王女様、不機嫌からの上機嫌
体調が良さそうなら、招待客達に紹介するから、談話室でのんびりしましょう。そうティア王女が誘ってくれて、とても嬉しかった。
機嫌の良さそうなルイ宰相の姿を、廊下で見つけた時は、そっと物陰に隠れた。あの人苦手。ティア王女も手伝ってくれて、とっても安心。
それなのに、談話室の出入り口で、こんな発言を耳にしてしまった。
「恵の聖女は噂の絶世の美女ではなかったけれど、確かに蠱惑的。聖女には良い男をあてがわないとならないから、蛇神が目に見えない魅了の粉を彼女に振り撒いているのだろう、らしいです」
「褒められて光栄です。私には色気の無い、青臭い小娘に見えるのですが、そうですか……」
呆れたようなユース王子の台詞に、ムカムカ、もやもやする。
「あらあら、まあ……。レティア姫? 今のはきっと……」
「お気遣いありがとうございます。事実なので仕方ありません」
色気の無い、青臭い小娘。色気の無い、青臭い小娘。色気の無い、青臭い小娘。同じ言葉がぐるぐる、ぐるぐると脳内を回る。
ユース王子は、誰と、何の話をしているのだろう?
談話室を覗き込むと、ユース王子の隣には凛とした佇まいの、褐色肌に黒髪の青年が立っていた。意志の強そうな眉と、紫がかった瞳が印象的。
「いくら謙遜するにしても、そこまで言わなくても。素敵な光の瞳をされていますから、そこでしょう」
「いや、正直な個人の感想です。服を脱がす気なんて全く起きません。まあ、目は……ありがとうございます」
私の頬は、勝手に痙攣した。服を脱がす気なんて全く起きません⁉︎
色気の無い、青臭い小娘、服を脱がす気なんて全く起きません。色気の無い、青臭い小娘、服を脱がす気なんて全く起きません。色気の無い、青臭い小娘、服を脱がす気なんて全く起きません。
同じ言葉がぐるぐる、ぐるぐると脳内を回り続ける。
「噂の絶世の美女ではなかっただなんて、きっとリシュリだわ。口が軽くて、失礼な事がありまして。申し訳ございません。ルタ様もこのように扉のない部屋で、無防備に噂話を語るだなんて……」
「絶世の美女ではなかったは、その通りです。長年レティア王女として育てられた、兄ディオクはその噂の絶世の美女でしたけれど、私は……。それより、ユース様……。色気の無い……青臭い……服を脱がす気なんて……」
チラリ、とティア王女を見て、上から下まで眺めて、納得。確かに、私に色気なんて皆無。
ティア王女のたわわな胸とか、柔らかな曲線の腰だとか、そもそもの顔立ちなどと比べても、雲泥の差である。
しかし、ユース王子の発言には、イライラもやもやする。
「あら、そちらの方が気になるのですね。髪型とドレスを変えてみます? 私の贈ったエンパイアドレスは良く似合っていますけれど、エトワール様の従者用に仕立てたカジュアルなものですし」
私が着ているエンパイアドレスは、確かに元々「エトワール妃付き侍女」へ贈られたものだ。このような質問は想定済み。
「いえ、あの。あまりに素敵なので、欲しいとねだったのです。とても気に入っています」
「それは嬉しい。なら、変えるのは髪型と化粧ね。背伸びをしたい年頃ってあるもの」
さあ行きましょう、とティア王女が私の腰に手を回す。背伸びをしたい?
「————。心配なので、様子を見てきます。失礼があっても困りますし」
ティア王女との会話の途中に、ユース王子の台詞が耳に飛び込んでくる。次の瞬間、ユース王子は私の目の前に飛び出してきた。
目が合うと、ユース王子はくしゃりと微笑み、私の頭を撫でた。彼の視線は、すぐにティア王女へと向けられる。
「ティア王女、レティアに良くしていただいているようで、ありがとうございます」
——繁殖期の匂いだ。繁殖期はお祭り。だから歌おう姫
また繁殖期! 叫びそうになるのを、奥歯を噛んで堪えた。私の手首に巻き付くセルペンスは、ジッとユース王子を見上げている。
そのユース王子は熱心にティア王女を見つめて、へらへら笑い。
こんな分かり易く、デレデレ、デレデレするなんてみっともない!
