王子と姫の空回り 1
流星国滞在4日目。流星国とアルタイル王国の会談が行われる日。
私の予定は、ミラ姫とブリジット姫、それぞれのお見送り。二人とも「また会いましょう、結婚式に呼んで」と言ってくれた。
まずはデートからだから、結婚式はいつかしらねと、最後まで揶揄われた。相談したかったからと、つい話し過ぎたと反省。
その後は、護衛付きでアリスとオリビア、ヴィクトリアと市街地観光。
ヴィクトリアはほぼ子供のお世話係。
何せ、私を挟むミネーヴァ、サー・ダグラスが、私に常に話しかけてくる。まるで、二人と観光している気分。
ミリエルと2人の男性騎士は、澄まし顔の他人の振りで護衛なのに変なの。
お礼やお土産選びを一緒にしたいサー・マルクは、サー・ダグラスの後ろで緊張しっぱなし。アリスやオリビアとは親しげだから、ちょっと疎外感。
街や市場を見てまわり、私的な買い物。それから、ヘイルダム卿が用意してくれた「お土産リスト」を潰す。
ヘイルダム卿が用意したというリストに書かれているのは、知らない名前と品名と予算。文字はどこからどう見てもユース王子で、リストの右下に小さな月と薔薇が描かれている。
ヘイルダム卿を立てろ、という意味だと思ったので、彼を直接褒めちぎっておいた。
観光で一番楽しかったのは、流星国市街地最大の広場、星降りの広場でアリスやオリビアとアイスを食べて、踊りを観たり音楽を聴いたこと。
流星国内は春招きの祝祭後もしばらくお祭りムードらしい。星降りの広場は一週間程、自由参加、自由スタイルの演奏会にして舞踏会会場だとか。
アリス達と同年代の子達が、輪になって踊っているところに混ざったり、近くで手拍子をして眺めたりした。
沢山の笑顔を見ながら、自分はこういう生活を守る代わりに贅沢な暮らしをさせてもらえる。忘れてはいけない。そう、思った。
☆★
星降りの広場に面したレストランで間も無く夕食。
レストランの個室で、まだ相手が来ないので一人きり。二階の特別室の窓から、星降りの広場の夕市が見える。
夕焼けに染まる街並みや石畳を眺める。流星国は活気のある国だ。人々はとても生き生きしていて、散策した限りでは、仄暗い場所は見当たらなかった。
アルタイル王国よりも、かなり豊かで平和に感じる。
ユース王子と二人、と聞いた瞬間からずっとドキドキしている。
会談が終わり、今夜のユース王子の予定は特に無いらしい。それで夕食に誘われた。この知らせはヴィクトリアから聞いた。返事も彼女にした。
まだかな。本当に来る? なんの話をしよう。会いたい。恥ずかしい。色々な感情が入り乱れてぐちゃぐちゃ。
化粧は大丈夫なのか、軽装の市民服だけど問題無いか。膝の上で重ねている手は自然と動く。
暑いので少し窓を開けた。まだ春は遠いぞという冷気は、今の体温と室温には心地良い。
がやがや、がやがやと賑やかな市場から届く音も楽しい。
セルペンスが私の手首から肩へシュルリと移動して、窓辺にピョンと飛び移る。私の腕の長さまでの距離。セルペンスはすぐに窓辺から私の頭の上へ戻ってきた。こんなに跳ねる蛇なんて知らない。
この距離や高さ程度なら、空から海産物を降らせるなんて無理。やはりセルペンスって変わった蛇。
——姫、歌って
「あら、やっとお話ししてくれるのね。ずっと黙っているから寂しかったわ」
——過剰に構うと怒られる。怖いから大人しくしてた。
「そうなの。怒られるって誰に?」
——親と協王だよ。歌って姫。セルペンスも歌う
ようやく自由だ、というようにセルペンスは歌い始めた。音としてはシュー、しか聞こえないけれど、私の頭の中に響くのは子供の歌声。知らない言語の優しい旋律。
セルペンスはまた窓辺に移動し、楽しそうに体を左右に揺らし始めた。
合わせるように私も小さく歌う。セルペンスが現れるまで、歌うのはアリスへの子守唄くらいだったのに不思議。今は歌うのがとても好きだ。セルペンスの歌は、胸が温かくなる。だから好き。とても大好き。
「いけない」
慌てて窓を閉める。ルイ宰相や、酔っ払いを思い出し、そっと窓の外を確認。
気がついて良かった。若い男性が何人かこちらを見ている。気分が昂って、声が大きくなっていたのだろう。
「自覚してくれて嬉しいよ、お姫様。待たせてすまない」
声を聞いた瞬間、立ち上がっていた。ガタン、と椅子が音を立てる。しまった! これは品がない。
出入口の方へそろそろと視線を向ける。ユース王子は白とピンクの花束を片手に持って、少し寂しげに微笑んでいる。
寂しげではなく、疲れかも。いや、疲れだ。会談後だから、疲れているに決まっている?
