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空と恋と愛の旅 8

 体を揺すられたのと、気持ちの悪さ、それに頭痛で目を開いた。視界に入ってきたのは、薄暗い宙に揺れる布。


「レティア様、起きられますか?」


 声の方向に顔を傾ける。ヴィクトリアだ。彼女が私の顔を覗き込む。ヴィクトリアの隣には、アリスとオリビアがいる。顔を認識出来るくらいの明るさ。この暗さは、ランプのオイルの節約?

 酷く怠い。頭がガンガンする。鳩尾が変な感じ。吐き気がする。私はゆっくりと体を起こした。視界が揺れる。


「あのー、(わたくし)……」

「飲み過ぎですって、お姉様」


 アリスにコップを渡され、両手で受け取る。喉がとても乾いているので、コップに口をつけた。水だ。美味しいけれど、喉を通りにくい。


「先程着陸し、もう少々したら、本日泊まる宿へ移動します。馬車の手配や荷物の移動中です」


 ヴィクトリアは、私の背中を優しく撫でてくれた。


「着陸? そんなに寝てしまったということですか?」

「アクイラ様はとてもご機嫌で、ユース様をはじめとした官僚達は、大変お喜びでしたよ」


 褒められたけれど、腑に落ちない。アクイラ宰相の機嫌は、私でなくても取れた。彼自身の力で、楽しそうだった。


「それから、ロクサス卿から手紙を預かっております。どうぞ」


 私に手紙を差し出すと、ヴィクトリアは反対の手で私の頭を撫でてくれた。封筒を受け取る。その後、彼女は「任せましたよ」と、アリスとオリビアに声を掛けて、部屋を去った。


「だん……ロクサス卿から手紙……」


 封筒を両手で握り締めて、見つめる。宛名は「レティア・アルタイル王女殿下」となっている。裏には「ロクサス・ミラマーレ」の文字。暗いが、何とか読める。


「シャーロットさん、少し明るくします。眩しかったら、言って下さい」


 オリビアがスタンドランプの一つへ近寄っていく。部屋に二つあるスタンドランプはどちらも消えていて、テーブル上に置かれた、持ち運び出来る小さなランプだけが点灯していた。

 

「お姉様、旦那様からの手紙、嬉しくないの?」


 部屋が明るくなっても、封筒をぼんやり見つめる私に、アリスが問いかけてきた。


「良い事……書いてあるかしら……と、思って……」


 お別れの文が書いてあったらどうしよう。ポタリ、と涙が封筒を濡らす。子供の前で泣くなんて、みっともない。私は慌てて指で涙を拭った。


「お兄様と、何かありました?」


 オリビアがアリスの隣に戻ってきた。二人が立っていて、私だけ座っているのもなんなので、布団を剥がした。寝台から足を下ろし、二人を両隣に座らせる。


「何も無いわ……。何も……。(わたくし)はもうシャーロットではないから……。旦那様の中ではそうだから……今の私は苦手みたい……」


 嘘をついて誤魔化したって、すぐに知られる。オリビアとアリスはもう何か察していそうなので、話をしておこう。私は封筒を掴む指に力を入れた。

 アリスとオリビアが顔を見合わせる。どうする? どうする? と囁いて、お互いを膝で小突きだした。


「何か聞いているのかしら?」


 私の問いかけに、二人は気まずそうに俯いた。


「あのー……、手紙に何て書いてあります? 聞き間違えかも……」

「聞き間違えな訳ないじゃないオリビア。確かに聞いたのよ!」


 そろそろと私を見上げたオリビアを、アリスが揺さぶる。


「聞いた?」

「サー・ミネーヴァに、展望室というところに連れて行ってもらったのです。お姉様が働いたところだし、外を見て見たくて……」

「ユース様とお兄様が話をしていたのです。それで、あの……」


 アリスとオリビアは目配せして、また俯いた。


「良くない事なのね。きちんと聞くわ。気を遣わせて、ごめんなさいね」


 勢い良く顔を上げたオリビアが、大粒の涙を溢した。目が真っ赤。兎みたい。


「お兄様、レティア様は眩し過ぎて、隣になんて立てませんって! ユース様にお断りしたの! お兄様の意気地なし! 大馬鹿! 根性なし!」


 立ち上がると、オリビアは私の目の前に移動して、拳を握り、唇を噛んだ。アリスがそっと立ち、オリビアの方に腕を回す。

 私は片手を封筒から離して、オリビアの頬を撫でた。


「そう。泣いてくれて、言い難い事を教えてくれてありがとうオリビア。ユース様に、旦那様を悪いようにしないでって、うんと頼んでおくわ」

「旦那様、接触禁止令や地方へ配属などがあるようなら、甘んじるつもりだって……。そういう話があるの? 慌ててお姉様と話をしようとしたけど、さっきまで面会禁止だったから……」

