王子と姫の空回り 2
帰国後すぐの夜
アルタイル王国。第二王子が妃と暮らす東塔。
窓の向こうにある、煌めく星を眺めながら、グラスに口を付けた。このソファはいつも座り心地が良い。
「ユース、今度は結婚偽装か?」
向かい側に座る、フィラントに睨まれる。その隣で、エトワールは「まあ、まさか」と目を丸めた。
「結婚話、もう兄上から聞いたのか? 自分で話そうとこうして来たのに。偽装ではない。違う。本気だ」
フィラントはジト目。一方、素直で可愛いエトワールはニコニコしている。
「ロクサスから少し聞きました。ロクサスには残念な話ですけれど、そもそもユース様も辛かったですね。元々、ロクサスの為に身を引いたのですし。二人がお別れする最後の時まで応援していたと聞きました」
少し涙目になると、エトワールは可憐な笑顔を浮かべた。
シャーロットを口説いていた事を、変だ奇妙だと疑いつつも、信じていたらしい。
片想いは切ないですね、という私への涙。失恋なんて辛いですね、というロクサスやレティアへの涙。そんなところか?
「気持ちは分かるが、過保護は止めろユース。そりゃあロクサスの立場になると、シャーロットさんが突然雲の上の存在になり、悩んでいるのも聞いていたが……。あれはなあ……少々情け無い」
呆れ顔で髪を掻くと、フィラントはエトワールに「君は寝た方が良い」と声を掛けた。
「今日は気分が良いので大丈夫です。このブランケットも温かいですし」
「ん。うん。そうか」
エトワールがお腹に手を当てて、ブランケットを掛け直した。チラリと私を見て、フィラントに更にくっつく。フィラントも自然とエトワールの腰に手を回して、彼女を引き寄せた。相変わらずの、無自覚おしどり夫婦。弟バカの私は、これに和む。
「情け無いだなんて。身分差に悩み、葛藤する気持ちはよく分かります。過保護ってどういう意味です?」
結婚したフィラントは、伯爵騎士ではなく王子でした。という、ロクサスと似た経験のあるエトワールが「よく分かる」と言うのは、言葉に重みがある。
けれども、逃げないことを選んだエトワールとロクサスでは永遠に分かり合えないだろう。
のほほん妃の中にある激しい情熱を知っている者は少ない。
「さあ、ほら、しっかりしろ。でないと利権のために結婚してしまうぞって挑発だ。そうだろう? ユース。過剰に世話をする必要なんてない。止めておけ」
複雑そうな表情で俯いたフィラントは、首を横に振った。ロクサスがこの件をどう話したのか知らないが、情けない、という言葉にこの態度。ロクサスの背中を押す気は無いのだろう。
「違う。ロクサスが少しでも追いかけたら、それで全部丸くおさまった。なのに、挑発したのに、全く追いかけない。頭を撫でるくらいで良いのに何もしない。結局レティアの見抜いた通りだ。ロクサスはシャーロットは背負えても、レティア・アルタイルは無理だと恐れて逃げた。何も変わっていないのに壁を作られて、レティアはぺっちゃんこ」
思い出したら、ロクサスに苛々した。エトワールが用意してくれたブランデーを手酌で呷る。
この件は、愚痴りたかった。ロクサスは絶対に自分の落ち度や、非道さを理解していない。
恐れて逃げるにしても、今回のタイミングは最悪だった。もう少し待ってやれば良かったのに、と腹が立ってしょうがない。
「親に虐待まがいの過労働を強いられていた、友人もろくにいない、小さな世界しか知らない娘の中で、ロクサスの存在がどれほど大きかったと思う? 初めての甘えられる相手。ロクサスのあの柔らかい雰囲気に優しい性格。彼はシャーロットの救世主にして初恋の王子様だ」
エトワールが泣きそうになる。似たような生い立ちのエトワールはもう理解したようだが、フィラントはイマイチ分かっていなさそう。
