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王子とドングリ 4

 飲み過ぎた。


「そんな、ダメです。夢は見たいけれど……きゃあ」


 ミネーヴァが。


「ダグラス、これは報告しておけ。流石に目に余る」

「当然です」


 ダグラスにおぶられて、きゃあきゃあ照れるミネーヴァは、まあ可愛いっちゃ可愛い。私が乙女の夢なのも、知っている。そしてミネーヴァが、もう乙女という歳でも無い事も知っている。

 何にせよ、反応が可愛くて面白いからと、揶揄い過ぎた。

 人通りの減った坂道を登りながら、宿へと向かう。春はまだ遠いというような、冷たい風が、酒で火照る体には心地良い。


「今回は小煩いアテナもいないので、異国の地で気が緩んだのでしょう」

「やっぱり報告しなくて良い。私が弱味として使う」

「それで良いなら、それで。酒場で年頃の娘が男を手玉にとろうなど、危なくて苛つくので、個人的に説教しておきます」

「勤務態度は気にならなくて、そっちは気になるのか。娘を持つ親は考えることが違うな」

「そこはほら、フェンリスに弱みを見せて、無事な者は少ないので。彼女は自業自得です」


 ニヤリ、と口角を上げたダグラスが言いたい事はこれだ。予想外の手駒が増えて良かったですね。

 確かに、その通り。ミネーヴァはしっかり者のようで、そうでも無かったらしく、勝手に自爆してくれた。まあ、私がディオクに信頼されている証拠かもしれない。


「押し倒されたって言っておくか。目撃者は誰が良いだろうな」

「ブロッケン辺りはどうです?」

「最近、近衛兵の事を把握しきれてないから任せる。名前を出したってことは、覚えて調べろって事だな。了解」


 サー・ブロッケン。心の中のリストに名前を加える。

 宿に到着したので、酔っ払いのミネーヴァが甘えて誘ってきたように装い、サー・ブロッケンに目撃させる、という割としょうもない小芝居の準備。

 ミネーヴァはディオクとエトワールのお気に入りなので、スパイになるかもしれない。


「夢らしいので、夢を見させてやっても良いのでは?」

「で、エトワールに報告して説教させるんだろう?」


 ミネーヴァを私の部屋のソファに座らせたダグラスは、肩を竦めただけだった。


「ユース様、飲み過ぎたようなので、お水をお持ちします」

「ありがとう、ダグラス」


 ダグラスは芝居を始め、部屋を後にした。

 酔ったユース王子に、水を持っていこうとしたが、自分も気持ちが悪いのでサー・ブロッケンに頼む。見当たらなかったら、他の部下。サー・ブロッケンは命じられて水を持ってきて、ミネーヴァが私を押し倒すのを目撃。そういう流れ。

 その罠に掛かるミネーヴァは、すやすや、すやすやと気持ち良さそうに眠っている。いくら何でも、これは気が緩み過ぎだ。


「むにゃむにゃ……ディオク様……」


 食べる気は全く湧かないが、食べたらディオクが怒るのか? 

 ミネーヴァとディオクの関係は、私とダグラスなどの一部の近衛兵達と似た主従関係の筈だが、実際はどうだろう?


「にんじん嫌いは……許しません……」

「ぶはっ。色気のある関係ではなさそうだな。確かに、ディオクはにんじん嫌いだ」


 笑える。クスクス笑っていたが、足音が近寄ってきたので、黙った。よし、演技と演出の時間だ。ミネーヴァの頬をぺちぺちと叩く。


「ミネーヴァ。可愛くて可憐なミネーヴァ。ほら、夢の時間だ」

「ん……ゆ、ゆめ……」


 彼女の脇に手を入れ、よいしょ、と持ち上げて自分はソファに寝転ぶ。


「サー・ミネーヴァ、酔い過ぎだ。気持ちは嬉しいが……っ痛! 痛い!」


 左足に激痛。セルペンスか! 思わず飛び起き、ミネーヴァを離して元の位置に触らせた。周囲を見渡してみたが、セルペンスらしき影は無い。

 次に襲撃してきたのは、またドングリである。ピシッと額に硬いものが当たり、ズボンの上にポタッと落下したドングリは合計3個。何故、ドングリ。どこからドングリ。


 視界の端、扉の隙間に人影を発見した。


 げっ、暗くて見えにくいが、あの輪郭はレティア。何故レティアが居る! お子様はとっくに寝ている時間なのに! 

