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王子とドングリ 1

 レティア・アルタイルはエリニス王子の妻ではないし、ましてや本人ではない。誤解はすぐに解けた。


 流星国の王太子エリニスは、自らは神の遣いで、人の世で直接監視するのは終わりだと告げ、大蛇になり姿を消した。大勢の目撃者がいて、真実らしい。

 18年、流星国で育ったエリニス王子は家族にも国民にも愛されており、帰還を望まれている。そこに、エリニス王子と常に共にあった二匹の蛇と寄り添う王女の登場。

 レティアの生い立ちと、アルタイル王族の不思議さを説明。エリニス王子らしき人物から神託を受けた、という話もした。

 そうして誤解は願望と思い込みであったと、受け入れられた。


 ただ、大勢の者が落胆したという。


 ☆★


 説明が終わり、誤解が消え、レティアの運ばれた部屋へと戻ってきてから小一時間が経過。

 昼前に到着し、今はもう昼過ぎ。レティアはずっと眠っている。

 天窓から注がれる太陽光に照らされる寝台で、あどけない寝顔である。

 枕代わりは角蛇バシレウス。顔の近くでトグロを巻くのは鷲蛇ココトリス——レティア曰くセルペンス——である。飛行船内に続いて、実に神々しい姿に見える寝姿だ。

 二種類の蛇は、この国では「蛇神の遣いの海蛇」という扱いのようだ。その理由は、エリニス王子がそう呼んでいたから。つくづく思うが、エリニス王子という人物は謎に包まれている。


 寝台脇に椅子を置き、レティアの手を握り締めて、その手を頬に寄せ、心配するルイ宰相を、睨まないように無視、を心掛けている。

 そこを退け。私の位置だ、と言いたい。ソファから移動して、あいつをレティアから引き離し、それだけでは足りないので、追い出したい。

 謎の恵の雨の中、倒れるレティアを支えようとした私を突き飛ばしてきた。本当に目障りな男。

 同じ宰相なのに、権力差が強過ぎて、何も言えない。図々しい相手にも、弱い立場で静観しか出来ない自分にも、無性に腹が立つ。

 宰相になり数年経つので、権力が無いが故に屈辱に甘んじるというのは、久々である。


「まあまあ、ルイ。未婚女性の寝顔を熱心に見つめるなんて破廉恥、どういう事です?」


 ノック音の後に入室してきた、ティア王女が呆れ声を出した。お盆を持っていて、その上にはガラスのコップが三つと、水らしき液体の入ったデキャンタが一つ。コップとデキャンタは、淡い水色で星柄の細工が施されている。エトワールが好みそうな品だ。

 彼女の頭上に、成人の頭くらい大きい、鉛色の体をした三つ目の蜜蜂が飛んでいる。羽音が少々煩い。セルペンスと同じような、深い青い色の目が、ジッと私を見据えている。

 フィラントから聞いてはいたが、本当にあのような生物が存在して、手懐けている者がいるのか。

 ティア王女はもしかして、レティアと同じで、あの蜜蜂もどきと語り合うのか?


「破廉恥? レティア様がこのようにずっと起きないから、心配で仕方が無いだけだ」

「妻でもない淑女の寝顔を見るのは破廉恥よ。口説きたいなら、目を覚まして元気になってからにして下さい。全くもう、出て行きなさい」


 ティア王女はテーブルにお盆を置くと、ルイ宰相の腕を引っ張った。彼を立たせ、しっしっ、と手で追い払う。二人は確か従兄弟。よし、もっと言え。もっとやれ。

 しょんぼりと背中を丸めたルイ宰相が、部屋を出ていった。

 

「お気遣い、ありがとうございますティア様」

「いえ、親戚が道を外れないようにするのは、当然のことです。むしろ、みっともない所をお見せしました。ルイのあの姿は、忘れて下さい」


 苦笑いをされたので、大きく頷く。


「いえ。親身になっていただき、有り難いです」


 忘れるものか。みっともない、という評価らしいので、攻撃材料としてストックだ。しかし、権力格差があり過ぎて、使える日はこなさそう。

 ティア王女は私の前にあるソファへ腰掛けた。実に優雅で品のある所作。

 他には罹患者のいない謎の奇病だという、皮膚斑病は痛々しいが、それでも美貌は際立っている。

 秋の豊穣を象徴するような、黄金に輝く巻き髪。雪のように白く、陶器のように滑らかな肌。熟れた果実のように瑞々しい唇。

 目は大きく、睫毛は長く、夏空色の瞳はまるで宝石。手足は長く、スラリとしているが、決して細過ぎず、胸なんてとても豊か。あれは絶対に触り心地抜群。

 甘ったるい誘うような顔立ちに、この体付き。大変好み。一回くらい堪能してみたいかも。


「っ痛」


 いきなり、左足に刺すような痛みが走った。怪我をしている右足ではなくて、左足。

 蟻とか蜘蛛か? とズボンをまくって確認してみる。靴下の少し上の、内側の部分に、何かに刺されたような赤い点が二箇所。しかし、蟻や蜘蛛、その他の虫などは特に見当たらない。