「あの、待ってません」
「そう? それは残念だ」
「えっ?」
ユース王子は扉を閉めずに入室した。後ろにデュラン卿とヴィクトリアが続く。ユース王子はヴィクトリアに花束を渡した。
存在感のある白とピンクの花は、初めて見る種類のもの。数の少ない大きな花びらで優美な印象。ヴィクトリアに預けるとは、私にではなく貰い物だったみたい。
デュラン卿が私の椅子を引いてくれたので着席する。ユース王子は私を見ないで、窓辺のセルペンスを眺めている。小さくため息を吐いて、困り顔。
「あの、待ってませんは時間のことでユース様のことではありません」
「そう? それなら嬉しい」
悪戯っぽく笑うと、ユース王子は席についた。
「君に似合うと思った花、気に入らなかったか?」
「そちらの花束、私にですか?」
「そう。見た瞬間困り顔だったので、趣味ではなかったのかと思った。贈り物では無いということにしようかと」
また悪戯っぽい笑顔。揶揄いだ。ユース王子、私の反応を面白がって言葉を選んでいる。
「その顔……誤解した振りをして面白がろうということですね?」
「あはは。ご名答。その拗ね顔を見たかった。可愛い」
あまりにも屈託無く笑い、眩しそうに目を細められたので、面食らう。次の瞬間、ボッと顔が熱くなった。しかしすぐに悲しくなる。
こんなの、完全に子供扱いだ。余裕たっぷりで冷静なユース王子と、慌てふためく私。釣り合いが取れてないように思える。
「デュラン卿、ヴィクトリア夫人、遠慮なく褒めたいので下がってもらっても?」
「かしこまりました」
「元々その予定でございます。失礼します。どうぞごゆっくり」
デュラン卿とヴィクトリアが退室。扉も閉まる。
次の瞬間、ユース王子の頭がテーブルにぶつかった。ゴンッという中々大きな音に慌てる。
「ユース様、どうしまし……」
「心臓が止まると思った。待ってませんに困り顔。花を見ても困り顔。嬉しく無いのかと落ち込んだ……」
ユース王子の声は小さい。両手を頭に乗せて、髪をくしゃくしゃと掻いている。戸惑っているとユース王子は腕を下ろし、言葉を続けた。
「揶揄いではなくて本当に誤解した。良かった……。それにしても、揶揄われて複雑だけど嬉しいって、さっきの顔。あれは反則だ。可愛い。可愛い。可愛い……死ぬ……」
「ユ、ユース様! ですからそのように揶揄うのは」
「本心だ。君が可愛くて死にそう……。辛い……」
しばらくユース王子はテーブルに突っ伏したまま、動かなかった。
体を起こすと背もたれによりかかり、不貞腐れたような顔でそっぽを向く。唇を尖らせた不機嫌顔。
「昨夜、ある方に君を寄越さないとアルタイルをぶっ潰すと遠回しに言われた。因みにルイ宰相ではない。どう対応するのか腕試しされただけだったが、迫真の演技で騙された。レティア、私は何を考えたと思う?」
こちらを見ないで、申し訳なさそうな表情。この問いかけの答えは簡単だ。そんなの、はいどうぞの一択。それしかない。なのに、ユース王子は謝ってくれるらしい。それも、話さなくて良い話をして、わざわざ。
「金や権力に引き換えにしないと言ったのに、最低最悪の裏切り者だ。君を守る自信をすっかり失くした……。すまない。けれども、それが私だ。たった一人なんて、選べない」
潤む瞳が私を見据える。今にも泣きそうな顔をしている。この表情の意味は、とっても簡単。
