王女、うなだれる
出会った頃と、今のユース王子の雰囲気は随分と違う。レストランで向かい合って食事をしながら、ついぼんやりとしてしまう。
上品な手つきで、ローストビーフを口に運ぶユース王子は、全くピリピリしていない。笑顔も嘘くさくないし、目の奥の冷たい光も消えた。
自分はすっかり、ユース王子の身内に認められたのだと、実感する。何を考えているのか分からない事は多いが、何が大事なのかは分かり易い。
内側に入ったから感じる。ユース王子は好き嫌いが激しく、人間関係に完全に優劣をつけている。それが、彼の笑顔の中に含まれている刺や冷たさ。
「ん? 気疲れで食欲が無いか?」
「いえ、あの、美味しいのでゆっくり堪能したくて」
向かい側に着席するユース王子と目と目が合い、少し緊張。前は失態をするのではと畏れて緊張していたのに、今は違う。
甘やかされ慣れていないから緊張する。旦那様が私やアリスに親切だった時と同じ、戸惑いと感謝の念で胸がいっぱい。
ユース王子の手駒から、アルタイル王族、つまりはユース王子の身内の付属物になった私に、ユース王子は物凄く甘い、と感じる。私がアリスにしてあげたいようなことを、私にしてくれる。
割と庶民的な店を選んでくれたのも、大皿から取り分ける料理を注文したのも、私の為だろう。いや、私達か。アリスとオリビアは、何種類もの料理に、とろけるような顔をしている。
—— 姪や娘が欲しかったから、君の事をそう思うことにするよ
—— あの嵐の日、正直嬉しかった。
——自分だけは頼れると言われて、駒だった君は、今は私の大事な者の一人だ
くるくる、くるくる、くるくる、ユース王子が贈ってくれた、気遣いと優しさ、そして信頼の台詞が頭の中を飛び回る。
幸せで胸がいっぱいで、食事が喉を通らない。ダバリ村のシャーロット・ユミリオン男爵令嬢のままだったら、今頃灰をかぶって暖炉掃除をしたり、凍える寒空の下で水汲み中だ。
そうだ、アリス。アリスは親に隠れていつもこっそり私を助けてくれた。汚れるし、大変だし、学校の宿題もあるし、見つかると激怒されるのに。
「アリス、美味しい?」
「はい、お姉様」
隣に座るアリスは、実に嬉しそう。親から引き離してしまった事には心が痛むが、あんな親だ。
義理の娘だった私への仕打ちは理解したが、なら何故血の繋がるアリスに食事抜きだとか、厳しい折檻をした?
あの二人は、いつも自分達が一番だった。そして、見栄えが大切。食事よりも服飾品。娘の腹を満たすよりも金。私は養子だったから、と理由を理解したけれど、なんで実の娘にまで……。
「お姉様……?」
「へっ? ああ、あの、良かったわね、と改めて思って」
「ええ、とても美味しいお店です。それに、こんなに沢山。だから、あの、お姉様? 勧められても、こんなに入りきらないわ」
私は無意識にアリスのお皿に、料理をあれこれ準備していたらしい。しかし、アリスの目の前には肉料理、魚料理、そしてサラダまで全部揃っている。
手元を見つめ、自分が食べられる量なのか、自問自答。私、まだ自分の取り分けた分を食べ終わっていない。
「丁度欲しかったので、ありがとう」
ユース王子が私の手から、料理皿を取っていった。
「あの、またお肉に……」
「構わないさ。ここの料理は食欲をそそられる」
代わり、というようにユース王子は空のワイングラスを私の方へ傾けた。肉なら赤ワイン、とワインボトルを手に取り、酌をする。
「お姉様も飲みますか?」
私の隣に座るオリビアが、ワインボトルを両手で持ち、問いかける。こちらは白ワイン。お酒は飛行船で初めて飲んだ。白ワインは美味しい。しかし、その後は大変。飲むか悩む。
「少しにしなさい。深酒は毒だが、軽く飲むだけなら、人生を彩ってくれる」
「はい。ご心配、ありがとうございます」
ユース王子の目で促され、オリビアは私のワイングラスへワインを注いだ。初めて飲んだ白ワインとは異なる、フルーティな香り。
口を付けると、かなり甘かった。まるで、ジュースみたい。けれども、喉元を過ぎる時の熱感は、お酒だという証拠。
美味しい料理に美味しいお酒。アリスもオリビアもニコニコ笑っていて、微笑むユース王子の雰囲気も穏やか。
こんなに素晴らしい食事というのは、至福以外の何物でもない。東塔での食事は似ていたけれど、自分は招かれたお客様で、緊張も激しく、異物感があった。今は、全然ない。
