【幕間】女好き王子、脅される
シャーロット・ユミリオン令嬢を駒と決めて早くも1ヶ月。計画は実に順調。東塔の庭で、エトワール、フローラとお茶会。実に楽しい。今日は天気も良いし、甥のクラウスもご機嫌。フィラントがベンチに腰掛けて、クラウスを膝に乗せ、恐る恐る抱っこしているのが笑える。子供と縁が無さ過ぎて、2歳になる自分の子とさえ、接触が怖いという臆病者。実に愉快。
「フィラント様はいつになったらクラウスに慣れるのかしら」
「さあ? フローラ、目を合わせないで。助けを求めてくるから。フィラント様にはもっと親子団欒をしてもらわないと」
エトワールがツン、と澄ましてティーカップを口元に運ぶ。フローラが楽しげに笑った。小生意気な顔立ちの、つい虐めて揶揄いたくなるシャーロット令嬢とは違い、フローラはかなり色っぽい。で、隣に座るエトワールは元気溌剌、かつ愛くるしい。眼福。至福。
「それで、ユース様。毎日花やお菓子を届けても、嫌がられているってどういうことです?」
「さあ? それこそ私が知りたい」
「また、過剰に、ベタベタ触ったりしたのでは無いですか?」
「まさか。キスの一つもしてない。この私がこんなに時間を掛けて女性を口説いたことなんてない。この私が文通からにしないとならないのか? 彼女は珍獣だ」
不服、という表情を作る。いつもの調子で口説いたら、嫌われた。そういう事にしてある。そろそろ、私がシャーロットに本気だと——嘘だが——周知されてきた。最初の目標、縁談避けは実に順調。フィラントとエトワールに真心こもった目で、強く結婚を勧められたら断れなくなる。先回り成功。次の目標は、今の状況。家族で楽しくお茶会。エトワールへ恋愛相談だと、フィラントは夫婦の時間を邪魔されたと怒らないし、嫉妬もしない。いつ来る? とまで聞いてくれる。それが判明したのは朗報。もっと早く気がつけば良かった。
「まあ、それなら私も珍獣ですね、ユース様」
「確かに。私にまるで興味のない女性は、エトワール、君くらいだと思っていたのにさ」
「あら、私は違うのですか?」
含み笑いのフローラの手を取る。相変わらずささくれ一つない、滑らかな指。
「違うだろう? ほら、あの夜……っ痛」
「ユース様。フローラはレグルス様の奥様です。お戯れはお止め下さい」
手の甲をエトワールに抓られ、フローラから手を離した。可愛げのない怒り顔。これだ。これを見たくない。凄く嫌。で、背後から感じる寒気もそう。エトワールの機嫌を損ねると、フィラントが怒る。戦友のような男の本気の怒りは本当に嫌だ。
「あの夜は気の迷いですよ、ユース様」
「えっ?」
目をまん丸にしたエトワールに、フローラは含みのある笑みを返した。
「えっ? えっ?」
エトワールが私、フローラと交互に見る。フローラと私に何かあったことなんて無い。大方、夫のレグルスを嫉妬させようということだろう。で、私に武器がありますよという提示。悪さをすると、嘘をついて、レグルスと仲違いさせるぞという脅迫。怖い女。でも色気たっぷりだし可愛い。乳兄弟の妻だし、私の幼馴染でもある。恋愛や遊びに発展しない美女はこのフローラと、フィラントが大事にしているエトワールくらいだろう。二人とも眺めたり、お喋りするだけで癒しになる。
「エトワール、フローラ、シャーロット令嬢はどうしたら私になびくと思う?」
「嫌がることはせずに、誠実に気持ちを伝えれば良いと思いますよ」
「まあね。そう思うからフィラントの真似をしている。かつて君をどうしても手に入れたくて仕方がなかった、フィラントの見習っている」
「まさか。それは政略結婚では外聞が悪いと、ユース様やレグルス様が命じただけではないですか」
「だって、フィラントは君に毎日会いたくても会いに行けないヘタレ男だったから」
チラリ、とフィラントを見ると赤黒くて怒っているような照れ顔。楽しい反応。クラウスがフィラントの肩を叩き、「ぶんぶん!」と高い高いをねだる。で、フィラントは青くなって、クラウスを説得しだした。ぶんぶんは危ない、無理だ、とか何とか。過保護な父親。
