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王子、逃げない

 固まっているレティアは、心底嫌そうな表情を浮かべた。瞳に宿るのは、軽蔑の色である。氷のような、冷たい目線。

 背筋が寒くなったが、吐かなかった。なにせレティアはまだルイ宰相を見つめている。


 ルイ宰相は無表情。石化したように、瞬き一つしない。

 彼へ注がれるものと、同じ目や表情をこちらに向けられたら、死にたくなる。ルイ宰相の次は私だ……。


 レティアはルイ宰相に冷ややかな目を注ぎ続け、更には怒りを滲ませ始めた。

 怒りはまずい。レティアの背中に手を回し、彼女の意識をこちらへ向けようとする。

 その前に、レティアに腕を軽く掴まれる。

 レティアはゆっくりと私を見上げた。悲しそうだが、大丈夫というように微笑んでいる。

 儚げで消えそうな笑顔。彼女の黒紫色の瞳に宿るのは、いつかの夜と同じ、一粒の疑念のない信頼。


 ルイ宰相に売ったと思われなかった。


 そう感じた瞬間、腰が抜けそうになる。余りにも嬉しくて、緩みそうになる口元に力を入れた。

 喜んでいる場合では無い。慌ててルイ宰相への対応を思案する。使える材料は……。


「ルイ宰相は黄昏国のミラ王女と婚約するのですか?」


 思いついた言葉を口にした。どう対処するべきか、猛スピードで考える。

 ルイ宰相はレティアを名指ししなかった。申し訳ないがミラ姫を利用する。あと他には……。


「えっ?」

「えっ?」


 ルイ宰相が私を見て、レティアはミラ姫を見た。ミラ姫が私に驚愕の表情を向ける。


「ルイ宰相。いつかの為に練習したい、と張り切るのは良いけれど、酔い過ぎです。巻き込まれたミラ姫が困っている。激務続きで飲みたいのも、少し羽目を外したいのも分かるが、やり過ぎですよ」