「どうかされました?」

「何かの虫に刺されたようです。しかし、全く大した事無さそうです」

「それなら良いのですが、薬が必要そうでしたら、遠慮なさらずに仰って下さい」

「ありがとうございます」


 いえ、と微笑むティア王女はまるで天使。ティア王女がデキャンタからコップへ飲み物を注ぐのを眺めながら、つい見惚れる。このような佳人、誰だって目を奪われる。

 

「っ痛」


 また左足の、同じような位置に刺すような痛み。


「大丈夫ですか?」

「ええ、はい……」


 もう一度足を確認する。発赤部位は増えていないが、少し大きくなっている。やはり、何の虫も見当たらなかった。足に僅かな痺れを感じる。


「虫ではなく、旅疲れかもしれません。軟弱な方では無いのですが」


 気にしないで下さい、という意味を込めて、微笑む。このような美人相手なら、演技をしなくても自然と笑える。


「ユース様……」


 レティアの声がしたので、反射のように立ち上がった。起きたのか。体を寝台の方へ向けると、体を起こした彼女は、しかめっ面だった。


「いくら絶世の美女とはいえ……。旦那様のいらっしゃる女性にふしだらで、破廉恥で、最低です」

「はあっ⁈」


 可愛げのない睨みと、予想外の台詞に、頬が引きつる。

 下心丸出しの顔なんて、している訳がない。そのくらい隠せる自信がある。


「突然倒れて心配した、レティア。流星城のお医者によれば、疲労だそうだ。あー、夢を見て、混同していないか?」

「していません! ユース様の発情男!」


 可愛いレティアの可愛くない睨みは、グサグサと胸を突き刺す。そこにティア王女の冷めた目線も突き刺さってきた。


「はつ、発情。何故、起きて早々、そんな事を言う。私が彼女に迫り、押し倒しでもしていたか? この通り、何もしていない」


 そうですよね、ティア王女、と同意を求める。


「そうですレティア姫。何もされておりませんよ。(わたくし)は母に似て、少々殿方の目を奪うような容姿に生まれましたので、多少は仕方が無いです。ユース様は、他の方と同じ程度で、節度のある視線でしたよ」

「あ、あの……ティア様? 誤解があるようです。美貌に感動は致しましたが、それ以上のやましい気持ちなど……」

「ユース様の嘘付き!」


 スコーン、と額に何かが直撃した。思わず額を押さえる。

 トントン、トン、と床に落ちたのはドングリだった。何故、ドングリ。どこから飛んできた? レティアが投げたのか?


「まあ、ユース様。おでこに何かぶつかりました?」

「ドングリだ。君が投げた訳では無いようだな」

「ドングリなんて持っていないもの、投げられません」

「そっ。話を戻すが、嘘付きではない。発情男だなんて、身に覚えがない。ほら、ティア様も呆れている」


 掌でティア王女を示す。それで、ティア王女に笑いかけたが、まだ冷たい視線を浴びせてきていた。笑ってはいるが、目は怒っている。


「見逃せる程度でしたけれど、レティア姫が咎めてくださったのは嬉しいです。毎度毎度、良い気分はしませんもの」


 何に怒っているのか思案する前に、正解を教えてもらえたのは有り難い。


「あー、訂正致します。あまりにも好みのお姿でしたので、自分の伴侶だったらなどと、少々不埒な感想を抱きました。隠しきれない未熟者ですみません。保身の為に身内を嘘付き扱いするなどと、危うく道を誤るところでした。ご指摘ありがとうございます」

「正直な方は好ましいです。こちらこそ、お褒めいただき光栄です。ありがとうございます」


 前半よりも、最後の台詞こそが正解のようだ。目の奥の刺が消えたティア王女に、ホッと胸を撫で下ろす。

 レティアは……物凄く不機嫌そう。


「私は……酒と女がとても好き……だ……。とても1人なんて選べない……。ユース様は……そうでした……」


 他者への対応は何もかも必ず自分に返ってくるというが、確かに返ってきた。しっぺ返しが。レティアの目は据わっている。

 しかし、何故こんなに不機嫌なんだ? このタイミングで、この台詞。まさか、嫉妬? えっ、それなら嬉しいが……このような内容、ティア王女に聞こえそうな大きさの声は、出さないで欲しい。


