王子と鷲蛇姫 9
二人で散歩してきたらと勧められて、ユース王子と中庭へ来た。
「父がユース王子を廊下へ連れ出したのは気を回したのよ」とティア王女に背中を押されたから。
ホールに戻ってきたフィズ国王も「ユース王子が君を待っています」と口にした。
ユース王子は、ホール出入口側の窓辺でぼんやりしていた。窓の外を見つめる姿は疲労困憊という様子。
緊張しながら声を掛けると、散歩に誘われた。私を見て、ホッとしたように見えたのは嬉しかった。
中庭に出て、目に飛び込んできたのは、雲一つない夜空と、煌めく星々。
「綺麗……」
一昨日や昨日も見た夜空なのに、とびきり美しく感じる。
そこに、一筋の流星。私は思わず、ユース王子が心労で倒れませんようにと祈った。
彼が元気だと私も含めて、色々な人が守られる。だけど、今のユース王子は明らかに元気がない。
慣れない異国。そして私の世話ばかりだから当然だ。怪我をしている足が痛いのかも。
中庭のベンチなら周りの目を気にせずに、ゆっくり休めるだろう。それで、少ししたら宿に帰る。その流れが良いはず。
「君の方が綺麗だレティア」
ベンチへ誘い前に囁かれて、ビクリとしてしまった。低いトーンだけど甘い響き。何だか体が痺れる。ユース王子のこんな声、初めて聞いた。
目が合うと、あまりにも優しい目だったので、きゅうううと胸が締め付けられた。
「寒いだろう」
そう言うと、ユース王子は私から右手を離した。振り返り、斜め下に視線を向けながら、上着を脱ぐ姿は風雅。
徐々に動悸が激しくなっていく。ベンチに座ってもらおうと思っていたのに、休んで欲しいと意気込んでいたのに、声が出ない。
照れている私と違って、ユース王子はかなり冷静に見える。二人の落差に気がつくと、徐々に動悸はおさまっていった。
「ありがとうございます」
「袖に手を通すと良い」
「はい。ユース様、足の調子はどうです? 座りましょう」
「ん、全く持って平気だ。それより、風邪を引くと悲しいので早く着なさい」
促されて、羽織らせてもらった上着の袖に手を通す。お揃いの香水なのに、微妙に異なる匂いがする。
私が上着を着る間、ユース王子はぼんやりと夜空を見上げていた。物憂げな横顔に少し見惚れる。
破棄前提の婚約者になる契約をさせられて、上京させられ、振り回され、振り回し、結局婚約者になるとは変な感じ。
冷えて乾いた空に、吐いた白い息が霧散する。ユース王子が微笑みながら夜空を見ているので、私ももう一筋流星が現れないかと、夜空を眺め続ける。
今夜、ずっと二人きりになれないかと願っていた。ようやく願いが叶った。
「レティア、この空も良いけれど、アルタイル大聖堂から眺める夜空は最高だ。秘密の特等席がある。帰ったら君に見せたい」
「秘密の特等席ですか?」
「ああ。昔、良くフィラントが連れて行ってくれた。もうずっと一人でしか行っていない、とても大事な場所だ」
ふふっと笑い声を立てると、ユース王子は空を見上げるのをやめて、私の方へ顔を向けた。
「相変わらず演技下手だったな。あのような冷酷無慈悲な眼差しを、自分に向けられたらと考えたらゾッとする」
「へっ? あの、もしや……」
「断固拒否に軽蔑とは気の毒だ。恐怖もあっただろうけど包み隠さな過ぎ」
お説教されるのか。今じゃなくても……。浮かれているのは私だけみたい。
信じたいと思うけど、婚約者ではなく婚約者役なのかも。でも、大事な所へ連れて行くと言ってくれたから婚約者の筈だ。
「冷酷無慈悲とは、そこまででした? 未熟者ですみません……。またご迷惑をおかけしました……。もっと自分の顔立ちや表情について自覚します……」
「私と共に居ない時も多いから励め。ただ居るなら頼れ。居ない時もとりあえず逃げて、すぐ相談に来てくれ。まあ、私もルイ宰相と似たようなものだぞ。先程の件を利用して、君を手に入れようと思った」