「面会禁止? 寝ているから? 誰がそんな……。ユース様ね……」


 酔い潰れて寝た事への配慮だろう。そんな気がする。


「公務でお疲れです、とデュラン卿に言われました……」

「そう。今まで嫌な気分だったわよね。ごめんなさい。接触禁止令や地方配属なんて、何の事かしら? 地方配属になんてならないように、よくよく頼んでおきます。ユース様が話を聞かなかったら、フィラント様とエトワール様にうんと頼むわ」


 オリビアが、ぶんぶんと首を横に振った。


「違うわ。お兄様よきっと。シャーロットさんの姿を見るのが悲しいからって、そうしてもらうつもりなのよ! シャーロットさん! お兄様に言って下さい! お兄様が良いんだって! 弱虫なお兄様に、シャーロットさんから言ってあげて!」


 オリビアは私に抱きついて、しゃくり上げた。


「隣にいるのは辛いって方に、無理強いなんてしたくないわ……」

「シャーロットさん?」


 オリビアが私を見上げる。ロクサス卿と口周りが良く似ているな。私はオリビアの頭を撫でて、笑ってみた。


「そう、私は今もシャーロットなのにね。レティアって名前に変わっても中身は一緒。でも、旦那様は、そうは思わないみたい。嫌だって我儘を言ったら、結婚は出来ると思うの。でも私といて、ちっとも笑わない人と結婚は……とても酷い仕打ちよね……」


 オリビアの瞳がゆらゆら揺れる。その中で、私が悲しく微笑んでいる。諦めている顔だ。


—— 恋は求めるもの。


——愛は与えるもの。


 そういえば、アクイラ宰相がそんな話をしていた。愛は……与えるもの……。私がロクサス卿を好きなら、縛りつけたりしないで、自由と身の安全を与えるべきだ。


「……笑わない?」

「シャーロット、会いたかったって言ってくれた旦那様は、いなくなっちゃったみたい……」


 自分で口にして、納得する。こんなに切なかったのは、失恋していたからだ。恋に気がつくのも遅かったけれど、失恋にも鈍感とは我ながらお馬鹿な娘。


「そうなの?」

「ええオリビア。そうなの……。会うたびに……感じていたのに……。手紙、読んでみましょうか……」


 恐る恐る、手紙の封を開ける。手が震える。


【レティア様、いえ手紙ではせめてシャーロットと呼ばせて下さい。シャーロット様、大切なお話がございます。明日の朝、私に少々お時間をいただきたいです。今夜はご自愛し、十分にお身体を休められて下さい。ロクサス・ミラマーレ】


「これだけ?」

(わたくし)が悪いのだわ。察しているのに、見ない振りをして……。眩しくて……か……。優しい嘘ね。オリビア、自信が無いのではなく、貴方のお兄様はとっても優しいわ」


 泣くのは我慢。私はオリビアを抱き締めた。


「旦那様、支え合えると思える人と結婚したいと言っていたわ。仕事熱心で、食べる事も忘れるから、家にいて、いつも旦那様を見守ったり助けられる方が必要よ」


 それは、私だと思っていたけれど、それが出来るシャーロット・ユミリオン男爵令嬢はもういない。そうか、私はシャーロットだけど、もうシャーロットではない。レティア・アルタイルは、旦那様の望む奥様にはなれない。そういう事か。


「シャーロット……さん……」

「オリビア、これまでのように、お兄様を支えてあげて。困った事があれば、エトワール様ではなくて、このレティアに相談して。その時に、助けてあげられるような力を持つように努めるわ」


 私はオリビアから離れて、彼女の両手を取り、強く握り締めた。


「失恋くらいで、他人の人生を滅茶苦茶になんてしません。ロクサス卿はこれまでのように働けますし、オリビアもそう。スヴェンやダフィ、オットーだってそうよ。アリスと一緒に、(わたくし)が守ります」


 そうと決めたなら、落ち込まないで、行動あるのみ。私は立ち上がった。面と向かってきちんと話す自信が無いので、返事を書こう。確か、机の引き出しに、道具が入っていた。

 しくしくと泣くオリビアに、アリスが寄り添う。子供達を巻き込んだりして、私って最低。でも、このままではいない。今よりも、より良い自分になりたい。

 引き出しを開けると、インクと羽根ペンが入っていた。封筒や便箋はない。ロクサス卿からの手紙の下に、返事を書く事にしよう。


【ロクサス・ミラマーレ様。二人の婚姻について、ユース様へお断りの直談判をされたと耳にしました。貴方様の御心が離れていると感じているのに、そこまで追い詰めるまで見ぬ振りをして、申し訳ございません。地方配属はありません。貴方様をはじめ、ご兄弟や従者全員、現在と何も変わらぬ生活を続けられるようにするとお約束致します。出会ってから今日この時まで、貴方様のおかげで、私はずっと幸せでした。大変お世話になり、感謝してもしきれません。ありがとうございます。どうか、貴方と家族に風と鷲蛇様の加護がありますように。そう、祈り、願い、励みます。シャーロット改め、レティア・アルタイル】


 スラスラ、スラスラ言葉は出てきた。この手紙と一緒に、指輪を返そう。あのとっても高価な婚約指輪は、元値とまではいかなくても、売ればそれなりの金額が戻ってくる。ネックレスは、帰国してから返そう。