「レティア?」
「いえ、あの、泣きそうな程申し訳なく、嫌だったとは、その、不謹慎ですが嬉しいです」
パチクリと目を丸めたユース王子に、照れ臭さを我慢して笑いかける。
それから、ユース王子を励ます言葉を探す。元気になって、楽しい時間を過ごたい。
だって、ずっと二人きりになれる時間を待っていた。
「酷いことをしようとすると、セルペンスやアングイスが守ってくれるので大丈夫です。懸命に守ろうとしてくれた人を、裏切り者だなんて思いません。一人よりも国なんて、当たり前です。アルタイルにはうんと大勢の人々が暮らしているのですから」
ユース王子はまだ落ち込んでいる。私としては、こんなに悲しくて辛そうな顔をしてくれる深い愛情は、とても嬉しい。
君が可愛くて死にそう……と先に告げた意味も理解した。国の為にレティア・アルタイルを売らないといけない状況になって、死ぬほど辛かった。多分、そう伝えたかったのだろう。というより、そう思いたい。
「同じ事があったら、すぐ了承して下さい。気味の悪い、害すると何が起こるか分からない怖い女なんていらないって、返品されますよ。演技と演出ですよね? 私、多分は成長しました。ヴィクトリアが知っています。舞踏会で、ユース王子達との事前対策が役に立ちました。だから大丈夫です。どこに行っても、帰ってきます」
「えっ?」
ユース王子は大きく目を見開いた。自分で口にしておいて何だが、急に恐ろしくなった。
突如現れて、馬車を壊したアングイスや、即位式の日に謎の男性が、彼等は過剰になると言っていた事が引っかかる。
「想像したら怖いです。私のせいで、他国が滅茶苦茶になったりしないですよね? 例の謎の男性、過剰になるって言ってましたし……。隠れましょう。こう、大人しくして、噂が広がらないように」
「いや、ああ。その件なんだが、フィズ国王が君と似ている方を紹介してくれるそうだ。色々と学べるだろうと」
「まあ、それなら安心ですね。なんだユース様、おかしいですよ。私の為になる事をしてきてくれたのに、しなかったことの方を謝るなんて」
ユース王子はまだ少し悲しそうだけど、嬉しさの方が強い目で微笑んだ。
「ありがとう」
元気、出たみたい。罪悪感も薄れていると良い。
ノック音がして、店長と料理長が入室。挨拶とメニューの説明をされて、ユース王子と仲良く二人でどの料理とお酒を頼むか決めた。
自分達で決めた、世界に一つだけのコース料理に舌鼓をうちながら、ユース王子に促されるままに、この3日間の思い出を話す。
これまでの人生で一番というくらいの、話し手側。
話と話の間に、ユース王子は私を褒めてくれた。可愛いという単語が何十回も出てくる。
甘い空気の時に新しい料理が運ばれてきて、料理長が料理の説明をするのは特別待遇なのに、ちょっと邪魔だなって感じてしまった。
☆★
デザートを食べ終わり、程なくしてヴィクトリアとデュラン卿が迎えに来た。
ユース王子ではなく、ヴィクトリアにエスコートされてレストランを出る。ユース王子は私達の一歩後ろ。レストランの前に、馬車が二台停止していて、デュラン卿が馬車の扉を開いた。
「お休み、レティア」
「えっ?」
ユース王子はヴィクトリアから花束を受け取り、私へ差し出した。花束を受け取りながら戸惑う。お休み?