いきなり熱っぽい視線で見つめられ、戸惑い照れる。婚約者役ではなくて、きちんと婚約者かも。視線が泳ぐ。その後、自然と目線が落ちた。ユース王子はふっと顔を背けて、遠くを見つめ始めたから。まるでここには自分一人、みたいに寂しげ。
私はユース王子に一歩近寄った。言葉にしないと何も伝わらない。
ユース王子は私が喋る前に、言葉を続けた。
「私の事は軽蔑しないのか?」
笑ってはいるけれど、声は少々震えている。
「そうみたいです。自分勝手ですよね……」
私の声も震える。ルイ宰相への罪悪感が込み上げてきたからだ。でも、応えられないのだから仕方ない。ごめんなさい、すみません、それしか言えない。
「誰もがそうさ。レティア、今後君の後見人はディオクにしよう。恋人に説教なんてしたくない」
「恋人? 恋人……。はい!」
こちらを向くと、ユース王子は微笑して私の頭を撫でた。
ジッと目を見つめられ、意味を察する。キスしてもらえる、そう思って意を決して目を瞑る。
何も起きない。そろそろと目を開くと、ユース王子はそっぽを向いていた。不機嫌そうなしかめっ面。
手を繋がれて、歩き出す。背中を見つめながら落ち込む。キスしてもらえるなんて勘違い、恥ずかしい。
ユース王子は無言でベンチの方へと向かっていく。
「無理。やはりまずデートだ」
無理って何。まずデートって何。手の繋ぎ方が変わる。指が絡まって困惑していたら、ベンチに到着。せっかく繋いだ手が離れて残念。
並んで座ると、密着度合いが今までと違った。うんと近い。肩に回された手が、腕を撫でる。恥ずかしいけど嬉しいな、と思った瞬間、ユース王子は少し距離を取った。
ポンポンと頭を撫でられ、更に離れる。ぼんやりと垣根を眺めて、何も言わない。
沈黙で重たい空気。自分の心臓の音がとても煩い。くっついたり離れたり、どういう意味があるのだろう。
「無理で、まずはデートって、どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ。物事には順序がある。楽しいデートを重ねて、素敵なプロポーズ。きちんとやり直す」
それに、とユース王子は続けた。ベンチ脇の背の低い木に咲く花を手折る。
ホールから注がれる明かりに浮かぶ花は、色は分からないけれど、薔薇に見える。
一本、二本、三本。ユース王子は薔薇を三本まとめて、私へ差し出した。
薔薇は三本で「愛しています」だ。受け取って、強く握りしめる。
「私の中で、薔薇は叶わなかった初恋の象徴。だから嫌い」
そう口にすると、ユース王子は私の髪の飾りにしてある白薔薇を抜いた。
ルイ宰相から贈られた白薔薇を、ポイっとベンチ裏の垣根の下へ放り投げる。
「ユース様、贈り物をそのようにするのは良くありません。まだ美しい花を無下にするなんて」
「その通り。しかし目障りだ。枯れて土に還り栄養になるさ」
「もしかして、やきもちですか?」
嫉妬なら少々嬉しい。でも花を投げ捨てるなんて良くない。
「当然。しかし、また薔薇だ。青薔薇のお姫様。君に捨てられたら、二度と薔薇になんて触らない」
はあ、と小さく息を吐くと、ユース王子はゆっくりとした動作で私の顔を覗き込んだ。
何か言われる、と待っていたけれど、何も言われない。昨夜のような、物憂げな表情。何か迷っているような目をしている。
「さて、他国で花泥棒をしたなんて捕まる。戻って、挨拶回りをして宿へ帰るか」
あはははは、とのんびりした笑い声を出すと、ユース王子は私の手を取って立ち上がった。今度は指の半分までしか握られない。
「あの、捨てられたらって……。初恋とは、その……」
「私達はお互いのことをあまり知らない。んー、私は結構知っているな。でも君は全然だろう? レティア・アルタイルの世界は始まったはがり。広い世界で自由に好きに生きて、学んで、大勢の中からただ一人だけだと選んでくれ」
浮かれてた自分が馬鹿みたい。これ、遠回しの断りだ。
薔薇三本で愛していると匂わせて、愛しているとは言わない。
期待させたり、突き落としたり、何を考えているのだろう。
恋人と言われたけれど、半恋人ってこと?