「エトワールは一目惚れですので、お花やお菓子で落ちた訳では無いですよ」
「フ、フローラ!」
「政略結婚相手が優しくて、格好良くて、素敵だなんて運が良いと延々と惚気ていたものね。好きになってもらうと、突撃ばっかりしてましたし」
「フローラ!」
「いや、君の知人は皆知っている。君って何もかも分かり易いから」
「ユース様まで……」
赤くなって、顔をパタパタ手で扇ぐと、エトワールは背中を丸めた。四年経っても新婚気分とは、エトワールやフィラントは私とは別人種に思える。よし、シャーロット令嬢から話が逸れた。あとはエトワールを揶揄って遊ぼう。くるくると表情が変わるから、面白い。フィラントとエトワールは実に仲良しな夫婦。私には永遠に訪れないだろう関係性。手が伸びないもの。
「そういえばユース様。最近、職人通りに通っています?」
突然の話題変更。私は質問主のフローラに微笑みかけた。
「ああ。シャーロット令嬢に贈る帽子を仕立ててもらっている。ほら、あの、最近噂になっている帽子屋」
護衛や見張りの目を盗んで行ける数少ない場所。偽名で遊んでいるのがバレるのは困る。
「そうですか。帽子ですか」
「そっ。あとパン屋。美味しいんだ」
「へえ、パン屋ですか」
探るようなフローラの目線に、満面の笑顔で応える。彼女に見抜かれたら負けだ。
「クリームパンっていう、食べたこともない甘くて美味しいパンがある。砂糖が庶民に普及したようだ」
「クリームパン?」
エトワールの目が輝く。
「今度、買ってこようか? シャーロット令嬢とデートしたい。誘ってみるつもりなんだ。大鷲通り、それからこっそりメダ小道。そのついでに」
「いいえ。大丈夫です。楽しんで来て下さい」
予想と異なるエトワールの反応に、少し嫌な予感がした。彼女は時折、想定外の行動に出る。まさか、勝手に職人通りに行ったり、私のデートの後をつけたりしないよな? お転婆妃というのは隠さないといけない。慈悲深くて市民に優しい、聡明で麗しのお妃という衣を巻きつけている。確かに慈悲深いが、脳みそが恋愛事や育児でいっぱい、砂糖漬けで、ボケッとしていると知られるのは、政治的に困る。
「あれか、フィラントやクラウスと職人通りへ視察という名の観光に行くつもりか? 却下。君は目立つから、基本的に街への外出は禁止」
キョロキョロ、とエトワールの目が泳いだ。やはり、ついてくるつもりだったのか。この演技下手め。だから社交場にもあまり出さないようにしている。絶対にすぐ騙されて、利用される。
「フィラント、最近腹裂きジャックとかいう通り魔が出ているのは知っているよな?」
「腹裂き?」
怯えたようなエトワールの問いかけを無視して、振り返ってフィラントを見つめる。
「フィラント、中々逮捕に至らないらし。だからね、街へ出掛けるなんて……」
危ないだろう? とエトワールに言う前にフィラントがクラウスを抱っこしながら立ち上がった。
「最近少し手が空いているので、その件について話を聞いてくる」
あれ? フィラントの決意に満ちたような表情に、首を傾げたくなった。繕って笑っているけれど、嫌な予感。フィラントはエトワールに近寄り、クラウスをエトワールへと渡した。
「極上だというクリームパンを、エトワールが買いに行けないなんて困る」
我が弟ながら、どういう思考回路をしているんだ? ウキウキする妻とこっそりお忍びデートをしたい。それには「腹裂きジャック」の噂は邪魔。妻溺愛男フィラントなら、そう考える……のか? 色々優秀なのに、フィラントは時折おかしくなる。エトワールのせいだ。役に立つけど、時に邪魔な義妹。フィラントの世界は、すっかり妻エトワールと息子クラウス中心。
「いや、フィラント。誰かに買いに行かせ……」
「大体、単独犯の通り魔をいつまでも逮捕出来ないなんて弛んでいる。それか、事件が多過ぎて手が回らないとかだ。外交が増えて、騎士団管理を少し人任せにしていたせいだ」
