女好き王子は逃げたい 7
おいこら、とヘイルダムを睨む。
ヘイルダムはウイスキーで酔っているのか、睨み返してきた。
「ヘイルダム卿、私はアルタイルに全力ではないと?」
「ユース王子、このヘイルダムは心配でなりません。忙しくなり、遊び歩く時間が無くなる方が安全です。なので常に働いて下さい。流星国で学びながら、国王陛下を支えるとは素晴らしい案です」
ヘイルダム卿が少し涙ぐむ。こうなると、この場に私の味方はゼロだ。
「ルイ君。良かったな。これでアルタイルに行く口実が出来た。彼と二人一組になって、いや兄上に頼んで三人一組だ。三位一体で三ヶ国の運営に関わる。新しい方法だ。試してみる価値はある」
何だその案。勝手に決めるな。三ヶ国とは、もう一カ国はフィズ国王の故郷煌国だろう。西と東の大国共有で、アルタイルを植民地にする気か?
フィズ国王は楽しそうな目をしている。
悲惨な植民地ではなく、自由自治区にしたければ励め、と言わんばかりの目。
「私は大鷲賢者に並べていただけるような者ではありません。狭く小さな国と、大切な兄上や家族を守るので精一杯です」
「謙遜するな。挑戦してみなければ、何の結果も生み出さない。それに最初からなんて思っていない。まずはルタ君の近くだ」
笑顔で首を振ると、同じような仕草を返された。
フィズ国王は頑固そう。アルタイルは格下過ぎる。断るのは、絶対に骨が折れる。
「まあ、外交官としてよく来てくれるフィラント君がその役目をしてくれないかなと思っている。この国は、彼によく世話になっているからな」
フィズ国王の笑顔と目付きが少し変わる。本命はやはりフィラントか。私よりフィラント。
フィラントは奇妙な星の下に生まれた。敵も多いが味方も多い。打算的な行動がことごとく裏目に出ない男。この国で、邪魔だから蹴った男が重犯罪者だった、とかそういうことを積み重ねたのだろう。
フィラント一家は国の柱の一つだが、三人一組で三ヶ国なら、アルタイルから去るわけではない。
エトワールとクラウスを人質にすれば、フィラントはアルタイル王国を捨てない。
私とフィラントの絆は強いし、エトワールを操るのも簡単だから、どうにかなる。
私はリチャード兄上から離れたくない。いやアルタイルから離れたくない。フィラントよりも、リチャード兄上とレティアとお気に入りの家臣。数年前なら逆だったが、今の優劣はそうだ。
「フィラントによく伝えておきます。本人と相談して下さい」
「ああ頼む。個人的に説得しても無駄なようなのでね」
自分もフィラントも、フィズ国王から逃げられる案を考えないと、と思った時にフィズ国王は悪戯っぽく笑った。
心の中まで見透かしていそうで恐ろしい。
「そもそも私に怯える方が珍しい。面と向かって脅迫した訳でもないのに、そういう反応をする者は少ない」
「フィズ様はここぞという時以外は、親しみやすさや脱力感を醸し出していますからね」
解説どうも、とアクイラ宰相に笑いかける。フィズ国王にも微笑みかけた。この場で考えたり、喋れば喋る程墓穴を掘る。この場からの逃亡優先で、思考は後回しだ。
「ああっ!」
ルイ宰相が、急にそこそこ大きな声を出した。
「レティア様がこちらにいらっしゃる……」
ルイ宰相は襟元を正した。前髪を弄り、胸に右手の掌を当てて、深呼吸を始める。頬まで染めている。
確認すると、レティアはミラ姫と共にこちらへ向かってきてくる。その少し後ろを、ヴィクトリアとナターシャ、それにアリスとオリビアがついてくる。
少し離れた位置に、情報収集と護衛を兼ねているミネーヴァとミリエルの二人もいた。
レティアと目が合うと、屈託の無い笑顔を投げられた。小さく手を振られる。
顔の赤らみや、目つきなどからして、酔っているようだ。
飛行船での二日酔いで懲りたかと思い、酒は禁止しなかった。
飲まないと思ったのに、飲んだのか。予想外だ。まあ、人の行動を完璧に読むことなんて無理。
まさかルイ宰相を誘いに……と思ったが、私を見つめ続けて、ニコニコ笑い、途中で足を止めて手招きしてきた。
ミラ姫のことで私に何かお願いといったところか。
「失礼します。呼ばれているようですので」
立ち上がり、場の全員に会釈をする。逃げる口実が出来た。ナイスタイミング、レティア!
