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空と恋と愛の旅 10

 外交前に、呑気に一人部屋で晩酌。のはずが、邪魔された。

 レティア・アルタイルは実に面倒臭くて、男を振り回す女性だな、と目の前のソファでブツブツ自己嫌悪とやる気に潰れるロクサス卿を眺める。

 仕事をくれ、何でもする。それで、レティアにもう一度振り向いてもらう、らしい。大して酒を飲めないのに、ワインを呷り、あれこれ語って小一時間。

 何故拗れる。疲れたのに、恋敵の励まし係までさせられるとは、私が何をしたというのだ。打ち合わせ、と称して部屋に来訪したロクサスに、酒を勧めて悩み相談を買って出た自分が恨めしい。

 むさ苦しい男ではなく、可愛いレティアに泣きつかれたい。レティアもレティアだ。男を捨てるなら、きちんと捨てろ。無自覚だろうが、貴方に期待していて、迎えを待っています、という風に告げるとは、たちが悪い。

 優しさは、時に人を突き刺すという、悪例だ。


「ユース様、夜分に失礼致します」


 扉の向こう側から、ヘイルダム卿の呼びかけ。そしてノック音。


「何だ? 入れ」


 開いた扉から、ヘイルダム卿が体を滑らすように入室し、早歩きで私の近くまでやってくる。彼はチラリ、とロクサスを見て、無視した。ロクサスは酔いで真っ赤な顔だが、背筋を伸ばして、会釈をする余裕はあるらしい。


「ルイ・メルダエルダという方が、レティア様に謁見したいと。その……まさかと思い、宿の主人などに確認したのですが、確かにルイ・メルダエルダ様ご本人だと……」

「ルイ・メルダエルダ⁈ ドメキア国王の宰相⁈ 何故、こんな辺境に居る。本人なんてまさか。いや、本人だったらどうする。レティア? 何故レティア?」


 声が裏返りそうになった。ルイ・メルダエルダは大蛇連合国を統べるドメキア王の抑制者にして片腕。

 若き白銀大蛇王(ベーレス)を支える大鷲賢者。その求心力は凄まじいらしい。そう、フィラントから聞いている。流星国王妃の甥。浪費家の母親を、民の為ならばと、僻地へ追放し、贅を取り上げたらしい。

 エトワール曰く、気さくで穏やかな好青年。散歩好きらしく、変装してフィラント夫婦へドメキア王国王都観光案内してくれたとか。そのルイ・メルダエルダ⁈


「散歩をしていたら、窓辺で歌う可憐な女性を見つけ、是非話をしたいそうで。手紙を預かったと宿の主人から……。それで、主人がそのお嬢様には側仕えが幾人もいるので、根回ししましょうと、私のところへこの手紙を」


 宛名は星空乙女へ、となっている。裏返すと、優しい筆圧に丁寧な筆跡で、ルイ・メルダエルダと記されていた。


「もう一通は、私達従者宛でしたので、拝読しました。要約すると話をしてみたいので、朝食をご馳走させて下さいと。偽物かの判断はつきませんけれど、朝食くらいなら宜しいかと。むしろ、本物なら擦り寄りたいですし」

「本物か偽物かか……。アクイラ宰相達が、先に流星国へ帰ったのは運が悪かったな……」


 面倒臭いお姫様が、更なる面倒を持ってきた。可哀想なロクサスは、真っ青。私も内心穏やかではない。大嵐のような暴風が心の中に吹き荒れている。

 ルイ・メルダエルダと名乗る人物が本物なら超大物。絶対に釣りたい。しかし、ポッと出の男にレティアを取られるのは癪。少し前なら、何とも思わなかったのに。

 フィラントお気に入りで、私自身も好ましいと思っているロクサスなら我慢するが、見知らぬ他人にレティアを譲りたくない。

 それから、レティア本人や謎の人外生物エリニースから言われた言葉も思い出す。


—— この土地の加護を失いたくなければ、今のようにアルタイル一族を人柱にして、この城へ住まわせておくが良い


 本物のルイ・メルダエルダだとして、レティアが欲しいと言われても、安易に差し出せない。けれども、その理由を説明出来るか? 相手は受け入れるか?