 ルタ王子がしゃがんで、ルイ宰相の肩に手を置いた。ルタ王子、やっと助け舟を出してくれたか。ルタ王子に話を合わせる言葉を探す。


「失礼しましたミラ姫。思わず勘違いを。確かに、ルイ宰相は大変飲まれていた。うんと飲まれていた気がします」


 ルイ宰相は、ルタ王子や私の台詞に無反応。レティアを見つめたまま、茫然自失という様子。

 彼に見つめられているレティアは、ホッと胸を撫で下ろし、ミラ姫に「お酒って怖いのね」と話しかけた。

 レティアの表情は安堵に見える。私とルタ王子の言葉を鵜呑みにしたらしい。

 ミラ姫が曖昧に笑い「ええ」と頷く。ミラ姫は、私とルタ王子の嘘を見抜いたようだ。


 ホールのあちらこちらから、笑い声が出始める。よし、良い雰囲気。

 後はルイ宰相に余計な事を言わせないようにしたい。ルタ王子が何か言ってくれそうな雰囲気。

 増援が現れる。リシュリがヴラド卿を連れてきた。ヴラド卿はルイ宰相にサッと近寄り、腕を掴んで立たせた。彼に何か耳打ち。それでも、ルイ宰相はまだ固まったまま。

 そのせいか、レティアがオロオロしじめた。ルイ宰相は具合が悪いと勘違いしたのだろう。張本人、原因なのにこの鈍感は罪深い。


「無視しろ。何も気にするな」


 レティアに囁きかける。彼女の手を腕から離させて、腰に手を回し、ルイ宰相に背を向ける。


「ミラ姫、今夜は随分とお世話になっているようで、ありがとうございます。私に何か用でした?」

「えっ、ええ。ええ、そうです。あの……」

「ルイ宰相、酔いではなくて本気でした? ああ、そうですよね。私とのお見合い、乗り気では無いという噂を聞きましたもの」


 背後から聞こえた声に、振り返る。聞き覚えのある声。余計な事を言いやがって誰だ。

 振り返ると、赤みがかった艶やかな金色の巻き髪が目に飛び込んできた。小柄な女性の後ろ姿と「私とのお見合い」という台詞。アンリエッタ令嬢だ。


「お父様、私も乗り気ではありません」


 アンリエッタ令嬢が、父親のオルゴ卿へ近寄っていく。

 この状況で、自分のために動くとは計算高く、肝の座った女性だ。


「そうだろうから、やんわりと断り続けている。アンリエッタ、いい加減……」

「ルビー! 信じていたよ!」

「貴方だけは嫌よ! 近寄らないで!」

「だから指一本触れないじゃないか。ああ、もっと怒ってくれ。むしろ蹴ってくれて良い」

「いやあ! 何故そうなるの⁈」

「ほら、ここでビンタだ。丁度良い高さだと思わないか?」

「この変態王子! 向こうへ行って!」


 アンリエッタ令嬢の低い怒声に、白銀月国エルリック王子の歓喜の声が入り混じる。このような場で、何だあの二人。

 近くの女性が「まただわ」と呆れ声を出した。その隣の女性が「ええ、また痴話喧嘩ね」と囁き返す。

 父親のオルゴは、生温くて面倒というような表情で二人を眺めている。

 カール令嬢に命じられた、アンリエッタ令嬢保護の意味が全く分からなくなった。

 帰国前にオルゴ卿に話を聞いて、帰国したらカール令嬢に話をしてみるか。

 茫然自失だったルイ宰相の目線が彷徨う。彼の瞳はレティアを捉えた。

 慌てて前を向き、歩く速度を上げる。嫌な予感。


「レ——……」

「ルイ宰相! 水をお持ちします!」


 ルタ王子の大声がホール中に響いた。


「水など要らない。酔ってない! お待ち下さいレ——……」

「ユース様! レティア様と夫婦で挨拶回りですか⁈  おともいたします!」


 今度大声を出したのは、ミネーヴァだった。隣でミリエルがポカンとしている。

 二人には、各国の噂を仕入れろと命じていた。

 ディオクの思惑は、王家の血筋ではない私に、レティアをあてがうこと。ディオクに忠実なミネーヴァにとって、今は確かに絶妙なタイミング。

 ミネーヴァの作戦、「ルイ宰相をレティアから遠ざけて、手を出さないように出来るぞ」という提案。

 私としてもこの案は魅惑的。でも乗る気はない。どうにも出来ない状況以外で、レティアを金や権力と引き換えにするつもりは無い。


「夫婦?」


 ルイ宰相が私を見つめる。そんな話、聞いていないと顔に描いてある。

 私とミネーヴァに向けられる疑惑の眼差しは、だいぶ恐ろしい。嘘だとバレてる。


「夫婦?」


 レティアが掠れ声を出した。怖くて彼女の表情を見られない。

 ミネーヴァは、レティアが演技なんてまるで出来ないことを分かっていない。いや、分かっているはずなのに、どういう事だ!


「ミネーヴァ。噂を真に受けて、侍女がこのような場で軽率な事を口にするべきではありません。確かにレティア王女とユース子爵は婚約する可能性が高いですけれど、夫婦とは何ですか」


 つかつかつか、とヴィクトリアがミネーヴァに近寄り、彼女の腕を掴む。勿論、ミネーヴァは避けられるけれど、萎れ顔で素直に引っ張られた。

 ヴィクトリアがこの案に乗っかってくるとは予想外。彼女までどうした。


「そうだったのレティア姫。ユース子爵って、ユース王子は子爵なの? 王子で子爵?」


 ミラ姫の問いかけに、レティアは状況に即した対応を出来るの……————。


 私は驚愕であんぐりと口を開いた。目が落下しそうな程、勝手に目が見開かれる。

 レティアは真っ赤な顔で、両手で頬を包んでいる。嬉しそうな微笑み。

 おまけに、また「夫婦?」と呟いた。その響きは明らかに甘ったるい。


 えっ? 脈ありなの? いつから? 何故? 今ここでその顔? 酒のせいか?

 謎のドングリ襲撃は、やっぱり嫉妬だった?


「ミラ姫。今の話、レティアは何も知りません。私は少々複雑な立場で、出自怪しいということで、王子と呼ばれる子爵なのです。最近、私の格を正式に上げようという動きが強まっています。その動きが、レティア王女と結婚しないかという打診です」

「まあ、そうなのですか」

「内々の話でやんわり断っているのに夫婦とは。噂とは困りますね。真偽がすぐ捩くれます。レティアへ縁談話もいただいているのに、既に結婚していましたとは、そのような事はありません」


 弱小国が方々から非難されるのは困る。困り笑いを浮かべて、肩を揺らす。

 ヴィクトリアとミネーヴァめ、余計な演技を増やしやがって。

 ミラ姫がレティアを軽く揺する。気遣わしげにレティアの背中を撫でてくれた。

 赤くなってぼんやりしていたレティアが、ハッと我に返る。

 彼女の表情はみるみる曇っていった。明らかに落胆している。


 本当に分かりやすいな。


 ルイ宰相がレティアの反応に放心している。ヴィクトリアとミネーヴァは、ルイ宰相にこれを見せつけたかったのか?


「噂を鵜呑みにして、大変失礼致しました。レティア王女とユース王子は大変親密でございましたので、てっきり……」


 あわあわ、おろおろする演技のミネーヴァをヴィクトリアが叱責しつつ慰める。

 ミネーヴァやヴィクトリアは、驚かせてすみません、とレティアに謝罪も始めた。

 ルイ宰相は切羽詰まった、という様子。

 ヤバっ。国内で婚約話が出ていることや縁談話をするなんて迂闊だった。これは火に油かも。

 動揺と混乱で脳みそが上手く働かないせいだ。

 そもそも、結婚を打診されていて、やんわり断っていると告げてどうする。この流れ、レティアの表情、君に惚れてませんと突っぱねたのと同意義だ。

 

 尻に火をつけられたルイ宰相は、大きく深呼吸をし、決意漲る強い眼差しでレティアを見据えた。


「レティア姫、私と——……」


 ルイ宰相は言い直そうとしている。悟った瞬間、私は大声を出して遮った。その台詞は、驚くほど自然と出て来た。


「レティア、結婚して欲しい」

 



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