「不安ばかりの新生活の中で、支えて欲しい、神様みたいな存在に拒絶される。川で溺れかけているのに、無視されたのと同じだぞ。必死に泳いでいて、見てられなかった。しかも、張り切ってアクイラ宰相を接待して酔い潰れた後に、見舞いにも行かないでこの仕打ちだ。異国で社交場デビュー目前。不安や重圧が何倍というときに、甘えさせるどころか突き飛ばすなんて、川に沈めて殺そうとしたようなものさ」
思わず舌打ちが出た。ロクサスの気持ちも分かるので、言い過ぎな気がするけれど、今の私はレティア第一だ。
エトワールが号泣しているので、これでレティアの味方ゲット。元々味方っぽいけど、これでロクサス<レティアだろう。
どうせロクサスのことはレティア本人が庇う。フィラントや家族もフォローする。
フィラントは沈思という様子。エトワールの頭を撫でながら、小さく唸った。
「まあ、ロクサスはそういう視野は持てない。当事者だからな。俺はそこまで深く聞いていないから、その辺りは分からない」
「挟まれたオリビアも心配だし、ロクサスやレティアの為にも、それぞれからそれとなく話を聞いてフォローしてやって欲しい。ロクサスは良い大人だけど、レティアやオリビアはまだまだ子供だ」
あれだけ潰された後に手を差し伸べられたら誰だって縋る、と再度自覚する。
一点の曇りもない信頼の眼差しを愛おしいと思うが、あれは酷く危険だ。
裏切ったら、今度こそレティアはぺちゃんこのペラペラになるかも。まるでレティアの心臓を手に入れたようで、ロクサスの気持ちとはまた違う意味の恐怖を抱いている。
世界が広がった先でも、レティアが私を選ぶのか、それは分からない。
しかし彼女の世界は早くもっと広がるべきだ。友人が出来たりと、もう兆しは見えるので、過保護にならないように気をつけながら見守りたい。
「そうか。それでレティアが完全に潰れないようにケアと、ロクサスを更にせっつく為に君は……」
「違う。あんな男、もう応援するか。過剰に踏み込んで、ようやく人に頼れるような性格の娘を支えにして、生きて行こうと考えていたことが気に食わない」
「ユース?」
「ロクサスに言っておけ。悔しくて取り返したかったら、かかってこいってな。今した話も全部しろ。レティアに謝るというのなら、謝らせろ。選ぶのはレティア本人で、私ではない。権力欲しさに横取りしたって話にしてやるから、良く考えろってな」
背中を丸め、テーブルに頬をつけて、グラスを口元へ運ぶ。
今夜の酒はちっとも美味くない。
「おいユース、それって結局……」
「違う。本気だ。あんな小物に取られるか。誰にもやらん。この私が本気で結婚したいと思ったんだ。フィラント、助けてくれ……」
「助けてってどうした」
「結婚したいけど無理。あんな純情乙女には手が出せない……。キスすら無理だ……。結婚なんて出来ない……」
グッと酒を飲むと、ため息が出た。ここからは単なる自分の愚痴。
「おい、意味が分からない。今度は何を企んでいるんだ?」
「だから企んでない!」
背筋を伸ばし、フィラントを睨む。睨み返された。
「プロポーズまでに必要な、適切なデート回数って何回? 手を繋いで、可愛いおままごとみたいなキスをして、徐々に慣らして……。結婚まで何年必要だ? それまで禁欲なんて拷問だ……」
「はあ? 拷問? おいユース」
「そもそも恋人だなんて、時間は無いし、浮気したら裏切りだから、絶対に欲しくなかったのに……。恋人だなんて、私はどれだけ理性を使い続けなければならないんだ……。自信ない……助けて……」
想像しただけで気が遠くなる。浮気、不倫を我慢する。自分がロクデナシなのは自分自身が良く知っている。
一点、レティアは他の女性とは違って命の危険は少ない。それだけは安心している。王女護衛騎士だけではなく、セルペンスにアングイスに守られるお姫様なので安全。