 様々な気持ちや想定が、脳内を駆け巡る。答えが出ない。


「あー……。レティアに手紙を渡して、朝食の誘いを受けろと伝えてくれ。本物だと、断るのは悪手だ……」

「そう判断すると思いました。私からでよろしいですか?」


 チラリ、とロクサスを確認したヘイルダム卿の思惑はこうだ。ルイ・メルダエルダはおそらく本物。それなら、レティアとロクサスの婚約話を壊してしまおう。

 ロクサスがレティアに恋文らしき手紙を持っていくというのは、まあそういう事になる。


「いや、私が行こう……。ヘイルダム卿、レティアはアルタイル王国に予言や恵みをもたらす。取られると困るのは我が国だ。かつて、ルシル王妃が亡くなられた後に、病が流行ったのもそれかもしれないなんて噂もある」

「目先の欲に目が眩み、それを失念しておりました。なら、どうします? その、万が一……」

「何か起こってから考える。一応、フィラントがルイ・メルダエルダと懇意らしいので、多少の手はある。今は何もかも予測不能だ」


 手にする封筒を握り潰して、窓から放り投げてしまいたいという衝動に駆られる。星空乙女とは小憎たらしい。しかし、私もこういうキザな台詞は使う。

 深呼吸をして、ロクサスの肩を叩いた。


「早速、ライバルが出現らしい。励めロクサス。君の勘は鋭いな。まだまだ垢抜けない、尻の青そうなレティアに、超大物とは……。まあ、聖女様は我が国の人柱なので、必要があれば君と婚約していると使うからな」


 ロクサスの返事は曖昧だった。そういう情け無い所と、踏み出せない弱さが、レティアとの軋轢の原因だぞ。と皮肉をいう気にはなれない。私も青臭い小娘から逃げている。

 ヘイルダム卿と共に部屋を出る。レティアの部屋は隣。

 ノックをして、名前を呼んでも返事は無かった。そんなに遅い時間ではないけれどもう眠ったのかもしれない。旅疲れ、アクイラ宰相の相手、そして初めての酒。疲れているだろう。


「もうお休みになられていますかね」

「ああ、そうみたいだな。ヴィクトリアが起きているなら話をして、説明と朝の支度を頼むか」


 レティアの部屋とヴィクトリアの部屋は中で続いているけれど、小さなノック音は隣室まで届かないだろう。私とヘイルダム卿が移動しようとした時、返事があって、扉が開いた。


「遅くなりました」


 ゆっくりと開いた扉の向こう、あどけないレティアの姿に唾を飲む。これは……壊滅的に色気がない。私は項垂れそうになった。

 手元と顔しか見えない、首回りまで隠された寝巻きのデザインは、かなり子供っぽい。丸襟で、フリルが多く、そして純白に小花柄。色っぽさのカケラも無い。

 可愛いには可愛い。でも、彼女よりも美人や魅力的な女性はうんと見てきた。この色気の無い小娘が光って見え、少々動悸がするという、自分の頭のイカレ具合に、頭痛がする。

 レティアは左手で薔薇の形をしている布を摘んでいた。


「あの、どうしましょうユース様。これ、知らない方が窓へ……」


 差し出された布製の薔薇を受け取る。いや、これはハンカチか。私も作って女性に渡した事がある。

 葉に見立てたところに、宝石のような青い丸い玉を通した紐が結んであり、そこに紙が挟まっていた。パッと見で文字が読める。


【星よりも輝く乙女へ想いを込めて】


 床に投げ捨てて、踏み潰そう。一瞬、そういう考えに支配された。


「突然手を振られて、飛んできまして……」


 レティアが照れではなく、困惑と怯えの表情だったので、その思考は吹き飛んだ。そうだ、物に罪は無い。


「レティア様、窓辺で歌われていました? 歌に惹かれたその方から手紙を預かったので、お持ち致しました。大蛇連合国の要人かもしれませんので、お誘いに応じていただきたくお願いにあがりました」