キリリ、と仕事モードの表情になると、フィラントは颯爽と立ち去っていった。立ち上がったエトワールがクラウスの右手を取って、行ってらっしゃいませと手を振らせる。
「クラウス、パパはクラウスが大きくなる前にこの国を大陸一、平和にしたいそうです」
「パーパ!」
二歳になる甥クラウスは、今日も元気いっぱい。で、ママっ子。エトワールに抱きついている。
「見習わないといけません。帰って来たときに喜んでもらえるように、ホタテのグラタンパイを焼きましょう」
え? そうなの? フィラントがそんな決意をしていたなんて知らなかった。
「グラタンとは何?」
「グラタン? グラタンとは何だい?」
エトワールが立つと、フローラも立つ。なので、私も立ち上がった。
「クリームシチューを極上にしたようなものです。フィラント様が唯一好きだって言っている食べ物です。最近ようやく、食事が美味しいって思えるみたいで安心します。今夜、ご馳走しますね」
エトワールはフローラにクラウスを渡し、サササッと片付けを始めた。
「へえ、フィラントの味覚異常、治ってきたのか」
「そうですユース様。お医者様が、精神的に安定してきたのだろうって。きっとクラウスのおかげです」
それは少し違う。出征続きで壊れていったフィラントを人間らしく戻したのは、エトワールだ。クラウスはその副産物。
「エトワール様! 片付けは私がします! そのままで!」
東塔の窓から身を乗り出して叫んだのは、侍女サシャ。
「お掃除を頼んでいるから、このくらいは自分でするわ」
「ダメです! 日頃の癖は社交場でも出ます! 他国との外交でそのような行動が出ては、妃に苦労させる貧乏小国だとか言われて、我が国が恥をかきます!」
その通り。私はエトワールの腰に手を回して、彼女の体を押した。フローラもクラウスをエトワールの腕の中へ返した。サシャは窓から体を引っ込めた。大急ぎで片付けに駆けつけるのだろう。
「まあ、場をわきまえるくらいします」
「侍女なのに秘書ね、サシャは」
エトワールは不服そうな顔になった。何年経っても、元貧乏令嬢は妃という立場に慣れないらしい。
「フローラ!」
この声はレグルス。平静を装い、ゆっくりと歩いてくるが、目元が痙攣している。緊張していると出る、レグルスの癖。
「あら、レグルス様。いつ王都へ? 領主会議後、アストライアへ戻られて、激務でしょうに」
フローラは目配せし、エトワールを先に行かせた。彼女は気遣わしげな顔をしたが、受け入れたようで、黙って東塔の方へと歩いていった。なのに、フローラは私の上着の裾を掴んだ。とても嫌な予感。夫婦喧嘩は犬も食わない。
「フローラ。だから、その激務を更に厳しくして、時間を作り……」
「会いに来た? そうですか。もう二度と浮気しない、と直ぐに言わなかったので、や、り、直し、です」
レグルスに近寄ると、フローラは彼の頬にそっとキスをした。社交場で行う挨拶と同じ軽いキス。その後、フローラは私を見つめた。熱視線という瞳。私はレグルスに向かって首を横に振った。
「何もない。二人で話し合うと良い。そろそろ仲直り……」
「行きましょうユース様。明日のデート、楽しみですね」
甘ったるい声を出して、私と腕を組むと、フローラは私を引きずるように歩き出した。レグルスの浮気を、まだ許していないらしい。そして、まだレグルスをご夫人達のいる所へ連れ回した私の事も怒っている。
「いやあ、フローラ。明日は忙しい。あと友の妻とは二人で出掛けない」
「あら、それならあの例の伯爵に頼むことにします」
レグルスの冷ややかな視線に、背中に汗が伝う。自分は浮気者の癖に、妻には貞淑を求める理不尽な夫。でも、その気持ちはよく分かる。何せ、私とレグルスは性格が似ている。
「ユース、しばらく妻を頼む」
「そうだ、レグルス。その通り。私は友の妻には指一本触れない」
フローラが、可愛いくて、色っぽい上目遣いで、私を見上げた。ゴクリ、と喉が鳴る。これは、ちょっと手を出したくなる素晴らしさ。いや、理性、理性、理性!