「今夜は楽しくて幸せだった。また明日」
頭を撫でられて混乱。ユース王子は今夜はもう流星国城に泊まらない。そう聞いていたので、一緒の馬車に乗ると思っていた。
「また明日? あの、お出掛けですか?」
「いや。なあレティア、明日の朝食も一緒に摂らないか?」
「はい!」
「私としては、可能な限り毎日君と食事したい。検討してくれ」
「検討しなくても、そうしたいです」
「ん、分かった」
ユース王子は私の手を取り、手の甲にキスして、馬車へ乗せた。
「愛してる」
耳元で囁かれて、照れた瞬間、ユース王子は私から離れた。ヴィクトリアが馬車に乗り込む。何で別々の馬車? 問いかけそびれた。
扉が閉まったので、窓から外を覗く。ユース王子はデュラン卿と共に、背後の馬車へ乗った。何で?
「妙ですね、ユース王子」
向かいに座るヴィクトリアに、私は思いっきり首を縦に振った。
「そうよね? ねえヴィクトリア、どう思います?」
「さあ? 貴女様のその寂しそうなお顔を見たかった、とかでしょう。私も変だなと思いましたが、聞ける立場ではありません」
「まあ、ヴィクトリア。そんなことはないでしょう? はあ、貴女まで私を揶揄わないで下さい。私、そんなに寂しそうな顔をしてました?」
「誤解です。今のは私の推測です。ええ、レティア様。とても寂しそうでしたよ。レティア様、そちらの胡蝶蘭は見た目や香りだけではなく、花言葉も素敵です」
ヴィクトリアは目を閉じて「良い香りですね」と微笑んだ。
胡蝶蘭、胡蝶蘭——…… 素敵な花言葉、の本に書いてあったのは——……幸せが飛んでくるだ。
馬車の中で、私は幸福に満たされた気持ちで、腕の中の胡蝶蘭を眺め続けた。
宿へ到着して馬車から降りると、サー・ゲオルグとサー・ダグラスが、私とヴィクトリアを部屋へと連れて行った。二人とも、馬車から降りた瞬間に急に馬車の後ろから現れたのでビックリ。
部屋に戻ると、ヴィクトリアは「ユース王子は会談のまとめや、報告書作りでしょうね」と私に気を遣った言葉を投げてくれた。
胡蝶蘭はアリスとオリビアの生花の練習台。明日、髪飾りに使ってもらう予定。
生け花に格闘中のアリスとオリビアを眺めながら、本を手にしてソファーに腰掛ける。
素敵な花言葉、のページをめくる。
ユース王子ともっと一緒にいたかった。でも、ユース王子は食事までが私の時間と決めていたのだろう。
「馬車まで別々にしなくても……」
胡蝶蘭のページを見つける。
幸せが飛んでくる、の他に純粋な愛と書いてあった。それから、白の胡蝶蘭は清純で、ピンクの胡蝶蘭は愛しています。
一生の思い出に残る初デートをしてから、というセリフを思い出しながら、確かに素敵な初デートだったとニヤけてしまった。花も嬉しいが、可愛いの連呼と愛してるの台詞で、胸がいっぱい。
甘ったるいため息を繰り返していたらしく、アリスとオリビアにかなり揶揄われた。
なのに、翌朝の散歩中にお礼を言ったら、衝撃的な返事をされた。
「初デート? まさか。昨夜は単に夕食を摂っただけだ。初デートは帰ってから。きちんと1日、予定を空ける」
散歩の護衛をしたサー・ダグラスの気持ち
「ユース王子。なんか今までとは別の意味で面倒臭そうな気配がする……」