「ああ、レティア様。こちらにいらっしゃったのですね。もう歩けるとは良かった。しかし、まだお加減が悪そうですね」
背中にぶつかった声に、体がビクリと竦む。振り返ると、やはりルイ宰相だった。心配そうな眼差しは有り難いけれど、過剰なくらい迫ってくるから苦手。
お加減が悪そう? 違う。体調はとっても良い。倒れたなんて嘘みたいに良い。悪いのは機嫌だ。ユース王子の言動で、イライラ、もやもやしている。
「いえ、悪いのは機嫌です」
「へっ?」
「えっ?」
しまった。つい本音を口走ってしまった。私って、時折こういう失言をしてしまう。首を横に振り、ルイ宰相へ否定を伝える。
「ル、ルイ様の事ではなく……。ユース様がティア様にデレデレみっともないと……」
ユース王子を見上げると、勝手に眉間に皺が出来た。ユース王子はいつもの笑顔の仮面を被っている。しかし、目は怒っている気がする。自分の国の宰相を貶めてばかりなので、当然だ。
でも、ティア王女に失礼だ。私にも暴言だし……。
「確かに、私は色気のいの字も無い、青臭い小娘ではございますが……」
自分で謙遜してみて、謙遜ではなく事実だと、再度思い至る。目の前に、色気のある、青臭くない、絶世の美女がいるから納得する。
それなのに、こんなにイライラもやもやするのは何故だろう?
「色気が無い? そのような事を誰が……いや、まあ、ほら、清楚可憐な乙女とは真逆の魅力ですから、気にしなくて良いと思います」
「えっ?」
ルイ宰相の今の発言は、私は色気の無い青臭い小娘だと、肯定したようなもの。視線がぶつかると、ルイ宰相の目が泳いだ。最初は笑顔だったが、今は失言に気がついた、という気まずそうな表情である。
「よってたかって何ですか。レティア姫、行きましょう? 私達で見返せるようにします。ルイ、明日の舞踏会で慄きなさい。きっと自業自得になるわ」
プイッと顔を背けると、ティア王女は私と腕を組んで、歩き出した。
「ティア、今のは言葉のあやというもので」
「リリ姫達と約束をしておりますので失礼」
掌をルイ宰相に向かって、シッシッと払うと、ティア王女は廊下をずんずんと進んでいった。
振り返ると、ユース王子はにこやかに微笑んでいるだけ。私に向かって、ヒラヒラと手を振っている。
「私達、名前がほぼ一緒って運命的よね。妹みたい。兄しかいないので、妹って欲しかったの。ミラ姫も来ていて、楽しい予感しかないわ」
ティア王女は鼻歌混じりで、機嫌良さそう。美人で、優しくて、世話を焼いてくれて、親しみやすいって、エトワール妃と同じ。運命的とか、妹みたいなんて、お世辞でも嬉しい。
「私も妹が欲しくて、侍女見習いにお姉様と呼んでもらっています」
この方なら、変だとか、おかしいなんて言わない。そういう確信がある。
「オリビアさんとアリスさん? 二人にね、ミラ姫のドレスを選んでもらっているの。異国文化は絶対に役に立つと思って」
ミラ姫はティア王女の親友、ルル姫の妹で、明日が社交場デビュー。とても緊張しているらしい。
そう説明されて、ティア王女に連れていかれた場所は衣装部屋。アルタイル城の衣装部屋と違って、かなりこじんまりとしていた。
ドレスがズラリと並ぶとか、装飾品用のタンスや箱が山積みでもない。