 扉が大きく開き、ダグラスとサー・ブロッケンも居ると分かった。更にはゲオルグまでいる。表はダグラス、裏はゲオルグで、ずっとつけられていたのかも。


「ユース……様……何を……」


 レティアの小さくて、低い声にゴクリと喉が鳴った。


「ダグラス! ゲオルグ! 丁度良かった。酔っ払ったサー・ミネーヴァが、私を誘いに来たのだが、他の者と間違えたのだろう! 酒臭いから酔っているようだ!」


 廊下は明るく、こちらの部屋は薄暗いので、レティアの表情は不明。


「サー・ブロッケンまで丁度良い。私は非力で困っていた。彼女を運んであげて欲しい」

「……とめ、乙女の夢が叶うなんて、幸せ! きゃあ! ユース様、好きにして下さい!」


 中途半端に起きたらしいミネーヴァが、私に首に腕を回し、抱きついてきた。おい、このタイミングでこれは、ちょっと怒るぞ。

 引き離そうとしたら、ミネーヴァがソファから落下しそうになった。いっそ突き落としたいが、女性にそんな真似をしてはならない。腰に手を回し、転落を防ぐ。


「人違いではないようだが、ほら、この通り困っていて……」

「困って?」


 ますます低くなったレティアの声に、喉がヒュッと鳴る。


「そう、困って。ディオクの大事な部下には手を出さない」


 ミネーヴァをソファの背もたれに寄りかからせ、離れた。


「へえ、そうですか。ディオク様の大事な部下でなかったら、手を出すのですね?」


 レティアの声が、更に低くなった。


「揚げ足を取るな。目の前にステーキが出たら、基本的に食べるだろう? そういうものだ」


 ……。つい、いつもの癖で、言葉選びを間違えた。日頃の言動は、咄嗟の時に出やすいとは、まさにこの事。


「そういうものではありません! ユース様は違くても、普通は……」


 泣き声っぽいので、ミネーヴァをソファに放置し、扉へ近寄る。

 レティアは涙目で、不機嫌そうなしかめっ面。唇を尖らせて、ぶすくれている。こちらを見ない。

 乙女の嫌悪ではなく、やきもちなら良いのに。度重なるドングリの襲撃、セルペンス——多分——の噛み付きもそう。


 嫉妬ならこの顔も……可愛いよなあ……。


 仮にやきもちだとすると、自覚無しか? ロクサスの時も自覚が遅かったので、この超鈍感娘は無自覚、という可能性は十分にある。


 やきもちとは……可愛いなあ……。


 ……。


 ……。


 怖っ! ドングリに襲われ、蛇に噛みつかれるのに「可愛い」という感想を抱く自分が怖い! 


 無意識に人を監視し、縛るとは、恐ろしい小娘だ! 