「エトワール様の大切なご友人に、指一本触れないで下さい! ご挨拶の仕草でもです! 手を伸ばして触れる範囲に近寄るのは禁止です!」


 うげっ。この感じ、エトワールと同じだ。惚れられてない。嫉妬でもない。レティアはエトワール二号だ。エトワールに何か吹き込まれたに違いない。


「おい、やめろ。君が倒れて、正式な挨拶もまだなのに、変な話をするな。いきなり何だ。私の鼻が、まさかそんなに伸びていたのか?」


 ティア王女に聞かれないように、小声で囁きかける。

 演技力はかなりあるが、ティア王女には見破られた。しかし、節度ある範囲と言っていたので、そこまで明け透けでは無かった筈。

 キッと睨みつけられ、たじろぐ。レティアのこんな可愛い気の無い顔は見たくない。


「セルペンスが、ユース様は……は、は、はん、繁殖期だと……」

「んなっ!」


 耳打ちされた言葉に、絶句した。()()()⁈ レティアの肩にシュルリと現れたセルペンスが、私を威嚇する。いつもは深い青い瞳が、今は真っ赤。


「繁殖期なんて人間にはない。犬猫と違って、年中いつでも、気の向くままにが人だ。常識の範囲内、心の中で思ったくらいで非難され……たく……」


 発見と失言に、サァッと血の気が引いていく。


「年中、気の向くまま。そのような方は、少数派です!」


 レティアの怒りの火に、油を注いでしまった。

 奇妙な蛇は、人の思考を読むのか。恐ろしい。


 売り言葉に買い言葉で「私は多数派。逆が少数派。君は現実を知らない、夢見る乙女なだけ」と口にしそうになり、飲み込んだ。この本音は、絶対に、ますます怒らせる。

 これもセルペンスのせいでバレるのか? と慄いたが、その気配は無い。レティアは怒りを鎮めていっている。


「そりゃあ、ティア様はあのようにお綺麗で、とても上品で、魅力的ですけれど……。あ、あの! 倒れた⁈ 来国早々、ご迷惑をおかけしてすみません! それなのに、こんな、いきなり!」


 今の状況に、ようやく気がついてくれたらしい。レティアは寝台から降り、私を無視して、ティア王女へと駆け寄っていった。

 レティアがよろめいているので、支え役として、サッとレティアの近くへ移動する。


「ええ、いきなり親愛寄せていただき、嬉しかったです。名前も似ていますし、お会いできて、仲良くなれそうで嬉しいです。まだ辛そうですので、隣へどうぞ。水分を摂った方が良いわ」


 ソファから立ち上がったティア王女が、レティアに近づき、手を取る。


「ふふっ。お兄様と仲が良いのですね。私も国を出てしまった兄達と、とても親しかったので、お思い出して和みました」

「お兄……様?」


 レティアは振り返り、背後にいる私を見上げた。キョトンと目を丸め、首を傾げ、そのあとコクコクと頷く。


「はい。ユースお兄様とは親密だと思います」


 ねっ、と満面の笑顔を向けられ、首を縦に振りそうになったが堪える。肯定したら負けというか、終わりな気がする。

 お兄様♡という響きは好きだし、背徳感付きの色気ある光景を想像したら楽しそうだった。そんな風にいちゃいちゃ小芝居して遊ぶのは大変良さそうだが、本物のお兄様になるのはまったくもって御免。

 しかし、ティア王女に向かって、兄ではありません。血の繋がりはありませんとは言えない。国内なら事実を知る者は多いが、対外的な私の地位は、フィラントと共に第二王子である。


「あの……」

「ええ、レティアと私はとても親し……」


 お兄様の件は無視して話を進めようとした時、コココン、コン! と軽快なノック音がして、返事もまだなのに、扉が開いた。


「お声が聞こえたので、目を覚まされたと思いましたが、やはり! レティア様。お疲れのようですので、食事の手配を頼み、足湯もご用意致しました。このルイが、必ずや貴女様を元気に……」

「主は激務で頭が狂ったようです。なので、無視して下さい。レティア様、申し訳ございません」


 部屋に入ろうとしたルイ宰相を、彼の従者らしいヴラドが後ろから羽交い締めして、引きずるように連れて行った。


「初めましてレティア様。私の名はリシュリ。ティア王女の婿であるルタ王子の第一側近を務めております。お目覚めのようですので、宜しければ城内をご案な……」

「見なかった事にして下さいレティア様。今のは蚊です。いえ、ノミです」


 リシュリとかいう、ひょろ長い黒髪そばかす男が、ストロベリーブロンドヘアーの美女に、後ろから羽交い締めされて、引きずられていった。


 この後、何人かの他国の王子が挨拶に来て、ティア王女が「レティア様はまだお加減が悪いです」と追い返した。

 こんなに男が次々と群がってくるなんて、今日のあの恵の雨のせいか? 


「春招きの祝祭が近くて、来賓客が多いのです。見慣れないお客様に、皆様興味津々なようですね」

「春招きの祝祭とはどのような行事でしょうか?」

「こちらへどうぞ」


 二人がソファに腰掛けた時に、フィズ国王が現れ、私を呼んだ。相談があると、告げられる。

 まだ正式な挨拶も終わっていないのに、フィズ国王は私と腕を組んだ。男と密着なんてしたくない。


 なんか……色々と嫌な予感。

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