注文した料理が全部なくなると、フルーツとデザートを注文することになった。私はお腹も胸もいっぱいだけど、アリスとオリビアは「甘い物は別腹」らしい。育ち盛りは、沢山食べた方が良い。
注文後、しばらくして、チョコレートケーキ、林檎のタルト、それからイチゴの「パフェ」という聞いた事のない名称のデザートがテーブルに並んだ。二人分なのに、三人前。
パフェが凄い。ジュース用のグラスに、シャーベットやケーキ、クリーム、イチゴ、クッキーなどが山盛り。お腹が空いているときに、是非食べてみたい品だ。
アリスとオリビアの目はさらに輝きを増し、はちきれんばかりの笑顔になった。
食後のお茶は、知らない名前のハーブティー。おすすめ、と書いてあったので、それにした。
アリスとオリビアは流星国産の紅茶で、ユース王子はコーヒー。静かにコーヒーカップを口に運ぶユース王子は、とても絵になる。
口を閉じて、静かに遠くを見つめるような様子だと、まるで知らない人のような雰囲気。
入店してからというものの、女性客がひそひそ、ひそひそ、ユース王子を褒める声が耳に届き続けている。当の本人は、それに対して、微笑みを返す。社交界の貴公子、というのはこういう所だろう。
「レティア? そのハーブティー、口に合わなかったか?」
「いえ、とても美味しいです。柑橘系のような香りが落ち着きます」
私に微笑みかけるユース王子は、自分の眉間を指でトントンと叩いた。私、眉根を寄せていたらしい。慌てて笑顔を作る。
私はどうして、指摘される程の渋い顔をしていたのだろう?
注文のたびについ計算してしまった、夕食代の金額が気になっているから、それだろうか?
「誰も居ないのだから、愛想笑いや遠慮なんて必要無い。リトルプリンセス達を見習うと良い。実に……良い食べっぷりだ」
ユース王子のクスクス笑いに、アリスとオリビアは手を止めて、頬を赤らめた。
「子供は食べるのが仕事だ。良く働いてくれたそうだから、好きなだけ食べなさい」
「いえ、あの、つい……」
「つい? ほらほら、淑女は口にクリームをつけない」
ユース王子がナプキンを手にして、アリスの頬に手を伸ばす。口元を拭かれたアリスは、真っ赤になった。
「狡いわアリス! 私だって素敵な王子様に……」
微笑ましそうに笑うユース王子が、今度はオリビアの頬を拭いた。何もついていないのに。ナプキンをテーブルに置くと、ユース王子はパフェ用のスプーンを手に取り、クリームとイチゴ、それにシャーベットをすくった。一口味見するようだ。
「どうせ税金がどうとか、考えていたのだろう」
「何故分かるのですか?」
「やはりそうか。そうか……」
少し考えるように俯いて微笑むと、ユース王子はスプーンを私の口へ入れた。あれ? 反射的に、口を閉じてしまった。
「んんっ」
クリームはふわふわで、甘ったるい。けれどもイチゴの程良い酸味で緩和される。そこにシャーベットの冷たい食感。シャーベット? シャリシャリしていなくて、滑らかで、ミルクの味がする。これ、シャーベット? 何にせよ、パフェって、素晴らしい食べ物。
「このような店で満足してくれて助かる。それに、持ってきたものを売るので、何も気にするな」
ユース王子は、イチゴパフェをもう一つ注文した。遠慮ではなく、お腹いっぱいなだけだったけれど、私はパフェをペロリと食べ切ってしまった。
レストランを出る時には、酔いもあってか、すっかり夢見心地。眠たそうなアリスとオリビアと手を繋いで、馬車へ乗り、宿へと向かう。アリスとオリビアは馬車に揺られて、すぐに眠ってしまった。
窓の向こうの大通りは、青白い光の街頭に照らされている。人の往来は多く、テラス席で食事をする人々や、出店で買い物をしている者達が沢山。
「月がこんなに高いのに、流星国は眠らない街ですね。夢の国みたい……」
「光苔だろう。栽培可能らしいので、調査して帰るつもりだ」
窓の外の景色に浮かれていた気分が、シュルシュルと萎む。私、観光気分だった。
「あの、すみません」
「何故謝る」
「私、単に浮かれていて……」
「そうか。なら、同じだな。張り切って働いてやっても良いか、と思うくらいには、私も気分が良い」
子供っぽい笑みを浮かべると、ユース王子はくしゃりと髪を掻いた。
「今夜は、ここ最近で一番落ち着く夜だ」
「そう、なのですか?」
「ああ。ありがとう」
ふいっと顔を背けると、ユース王子はそれきり黙り込んでしまった。何に対して感謝されたのだろう?
