女好き王子は逃げたい 5
談話室と呼ばれる、ソファの多い広間の一画。長椅子と長テーブルという、食堂にありそうな調度品。そこに座らされて、右側にルイ宰相。左側にフィズ国王。正面には、リシュリというルタ王子の第一側近。
男ばかりに囲まれて、おまけに距離も近いという、苦痛すぎる場所である。
そして話の内容。この権力者達と、野次馬を、ぺちゃんこに潰してやりたい。いや、する。絶対に弱味を見つけ、握ってやる。
「こちらとしては、月一の定例会議、それから半年に一度の連合国会議に帰国させてもらえれば構わない。本人がこれだけ熱心なので、受け入れてくれないか? 彼はそちらの国でも非常に役に立つだろう」
「さあ、ユース王子。このように得しかありません。多少険しい道ですが、私は成します。レティア様とお近付きになるには、国境を越え、海を越え、異国の地でしかと私の働き振りを見ていただかねばなりません」
婚約させろ。留学という名目で、ルイ宰相をアルタイル王国宰相補佐官にしろ。代わりに交易契約をそちら有利で締結する。
いきなり、そういう話を提示され、決断を迫られている。
「しかしルイ宰相。あのレティア様のつれなさ、強引に押すと逃げるんじゃないですか? ほら、いくらフィズ様が無理矢理結婚して、結果的に成功とは言え……未だにその成功理由は不明なんですよね? それって参考になります?」
相槌ばかりうっていた野次馬男の有り難い忠告を、ルイ宰相は即座に否定した。
「いいや、リシュリ。ルタ君とティアも似ている。ティアが押しかけ女房になって、ルタ君は折れたじゃないか」
「それは、ルタ様は最初からティア様を気に入っていたので全然参考になりません」
「最初から? そうなのか?」
ルイ宰相が振り返る。私も狭い中、なんとか首を後ろに向けた。
ソファに腰掛け、分厚い本を広げて眺める、無表情気味のルタ王子が、小さなため息をついた。
意志が強そうな凛々しい眉、黒髪短髪、瞳は菫青石に似た色で、顔立ちは似ていなくても、全体的な雰囲気がフィラントに似ている。
フィラントが「友人だ」と言い切る、数少ない人物。あの美味しそうなティア王女を手に入れた、羨ましい男性。
彼は味方なのか、敵なのか、傍観者なのか、固唾を飲む。
「寄ってたかって弱い者虐めなんてせずに、明日の舞踏会で正々堂々と求愛して下さい。自国を人質にされていきなり婚約させられるなど、とても可哀想です。義父上、いくら甥が可愛くても、貴方は反対する立場の方で、後押しなど困ります。ルイ宰相を大蛇連合国から出そうなど、連合国中で反対されます」
ここに味方がいた! 婿入り王子でも、義父にハッキリと意見を言える立場なのか。自分への問いかけは、サラッと無視。毅然とした態度は、大変好ましい。この雰囲気は、フィラントに似ている。
「ルタ君は逆の立場だったから、こういう気持ちは分からないのだろう。あのような女性は、急がないと、奪われる」
フィズ国王は引かないようだ。それにしても、レティアを寄越せ、ではないのは不思議。
「義父上、これは息子さんの言葉です。誰を選ぶかは本人の自由。自分は自分なりに、誠実に励むだけ。私は押しかけられたから妻を愛したのではなく、彼女の慈しみや真心に惹かれたのですよ。コーディアル様もきっとそうです」
真顔で愛を語るとは、フィラントとはまた少し違う性格。背筋を伸ばし、精悍な表情で堂々たる発言。この空気感は、男の自分でも惚れ惚れする。
「コーディアルが私をそのように?」
「ええ、私はそう聞いています。とにかく、義父上が賛成派なのは困ります。そういえば、アルタイル王国から献上された紅茶を、夫婦で飲みたいと聞いたような」
「そうなのか? それなら、すぐに淹れよう。コーディアルはきっと図書室だな」
敵が一名消えた。しかし、私やレティアの為ではない。フィズ国王の為だ。
義理の息子にこのようにあしらわれるとは、フィズ国王は聞いていた厳格な国王像とは随分と違うな。
「リシュリ。明日の晩餐会の座席表と料理の最終確認は終わっているか?」
「あー……はい。しかし、もう一度確認します」
興味津々という様子の野次馬も消えた。というか、何故混ざっていて許されていた? 愛嬌か? かなり憎めない雰囲気の、親しみやすい、官僚にしては珍しいタイプではあった。
ルタ皇子は本を閉じて、ゆっくりと立ちがった。短い距離なのに颯爽と近寄ってくる。
彼の一挙一動は目を惹く。ディオクと同じ、人を束ねる側の人間。肩書きがなんであろうと、敵にしてはいけない相手だと、そう本能的に感じた。
