表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/116

男爵令嬢、口説かれる

 ロクサス・ミラマーレ伯爵邸には、従者が2人しかいない。住み込み住者のカシムと彼の息子ダフィ。財産以外の管理は、執事のカシムが一任されているという。それで、ロクサス卿以外の住人は、全員が家事を分担。料理、洗濯、掃除、買い物、などなど。私とアリスも、その中に組み込まれた。私達は貴族侍女としてロクサス卿に預けられたけれど、小間使い侍女と同じような事もする。これは、オリビアの方針だという。


 本来、貴族侍女は奥様やお嬢様のお世話係。奥様達のお世話をしつつ、教養を学び、最後は縁談を斡旋してもらうもの。しかし、ロクサス卿は独身。だから、アリスはオリビアと同じ女学校に入学。私にはなんと家庭教師がつけられるという。その費用は全部、ロクサス卿持ち。


「今まで大変な苦労をしたと聞いています。縁が薄かったとはいえ、何も知らず、何もしてあげられていなくてすみません」

「いえ、ロクサス卿のような親類がいたなんて、知りませんでしたので、謝らないで下さい」


 朝の応接室。ロクサス卿から、今後の生活を説明されて戸惑う。彼はユース王子経由で、私とアリスの可哀想な境遇を知り、没落しかけている両親から私達を引き剥がした、と言う。何が嘘で、本当なのかサッパリ分からない。多分、親類というのは嘘。王子側近が親類にいるなら、私の親は自慢して回って、遠縁で親しくなくても、親しいと言って、利用する筈。


 提示された給金には驚愕しかない。世話をされるのに、お給料まで支払われるとは、訳が分からない。ユース王子に駒にされる代金が含まれているのだろう。


「私はあまり屋敷にいないので、困り事があればカシムに言って下さい。それか、オリビアか家庭教師となるヴィクトリア夫人へ」

「こんなにお世話になって良いのでしょうか?」

「勿論。その分、生活に協力して下さい。ということです」


 笑顔で言うと、ロクサス卿は立ち上がった。テーブルに広げられた契約書をまとめ、差し出される。生活のスケジュールや約束事が記載された羊皮紙と一緒にして、手に持つ。


「ゆっくりと新しい生活に馴染んで下さい」


 さあどうぞ、と立つように手で示される。私も立った。


「はい、かしこまりました。よろしくお願い致します」


 二人で応接室を出て、食堂へ移動。小太りの中年がエプロンを付けて、スープの入った皿を運んでいた。


「彼がカシム。息子のダフィは水汲みに行ってくれている。カシム、彼女が例のシャーロットさんだ」


 カシムはスープ皿をテーブルへ置き、エプロンを外すと、会釈をしてくれた。


「初めましてシャーロット様。一応、執事のカシムです。よろしくお願いします」

「シャーロットです。右も左も分かりませんが、ご迷惑にならないようにします。よろしくお願いします」

「一応? この家には他に執事はいない。カシム、今朝も美味しそうなスープとパンをありがとう」


 ロクサス卿が着席すると、カシムはもうパンの入った籠を手に持っていた。素早い。


「アリスさんはオリビアが色々と説明したり、紹介するでしょう。シャーロットさん、向かいの席へどうぞ」


 え? 旦那様と食事をするの? カシムはもう私の為に椅子を引いている。衝撃的なことに、カシムはロクサス卿の隣に座った。


「では、今朝も恵みに感謝しましょう」


 旦那様と、貴族侍女と、執事が食事を同席。こんなの非常識だ。多分、私が知る限りだとそう。でも、これがミラマーレ邸の方針。ロクサス卿が目を瞑ったので、慌てて祈りを捧げる。


「では、いただきます」

「いただきます」


 平然としているロクサス卿とカシムに続き、私も「いただきます」と告げた。黄金色の野菜スープはとても美味しい。ベーコンが入っている。パンはふわふわでほんのり甘い。カシムの料理の腕は、素晴らしい。昨日の夜に続いて、朝食も豪華とは幸せ。しばらくすると、スヴェンが現れた。自分で食事の用意をしていく。えっ?