「おい、ユース」
ドスの効いたレグルスの声で我に返る。危ない、この美女は爆弾だ。権力者の娘だし、悪友が溺愛している。理性を動員して、離れていないとならない。私はフローラを引き剥がそうとした。しかし、ピタリと寄り添われて無理だった。
「かつて、可愛い愛娘の健気な気持ちを大反対したお父様も、今ならユース様の妻になるのを喜んでくださるでしょう」
「はあ? フローラ、それは何の話だ?」
「ユース様もそう思いません? ねっ♡」
今、語尾にハートマークがついていた気がする。愛くるしい、ねっ、だった。
「レグルス、何でもない。フローラは単に怒っている。口から出まかせ。私と君にな」
不意に、フローラは背伸びをして、耳元に顔を寄せてきた。
「あの薔薇を、お忘れですか?」
ゲホッゲホッ! 変な咳が出た。フローラの初恋が私だと暴露するつもりか? これは脅しだ。青二才の若造、少年だった私の綺麗な思い出。何も出来なかった初恋。固く封印しているものを、夫婦喧嘩に利用するな!
フローラが私の耳から顔を離す。言うな、言うなよ? 味方をするから言うな。フローラにそう目で訴えてみる。
「マダム・ダリア、君のような方はとても好みだ。うふふ、嬉しかったです」
ゲホッゲホッ! 別の爆弾を投下された。レグルスとフローラの喧嘩の原因。レグルスが火遊びをした先月の仮面舞踏会。あの日に会ったマダム・ダリアはフローラか! 人づてではなく、自分でレグルスの浮気現場を見たのか!
あの夜、フローラ——というかマダム・ダリア——は私を口説いてきた。顔の見えない色気たっぷりのご夫人は何か目的だ? と勘ぐりつつ、楽しく食べてしまおうと部屋に連れ込んだ。何もする前に、さり気なく逃げられたけど、あれは私への罠か! 今日までマダム・ダリアは行方不明で、何も起きないし、調べても行方不明だと思っていたが……こういう事か! マダム・ダリアと抜け出したことを、レグルスは知っている。
「マダム・ダリア? おい、ユース……」
レグルスの顔は真っ青。で、私を睨みつけてきた。優秀な官僚にして、大親友に敵視されるのは困る。
「ひっ! フローラ! フローラ夫人! わる、悪かった! 次からはレグルスを仮面舞踏会になんて連れていかない! 一人で飲みに行く!」
「あら、そうですか。随分と遅い反省でしたね。約束は守りましょう」
「勿論だ」
冷ややかな声のフローラに引きずられる。振り払って怪我でもさせたら困るので、素直に従うしか出来ない。レグルスが、転びそうになりながら追いかけてくる。フローラは、不意に私から離れた。
「レグルス様、私がどんな気持ちで貴方を選んだのか、貴方の何を信じたのか、よく考えて、色々と思い出してから、お迎えに来て下さい。ユース様が御存知のように、ダリアは浮気なんてしませんよ」
澄まし顔で去っていくフローラ。そのまま、凛としつつも可愛い笑顔を門番に振り撒いて、東塔へと入っていった。レグルスは更に青ざめている。
「助かった。私はあんな恐妻は御免だ。励め、レグルス」
「ユース、例の伯爵とは誰だ?」
「さあ? 出まかせだと思うけど……。でも、まあ、フローラはモテるからなあ」
「おい、フローラを見張ってないのか?」
「いや、私はそれなりに忙しい」
「俺の妻だぞ! 見張れよ。どこぞの伯爵とかに、押し倒されたりとかしたらどうするんだ!」
「あー、まあ、なら、誰か付けておく」
「当然だ。で、早く俺とフローラを取り持て。ずっと怒ってる! 1ヶ月もフローラが居ないんだ! またしばらく王都へ来れない。フローラ不在が続くなんて気が狂う!」
私の両肩を掴み、揺らす、レグルスの燃え盛るような嫉妬の目付き。私とフローラ——マダム・ダリア——の事は疑わないらしい。良かった、友や忠臣の女には決して手を出さないという、日頃の行いのおかげだ。で、気が狂いそうなレグルスは自業自得。自分の浮気のせいなのに、何故そこを反省しない。だから、フローラは怒りを納めないのだろう。
フローラは怖い女性だな。ヒステリックに怒ったりせず、めそめそ泣きもせず、レグルスが自分を一番にしている自信を盾に、見事に夫の気持ちを自分に向けた。おまけに、私への報復も済ませた。というか、爆弾をつけられたかも。
私は妻の掌の上でコロコロ転がされているレグルスに揺すられ、睨まれながら、やはり結婚なんてしたくない。と思った。