 尻に敷かれるのは御免だ。レグルスのようになる。あんな情け無くなりたくない。

 それにしても、無自覚レティアをどうするか。いや、本当に無自覚か? 人は、都合の良いように物事を見る。


「今は誘われた側だし、断った。まあ、手を出したとしても、男なんてそんなものだ。怒る純情さは理解するが、君に何の迷惑がかかる」


 ハッと顔を上げたレティアの反応で、疑惑は確信に近づく。彼女は戸惑った様子を見せ、俯いた。


「何も……。そうですね、私には関係無いです……」


 不思議、レティアはそういう態度。嫌悪感ではなく嫉妬疑惑は増したが、さて、それならどうしたものか。


「なあ、レティア……」

「そうです。私には一切関係ありません! お好きにして下さい!」


 言葉がナイフになり、グサリと突き刺さる。ここは「何だか嫌な気分になるので、やめて欲しいです」ってメソメソしろ。そうしたら……分かったと即答する。

 キッと睨まれて、たじろぐ。この全く可愛くない表情は苦手。苦痛。胸がジクジクする。


「今夜は誤解だが、今後も控える。君がそんなに怒るなら……」


 ぽんぽん、とレティアの頭を撫でる。ここは、ゲオルグやダグラス、サー・ブロッケンに目配せをして二人を追い払い、もっとグイグイいく場面だが、そんな気が起きない。

 キスするとか、服を脱がすとか、そんな気が全然起きない。それより前に、またパフェを食べさせるとか、花束を渡すとか、そっちが先。夢見る純情乙女に対して、相応しい順序を守るべき。

 ……そうなのか。こんな少年みたいな恋心を抱いたとは、やっぱり頭がイカれている。まあ、悪い気分ではない。


「私が怒るなら?」

「ああ。今みたいに、可愛げのない顔で怒られたくないからな」


 レティアはいきなり、パァッと顔色を明るくして、はにかみ笑いを浮かべたので、少々照れた。見たいけれど、直視し辛い。


「エトワール様と同じ、元気に働く原動力ですか? 私も? そうでした。お兄様ということは、妹ですものね。エトワール様も、今の台詞を聞いたら、きっと喜びます」


 なんか、話が違う方向へ転がった。


「真面目に、本気なら良いですからね。ユース様にこそ、支えてくれる方が必要ですもの」


 コロリ、と機嫌を治すと、レティアは私にコップを手渡した。背中を向けて、遠ざかっていく。

 嫉妬ではなく、純情娘の単なる嫌悪感なのか……。エトワールと同じ人種なだけとは、浮かれて損をした。いや、でも先程の反応は……。


「ああ、アンリエッタ・ハフルパフ公爵令嬢は本当に素敵な方でした。カール様も、本気なら反対しないと思います」


 振り返ったレティアの一言が、ブスリと胸に突き刺さる。


「真面目に本気など……ユース様は不遇で……」

「おいダグラス」


 酔いは冷めたと思っていたダグラスが、おいおい泣き始めた。


「サー・ダグラス?」


 レティアが戻ってくる。私はダグラスの背中に手を回し、耳元で「やめろ。君はもう寝ろ」と囁いた。


「あの頃、結婚を考えた方に手を差し伸べる権力や余裕もなく……出征後に死に別れ……。ユース様、このダグラスは分かっております! 未だにあの方を超える方と出会えず、死別も恐れていることを!」


 やめろ、と言ったのに喋りやがった。ゲオルグは黙って聞いているだけ。止めろよ!

 ダグラスは私の両肩を掴み、体を揺すってきた。酒が回って気持ち悪くなるから、やめて欲しい。


「もう宰相ですし、このダグラスを始めとした近衛兵一同が必ずや何もかもをお守りするので安心して下さい! フィラント様やエトワール様もきっとそれをお望みです!」

「あり、ありがとうダグラス。しかし、こういう話はベラベラしゃべ……」

「もうご夫人達に脅迫されるのは面倒です! 知らないところで刺し殺されそうになるのも困ります! エトワール様の言う通り、そろそろ落ち着いて下さい! 本当は一家団欒とか、子供とか、欲しいのですよね!」