ここ最近で、一番落ち着く夜。
私達との夕食を、そんな風に思ってくれたのか。ユース王子は子供が好きなのだろう。確かに、始終微笑ましそうにしていた。甥の クラウス王子も、とても可愛がっていると聞いている。
宿へ戻ると、ヘイルダム卿とヴィクトリア、騎士が出迎えに来てくれた。
アリスとオリビアは騎士達に運ばれ、ユース王子が私を部屋までエスコート。何だか、あっという間に1日が過ぎた。
おやすみなさい、とユース王子とお別れ。去り際、ユース王子は私の頭を撫でていった。近頃、何回も同じ事をされている。私はこれまでの経緯で、ユース王子の妹分の地位を確立したようだ。
お世話をされるのは慣れないので、一人でお風呂に入り、髪の毛の手入れだけヴィクトリアにしてもらう。
鏡台の前に座り、タオルで丁寧に水分を取ってもらい、オイルを塗ってもらい、櫛で梳かしてもらう。いかにもお嬢様、王女様という高待遇。ちっとも慣れないけれど、とても嬉しい。ヴィクトリアみたいな事をしてくれる、お母さんがいたら良かったな、なんて密かに思っている。だから、私は出来る限り、アリスにお世話をしてあげたい。
お風呂に入る前に鏡台に置いた、ピンク色のサザンカを眺め続ける。
「ハンナ夫人やコルネット夫人に捕まってしまい、お近くにいられなくて心配していましたが、他国の王女様方と親しげにしていて、安心しました」
「見守っていてくれたんですね。ありがとうございます」
「ええ。それにしても、楽しかったようで、何よりです」
鏡越しに、ヴィクトリアと目が合う。街行く親子、母親が子供に向けるような眼差しが、くすぐったい。
私は今日出会ったお姫様の話や、何をしたのか、それから夕食の時の事を語った。
多分、幸福とお酒だ酔っている。このように饒舌にお喋りする自分は珍しい。
「それで、ユース様が似合うだろうって、飾って下さいました。このままだと、すぐ枯れてしまうのかしら……」
花弁がくたっとしているサザンカを、指で触ろうとして止める。触ったら、ますます枯れに拍車が掛かるだろう。
「器を借りて、水に浮かべましょうか。そんなに嬉しかったのですか?」
「ああ、そうすれば良いので……そんなに?」
振り返ると、ヴィクトリアは肩を揺らして笑った。
「ええ。私、ユース様の妹として認められたようで、甘やかされていて、それはとても有り難くて嬉しいです。変ですか?」
ヴィクトリアは目を細めて、首を少し横に傾けた。
「そう、ですか。まあ、そうですか。変ではありませんよ」
「そうですよね。良かった。それにしても、ユース様ったら、甘やかすだけではなく、気を許して暴言も吐くのですよ」
不意に思い出して、もやもや、苛々した。
「暴言、ですか?」
花に罪はないが、私はサザンカを睨みつけた。
「色気の無い、青臭い小娘だそうです。何の必要があって、ルタ王子に……。確かに、私は色気の無い、青臭い……」
鏡に映る自分の姿を確認し、また納得する。童顔だと思っていたら、見栄っ張りの義両親が3歳もサバを読んでいた。20歳として暮らしていたのに、17歳か。鏡の中の自分は、確かに、小娘だ。
「ふふっ、それでしたら明日は少し背伸びした格好にしましょう」
「背伸び?」
「悔しそうなお顔ですからね。黄昏国の方々とドレスや装飾品の交換する話は聞いています。同じ時間、場所で支度をするので、遅刻しないように今夜はゆっくりお休み下さい」
終わりました、というように、ヴィクトリアが鏡台に櫛を置く。彼女はそそくさと部屋から去り、サザンカを浮かべる器を借りてくれた。
それで、アリスやオリビアの眠る、隣の寝室へと下がった。
——過剰に構わない。誰もいないからもう喋る。姫、今夜も歌う?