嫉妬でドングリが飛んでくるのが、レティアの仕業だと安心。どうかそうでありますように。
可愛い清楚可憐な純情乙女を、一から自分好みに開発するのは楽しい気がしている。それだけが希望の光。理性を保つ道標。
先にロクサスの手垢がついているのだけは残念だが、あのクソ真面目な男は大して触っていない気がする。まあ、願望だけど。
「あー、ユース。今夜もヘンだな……」
「今夜もではない! あの小娘が私をぶっ壊した! 狂わされた! 結婚するって、あの可愛い天使に手を出すってことだぞ。慣らさないと死ぬ! 死ぬ死ぬ死ぬ! 悶え死ぬ! 無理! 結婚とか、まだまだまだ無理! 助けてくれ!」
「はいはい。だから止めろって。二人のために結婚偽装なんてする必要はない」
完全に信用ゼロ。これまでの生き方の結果なので仕方がない。
「だから本気なの。それこそ社交界に吹き荒れるだろう、結婚偽装の噂は恋路の邪魔になる。その為にも私の初めての恋人は遊びの女とは違うと示さないとならない。悶え死ぬのもあるけど、順序立てるのはその為。レティアにも本気、特別だと示さないと……逃げられる……」
遠い目をして、面倒臭いという態度のフィラントを睨む。こいつはいつもそう。エトワールやクラウスの事以外は、殆ど面倒臭そうそうにする。
エトワールがクスクス笑う。その後、何故かエトワールは自分の頬を両手で包み、照れ出した。フィラントとの何かを思い出し中なのだろう。
「悶え死ぬって……。分かりますけれど、照れでは死にませんよ」
「君みたいな美人が惚けるのは絵になるけど、私がニヤニヤデレデレしていたら格好悪いだろう。ダサい。気持ち悪い。最悪。既に片鱗を見せているけど、初デートやファーストキス、プロポーズ、初夜なんかの記念すべき日は絶対にスマートかつ格好良くないとダメ」
「その気持ちがあれば、十分ですよ。好きな人を格好悪いとか、そんな風に……」
「そういう女性ではないけど、プライドの問題。個人的意見以外でも、未成年とはまだ結婚出来ない。フィラント、完全禁欲という拷問生活なんて自信ない。手本を見せてくれ」
必要ないのに、パチンと指を鳴らしてしまった。演技で良く使うから、常時出てくるようになってきている。
「手本を見せろって、俺は今まで浮気なんてしたことがないし、これからもしない。既に見本だ」
「それは知っている。なら君は、エトワールに一切手を出さないって出来るのか? 無理だよな? 私が結婚させてやって、すぐに手を出したことを知っているぞ!」
フィラントは面倒臭そうな目を止めた。死んだような目。これに関わるとロクな間に合わないから、無視しようという拒絶。
影武者と主。王子と騎士。そこから双子王子。フィラントと私は常に一心同体。つまり、付き合わせてやる。
「おい、でたらめ言うな」
目を背けたから嘘。清廉潔白で一途な男も、惚れた女にはすぐ拐かされた。ということは、私みたいなだらしない男は、絶対にレティアに手を出す。
「という訳で、フィラントは今日から私と寝ろ。見張り役と手本だ」
「……はああああああ⁉︎」
フィラントが勢い良く立ち上がる。
「私が結婚するまで君も我慢しろ。君が我慢するなら仕方ないと、私も励める。ほら、丁度エトワールも出産するし」
ウインクを飛ばしたら、フィラントは更に大きな声で叫んだ。
「あの、ユース様?」
「エトワール。隠しても無駄。っていうか、フィラントの阿呆! クラウスの時と、様子や体調が似ているのに気がつかないって、毎日何を見ているんだよ!」
ここ最近、気怠そうにしていたり、お腹を妙に気にしているからカマをかけたけど、エトワールの表情からして正解だ。
「えっ、いや、えええええっ? まさか。子育て疲れかしらって……」
叱られた犬みたいに肩を落とすフィラントに、エトワールが抱きつく。
