王子と鷲蛇姫 1
朝起きると、ユース王子の姿は無かった。
夕食を共にしたので、朝食も同席すると思っていたが、朝食は部屋に運ばれてきた。
黄昏国の方々と、流星国城で待ち合わせしている。ドレスを交換し合うので、軽装で宿を出た。
ミラ姫達は流星国城に宿泊している。私達は、城まで馬車で移動だ。
私は早々に馬車に乗せられ、ぼんやりしている。
他の人達は荷物を運んだりしているので、なんだか居心地が悪い。
「ユース様はどちらに?」
馬車の出入口側に立つヴィクトリアが、ヘイルダム卿に声を掛ける。名前を聞いただけなのに、何だかソワソワしてしまった。
一緒に眠ったので、妙に照れ臭い。顔を合わせたら、何て言おう。
おはようございます、だよね。うん。朝だし、朝の挨拶だ。
「ざっと街を観て回ると、サー・ゲオルグと出掛けました。そろそろ戻られるかと」
「そのようですね。あちらの馬がそうみたいです」
あちら、はどの方向だろう。私から見えるのは馬車の左右の窓から見える景色だけ。
しばらくすると、馬の蹄の音がして、ユース王子がヘイルダム卿やヴィクトリアと話す声が聞こえてきた。
「やあ、おはよう。今日も可愛いな」
ユース王子は、あははと笑いながら馬車に乗ってきた。後ろにヴィクトリアが続く。
私の向かい側にユース王子が座り、ヴィクトリアは私の隣に腰掛けた。
ニコニコ笑うユース王子に面食らう。朝の挨拶の後に「可愛い」なんて台詞は予想していなかった。
なんか、調子が狂うというか、ユース王子が変な気がする。
「出してくれ」
「かしこまりました」
外から扉が閉められ、しばらくして、馬車が動き出す。
「ヴィクトリア、今日は1日長いが宜しく頼む」
「お褒めに預かり光栄です」
「おい、私との会話を拒否するな。今、私が君を褒めたか?」
ヴィクトリアはツンと澄ましている。なんか、既視感のある会話。
「戯れはほどほどになさって下さい。私はレティア様の世話係です」
「ん? 舞踏会のことか? 何もしない。見張りだらけなので大人しくする。というか、そういう気が起きない」
悪戯っぽく笑うと、ユース王子はヴィクトリアにウインクを飛ばした。
ヴィクトリアは目を細めて、何か言いたげだが無言。彼女は私の方へ顔を向け、にこやかに笑いかけてくれた。
「レティア様、初めての社交場が異国だなんて不安でしょうが、このヴィクトリアにお任せ下さい。心配事や困り事があれば、遠慮なく相談して下さいませ」
「はい、よろしくお願いします。ありがとうございます」
ヴィクトリアの優しい眼差しが嬉しい。
それにしても、ユース王子とヴィクトリアって不仲?
ほんの少し、気まずい空気が流れた後に、私達は今日の予定の再確認をした。
流星国城、応接間で黄昏国の方々とご挨拶。
その後、黄昏国のドレスを着て、王座の間でフィズ国王陛下や官吏の方々に正式なご挨拶。私はコーディアル王妃とティア王女に献上品を渡す。
その後はミラ姫達と過ごす約束をしている。近くの森に綺麗な泉があるので、案内してくれると言っていた。
夕方になったら晩餐会に参加して、最後は舞踏会。
「明後日の昼に出発する。明日から出発まで、レティアや君は自由時間だ。君に仕える者も同様」
「えっ? 明後日ですか?」
「交易契約は結ばない事にした。現状維持だ。カール令嬢との婚約話は、この国に来る途中で消えてくれた。今日君を披露したら、もう主な用事は無くなる。カール令嬢からの要求は、帰国してから、のんびり考える」
話がすぐ変わったり、目的を隠すユース王子に、何をどう質問するべきなのか、判断がつかない。
これ以上は聞くな、という拒絶の雰囲気にも飲まれる。けれども、問いかけなければ、何も分からない。
「あの、交易契約を結ばないとは、どういう事です?」
「フィズ国王が、君とルイ宰相を婚約させろと脅迫してきた。彼はアンリエッタ令嬢と見合い予定で、ルイ宰相の従者やルタ王子はその後押しをしたいようだ。間に挟まれて面倒な事になる前に逃げる」
思わず、咳き込みそうになった。
「き、脅迫ですか?」
「そっ。結婚ではなく婚約だってさ。提案を飲んだら、交易契約をこちら有利で締結してくれるそうだ。ルイ宰相、君が振り向いてくれるまで、つきまといたいってさ」
不機嫌そうに告げると、ユース王子は窓の外を眺めながら、大きなため息を吐いた。
私が呑気に遊んでいた間に、ユース王子はそういう話をしていたのか。
もう嫌だ、あの人。ルイ宰相は本当に強引な人だな。
いや、でも婚約? 振り向いてくれるまでつきまといたい?