「ルイ君、一緒に行くと良いのではないか?」
フィズ国王の発言に、ルイ宰相の背筋が益々ピンと伸びる。
「ええ勿論。ユース王子、私も」
ルイ宰相が立つと、ルタ王子も立ち上がった。リシュリにさり気なく目配せをして、ヴラド卿へ遣いを出している。素早い。
同じく早いのはルイ宰相もだ。レティアの方へ一目散である。
私も後を追いかけた。ルタ王子が私の隣に並ぶ。
「レティアは私に会いにきただけで、ルイ宰相目当てではありません」
「ええ。そのようですね。義父上が挑発するから……まったく……。ユース王子、頼みます」
ルタ王子は私の背中を軽く叩いた。
「レティアはあのようなので、何も問題ないかと」
レティアがルイ宰相を見て、顔を歪める。
本人的には怯えなのだろうけれど、少々勝気な顔立ちだから、相手に対する嫌悪感のような印象を与える。
ルイ宰相はガックリと肩を落とした。少し背中を丸め、歩く速度を落とし、それでもレティアへ向かっていく。
あまりにも分かりやすい反応。多くの者達、特に女性達の注目が集まっている。
「あれは流石に失礼ですみません。人見知りの延長です」
「ルイ宰相を引き離すので、レティア姫を遠ざけて下さい。義父上に挑発されて、ホール内の男性達にも嫉妬していて、何を言い出すか分からない」
部下ではないのに、部下に対するような命令口調。解せない。国王への道はまだ遠いのではないか? まあ、他国のことだ。知らん。
「ルイ宰相。あの反応は諦めた方が良さそうです。あのように怯えられて、踊ることすら無理でしょう」
ルイ宰相に追いついたルタ王子が、追撃の一言を突き刺す。
嫌悪ではなく、怯えという言葉選びには感心した。やはり観察力はある。
「諦める? 嫌だ。知っているかルタ君。好意の反対は無関心だ。嫌われているなら、好かれる可能性がある」
その理屈はゴネだ。ルイ宰相の目が据わった瞬間、ルタ王子に「行け」と目配せされる。
言われなくても行く。ルタ王子へ軽く頷いて、ルイ宰相へ向き合う。
「そろそろ帰りたいとかでしょう。あの様子だとそうです。絶対にそうです。親しくしてくれるミラ姫と夜話するつもりかもしれません。今夜はお招きいただき、ありがとうございました。失礼します」
「ええ、そう見えます。ユース王子、今夜はありがとうございました。レティア姫にも、よろしくお伝え下さい」
ルタ王子の目は、とっとと行けと訴えている。だからゲストに命令をするな!
不満を隠して会釈。ルイ宰相とルタ王子に背を向けて早足で歩く。
レティアとミラ姫は、誘ってくる男性達を断りながら、徐々にこちらへ来る。
二人とも楽しそうに笑い合っていて可愛い。
私の視界の中で、二人が最も輝いている。淡いピンクのドレスに、深い青のドレス。黒髪にグレーがかった珍しいブロンドヘアー。
対極にあるものが並んでいるからか目立つ。
会ったばかりとは思えない親密さ。一緒に寝るとか言い出すかもな。
「帰る? 緊張と照れで、もたもたしていたせいだ」
チラリと振り返ると、ルタ王子がルイ宰相の肩を掴んでいた。
「ルイ宰相、眠くて辛そうだから話をするのなら明日にした方が良い。シャルル国王に許可も取るのだろう? 君は律儀だ」
ルタ王子とは以心伝心、相思相愛。早くルイ宰相を連れ去ってくれと思ったのに、ルタ王子の手がルイ宰相の肩から離れた。正確には振り払われた。
使えねえ! 命令するならしっかりしてくれ!
ルイ宰相が、脱兎のごとく私を抜かす。
うん、あれは無理だ。前言撤回。私の伸ばした手は空を切った。
ルイ宰相、素晴らしい身のこなし。ルタ王子、よく肩に手を置き、何秒も抑えていた。
少し迂回して、レティアの元へ急ぐ。ルタ王子とは違い、面と向かってルイ宰相を止められる立場ではない。
爽やかさのある照れ笑いを浮かべ、煌めくシャンデリアの下を、おもむろに歩くルイ宰相はかなり目立つ。
ルイ宰相はレティアまであともう数歩、というところ。わたしもあと数歩。
早かったのは、ルイ宰相だった。彼はレティア達の前で、膝をついた。
「私と……おど……」
踊って下さいと誘うのに、大袈裟な態度。げんなりしたし、どっと疲れた。踊るくらいなら問題にはなるま……い……。
「いいや、私と結婚して下さい!」
はあっ? 自分の耳を疑う。奴はチラリ、と私を見てからレティアに視線を戻した。
「いや。結婚します。そうなりました。今夜からよろしくお願いします」
はっ、はああああああ⁈ おいコラ! 何を言っている身勝手野郎!
そうなりましたって、私がレティアを売ったみたいじゃないか! その為にこっちを見やがったな!
口から怒声が飛び出そうになるのを堪える。詰め寄りそうになるのも耐えた。
殴りたいけれど、拳を握る。流石に頬はひきつる。
弱いとこういう目に合う。最悪。
しかし、悔しい目や嫌な目になんて、何度も合ってきた。
暴れたいし吐きそうだけど、この場で耐えるくらい簡単……。笑顔を浮かべて傍観なんて楽勝……。
手が震えて、食べたものは喉まで上がってきている。
微笑んでおく場面なのに、唇も歪みそうになる。視界は少しぼやけ始めた。
プロポーズどころか、突然結婚宣言されたレティアは、両手で口元を覆い、目を丸めて、カチンと固まっている。
彼女が私を見て、黒真珠のように輝く親愛こもった瞳が、嫌悪に染まった瞬間、吐くかも……。
早くしないと奪われると言われた後に、あのように怯えられて、踊ることすら無理でしょう
↓
藪蛇!