表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/116

王女、逃げない


「あの、ルイ・メルダエルダ宰相……」

「フィラント、聞いてくれ。咄嗟に手紙を書いていたんだ。そのような事をしたのは、初めてだ。それに、共通の知人がいるかもしれない」

「いえ、あの、ルイ・メルダエルダ宰相……」

「いつものように、ルイで良い。運命とか、そういうのは信じていなかったけれど、少しそんな事を思った。この僕が! 彼女、これから朝食を共にしてくれるそうなんだが……。フィラント、今回は奥様も一緒か? それなら、是非とも相談役というか……」


 ユース王子の両手を掴み、握手というように握るルイがまくし立てる。ユース王子はいつ発言するのか戸惑っているように見える。

 あのユース王子が気後れする姿は、とても珍しくて新鮮。


「ルイ・メルダエルダ宰相。私はユースと申しまして、フィラントは弟です。似ているので、良く間違えられます」

「……。ユース王子?」


 ユース王子はルイ宰相から離れ、満面の笑顔を浮かべ、大袈裟なくらいの会釈をした。


「はい。フィラントの代理で、フィズ国王陛下に交易のご相談と、妹を紹介するために訪問致しました」

「妹? 妹のレティア王女は魔除けの為に女性として育てられていた王子だと……」

「ええ、似たように隠され続けてきた、本物のレティアです。昨夜は妹に、この世で唯一無二の薔薇と、親愛こもった手紙をありがとうございます。手紙は多分、ですけれど。妹宛の方は拝読しておりませんので」


 さあ、とユース王子の掌が私を示す。この流れは、立ち上がるしかない。

 贈られたハンカチは、ユース王子が落として誤って踏んでしまって、洗濯中。聞かれたら、余計なことは言わずに洗濯しています、だ。

 レッスン通りを心掛けて立ち、会釈をする。ルイ宰相が振り返り、私の姿を捉えた。

 彼の顔が湯気が出そうなくらい、赤くなった。炭の燃えているところみたい。


「レティア・アルタイルです……。初めまして、ルイ・メルダエルダ様……」


 はきはき話す筈が、小さな震え声しか出なかった。逃げたい。ルイ・メルダエルダと名乗る男が本物なのは、もう分かった。

 こんなの恥ずかしくて辛い。見当たらないけれど、ロクサス卿も聞いているだろう。こんなやり取り、聞かれたく無い。


「世の中の殆どの男性から切り離していたので、あのように非常に照れ屋でして。朝食は、レティアの従者見習い達とご一緒でも宜しいでしょうか? 貴方様のオススメのオムレツを、可愛がっている従者見習い達と共に堪能したいそうで」


 ユース王子の問いかけに対する、ルイ宰相の返事は無い。瞬き一つしないで、私を見つめて、動かない。羞恥で逃げたいけれど、逃げられる訳もないので、笑った。

 自分でも分かるぎこちない笑みだけれど、ユース王子が先手を打ってくれたので、大丈夫な筈。

 それにしても、アリス達の同席の事なんて、聞いていない。オムレツの話だってしていない。ユース王子は情報収集が早くて、咄嗟の配慮も上手いなと、改めて感心した。


「ご機嫌麗しゅうございますレティア様。初めまして、ルイ・メルダエルダです。遠路遥々、ようこそこの大蛇連合国へ。星も霞むが、太陽もでしょう。昨夜は知らなかった、あまりの美しさと可憐さに、しばし固まってしまいました」


 ルイ宰相が照れ臭そうに笑いながら、まだ赤らむ顔で鼻の下を擦り、私の方へと移動してくる。

 全身が熱い。このような真っ直ぐな好意は……ロクサス卿を思い出す。途端に泣きたくなった。

 ルイ宰相が目の前に立つ。距離が近い。背が高いので、近いと予想より威圧感がある。穴が開きそうなくらいの眼差し。この目は知っている。ロクサス卿がかつて私に向けてくれた熱視線と同じ種類のもの。

 泣く場面ではない。笑顔で「お会い出来て、褒めていただき光栄です」と挨拶だ。


「ルイ様。大変申し訳ございませんが、本当に不慣れで、人見知りの恥ずかしがり屋でして」


 ユース王子が私に近寄ってきて、私とルイ宰相の間に立った。いっそユース王子の後ろに隠れたい。そう思った時、ユース王子は私の手を取り、自分の腕へと招いた。思わず、ユース王子の腕を強く握りしめる。

 ルイ宰相は茫然、というように立ち尽くしている。どうしよう。愛想笑いが出来ていないから、怒らせる……。懸命に顔の筋肉を動かす。


「あの、申し訳ございません……」

「レティアは人見知りしているだけですので……ルイ様?」


 ルイ宰相は、無表情で停止している。ユース王子がルイ宰相の名を呼んでも、彼は動かない。何とも気まずい空気が流れる。


「お……」


 お? 