強引だけど、強引じゃない?
それにしても、私の何をそんなに気に入ったのだろう?
疑問ばかりだ。
「自分の働き振りを見てもらって、好きになってもらう。この国に君を縛るのではなく、自分が二カ国を行き来して、何もかもを背負うってさ」
ふんっと鼻を鳴らしたユース王子は、本当に機嫌が悪そう。演技では無いように見える。こんなユース王子を、私は初めて見た。
「レティア……」
ゆっくりと体の向きを変えると、ユース王子は私を真剣な眼差しで見つめた。
射抜かれたように、呼吸をしにくくなる。
「あの男は優良物件だ。君にも、国にも、利益をもたらすだろう。君が彼を気に入った時は、何もかも上手くまとめる。ただ、逆は却下だ。君を金や権力などと引き換えにするつもりはない。誰かに何か脅迫されたり、何かされたら、私に言え。絶対にだ。まあ、言わなくても見抜くけどな」
ユース王子の左手が私の左手を取った。薬指と薬指が絡まる。
「ヴィクトリア、この件で何かあれば私に伝えてくれ」
「かしこまりました」
ヴィクトリアは戸惑い気味に見える。まるで、今の私の心境と同じ。
やっぱり、今日のユース王子は変だ。いや、昨夜もおかしかった。触れ合う薬指が熱い。指は、そっと離れていった。
「あの、ユース様……」
「さあ、到着したようだ。行こう、レティア。私の宝の一つになったということを、常に忘れるなよ」
馬車が停止し、ユース王子は立ち上がった。馬車の扉を開けて、私の手を引く。
やっぱり、ユース王子は変だ。急にこんな話……急ではないか。何度か似たような話をされている。
馬車を降りると、ユース王子は私の手を自分の腕へと招いた。
流星国城の砦門の前に、白い薔薇の花束を抱えるルイ宰相が立っている。
細やかな銀刺繍の施された紫紺のロングジャケットに、黒いズボン姿。髪は横分けで、昨日とは違う、いかにも正装という姿。
爽やかな笑みを浮かべて、熱視線で真っ直ぐ私を見ている。門番がいて、私には従者もいる。こんなの、恥ずかしい。
「おはようございます、レティア姫」
ルイ宰相が近寄ってくる。白い薔薇の花束を差し出されて、動揺する。本当に恥ずかしい。
「一本では足りないと思いましたので。貴女の可憐さには敵わないですが、代わりに引き立て役……」
言いかけて、ルイ宰相は困り笑いを浮かべた。
「お気に召しませんでした?」
不味い。動揺や困惑を見抜かれている。愛想笑いをしないと、と思ったら、ユース王子が膝で軽く小突いてきた。
「まさか。滅相もございません。何度かお伝えしているように、このレティアは照れ屋の人見知りでして。このような大勢の前なので、恥ずかしさが先行しただけです。それに、レティアは緊張すると上手く話せません」
ユース王子がいると心強い。私の性格を把握していて、助け舟を出してくれるから、本当にありがたい。
「あ、あの。申し訳ございません……。急な贈り物に驚いてしまいまして。気に入らないだなんて、真心こもった贈り物に対して、そんなことは思いません」
ほら、とユース王子に促されて、ルイ宰相から花束を受け取る。
瑞々しい花びらの綺麗な薔薇だ。香りも素敵。
「ありがとうございます」
目を見て伝えようと思ったら、ルイ宰相は赤い顔で俯いていた。
「いえ、こちらこそありがとうございます。では、こちらの花束は宿へ届けさせます」
「宿へ、ですか?」
「挨拶などの邪魔になりますから」
「お気遣いありがとうございます。このように美しい薔薇なので、本日の髪飾りに使わせていただきます」
ユース王子がニッコリと微笑む。
会釈をすると、ユース王子は歩き出した。なので、私もついていく。そうか、髪飾りに使えば良いのか。思いつかなかった。
一歩下がってヴィクトリア、その後ろにヘイルダム卿やデュラン卿が続く。私達の両脇には貴族服に帯刀する騎士達が数名。
確か、侍女服のミネーヴァやミリエル、アリス達なんかは後方だ。
どこにもロクサス卿の姿は見当たらない。