「我が家はこういう方針です。どんなことがあろうと、生きていけるように」


 着席して、祈りを捧げた後、スヴェンは首を横に振った。


「シャーロットさん、兄上は単に貧乏性なんですよ。またお金が無くなることを恐れている。仕事と貯金が趣味。つまらない男です」

「おい、いきなり辛辣だなスヴェン」

「でも、屋根裏部屋にはお金を掛けました」

「スヴェン、余計な事を言うな」


 口角を上げると、スヴェンはツンっとそっぽを向いた。私と目が合ったロクサス卿は、照れ笑いを浮かべた。


「余計な事? そんな事は言っていません。事実で必要な事です」

「シャーロットさん達が気にするだろう? 黙れ、スヴェン」

「で、兄上は飾りが足りないと、いそいそ花屋にも行きました。可愛らしいお嬢様達に似合う花はなんだ? と、悩んだ時間は小一時間です」

「スヴェン!」


 ロクサス卿の頬が赤い。スヴェンはクスクス笑っている。


「ああ、あの花。凄く素敵で、嬉しかったです。お金が掛かったとはすみません。お給金から引いて下さい」

「まさか。その、屋敷がこのようですし、屋根裏部屋しかないのが、申し訳なくて……」


 ロクサス卿の苦笑いには、照れも含まれていそう。少し癖のある金髪を撫でつけている。


「広い家は落ち着かないし、家族団欒も好きです」


 スヴェンはそう言うと、カシムとあれこれ話し始めた。


「色々と準備して下さり、ありがとうございます」

「いえ、何か困り事や不足があれば遠慮なく言って下さい」

「ありがとうございます。お気持ちと今の準備だけで、とても嬉しいです」


 ふかふかで大きくて、おまけに可愛い寝台でぐっすり眠れた。今朝はドレスを選べた。選ぶのに迷うくらいのドレスがタンスに一杯。そして今は美味しい朝食。夢みたい。


「兄上、ボッーッともたもたしていると、遅刻しますよ。もう、朝の礼拝の鐘が2回目です」

「え? ああ、ありがとうスヴェン」


 慌てた様子でパンを頬張り、急いでスープを飲むと、ロクサス卿は立ち上がった。それでも全部の仕草に品がある。流石、王子側近の伯爵。それなのに、彼は自分で食器を厨房の方へと運んでいった。そのまま戻ってこない。


「シャーロットさん、食事が終わるくらいの時間に、兄上の身支度が終わります。お見送りして下さい。それも仕事です」


 スヴェンが私を見据えた。楽しそうに見える。昨夜もそうだったが、私とアリスが住み込んで働く事に好意的なようで有り難いし、嬉しい。


「はい、かしこまりました」

「その後、屋敷内や周辺の案内をカシムがしてくれます。今日から、オリビアの身支度の手伝いも頼みます」


 スヴェンからの指示は、ロクサス卿からの説明されたものと同じ。


「はい。かしこまりました」

「女性が2人も増えて、屋敷が明るくなった。ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」


 親しげなスヴェンの眼差しに、胸が温まる。カシムの目も同じ。私にこんな穏やかそうな生活が訪れるなんて、人生は奇妙だ。食事を済ませ、私も食器を運んだ。後でカシムと2人で洗う予定なのに、ロクサス卿の食器はもう洗われていた。


 自分達の洗い物の前にお見送り、とカシムに指示された。厨房から続く廊下は、玄関ホールに続いていたので、ロクサス卿はここを通って玄関ホールから二階へ上がったのだろう。裏は物置だから、通らない方が良いとカシムに言われ、食堂、談話室を抜けて、玄関ホールへ移動。丁度ロクサス卿が階段から降りて来るところだった。カシムがサッとコート掛けからコートと帽子を取る。


「見送りありがとうカシム。シャーロットさん、もう何か不明点がありました?」


 ロクサス卿に問いかけられた時、カシムにコートを渡された。つまり、このコートをロクサス卿へ着せるのは私の仕事ってこと。素直に実行。ロクサス卿は目を丸めたけれど、私の手から、コートを羽織った。次は帽子。カシムから受け取った帽子をロクサス卿へ差し出す。父にいつもしていた事なのに、人が変わったせいか、なんだか凄く緊張する。