花や蔓が彫られた生地の鏡台と姿見。部屋内のカーテンは真紅。それからソファにテーブル。
部屋に番号がふってあったので、衣装部屋とは、来賓者用の着替え部屋なのかもしれない。
招かれた衣装部屋では、灰色がかった金髪の、おっとりとした雰囲気の小顔の女性が場の中心にいた。彼女がミラ姫だろう。肌着にガウンを羽織っている。
アリスとオリビアと年が近いのかと思っていたが、ミラ姫は私と同年代に見える。アリスとオリビアは、ミラ姫から少し離れたところに並んで立ち、ドレスを手に持って微笑んでいる。いや、二人は横目で互いを睨み合っている。アリスとオリビアを挟むように、二人の女性が、立っていた。
「このようなお顔立ちなら、ピンク系でまとめるべきです」
「いいえリリー姫、ピンク系はミラとは無縁のものよ。甘ったるい女性らしいものは苦手って、避けてきているもの。絶対にこの薄いヴァイオレットのドレスよ」
「あちらがルル姫とリリー姫。真ん中がミラ姫よ。それにしても貴女達の侍女達は、何処へ行ったの? 遠方からのお客様に、ドレス持ちなんてさせて」
ティア王女が、輪の中へ入っていく。とても自然に場の中心位置に立った。
「マナー講座の講義を受けさせていただいているわ」
「私達、自分から頼みました! このような場で学べるなんて、大変光栄な機会ですので」
「王女様のドレス選びの場に居られるなんて名誉です」
「そう? まだ若いのに向上心の塊ね。まあ、王女付き侍女の見習いということは、そうよね。ルル姫、リリー姫、ミラ姫、こちらが例のレティア姫よ」
手招きされて、ティア王女へと近寄る。緊張でゴクリ、と喉が鳴った。
「小国アルタイル王国からまいりまし……」
「初めましてレティア姫。リリーです。こういう髪を烏の濡れ羽色というのよね? 東と言っても、お顔立ちは私達に近いわ。恵の雨乞いが出来るって本当ですか?」
「レティア姫、初めましてルルです。このドレス、流星国の染め物ね。ティア姫の贈り物です?」
自己紹介前に話しかけられた。しかも、二人から同時に。話しかけられた順に返せば良いのだろうか?
「お姉様、いくら興味津々だからって自己紹介を遮ってはなりません。レティア姫、初めまして、黄昏国のミラです」
「あら失礼、レティア姫。こちらは妹のミラです。明日、初めて社交場に出るので、ドレスを選んでいるの。どちらが良いと思う?」
「太陽国のリリーです。よろしくレティア姫。この二種類なら、当然ピンクよね?」
黄昏国のルル姫とミラ姫。太陽国のリリー姫。よし、覚えた。しかしながら、ドレス選択の正解が分からない。
「あの、初めましてレティアです。私なら……初めての場ではあまり目立ちたくないのと、緊張が紛れるお気に入りのものが良いですけれど……こちらの二種類のどちらかと決まっているなら、どちらも素敵で悩みます」
かしこまった自己紹介は不要そうだと判断。ドレスについては、二択だと正解が分からないので、逃げてみた。
「目立ちたくない? 社交場は戦場ですよ!」
「そうです。自国の威光を背負い、守り、有利かつ自分の好みの縁談相手を射止めなければなりません。敵もいますし」
リリー姫とルル姫に食い気味で来られて、返事の失敗を痛感。
ドレス持ちをしているアリスとオリビアが、それぞれ「こっち」というようにドレスを掌で示す。いや、あの、どっち?
