王女、眠る
真夜中、イライラもやもやが続いて眠れないので、ユース王子本人に「ルタ王子へ、色気の無い青臭い小娘と話した理由」を直接聞こうと思った。
そうしたら、廊下で酔っ払いらしきサー・ダグラスが吐き、酔っ払いらしきミネーヴァに脈絡のない話をされるという、珍事件に遭遇。
サー・ダグラスの発した台詞が、脳内にずっとこびりついている。ミネーヴァの話は、ちっとも頭に入ってこない。
周囲の心配や真心を理解しているのに、偽の婚約者を用意してまで、頑なに「結婚は嫌だ」と逃げた理由。
ユース王子の心に住みつく女性は、何故亡くなってしまったのだろう? その人の影を追いかけて、色々な女性に手を出している? 刺し殺されそうになるって何? 疑問しか湧いてこない。私、ちっともユース王子のことを知らない。
ユース王子が、部屋に入ってきた。シャツに吐かれて、脱いだから、上半身裸。
扉にもたれかかり、微笑みを浮かべて、ミネーヴァを愉快そうに観察している。
騒動に全く動じない余裕さと、薄明かりに照らされる半裸。これが、色気というのものか、とぼんやりする頭で、変な感想を抱いてしまった。
しばらくすると、ミネーヴァは私の膝の上で眠ってしまった。ユース王子が近寄ってきて、片膝をつき、ミネーヴァの顔を覗き込む。ユース王子は、彼女を怒る気は無さそう。
「全く。ほら、起きろミネーヴァ」
ユース王子は、ペチペチとミネーヴァの頬を叩いた。割と乱暴な手つきが意外。でも、彼の目は怒っていない。
「貸してやるから寝台へ行け」
心底呆れている、というようなため息混じりの言い方。
「そこは私の位置だ」
そう告げると、ユース王子はミネーヴァを抱き上げた。冗談を口にするくらい、余裕があるらしい。
上半身裸の男性が、すやすやと眠る女性を寝台へと運ぶという光景は、何だか見てはいけないものみたい。
ミネーヴァがユース王子の部屋で眠ったら、彼はどこで寝るのだろう? ミネーヴァの部屋? 彼女、ミリエルと同室だったはず。
ミネーヴァに布団を被せたユース王子が、私の方へ体の向きを変えた。
「レティア。ダグラスの話は、昔の事だ。広めたい話ではないので、心の中にしまっておいて欲しい。特に、フィラントやエトワールには黙っておいてもらいたい」
微笑んでいるのに、なんだか泣いているみたいな表情。
「あの、何も分からないので、話しません……。誰にも……」
気になる話ではあるけれど、誰にでも触れられたくない事がある。ユース王子のあまりにも侘しそうな、悲しげな雰囲気を前にしたら、何も聞けない。
「そうか。ありがとう。部屋まで送る。少し待っていてくれ」
クローゼットを開けて、タオルとシャツを出すと、ユース王子は隣室へ消えた。部屋の作りは私の部屋と同じなので、洗面所だろう。
少しして、シャツを着たユース王子が戻ってきた。彼はクローゼットからガウンを出して、羽織り、私の手を取った。
私をエスコートする手は酷く冷たい。仄かに香る石鹸の匂い。吐かれたから、軽く体を洗って拭いたのだろう。
部屋を出る直前、ユース王子は何故か私を上から下まで眺めた。
「真夜中に、こんな格好で、どうして廊下に出た」
両肩に手を置かれ、顔を覗き込まれる。ユース王子は不機嫌そうに、唇を尖らせた。
「えっ?」
自分の格好を確認する。こんな格好……確かに寝巻き姿。様々な人が泊まる宿で、いくら二階が私達で貸し切り状態とはいえ、寝巻き姿で廊下に出るなんて、はしたない行為だ。
「いえ、あの……」
質問の答えを、言い淀む。「なんでルタ王子に色気の無い、青臭い小娘なんて言ったのか、聞きにきました」とは、言い辛い。
「散歩か? 寝れないとしても、寝台で目を瞑っていなさい。せめて読書とかだ。散歩なんて、朝にしなさい。このような姿、襲われでもしたらどうする」
真剣な眼差しで、お説教。私は、本当にユース王子の妹分になっている。
「いえ、あの、その……。でも、色気の無い、青臭い小娘なので……大丈夫です……」
心配は嬉しいし、お説教は有り難い。なのに、変な事を口走ってしまった。質問しにきたのに、自分で言うって……。
「悔しそうな顔をして、拗ねているのか?」
拗ねて……いる? 拗ねているのか、私。ユース王子に指摘されて、ストンと腑に落ちた。
「そうみたいです」
キョトンと目を丸めた後、ユース王子はくしゃりと笑った。微笑ましそうな眼差しが、くすぐったい。羞恥で体温が上がっていく。
「あの、何で……ルタ王子に……」
「ん? 話の流れだ。君は蠱惑的だと噂になっているらしい。そうなのです、と自国の王女を褒め称える宰相がいるか? 言い過ぎな上に耳に入れてしまって、すまない」