 ヘイルダム卿が告げると、レティアは不思議そうに首を傾げた。


「歌に惹かれた? それにお誘い? 要人?」


 ヘイルダム卿に目配せされて、手に持つルイ・メルダエルダからレティアへの手紙を彼女へ差し出した。

 彼女は宛名を見て眉間に皺を寄せてから、封筒を裏返した。


「ルイ・メルダエルダ? まさか、あの大鷲賢者ですか? (わたくし)の声に惹かれた? 取り入りなさいという事ですか? そうですよね……」


 大蛇連合国について予習しておくように命じていたが、きちんと頭に入れてきているようだ。

 それに、あれをしろ、これをしろと命令ばかりされているからか、飲み込みが早い。


「……」


 レティアは無言で手紙を見つめていたが、そっと封を開けた。ときめいている様子が無いのは安堵。ホッとした自分にうんざりする。

 よく見ろ、好みではない、色気無しの小娘だぞ、と自分に言い聞かせてみたが、無駄らしい。

 レティアとロクサス、両者の背中を押したのにダメになったのだから、もう裏切り者ではない。他の男が群がる前に掻っ攫え、と心の中で囁く自分がいる。


「朝食を共にするだけだ。ニコニコ愛想を振る舞って、のらくらかわしてくれ。君はリチャード王の信奉の要になるので、奪われるのは困……」


 みるみる真っ赤になったレティアに困惑する。この姿は見た事がある。エトワールに恋人だと披露する為に、彼女を口説くのをあちこちに見せびらかしていた時に見た。

 照れはするけれど、迷惑だと顔に描いてある。これは……ルイ・メルダエルダを上手くあしらいつつ、懐に入る、なんて器用な真似は彼女には無理だな。

 

「耳まで赤いが、何て書いてあった?」

「こんなの困ります。のらくらかわすってどうやってですか? ユース様の演技相手だって、ちっともだったではないですか⁈」

「演技相手? ユース様、何の事です?」


 あたふたオロオロするレティアと、訝しげなヘイルダム卿。


「ああ、まあ、色々な練習相手としてな。レティア、君に演技力なんて期待していない。怒らせないようにしてくれ。近くで見守り、助け舟も出す。偽物なら、それなりの対処も出来る」


 誘われたのは朝食で、相手はこちらの素性を知らない。本物のルイ・メルダエルダなら暴君では無いし、偽物なら本物に訴える人脈はある。何とかなるか?

 不安げなレティアを見下ろしながら、何とかするしかないな、と決意を固める。


「大丈夫です。(わたくし)……ご迷惑をおかけしないように、励みます」


 やる気満々、というように笑うレティアに会釈をされた。


「宜しくお願い致しますレティア様。お休みなさいませ」


 ヘイルダム卿の会釈で、扉が閉じられていく。不安で押し潰されそうなレティアの横顔に、胸が騒つく。


「意気込むと失敗する。普通に話せ。と、言いたいが顔が無理だと言っている」

「えっ?」


 閉められる扉の隙間に体を入れて、部屋に入る。扉を閉めて、鍵を掛けた。室内に吹き抜ける冷たい風。寒い部屋なんて、大嫌いだ。痩せ細ったマリーの姿がよぎる。

 入室の際に、薔薇の形のハンカチが床に落ちた。それを、わざと踏みつける。薔薇も嫌いだ。薔薇は、突き放して傷つけるしかなかった、フローラとの初恋の象徴。

 その嫌いな薔薇のお姫様に惚れるとは、妙な縁。


 窓が開け放たれていて、薄明かりの部屋にカーテンが穏やかに翻る。その向こうにある瞬く星空に、レティアが照らされて輝いている。

 