「そういう話ばかり聞いているから、乗り気にならないのよね。お姉様、いつものドレスではダメです?」
「あのような地味過ぎる普段着は却下です! 貧乏国と呼ばれては名折れです」
「でも、見合わない無駄な贅沢をする国でも、不名誉ですよ」
「そうなのよ。そこが難しい所よ」
ため息混じりで顔を見合わせた、ルル姫とミラ姫の姉妹。連合国って、大変そう。
「そうだわ。ミラ姫とレティア姫のドレスを交換しましょう。両国の持ってきたドレスの中から、お互いに選ぶの。いつものステンノー派閥に嫌味を言われても、しれっと言い返せるし」
リリー姫がパンッと両手を合わせた。ステンノー派閥って何⁈ ミラマーレ対カーナヴォン派閥の事を思い出した。女の世界は大変、とはアリス談。
「あら、お噂のミラ姫は、感性が独特ですのね」
「独特? 異国文化ですもの。似合うわねって、あちらのレティア姫が貸して下さいました。ほら、例の、大鷲賢者が熱愛だという」
アリスとオリビアみたいな小芝居を、リリー姫とルル姫が始めた。おまけに、大鷲賢者が熱愛って、もう噂されているのか……。もうやだ、あの人。
「まあまあ、リリー姫、ルル姫。悪くない案ですけれど、ミラ姫は少々強気に見えますから、喧嘩になるかもしれません。あら、レティア姫。ルイ様との噂を聞いて、照れたのね。赤いわ」
「レティア姫、真っ赤よ。でも嫌そう」
「ルイ様の噂って本当?」
リリー姫とルル姫の好機の瞳にたじろぐ。
「いえ、あの……。ルイ様は、私は色気が無いと、そうおっしゃっていたので、黒髪とかが、単に物珍しいのでしょう。それか揶揄いです」
どういう事? と尋ねられ、答えに困っていると、今度はいつ知り合ったの? と問いかけられた。
しどろもどろ、説明をすると、リリー姫とルル姫は顔を見合わせ、肩を揺らした。
「あの女泣かせのルイ様が一目惚れ! 明日は荒れるわ。ステンノー対策の為に、視察してきます。スパイよスパイ」
「援護は任せてルル姫。アリスさん、オリビアさん。ついてらっしゃい。覚えておいた方が良い人達を教えるわ」
アリスとオリビアは、元気一杯の声で「はい、お願いします」と返事をした。この二人、私と違って、心臓に毛が生えている気がする。
「ティア姫も行くわよね? ホストとして根回しの為に」
「ええ、まあ。そうね。噂や雰囲気を、事前にチェックしないとと思っていましたし」
私には分からない、目と目で合図をすると、三人はアリスとオリビアを連れて、衣装部屋から出て行ってしまった。「また後で、レティア姫。心配事を減らしておきます」と言い残して。
「あー、気が重いわ。レティア姫もとんだ日に来訪されましたね。それとも祭事に合わせていらっしゃったの?」
「いえ。お忙しい時期に来てしまったようで、反省しています」
「仕方がないですよ。先々週に西側で大雪があって、例年よりも遅くなりましたから」
ミラ姫、肌着姿にガウンのままでは寒そう。部屋を見渡して、何か出来ないか探す。窓際のサイドテーブルに、膝掛けを発見した。
「お気遣いありがとうございます。良かったら、あちらの暖炉の方へどうぞ。膝掛けをお持ちします」
「優しいのですね。むしろ、私こそお客様を立たせておくものではなかったわ」
そう口にすると、ミラ姫は私をソファへ促し、自分も膝掛けを手に取ってソファへ腰掛けた。向かい合って、ではなく隣同士に着席。同年代の女性と、こんな風に二人きりは初めてで、とてもドキドキする。
「私も目立つのは好きではないから、明日は一緒に隅にいません?」
「私は有り難いですけど、デビューなのに良いのです?」
「良いのよ。華々しくデビューなんてすると、鼻つまみ者になりそう。最近、北側のハフルパフ一派が怖いらしいの」
ハフルパフは公爵一族。メルダエルダ公爵一族と並び、どの国でも高い地位を占めている。その理由はドメキア王族の傍流。それは、頭に入っている。その知識に、北側のハフルパフ一派は怖い、と加えた。
ミラ姫とは同い年と判明。お互いの国での流行についての話になり、髪型やドレスの交換をしてみます? と自然と提案していた。
まずは髪型ということで、私は長くて艶やかなミラ姫の髪を、意気揚々と触らせて貰った。即位式の時の髪型を、必死に再現。少し違うけれど、華やかで、品良く出来て、我ながら満足。私、やはりお世話係の方が向いている。
「このような事を出来るなんて凄いわね。私は無理だから、貴女の髪は侍女に頼むわ。まだマナー講座中だろうから、どうしましょう。自分だけしてもらって……そうだわ。トランプでもしましょう。バックに入っているわ」
「トランプ? 本でしか読んだことないのですが、難しいです?」
「本でしか? トランプ、貴女の国にはないのですね。ジョーカー抜きゲームなら簡単よ」
ジョーカー抜きゲームは、最後にジョーカーを抜いた方が負けという、とてもシンプルなゲームで簡単かつ面白かった。
こうして、私に人生初めての友達が出来た。