確かに、その通り。謝られたからか、シュルシュルとイライラが消えていく。
ポンポン、と頭を撫でられた。腰に手を回される。そのまま、部屋まで送られた。
「私が蠱惑的……。この国は、
女性をすぐ口説く文化らしいです。あの、先程も……」
酔っ払いに声を掛けられた話をした。ユース王子は呆れ顔をしている。
「いや、アルタイルも大して変わらない。君は可愛い。声も素敵だ。で、世の中の殆どの男はアホだ。酒が入ると更にな。自覚を持って、身を守りなさい。自己認識は正しく持て」
「正しく? 今までこのような事は無かったです」
「あっても自覚していないだけだろう。君の頭の中は日々の生活と、妹の事でいっぱいだからな。そもそも、視察の際にロクサスに一目惚れされておいて、無かったとはどの口が言う」
自室の前で、ユース王子に両方の頬っぺたを引っ張られた。
「ひはふほほひはあ?」
声が出せない。ムニムニ、ムニムニ、離してくれない。楽しそうなので、何となく手を払う気になれない。
「そっ。君の知らない話。だからロクサスの家に住まわせた。彼に恩を売って、弱点を作る為。まあ途中から、予想外の展開になってしまった」
ほっぺたからユース王子の手が離れる。
「今夜も泣くか?」
心配の眼差しが、恥ずかしくて、くすぐったい。
「いえ、すみませんでした。もう大丈夫です」
旦那様のことを思い浮かべると、胸は痛む。でも、涙はこみ上げてこない。仕方ない、としか思えない。
ユース王子がうんと泣かせてくれたから、心の整理が出来たのだろう。
「なんだ、今夜は君の寝顔を見られないのか」
微笑みかけられて、戸惑う。ユース王子は私の頭をずっと撫でている。何か言いたげな眼差し。
今の台詞の意図は何だろう? 見られないのかって、見たいの? まさか。でも揶揄いという雰囲気でもない。
何か喋りそうな様子なので、待ってみたが、彼は何も言わなかった。手が離れ、お休みと告げられる。
「ん? 何だ?」
私に背中を向けたユース王子が振り返る。私が袖を掴んだからだ。
「いえ、あの、何か言いたげでしたので」
「可愛なあと思って眺めていただけだ」
思ってもみなかった回答に驚く。それに表情も。ニヤニヤ笑いとかではなく、優しい微笑み。
「それは、ありがとうございます」
なんか、こんなの、恥ずかしい。ユース王子が変。
「月明かりの華は、今夜も美しい。侘しい心を満たして癒してくれる。ありがとう」
「えっ?」
頭を撫でられて、耳元で「お休み」と囁かれた。今夜二度目のお休み。ユース王子は私の部屋の扉を開き、入室を促した。
予想外の台詞で、頭がボーッとしている。ユース王子は真面目な表情。
「良い夢を」
頬に挨拶のキスをされた。妹分だと、こういう扱いをされるのか。え? でも私、アリスをこんな風に褒めたりとかしない。いや、今みたいなおやすみのキスはする。でも、おでこにだ。
ドクドクドク、ドクドクドク、と心臓が激しく鳴り響く。体も熱い。無性に恥ずかしい。
「あ、あの、ユース様も良い夢を」
「勿論。さあ、寝よう」
はい? ユース王子は私の手首を掴み、部屋に入ってきた。扉が閉められる。鍵をかける音もした。
「ユース様?」
「部屋を取られたから。でも、ミネーヴァの部屋にはミリエルがいる」
さあさあ、と手を引かれる。
「あの、ユース様?」
「ほらほら、早く布団に入れ。寝ないと疲れが取れないぞ。広い寝台で助かった。ミネーヴァの横だと、起きた彼女に襲われそうで心配。だからここだ」
ユース王子は私を抱き上げて、布団の中へ入れた。彼も入ってきた。
「あの、ユース様?」
「お休み」
サッと私の頬にキスをすると、ユース王子は背中を向けた。えっと、まあ、しょうがない、のか?
「あの……お休みなさい……」
返事は無かった。ほどなくして、ユース王子の寝息が聞こえてきた。私はというと、緊張で眠れない。男の人と二人で眠るって、いくら義理の兄妹でも……。
—— 知っているか? 人の体温は落ち着く。寝れるまでいるよ
不意に、この間のユース王子の台詞が蘇った。それから、先程の寂しげで泣きそうなユース王子の顔が浮かぶ。
亡くした女性を思い出して、辛いのかもしれない。そうか、それだ。今夜、彼は一人になりたくなくて、私を選んだ。そういうこと?
やがて、布団の中が熱くなり、私は微睡の中へ吸い込まれていった。
ユース王子は、やっぱり口説いても無駄か。もう少し押して……、無駄そうだしもういいや、それに押し倒すよりもデートが先だよな、と不貞寝しました。