「あの……ルイ様?」


 私の問いかけに、ルイ宰相はまた赤くなり、数歩後退した。


「驕っていたのか……。殆どの女性は、私に好意的なので……。とんとん拍子に上手く行くと、思い込んでいました……。その必死の愛想笑い……。そうですよね。貴女の立場で、断るなんて……」


 口元を手で覆うと、ルイ宰相は私から顔を背けた。


「いきなり、すみませんでした」


 会釈と、照れ臭そうな笑みに安堵した。良かった。この人、悪い人ではない。悪い人どころか、私の立場を慮り、引いてくれるなんて、気遣いの出来る良い人。


「ありがとうございます」


 お礼を口にすると、ルイ宰相はほんのり赤らむ顔で、はにかみ笑いを浮かべた。こんなに分かりやすい好意は、くすぐったい。


「滞在する限り、まずは手紙にてお近付きになりたいです。ただ、一つだけお二人で確認したい事がございます。すみませんが、それだけお付き合い下さい」

「手紙でしたら……。お付き合い下さい? へっ?」


 突然、手を掴まれて、引っ張られた。ルイ宰相が走り出す。慣れない高さのヒールの靴なので、足がよろめく。右足の靴が脱げた。

 動揺していると、身体が浮いた。横抱きにされる。宿の外に出ると、ルイ宰相は目の前に停止する馬車の中へ入り、私をそっと椅子へ下ろした。この人……強引過ぎる!


「出してくれヴラド! 店まで送るだけだ。朝食に同席出来なさそうなので、送る間だけ二人で話をしたい」


 馬車の出入口に立ち、外へ顔を出して、叫ぶルイを、突き飛ばしたかった。大国の宰相でなかったら、そうして逃げているところだ。


「いえ、却下します。そちらの女性のお連れの方、激怒していますよ」


 ヴラドという男性の咎めるような台詞に、私は窓から外を見た。


「いくら大国の宰相と言えど、いきなり我が国の聖女を誘拐とは困ります! 二人きりでも何でも手配しますので、王女を慮り、ゆっくりと親しくなって下さい!」


 笑顔だけど、ユース王子は怒ってくれている。激怒、と見抜かれているなんて……このせいで、外交にヒビとか、大蛇連合国を怒らせたら、絶対に困る。

 小国アルタイル王国がぺちゃんこにされたら悲劇。そんなの必ず回避しないとならない。


 何か、何かしないと!


「聖女?」


 それだ。私に酷いことをすると、酷いことがあるぞって……脅すの? セルペンスで? そんなの嫌だ。セルペンスはそういう道具ではなくて、私の心の拠り所だ。


 ユース王子やアルタイル王国を庇いたい。守りたい。


 ルイ宰相が私を見た瞬間、地が揺れた。地震? 次はバキッ、ガタン、と大きな音がして背後の壁が壊れた。


——親が姫の逃げ道作った


「ありがとう……」


 降りようとしたら、私よりも大きな蛇が目の前に登場した。太さは私の体の半分くらい。セルペンスとは違う頭部に体。色は同じ鉛銀だけど、頭から背中に角が生えていて、体の鱗は滑らか。こんな大きさの蛇を見るのは初めてで驚きしかない。

 セルペンスは成長すると、毛羽立った鱗は閉じて、角が生えてくるのか。いや、そのようには思えない程容姿が違う……。

 助けは有り難いけれど、これは、これで困るのではないか? 

 謎の角蛇が体に巻きつき、私を馬車から引っ張り降ろした。


「バシレウス……様……?」

「えっ?」


 馬車の向こう側から、こちらの様子を確認する、ルイ宰相と目が合う。畏怖ではなく、興奮と期待の眼差しに驚く。


「ルイ様! この直動的で強引な所は、いつになったら直してくださるので……。バシレウス様……」


 ルイ宰相を引っ張った、彼より少し年上そうな、肩で切り揃えた茶髪の男性が、目を大きく見開く。


 バシレウス様って、セルペンスの事? 


——バシレウスではなくアングイスだ。ったく、エリニスのせいだ。姫よ、我はセルペンスの親ではない。まあ、アングイスとセルペンスは共存。どちらの親も、どちらの子もそんなに隔てていないだけだ。


 この声、頭の中に響いてくるのはセルペンスと同じだけど、声色が違う。

 エリニス? エリニス……流星国元王太子。神だったと言って、大蛇になり消えたという王子様。

 大蛇連合国、蛇になった王子……。そうだ……。アルタイル王族のルーツは……おそらくこの地……。いや、神話では南だったはず……。


 ぐらぐら、ぐらぐらと地が揺れる。よろめきながら、近寄ってきてくれたユース王子が私に手を伸ばす。すると、バシレウスは私の腰に巻きつき、肩に頭部を乗せた。

 ユース王子に手を握られて、きつく握り返す。この人を守りたい。彼が守ろうとしている、アルタイル王国ごと。


「鷲蛇姫、レティアです。この地の神と我が国の神はおそらく同じで、このように愛されておりますので、ご挨拶にまいりました。両国に繁栄あれと、願い、祈りるためでございます」


 私に怯え、畏れ、敬え。それで盾となれるならば、私は異形の王女と呼ばれたって構わない。ほぼ孤立する事になるだろうが、一生、孤独とは無縁だ。


 ユース王子の手をきつく握りながら、私はルイ宰相に深々と会釈をした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