「いってらっしゃいませロクサス様」


 カシムの挨拶に続こうと、唇を動かす。()()()、と口にするのは、何故だかとてもドキドキする。


「旦那様、いってらっしゃいませ」

「へ? ああ、旦那様か。まあ、そうか。ありがとう。行ってきます」


 秋なのに、春みたいな雰囲気。少し肌寒いのに、温かいのはロクサス卿の人柄が空気に溶けているからだろう。この人が、温厚で気立ての良さそうなロクサス卿が、私とアリスの旦那様。精一杯の感謝を込めて、恭しい気持ちで会釈をした。


「女性に見送られるのは、何だかくすぐったいな」


 ロクサス卿は、はにかみ笑いを残し、屋敷を出ていった。何だか胸が苦しい。でも、嫌ではない。不思議。しばらくぼんやりしてしまった。カシムに声を掛けられ、食器洗い。しばらくして、オリビアとアリスが起きてきた。そこにカシムの息子ダフィが帰宅。水汲みが終わったらしい。子供達の食事中に、私はカシムから、屋敷内を案内してもらった。決まり事なども教えられる。


 途中、オリビアの身支度を手伝い、彼女を見送った。スヴェンとダフィはいつの間にか居なくなっていた。私とアリスはカシムに屋敷のある小鷲通りを案内してもらった。昨夜は馬車で寝てしまって気がつかなかったけれど、多分ここは高級住宅街。大きな屋敷が多い。アルタイル城からあまり遠くなくて、アルタイル大聖堂が徒歩圏内。カシムは、アルタイル大聖堂の鐘は少々煩い、とボヤいた。


 井戸、洗濯場、行きつけのお店、安全な路地と危険な路地の説明などなど。あっという間に時間は過ぎていく。


 お昼頃に帰宅。カシムに王都の地図を渡された。危険区域が色分けされ、メモも書かれた王都の地図はロクサス卿が用意してくれたという。談話室のソファに座り、アリスと2人で、地図を確認。ロクサス卿は本当に親切だ。格好良いくて、穏やかそうで、品もあって、優しいとは……。


「お姉様? お姉様?」

「へっ?」

「何を考えていたんです? まあ、私も夢みたいです」


 幸せ、というようにアリスが笑った。私も頷く。しかし、私は今何を考えていたっけ?


 リンリン、リンリン、と玄関の呼び鈴が鳴る。次はノッカーの音。カシムが談話室を通り過ぎ、玄関へ向かう。私とアリスも立ち上がり、玄関ホールへ移動した。お客様対応を覚えないとならない。


「ユ、ユ、ユース王子殿下……」


 カシムの震え声。ユース王子⁈ いる。本当にいる。ユース王子は私を見ると、駆け寄ってきた。心底嬉しい、そういう表情。


「シャーロット令嬢。会いたかった。どうしてだか、どうしても会いたかった」


 カシムの脇を通り過ぎると、ユース王子は私の目の前に立った。それで、即座に手を取られ、手の甲にキス。次は抱き締められた。更には頬にキスされる。


「きゃ……なっ……ユース王子……殿下……」


 何、何、何、何、何! 近い! いきなり何の演技⁈


「君に似合うと思う花を買ってきた」


 差し出されたのは桃色のコスモス。ユース王子はいきなりふくれっ面になった。


「何故、この私にここまでされて、そういう表情なんだ。君はおかしい」


 不機嫌そうな声を出すと、ユース王子は私に背を向けた。彼の背中が丸まる。


「コスモスのせいか? 薔薇にすれば良かった……」


 トボトボ、というような足取りでユース王子は屋敷から出て行った。開かれた玄関扉の向こうに、馬車と騎士が見える。何の命令もなく、ユース王子は去っていった。


 そんな風に翌日も、その翌日も、さらに翌日も、ユース王子は花や菓子を持って現れ、同じような行動を繰り返した。私も似たような態度しか出来なかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