ぼんやりと、水に浮かぶサザンカを眺めていたら、セルペンスが私の体のあちこちをシュルシュルと這った。
「くす、くすぐったいわ」
——姫が楽しいとセルペンスも楽しい
「そう。ありがとう。それにしても、本当に歌が好きね」
私は窓辺に移動して、窓を開いた。生地の厚い寝巻き、お酒や体を清めたお湯のおかげで、とても温かい。
これまでの人生で、こんなに歌った事はないというくらい、最近歌っている。今夜は正直楽しい。煌く星空を眺めるのも、いつの間にかとっても好き。
今夜は、頼まれなくても歌いたい。体中が、幸せで満ち溢れていて、それを表現せずにはいられない。
「季節が巡っても……」
知らない旋律が、込み上げてくる。
「無くならない……」
——おかえり。また手を取り合える
誰だろう? 知らない女性の、柔らかで穏やかな歓迎するような声。私は妙な存在だか、この国も変。世界は謎と不思議に満ちているらしい。
「闇夜の……」
見上げた夜空は、深く、広く、暗い。けれども、無数の星が、負けじと光を放っている。国が変われど空は同じなのに、見上げる夜空は、懐かしくて仕方がない。
「美しい流星……」
流れ星……。流星は願いを叶えてくれる……か。窓枠に乗るセルペンスが、楽しげに体を揺らす。
「美しいのは貴女です! 可憐な夜の妖精よ、どうか地上に降りてきて下さい」
へ? はあ?
いつの間にか閉じていた目を開き、声の方向を見下ろす。青白い街灯の明かりに照らされる、膝をついてこちらに手を伸ばす人と、その人を見つめる、男性らしき人物が二人。
ここは二階。街灯で割と明るい。小さく歌っているつもりが、目立っていたのかも。
「おい、突然なんだ。この酔っ払いが!」
「あはは! 振られてヤケになったのか!」
「煩い黙れ! 邪魔をすると馬に蹴られて死ぬからな!」
「あのー、こんな男よりも、俺とデートしませんか? ロビーで飲み物をご馳走させて下さい」
膝をついていた人と、別の男性が手を振ってきた。
分かった。この国は、こういう国なのだ。少し気になれば、すぐ女性に声を掛ける文化。きっとそれだ。だって、こんな事今まで無かった。
「すみ、すみま、すみません!」
慌ててセルペンスを手に乗せ、窓を閉めて、カーテンも閉じる。
心臓がバクバク煩い。星空乙女の次は、夜の妖精……。悪い気はしないが、妖精と言うと、我が国の「星の妖精エトワール妃」しか出てこない。この国の褒めは、過剰。私も王女様達への称賛は、大袈裟なくらいにした方が良いのだろう。学べて良かった。
気まぐれに声を掛けてきた人の事は忘れて、寝てしまおう、と布団に入る。
—— 色気の無い、青臭い小娘
急にユース王子の暴言が蘇り、眠れなくなった。
部屋をうろうろ、うろうろしながら、時折自分の姿を鏡で確認。正論だけど無性に腹が立つ。気まぐれだとしても、男性に声を掛けてもらえるのに、青臭い小娘!
褒めてくれる方もいるのに、他国の王子に、妹分の暴言なんて、何で言うんだ。
もやもやイライラし過ぎて、眠れそうにないので、私はクローゼットにしまわれたドレスや寝巻きを出して、姿見の前で合わせた。
エトワール妃や彼女の侍女達、ヴィクトリア、ペネロピー夫人の全員で見立ててくれた服は、色合いもデザインも私に合っているように思える。
……色気って何だろう?
胸の大きさ?
胸は、無い。王都へ来てから太って、少しは膨らんだような気のする胸は、ティア王女の半分以下。自分の手で覆うと、すっぽり隠れる。
——姫、繁殖期?
「繁殖期⁈ ち、違うわ! その単語、使わないで!」
——変なの
確かに。真夜中に肌着になって、何をしているんだ。セルペンスの声に、私は「そうね」と頷き、うなだれた。セルペンスが床から私を見上げ、同じようにシュンと萎れるように伸びた。