「彼は本人の希望で別の仕事だ」
ぽんぽん、と頭を撫でられて、ユース王子を見上げる。彼は寂しげに微笑んでいた。
本当に、何もかも見抜かれている。
「ヴィクトリア、白薔薇の髪飾りは、ミラ王女にもすすめてくれ」
「かしこまりました」
そう告げると、ユース王子は私の腕から花束を取り、薔薇を一本引き抜いた。
ポキッと枝を折り、短くすると、ジャケットの胸ポケットに薔薇を飾る。
「昨日はあなたしかいない。で、今日は私と付き合ってください、ねえ」
城へ続く道を歩きながら、ユース王子は「薔薇は本数で花言葉が変わる」と口にした。
それは、私も知っている。本で読んで、知識として有ている。でも、今の状況で、思い出してはいなかった。
「本で読みました。ユース様は頭の回転が速いですね。私は知識と現状がすぐ結びつきませんでした」
指摘されて、ルイ宰相からの花束の意味に気がつくなんて遅い。ユース王子はそう言いたくて、今の話をしたのだろう。
「そうか。まあ、その気がないなら知らなかったフリをしておけ。こういうのは、自己満足さ」
自己満足、か。それは昨日のサザンカにもかかっている言葉なのだろうか?
「見て見ぬ振りなんて、不誠実ですよね」
ルイ宰相には、散歩なら付き合いますと……いや、気が乗らない。いきなり拐おうとする人と散歩は気が重い。
ルイ宰相の照れ笑いや、熱い眼差しで、婚約話をしたばかりの頃のロクサス卿の姿が思い浮かぶのも辛い。
「まさか。知らないふりや嘘は時に優しさにもなる。それに、仕方ないさ。君の性根だと、君を摘めるのは一人だけ。全員に愛想を振りまく意味はない。いいか、選ぶのは君だ。君の事なのだから、君が選ぶんだ。選ばない男は冷たくあしらえ。それが優しさだ」
冷たくあしらう……。ルイ宰相を? 大鷲賢者なのに? 冷たくするのが優しさ?
「ルイ宰相は君を盾にアルタイル王国を潰す男では無さそうだ。万が一の時も、私がどうにかする」
また頭を撫でられた。花言葉か。そういえば、サザンカって「困難に打ち克つ」とか「ひたむきさ」だ。
私、昨日ユース王子に外交頑張れって応援されていたのかもしれない。頑張れ、でも君が無理なら私が援護する。それがユース王子の意見なのか。期待されているなら、応えたい。
「で、レティア。12引く1は?」
「最愛、です」
「そうだな」
よく出来ました、という褒めのような笑顔が嬉しい。
「私は15本しか使った事がない。今日まではな」
「15本しか? 15本は……」
すみません。ごめんなさい。15本は、そういう断りの本数だ。
素敵な花言葉、という本に、使ってはいけない本数として記載されていた。
……。今日までは? 今日までって、どういう意味?
「それにしても、昨日も思ったが、城というより要塞だな」
話題が逸れた。ユース王子も今日誰かに花束を渡したらしい。
今朝、出掛けていた時だろう。15本の薔薇じゃないなら、何本だったのだろう。
相手は誰? 誰かと知り合って、約束して、朝から待ち合わせしていたのか……。
ヘイルダム卿達とユース王子があれこれ話している間、私はもんもんと考え続けた。非常に気になる。
三つの砦門を通り、城の門近くまで進んだ。
「おい、私が11本にした薔薇の花束を持っているのは誰だ? 君は本当にぼんやりしているな」
耳元で囁かれ、え? とユース王子の顔を見上げる。今の言い方だと、私に「最愛」?
「何もかも顔に出ている。全く。演技力を磨けと言っているのに、ちっともだな。ほら、城に入るから、花束をヴィクトリアに渡せ」
指示されて、ヴィクトリアへ花束を渡す。
「ヴィクトリアも愛しているよ」
あれ? どういう事?
「かしこまりました」
「おい、私との会話を拒否するな。レティア、愛しているよ」
「へっ?」
ニヤニヤしていたユース王子が、お腹を抱えてクスクス笑う。また揶揄われた!
ユース王子って、本当に人をおちょくるのが好きらしい。食えない人。煮ても焼いても食えない、とはこの人の事だ。