
「流星国で見聞きしたでしょうけれど、レティア様はあのようですし、このバジリスコスという蛇、かつて流星国城にいました」
「カールさん、この蛇はバジリスコスというのですね」
「ええエトワール様。エリニス王子はそう呼んでいました。こちらの腕輪のような蛇はココトリス、角蛇はバジリスコス。バジリスコスはもっと大きかったです。2匹は海蛇らしいです」
「そうらしいですエトワール様。北西の地には蛇にまつわる話が沢山ありました」
そう、どんな話? と問われてブリジット姫から聞いた話をする。塔内に招かれたので、話をしながらついていった。
クラウス王子は侍女のサシャが寝室へ運びますと連れていった。
談話室のソファに座り、紅茶を飲みながら、流星国での思い出話しを尋ねられるままに喋る。皆、聞き上手だ。
話に夢中になっていたら、伝令が来た。窓の外がうっすら夕焼けになっていることに気がつく。
伝令は知らない騎士。東塔前で待機となったアテナが居なくて、初めて会う女騎士がいる。伝令してくれた騎士と、女騎士に挨拶をしたら名前を教えてはくれたが、かなりよそよそしかった。
「レティア様、私はこれで失礼します。父と食事の約束をしていますので。ニールの件、エトワール様が騎士に相談してくれるそうなので、また明日」
女騎士と挨拶していたら、カール令嬢が現れて、お休みなさいませと会釈をされた。サッと遠ざかっていく。
「はい、また明日。お休みなさい」
凛とした背中に向かって声を掛けると、彼女は振り返ってヒラヒラ手を振ってくれた。
少し悩んだけれど、小さく手を振り返す。カール令嬢が満面の笑顔なので、私も笑みを返した。また明日、とは嬉しい。
伝令の内容は「エトワールと礼拝後にディオク王子と夕食。その後国王陛下の私室へ」だった。ユース王子からまた手紙もあり、内容は伝令とほぼ同じ。また四つ折りの羊皮紙で、手紙というよりメモ書き。
【エトワールにはまだ何も話していない。君が話すのは自由だ。私は明日の予定。二人で家族への挨拶は、明後日の予定。もう今日は会えなそうで寂しいよ。お休みなさい】
手元の手紙を見つめて、最後の一文をもう一度読む。今日はもう会えなそう……。会えないのか……。ディオク王子と夕食になったから?
勇気は大切、と私は【お休みなさいませ。会えなくなって残念です。ご自愛下さい】と綴った。場所もないので、立ったまま掌の上で走り書き。
伝令に手紙を託し、東塔の中へと戻った。
エトワール妃と一緒に礼拝へ行って、その後ディオク王子と夕食だと告げると、残念がられた。
とりとめのない話をしながら、もやもや悩む。今日会ったのにエトワール妃に何も言わないと、彼女が明日ユース王子から話を聞いた時に、何で? と思うかもしれない。
「あの、エトワール様。大切なお話しがあります」
「そう? かしこまってどうしました?」
話す予定はあったけれど、あまり話したくない。ロクサス卿を傷つけたことを話したら、もう仲良くしてもらえないかも。
「はい、あの……」
話すべきだ、と私はまず「ロクサス卿と結婚しません。彼はもう婚約者候補ではなくなります」と口にした。「何かあった?」と聞かれ、ゆっくり、最初から話をした。
即位式の後から、ロクサス卿にどういう気持ちを抱いていたのか、飛行船内で何を話したのか。
泣くなと思うのに、涙は溢れて溢れた。
面会と決められた日のその時間以外会いに来てくれなかった。今日のユース王子のように手紙もくれなかった。エトワール妃は奇妙な蛇のことを、何にも気にしないどころか羨望の眼差しをくれたけど彼は違う。
与えられなかった不満や不安だけではなく、自分も何もしなかった。そう語った。寂しくて会いたいと、誰にも頼まなかった。手紙も書かなかった。一生懸命笑って、何も変わっていないって話せなかった。恐々とするロクサス卿にこそ、セルペンスは怖くないという話をするべきだったけど、無理だった。そういう話。
流星国に置いてきたと思った悲しみや後悔は、ちっとも消えていなかったみたい。
応援してくれた、エトワール妃やフィラント王子への罪悪感が込み上げてくる。