「その間、身を正す。レティア、帰国したら君は小聖堂へ入れる。修道院だ。男を拐かし過ぎ。目移りされるのは嫌だ。小聖堂は男子禁制なので安心安全」
「えっ? お待ち下さい。先程、自由に好きにって……。それに私の後見人はディオク王子になると……」
「最初より、随分と言い返せるようになったな。誰しもが何かに縛られる。君は妹と、アルタイルと、私に縛りつけられる。大変だな」
何が楽しいのか、ユース王子はケラケラ笑い出した。次はウインクが飛んでくる。
「それにしても明日が怖い。君を虐めた女性達、セルペンスに噛まれる可能性がある。エブリーヌのようにな。この国は怖いから、とっとと逃げたいのに、少し逃げられなくなった」
「噛まないでって頼んでおきます。それにしてもって、話題を変えないで下さい。小聖堂は男子禁制って……。そうやって、私と会わないつもりですか……」
「待て待て待て!」
繋いだ手を離され、両腕を掴まれた。ジッと見つめられる。恥ずかしい。キスされないのはもう分かったので、見つめ返す。逸らしたら負けな気がする。
「説明不足で悪かった。小聖堂は男子禁制だが王族は別だ。許可があれば外出も可能」
ユース王子は、寂しげに笑った。
「一日一回、顔を見に行く努力をする。毎日会いたいよ」
毎日会いたい。その言葉は、ぶすぶすっと胸に突き刺さった。なにせ優しげな微笑み付きだ。
嬉しい。デートを重ねてからプロポーズをするというのは、嘘ではないようだ。
しかし、と思い至る。顔を見に行く努力をするということは、毎日会うのは大変とイコールだ。
毎日会いたいよ、も裏返すと毎日会えない、では?
何だか色々と勘繰ってしまう。
「デートもするのですよね?」
「ああ。君が行きたいところへ連れて行く。色々準備や根回しが終わったらな」
「私は束縛されて、ユース様は自由なんて狡いです。小聖堂には入りたくありません。準備や根回し、大変みたいですし」
「うん……。そうだな。それにしても、反抗するようになったな……。良い事だ……」
ユース王子は私の肩に頭を乗せると、また無言になった。
「みっともない。緊張と浮かれ、不安に嫉妬で酷い有様だ……。私は自分勝手なので、常に言い返せ……」
意外な台詞。私はユース王子の頭を思わず撫でた。柔らかな猫っ毛。さわさわしたら、小さな悲鳴を上げられた。
「誘惑するな!」
ユース王子はぷんぷんと怒り出し、背を向けた。
「誘惑なんてしていません」
「いや、してくれよ」
こちらを向いたユース王子は、ぶすくれている。
「あの、なぜ機嫌を悪くされたのですか?」
「違う。単に照れと緊張。あと理性と戦っている。情け無いから言わせるな」
ムスッと唇を尖らせるユース王子の表情がおかしくてならない。これが社交界の貴公子?
「笑うな」
「だって変ですよユース様。理性と戦っているってどういうことですか?」
「君の一生の思い出に残る初デートをしてから、一生忘れないようなキスしようと思っている。部下の元婚約者に、挨拶もなしに手を出すこともしたくない。そういうこと。だから、言わせるな」
「言わせるなって、ご自分で……」
「話すなんて全くスマートではない。格好悪い。君が可愛いせいだ。私はおかしくなった。狂った。この私がイカレた」
ますますユース王子の機嫌は悪くなった。
二度目の恋は、初恋と随分違う。予想外のことばかりだし、あまり甘くない。
君は特別、そう伝えるのにこの言葉選び、ちっともロマンチックじゃない。
輝く星空の下、月の光に照らされる美麗な庭という素敵な景色の中で二人きりなのに。
「ユース様……」
「コホン、少々落ち着いてきたので、言い直そう」
まだそっぽを向いて不機嫌顔だけど、体は向かい合った。そっと両手を取られる。
「……。練習してからにする。まだダメだ。ホールに戻ろう」
うんざりという表情を浮かべると、ユース王子は項垂れた。飛行船内で疲れた、とぼやいていた姿が重なる。
「もう帰りましょう。確かに変です。酷くお疲れなのでしょう」
「ああ。疲れた……。君で癒されたから、舞踏会が終わるまでいる。君がミラ姫達と楽しげなのは嬉しい。ニコニコと可愛い。まだまだ見たい」
褒められ、微笑みかけられて、ボッと顔が熱くなる。どれが演技で、駆け引きで、本心や本音なのだろう? さっぱり分からない。
「それは、ありがとう……ございます……」
「君を隠したいし、見せびらかしたい……私は我儘で自分勝手だ……常に本音や文句を言って欲しい。遠慮せず頼ってくれ……。その前に話をしておきたいことが……。いや、やはりまだ……」
顔を背けながら告げると「戻ろう」と腰に手を回された。随分離れていて、かなりよそよそしい。
モヤモヤして近寄ったら、ユース王子はまた「誘惑するな」とぷんぷん怒った。