「まあ、相手に自分を良く見てもらうに、近くにいるのは絶対的に必要な条件。婚約、結婚は置いておいて、単に留学で良いのではないですか? ルイ宰相が成せるというのなら。滞在中にどうにもならなければ、そうするしか無いですからね」
ルタ王子は私を見据え、小さく微笑んだ。ほら、留学程度なら受け入れてくれません? そう言いたげ。
「成せる。いや、君の言葉を借りよう。為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。私は彼女に愛する祖国を離れさせるなんてしない。私が二カ国を背負う」
ルイ宰相の、大鷲賢者の通り名の片鱗を垣間見た気がする。背負うな。来るな。こんなのが来たら、方々に気に入られる。
「もしかしたら、この国を好んでくれるかもしれません。人と人が親密になるには、時間が必要。前回、フィラント王子達はとてものんびりと滞在して下さったので、同じくらいの期間いていただいては?」
「ああ、半年か。そうだな。何故、その案が出てこなかった。義叔父上が、早く婚約だ、乗り込めと勧めるので失念していた」
げっ。ルタ王子は中立派ではなく、懐柔派でもなく、こいつこそ敵だ。
ルイ宰相はアルタイル王国へやらないし、レティアを寄越せ。この国にとって当たり前の提案をしてきた。
というか、フィズ国王とルイ宰相の提案こそ謎というか奇妙。
「そうしたいのは山々ですが、本日目撃されたように、レティアは我が国の聖女。民の為に祈りを捧げる責務がございます。申し上げ難いのですが、蛇神に愛でられる王女は長く国を離れるなかれ、そういう伝承もありまして……」
怯えて途方に暮れる。そういう演技を発動。
「だからこそ隠していたのでしょうが、それなのにどうして紹介しにきたのです?」
私を見下ろすルタ王子の眼光は鋭い。
「本日のように恵を与えるので、富を分けて欲しい……。レティアが誰かの心を射止め、大国と縁を結べれば……などという邪な気持ちです……。それで、有り難くはあるのですが、予想外の方に見初められて、戸惑っています」
チラリ、とルイ宰相を横目で見て、俯く。気持ちと表情を乖離させるのは得意だ。嘘が通じなそうな相手には、言い方を変えるだけが上策。
エトワールの妹分レティアで、ティア王女に取り入り、心象を良くする。その上で交易契約の交渉。カール令嬢との婚約報告という目的もあったが、飛行船内でこの話は消せた。
レティアがいきなり奇想天外な天候をもたらしたり、大鷲賢者の心を鷲掴みにしたり、そんな事誰が予想出来るか!
「へえ、意外に正直なんですね」
こちらを疑う、腹を探ろうという瞳に、苦笑いを投げる。私は途方に暮れているぞ、と主張する。
目的を果たす為なら、何でもする。別に相手にどう思われたって構わない。大事なものは結果だ。
レティアは大蛇連合国にあげない。リチャード兄上とアルタイル王国の柱にするのだから当然だ。
もう手駒ではなく、惚れた女性だから、どんな手を使ってでも、金や権力と引き換えになんてしない。
「明後日帰国の予定ですので、ルイ宰相とレティアには、滞在中に親しくなっていただき、その程度によって今後の事を話し合えればと」
「明後日ですか⁈」
ルイ宰相が、素っ頓狂な声を出した。喧しい。耳が痛い。
「いや、まあ、もう少々くらいなら……。十日以内だと亡き父から聞いているので……。あの、なるべく意に添うようにしたいです……」
力なく笑って見せる。ルタ王子とルイ宰相は顔を見合わせ、動揺を見せた。
よしっ! こいつらは善良な性根を持っている。それなら押し通す! レティアが不在だと、祖国が恐ろしい事になる。服従する気はあるけど怖いよーっ、という態度を突き通そう。
より栄える為に大蛇連合国と煌国の交易に絡もうと思ったが、儲け話は自国内で別の手段を考えよう。交易契約よりもレティア。反対者がいても、私としては優先順位はそれ。
レティアは、アルタイル小聖堂の修道女に仲間入りだ。肩書きの名前は後で考えるとして、男子禁制のあの小聖堂に放り込む。
帰国後、このルイ・メルダエルダはレティアと会わせてやらない。群がる男も全員シャットアウト。
それで戦争は、流石に……ないよな? 以前攻めてきて返り討ちにしたゴルダガ王国が復讐してきそうな気配もある中、大国に睨まれている場合ではない。という事は、圧力をかけられたら、レティアをルイに捧げないといけないのか……。