でも、戻りたいとは思わない。やり直したいとも思わない。レティア・アルタイルはロクサス卿を潰すとしか思えない。その考えも話した。
「それで、ユース様はずっと私達の背中を押してくれました。慰めてくれて、優しくて……最後までずっと……」
「そう。辛かったわね。ロクサスの事なら、私達も協力出来るわ」
「いえ、あの、それで……。私、薄情者みたいで……。もうロクサス卿よりもユース様が……好きです……。好きになりました。ユース様も……そうだと……」
オリビアは許してくれたけど、軽蔑されるかも。でも嘘はつけない。私は膝の上で手を握り締め、目も瞑った。エトワール妃の反応が怖い。
「そう。ユース様の粘り勝ちね」
えっ? と目を開ける。
「友の部下の婚約者には手を出せないって、ずっとここで愚痴を言っていたのよ。レティアちゃん、ユース様の愛に気がついたのね……」
えええええ。ああ、そういえばユース王子はシャーロット令嬢にご執心。身を引いた。そういう設定があった。すっかり忘れていた。
「嘘かもと思っていたけれど、本当だったのね。あのユース様が文通から初めて、デートに浮かれて、落ち込んで……。ロクサスには悪いけど、嬉しいわ」
エトワール妃は私の両手を取って、握り締めた。
文通は嘘です。デートも嘘です。落ち込んでも多分嘘です。ごめんなさいと謝りたいけど、ユース王子の秘密を勝手には話せない。
「そうなのですか……」
「しょっ中よ。ここ最近なんて、酷かったわ。ずっと不機嫌で、恋敵の結婚式を手配するなんて理不尽だって」
ここ最近というのが、あの嵐の夜以降なら本心? あの嵐の夜、私はユース王子にメソメソ泣きついて……。
—— 別に頑張る必要なんてない。その為に私がいる
あの言葉の後から、ユース王子は目に見えて優しくなった。そうか、ユース王子は理不尽だと思っても、結婚式の準備をしたり、応援してくれていたのか。
「薄情だなんて、ロクサスにはチャンスが沢山ありましたよ。彼、フィラント様にも叱られていました。今貴女を支えなくて、いつ支えるんだって。私もずっと気になっていたのですが、具合が良くなかったのと、王女集中特訓の邪魔をするなって言われていまして、ごめんなさいね」
「いえ、気にかけてくださっていたなんて、ありがとうございます。体調はもうよろしいのですか?」
「ええ。日によるの。だから今日、貴女から来てくれて嬉しかったわ。ずっと心配だったの。集中特訓が終わったらと思ったら、外交用の特訓でまた会えなくて。帰ってきたら色々聞こうと思っていたの。それで、ユース様は貴女にいつ何て告白したの?」
さあ教えて、と期待の目で見つめられて、私の口は勝手に動いた。舞踏会の夜の事を語り、その少し前に自分の新しい気持ちに気がついた事を説明する。
「ユース様が結婚しようだなんて、ようやく本気の……運命よ! 運命だわ! ロクサスには悪いけど、縁深いフィラント様の妹と結婚だなんて、ユース様の運命の人ね!」
きゃあああ、とはしゃぎ出したエトワール妃は「お祝いとロクサス慰労会が必要だわ」と言い出した。
「あの……」
「んー、待って。また暴走って怒られるわ。今夜フィラント様に話しましょうね。ロクサスやユース様からそれぞれ話があっても、お兄様にきちんと自分の口で想いを伝えるのよ。私に話してくれたみたいに」
大丈夫。一緒に話しますからね、と微笑まれて、私の首はコクリと肯定の動きをした。
「夕食を一緒に摂りましょう。今朝降ってきた魚と岩塩で塩釜焼きにしてくれるそうなの。魚は好きだったわよね?」
「嬉しいのですが今夜は……」
「ディオク様と夕食でしたっけ? お兄様ですから、ディオク王子……リチャード様も聞くべきだわ。全員呼びましょう。あの魚、大きいですし。お城の食堂で兄妹で食べましょう!」
「あのっ、いきなりそのような誘い……」
「リチャード様、妹とはどう仲良くなるのか? なんて言っていたから良い機会ね。ディオク様は除け者にすると拗ねますし。良い案よ」
「そうなのですか」
国王陛下が私と仲良くしてくれるつもりなんて、知らなかった。ディオク王子は除け者にすると拗ねるのか。私はディオク王子と殆ど話しをしたことがない。あの美しくて絶対王者みたいな風格の堂々とした男の子が、拗ねるの?