「確信がまだだったので、お腹が出てきたり、赤ちゃんがお腹を蹴ったら話そうと思っていただけです。間違いで、ガッカリさせたくなくて。コランダム様もその方が良いと」
「まあ、それが正解だな。色々と。フィラント、エトワール、おめでとう」
フィラントはエトワールの腰に手を回し、コクコクと頷いた。まだ突きつけられた事実を飲み込めていなさそう。
妊娠ではなかったとか、流産したとか、社交場であれこれ言われるのは気の毒。エトワール本人はのほほんとかわすだろうが、フィラントが怒り狂う。
エトワールは過剰に落ち込むフィラントを見たく無かっただけだろうけど、コランダム王太妃はエトワールやフィラントを慮ってアドバイスした筈だ。
「エトワール、エトワール……エトワール。すまない、俺、子供? えっ? あー……」
フィラントの思考が停止した。無表情で焦点も合っていない。次は鬼のような形相。フィラントという人間のこの顔は、他人とは違う意味を持つ。怒りではなく歓喜で泣きそう、という意味。
「い、嫌だ。何で俺が君と寝なきゃならないんだ。クラウスの時だって問題無かった。俺は寝相が良いから問題ない」
「私が我慢するのに、何故君だけイチャイチャ妻と熟睡するんだ! 許すか! 見張れったら見張れ! でないと結婚出来ないだろう! 捨てられる! 冷酷無慈悲な恐ろしい目をされて捨てられる!」
「それなら結婚後も同じだろう!」
「結婚後は本人と毎日寝れば問題無い! 彼女が私に飽きたら、少しくらい遊べるかもしれないし、そんな先のことは知らん! 飽きたら? 飽きられて捨てられたら最悪だ。それも、まあ、回避法はおいおい考える。とにかく、散々結婚しろって言っていたのだから協力しろ!」
「お前は言っていることが滅茶苦茶だ。エトワールと話をしたいから……」
「帰らない。君と寝るから帰らない。安心しろフィラント。私には男を抱く趣味はない」
普段なら耳に息でも吹きかけて揶揄うけれど、今は逆効果なので素直に「お願い」という目を向ける。
「それでしたら、私やクラウスとも寝てはどうです? たまに、リチャード様やディオク様とも」
胸の前で手を合わせると、エトワールは楽しそうに歯を見せて笑った。
「そんな甘い考えはダメだぞエトワールちゃん。常日頃私を叱ってきたフィラントや君が手本を見せるのは当然だろう?」
「ベッドを大きくして、四人で寝ましょうか。クラウスも喜びます」
わーい、という無邪気なエトワールにフィラントが声を掛ける。ヒソヒソ話の内容は分からないけれど、説得だろう。
「でもですね……」
「ほら、ユース。エトワールは反対だそうだ。今すぐレティアの部屋に行って、毎日入り浸れ。君は惚れた女に無理強いするような男じゃないだろうから、二人のペースでゆっくり……」
「寝不足と悶え死にさせる気か! また酷い姿を見せるのも嫌だ! 格好悪いのは嫌だ! 物事には順序がある。恋人とはまずデート。その後がおままごとキス。適切回数を教えろ」
「恋人なんていたことないから知るか! 半年待ったら18歳だ。それでさっさと結婚して……」
「だから可愛い清楚可憐な純情天使に手を出すなんて、まだ無理だって。私を殺す気か。結婚しないからな! させるなよ! 何が俺は君だけは守りたいだ。唯一無二の友に死ねってどういう事だ!」
駄々をこねたら、フィラントに首根っこを掴まれて、東塔から追い出された。力では勝てない。
エトワールは「また相談に来て下さいね」と笑いかけてくれた。なのに、フィラントときたら「二度と来るな」である。
腹が立つから、しばらく来ないでおこう。
そうするとフィラントはそのうち悪かったって顔でオロオロしながら私のところへくる。
仕方がないのでディオクのところへ行くか、と私は東塔へ背を向けた。元々本命はあいつだ。
同時刻
ディオク王子「今一瞬、寒気がした。風邪か?」