今の気持ちで、彼女を道具扱いするのは、考えただけで吐きそう……。
こういう本心を利用して演技をするのが大切。ほら、善良な男達よ、私の表情からあれこれ想像して同情しろ。
「フィラントの兄上とは、以前から話をしてみたかったのですが、顔色が良くない。来訪早々、心労をかけたので至極当然ですね」
さあ、と私を支えるように立たせると、ルタ王子はルイ宰相の肩に手を置いた。ルイ宰相は反応せずに「脅迫とはどうかしていた……しかし……」などとブツブツ呟いている。
戦争は無さそう。一つ不安材料が消えて、安堵した。
「あの、ありがとうございます。単なる緊張です。井の中の蛙大海を知らず。様々な提案が予想外で、思考が追いつかなくて」
「されど空の深さを知る。ではなくて? ご謙遜を。数多の可能性があり、選択困難というように感じましたけれど」
見抜かれている。こいつを騙すのは骨が折れそう。私はルタ王子に、力の無い笑顔を返した。
「物事を考え過ぎるのは、私の悪い所でして。あの、もしお時間があるようでしたら……」
「ルイ様、ようやく見つけました! 私に秘密で、このような手紙など何をお考えですか! 見合い予定なのに、何を考えているのですか⁈」
談話室に飛び込んできたヴラドの手には封筒。宛名は「星空霞む愛らしき乙女レティア様」になっている。
「ヴラド! 人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死ぬ。私が頼んだ者から奪うとは死ぬぞ。だが、私は君に生きていてもらわないと困る。よって、その手紙は持ち主へきちんと届け……手渡せという、愛と運命の神の采配か。よし、行ってくる」
ルイ宰相は意気揚々と歩き出し、ヴラドから手紙を奪い、浮き足だった様子で談話室を出て行った。しばし放心していたヴラドが、慌てて追いかけていく。
私の隣で、ルタ王子が片手で目を覆った。
「あー……。あんなルイ宰相は初めて見た。これか、リシュリの言っていたのは……。見合い予定って、そうなのか……。後押しするんじゃなかった」
意外な事に、気の抜けた様子を見せてきた。まあ、罠しかしれないので、余計な事は言わないように注意しよう。緊張感が大切。
「リシュリ殿は何と?」
ルタ王子は口元から手をどかすと、苦笑いを浮かべた。
「少々失礼な男なので、先に謝っておきます。すみません。お喋りな侍女などから、耳にするかと思いますので、話しておきます」
口をへの字にすると、ルタ王子は髪を短い掻いた。
「堅物のルイ宰相が即座に陥落するなんて奇妙。恵の聖女は、噂の絶世の美女ではなかったけれど、確かに蠱惑的。聖女には良い男をあてがわないとならないから、蛇神が目に見えない魅了の粉を彼女に振り撒いているのだろう、らしいです」
申し訳無さそうなのは、絶世の美女ではない、というところだろう。その通りなのだから仕方がない。
レティアは、まあ贔屓目に見て中の上というところ。ティア王女、エトワールのような、老若男女が振り返り、見惚れる女性を、絶世の美女と呼ぶ。
ディオクがレティア王女だった頃、絶世の美女がアルタイル王国にいるという噂になり、この大蛇連合国から縁談話があった。確かに、ディオクのレティア王女姿は、ティア王女と並んでも謙遜ない。
「褒められて光栄です。私には色気の無い、青臭い小娘に見えるのですが、そうですか……」
手を出すのも憚れる清楚可憐さ——悪くいえば子供——に心揺さぶられて戸惑っているのに、蠱惑的だとか魅力的だとか、そんな評価は理解不能。
語っても良いかと、つい本音を漏らした。
「いくら謙遜するにしても、そこまで言わなくても。素敵な光の瞳をされていますから、そこでしょう」
「いや、正直な個人の感想です。服を脱がす気なんて全く起きません。まあ、目は……ありがとうございます」
服を脱がすよりも、ケーキでも食べさせて、ニコニコ笑わせたい。太るし、笑顔で癒されるので一石二鳥。
もっと成熟した頃に、しかとこちらを向かせてから、順序立てて段階を踏み、それから美味しく頂く。それが良い。
それが良い? そうなのか。意外な本心に驚く。しかし、そんなのんびりしていると、掻っ攫われる。
「ユース王子?」
「いやあ、すみませんルタ王子。貴方と話したい事が沢山あるのですが、私はレティアの世話役でして。ティア王女が良くして下さっていますが、心配なので、様子を見てきます。失礼があっては困りますから」
徐々に歩く速度があがり、談話室を出た瞬間からは、走っていた。