 相当鬱憤が溜まっていたのか、ダグラスは私をぶんぶん揺らした。おえっ。気持ち悪い。揺らすな。吐きそう。


「フィラント様やエトワール様は大変心配されております。いつもご自分の事を後回しにするからです。ユース様……気持ちが悪いです……」


 そりゃあ、ここまで分別を無くすまで飲んだらそうだろう。フィラントやエトワールと私の間に、板挟みにして、苦しめていたらしい。

 ダグラスは、うええええ、と吐いた。私に向かって。最悪だが、仕方ない。因果応報だ。

 まだ無事そうな上着を脱いで後ろに投げる。

 吐瀉物をシャツで受け止め、床をこれ以上汚さないように丸め、シャツを脱ぐ。

 ダグラスを壁際に座らせ、サー・ブロッケンから受け取ったコップを差し出した。


「飲めるか? 気苦労をかけ続けて悪かったダグラス。サー・ブロッケン、掃除の手配を頼む」

「あ、あの……かし、かしこまりました!」


 思わぬ秘密を知ってしまった、というような気まずそうな表情のサー・ブロッケンが、慌てて駆け出す。


「うっ……。すみません……」

「君をここまで潰すまで間に立たせていた私のせいだ。ほら、謝罪はいいから飲め」


 すみませんを繰り返すダグラスに、水を飲ませる。


「サー・ダグラス、大丈夫です?」


 レティアがしゃがみ、ダグラスの顔色を窺い、彼の背中をさする。


「おめ、お召し物が……よご……」

「情け無いのと、汚したくないそうなので、私の部屋に入れレティア。ミネーヴァが心配だから、みてくれ」


 このまま、勝手に話されたまま、明日を迎えるのは嫌なので、レティアを自分の部屋へ促す。彼女は素直に私の部屋へと入っていった。真夜中に、なんて面倒事。


「自業自得とはこういう事ですね」

「ゲオルグ、静観していないで、ダグラスの世話をしてくれ」

「職務範囲外です。潰したのはユース様です。こんなに心配をかけて。困った方だ」

「おい、ゲオルグ。本気で教育係をするつもりか?」

「流石に、ここ数年のユース様を見たら、メテオーラ様が悲しまれるかと思いまして」

「母上は果報者だな。死後何年も、心変わりしない忠臣がいるなんて」

「ええ、メテオーラ様は生涯の主。死に際に、二人の息子を頼まれました。他にも何人もの者が。ユース様、それをお忘れなきよう」


 グシャグシャ、と私の髪を撫で回すと、ゲオルグは去っていった。

 義母の名を出すとは、本気だ。あちこちから、自分を大事にしろなんて包囲網。何故だ。私は好きに、自由にしてきたし、ほぼ何でも持っている。よってたかって、過剰な心配だ。


 サー・ブロッケンが戻ると、彼に全部押し付けた。自分の部屋に入ると、面倒事が増えていた。ソファの上で、ミネーヴァがレティアに管を巻いている。


「それでですね、ディオク様はいつまで経っても、人参を食べません」

「は、はあ。そうなのですね……」

「エトワール様はいつまで経っても新婚気分で、大量の砂糖を口に入れてくるのです。あれはもう嫌がらせですよ!」

「そ、そう、そうなのですか」

「全く、ディオク様はあの人参嫌いを直すべきです」


 酔っ払いミネーヴァの愚痴を聞かされているレティアは、相槌を繰り返している。


「はあ、もう、なんでこの愛くるしいミネーヴァがいつまでも独身なのよ! ふっ、お前は色気よりも食い気だなあ⁉︎ はあああ?」

「あ、あの、何の話です?」


 眺めていると面白いし、ミネーヴァが自爆を続けるので、観察するか、と扉に寄り掛かった。


「ユース様の調査は……私には荷がおも……。拾ってくれたのに……役立たず……」


 失態を晒し続けるのかと思ったら、ミネーヴァはレティアの膝にポスンと倒れ込んだ。王女の膝で眠るとは、とんだ女騎士だ。

 彼女は私とディオクの板挟みで潰れたのか。そんなそぶり、見せていなかったので意外。

 拾ってくれたのに、役立たずか。ミネーヴァは元泥漁り。その傷は何年経っても消えないし、救世主は永遠に救世主だろう。その気持ちは良く分かる。


「拾って……? ミネーヴァ?」

「んん……。お風呂なんて……初めて……」


 近寄り、幸せそうな寝顔のミネーヴァを見下ろす。ディオクに教えても「悪かったミネーヴァ」で終わりだろうな。私も彼女を咎める気にならない。

 自覚してか無自覚かは知らないが、それを見抜いて、彼女はここまで酔っ払ったのだろう。酒は恐ろしいな。


「全く。ほら、起きろミネーヴァ。貸してやるから寝台へ行け。そこは私の位置だ」


 ……ん?


 何か、今、本音が漏れた。


 私も酔っ払いか。まあ、人は、嘘だけでは生きていけない。


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