「あの、ユース様?」

「別に頑張る必要なんてない。その為に私がいる。そう言っただろう? 常に頼れ」


 我慢とか無理。そっと手を取り、引き寄せる。レティアの体は冷えていた。やはり細い。


「私が守る。それより、今夜こそメソメソ泣く日だろう? 手紙はついでだ。呼ばれないので来た」


 よしよし、よしよし、とクラウスをあやすようにレティアの背中を撫でる。何も言わないレティアを抱き上げて、寝台へと運んだ。

 泣くのを我慢して、すまなそうな表情で私を見上げるレティアの頬に、唇を寄せたいけれど止めた。いきなり踏み込むと、逃げられる。


「そういう顔をするなら、最初から頼りに来るな。まあ、あの嵐の日、正直嬉しかった。自分だけは頼れると言われて、駒だった君は、今は私の大事な者の一人だ」

「あの……」

「ロクサスを連れて来ないでやれば良かったな。もう少し早く、君の気持ちを聞いてあげるべきだった」


 レティアを寝台に寝かせて、布団を掛ける。窓を閉めて、椅子を寝台脇へと移動させた。これではまるで、子供の世話だな。

 こちらに興味がある女性に対して、誘ってくるように仕向けるとか、誘ってくる相手と遊んできた。誘われても、純情一途そうな女性は避けている。その避けていた種類の女性に、逃げていた本気の女性関係が、勝手にやってきて、今もまだ混乱中。どうしたら踏み込めるのか、気を引けるのか、この私がサッパリ分からない。

 基本的に、女性はこの容姿と権力なので、私に好意的。しかし、レティアはそのどちらにも興味を抱いていない。このままだと、信頼出来る兄、というポジションにおさまってしまう。


「ユース様……あの……。疲れているのに、すみません……」

「謝罪はいらない。それよりも感謝が良い。疲労と天秤にかけてここにいる。知っているか? 人の体温は落ち着く。寝れるまでいるよ」


 布団の中に手を入れて、レティアの手を握る。強く握り返された。体を横にして、こちらを向いたレティアが、視線を上げる。暗闇の中で微笑む彼女に、少し見惚れた。ずっと眺めていたい。


「はい……。あの、ありがとうございます。私、忘れてました。ありがとうは、魔法の言葉です」

「ん? 魔法?」

「旦那様が……。いつも小さな事でありがとうと言ってくれるのが、とても……とても嬉しかった……」


 ぽつり、ぽつりとロクサスとの思い出を語り、泣いて、もうあの二人はどこにもいませんと告げると、レティアは口を閉ざした。

 しばらくの間、夜の闇に押し殺すような泣き声は続いたが、やがて消えていった。酷く胸が痛い。まだ痛む足の怪我よりも、余程辛い。

 その後、すうすうという規則的な寝息が始まったけれど、私はずっとレティアの手を握り続けた。

 レティアの顔の前には、いつの間にかトグロを巻くセルペンス。目を閉じているので、寝ているのだろうが、時折レティアの頬に頭部を寄せている。今夜も守護者気取りか。羨ましい。私もレティアの隣で寝たい。


 とても奇妙な気分。長年どんな女性も同じにしか思えなかった。

 情報収集や策略の為、という時もあったが、単に腹が減れば食べる感覚で、集まってくる割と好みの女性には、軒並み手を出してきた。

 それなのに、手を握るだけで精一杯。布団に潜り込んで、愛を囁く勇気も湧いてこない。どう手を出して良いのか、ちっとも分からない上に、緊張だけは激しい。


「情け無いとロクサスを非難出来ないな。私も仲間か……」


 星空乙女に、星よりも輝く乙女へ、か。私は窓の外へと視線を移動させた。有象無象の輝きではなくて、この世に唯一の光は太陽。

 それなら、流れ落ちて、儚く消えることもない。


「そんな猛々しい女性ではないか……。月だな……」


 眺めているだけで、穏やかな気分になれて、癒される。月明かりは私を慰める為に、光を落として、華を咲かせてくれたようです。私なら、そんなところだな。

 ここで寝る訳にもいかないので、手を離し、無防備な寝顔に唇を寄せる。頬にそっと触れると、それだけで満たされた。

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