「そうよ。クラウスには悪いけれど、ユース様に預けましょう。先程明後日、一緒に報告って言ったいたけれど報告会ってこう、話し辛そうだもの」
それからのエトワール妃の行動は早かった。さあさあ、行きましょうと私を連れて国王陛下を訪ねた。国王陛下の私室の場所を初めて把握。その次はディオク王子の元へ移動。彼は執政室で何か読み書きしていた。執政室の場所や内部を初めて知った。
「今夜は兄妹で夕食を摂りましょう」
エトワール妃のその一言は、鶴の一声みたいで、国王陛下もディオク王子も「えっ? ああ、はい」と全く同じ返事をした。
その後、エトワール妃はフィラント王子を鍛錬場へ迎えに行った。
「今夜は兄妹で夕食を摂ります。ユース様は多忙で来れません」
しれっと嘘をついたエトワール妃には驚き。フィラント王子は「そうか」としか言わなかった。私とエトワール妃はフィラント王子と馬車でアルタイル大聖堂へ移動。エトワール妃に倣って礼拝をする。
即位式以来のアルタイル大聖堂で、エトワール妃と共に、私は市民、特に子供達と少し握手をした。
エトワール妃があまりにも自然に市民に挨拶をして、時折握手をするので、後にくっついて真似をしただけ。
注がれる大量の畏敬の念や「レティア姫様」「青薔薇姫様」「鷲蛇姫様」などという、叫びにも似た声掛けに身震いがする。
特殊だったとはいえ、即位式だけでこうなるなんて……。
礼拝後の馬車の中で、私はどうしても聞きたくて、エトワール妃に尋ねた。彼女は確か、フィラント王子が王子だとは知らずに結婚して、彼が伯爵騎士から王子に戻ったことで妃の位を与えられた。
オリビアから聞いたその話は本当なのかと、その時どう思ったのか、無性に知りたかった。
「その話、よく聞かれるのですよね。王子の妻はお妃様。私のような、一般市民に毛が生えたような貧しい貴族娘にはなれないと悲観して、辛くて泣きそうでした。皆様、すぐ首を傾げるのですが、手放しで喜べませんよ」
「俺はエトワールと引き離されるなら、王子には戻らないと決めていた」
フィラント王子は不機嫌そうなしかめっ面で、窓の外を眺めている。拗ね顔? と思ったのはユース王子の拗ねたような表情とそっくりだから。
「ようやく自分は愛されていたのだと分かった、素敵な夜でした。あの夜があったので、私は勇気百倍です。押して、押して、押した甲斐がありました」
「いや、ほら、君が誤解していただけで、俺も伝えられてなかっただけで、別に最初から……」
「いいえ。私はフィラント様を脅し、誘惑し、押し続けて粘り勝ちしたのです」
ふふふ、と楽しそうに笑うとエトワール妃は「興味あったら今度聞いてね」と私に耳打ちした。非常に興味がある。あと、話すのは恥ずかしくないのかも気になる。
「エトワール、前から聞きたかったんだが、もしも万が一身分差のせいで妃にはなれないって話だったら、どうした……?」
「フィラント様のお世話係になろうと思っていました。それがダメなら城勤めの侍女で、それも無理なら、城に出入りする方のお屋敷で働けるようにで、とにかくフィラント様にまとわりつくつもりでしたよ。私は諦めが悪いので」
そう言うと、エトワール妃は私にウインクした。ユース王子そっくりな仕草。
「ですから私は諦めの悪い、情熱的な方の味方です。相手を蔑ろにしたり、不要に傷つける方なら止めますけれど、そうではないみたいなので」
トントンと背中を軽く叩かれて、エトワール妃が何を言いたいのか分かった。ユース王子を大切にして欲しい、という意味だ。それから、大事にしてくれるだろうという信頼。
私を応援するのではなく、ロクサス卿に同情するのでもなく、あくまで諦めの悪かった、ユース王子の味方ですよという提示。諦めた私に対するアドバイス。
それに、今のはこれから私がフィラント王子達に話をした時に、フィラント王子が何か感じてくれるようにという布石だ。
私の視界は少しぼやけた。大きく頷く。
黙って微笑み、私の背中を撫でるエトワール妃を改めて好きだなと感じ、ユース王子が彼女を好きな理由を垣間見た気がした。