 私はハンドバッグを手にして、中から指輪ケースを取り出した。


「アリス、オリビアをよろしくね。何か行き違いや手遅れになる前に、ユース様に色々と頼んできます。ロクサス卿には、無理強いしようとした事を謝罪して、安心するように伝えるわ」


 深呼吸をして、両手で手紙と指輪ケースを握りしめて、部屋を出る。まずはユース王子とロクサス卿の現状確認。部屋を出ると、見張りはミリエルだった。


「レティア様。お加減はいかがでしょうか?」

「大丈夫です。ありがとうございます。あの、ユース様と話があるのですが、どちらにいらっしゃるか知っています? 忙しそうなら、後でで良いのですけれど」


 私の質問に、ミリエルは通りかかりの騎士に声を掛けた。それで、ユース王子は展望室にいると分かった。荷下ろしなどの指揮は、ヘイルダム卿だというのも判明。まず、向かうのはユース王子のところだ。

 いや、ロクサス卿のところ? 荷下ろしに際して働いていたら、邪魔になる。とりあえず、展望室を目指した。お供いたします、とミリエルが私の後ろに続く。

 歩くのが辛い。胸が痛過ぎるだけではなく、二日酔いのせいだ。気持ち悪くて頭が痛くてならないけれど、お酌を上手く避けられかったせい。自業自得。

 騎士や官僚達にレティア様、レティア様と、声を掛けられるので、一生懸命笑ってみせる。皆働いているのに、むすっとしていたり、具合の悪い表情は、見せてはいけないだろう。


「かしこまりましたヘイルダム卿。そろそろユース様に声を掛けて……レティア様?」


 階段を降りる手前、飛行船の出入口付近でロクサス卿を見つけた。目が合った瞬間、泣き出しそうになり、私は慌てて彼に駆け寄った。


「あのっ。申し訳ございませんでした!」


 伝えたい想いは色々あるけれど、それしか言えなかった。指輪ケースと手紙を押し付けるように渡して、背中を向ける。逃げるように駆け出して、階段を降りた。


「レティア様? あの、どうされました?」

「いえ……ミリエル……。何でもないです……」


 セルペンスが私の頭の上から肩へ移動する気配。


——姫と寝てた。セルペンスは起きた。姫、悲しい?


——歌ってあげる


 頭の中に、歌が響いてくる。何語なのか分からないけれど、優しくて幸せな旋律。

 巡り巡る。失っても想いは巡る。そういう気持ちが湧いてくる。祈りと歓喜と幸福よ、悲劇なんて吹き飛ばして、次へと届け。そういう気持ちになる、慈しみに満ちた歌。

 ロクサス卿がいなくなっても、私にはセルペンスがいる。この優しい子供達やアリスにオリビアが支えてくれるから、私は祈り、願える。

 彼が望む人生の伴侶を与え、幸福になってもらう為ならば、私は諦める。

 私は走り続けて、展望室の扉を勢い良く開けて、飛び込んだ。


「あーあ、本当に疲れ……。おい、ノックもしないなんて誰……あー、レティア?」


 ソファに仰向けで寝っ転がり、片手に酒瓶を掴んでいたユース王子が、ゆっくりと起き上がる。

 予想していなかった姿に、全身の筋肉が停止する。


「いやあ、あはは。たまには息抜き? 皆も休めと言うので甘えて、一人だからと自堕落さ」


 にこやかに笑うと、ユース王子は華麗なウインクをした。この笑顔は嘘の笑みだ。目の奥の光は、暗くて悲しげ。

 彼の目の下にはうっすらと隈。それで、ちっとも覇気が無い。皆も休めと言う? 私、ユース王子にここまで疲労の色が強い事に、気がついていなかった? 自分でいっぱいいっぱいだったのが、恥ずかしくてならない。


「あの、申し訳ございません。あのっ! 遅くなって、こんなに疲れさせてすみません! ご負担をかけないように、きちんと、きちんとしました!」


 ユース王子の前に膝をついて顔を見上げる。彼はポカンと子供っぽい表情だ。

 いきなり来て、なんの話だ? と思うのは当然である。私は順序立てて、説明した。それから、何でもするので、ロクサス卿とその家族に何もしないで欲しいとお願いした。別にアルタイル王国に何の不利益もないから、ユース王子は受け入れてくれる。絶対に。そもそも、ロクサス卿はユース王子やフィラント卿のお気に入りだ。


「……何故そうなる。おい、何故そうなる……。今すぐ撤回して来い!」


 かなり大きな声で怒鳴られて、体が竦んだ。ユース王子が両手を顔を覆う。


「ああ……。大きな声を出してすまない。撤回してこい、ではなくて私も行こう」


 ユース王子が立ち上がり、私の手を掴んだ。


「い、嫌です! 行きたくありません! 決意が揺らぎます!」

「誤解があるだけだ。ほら、行くぞ」

「誤解? 情け無いですが、大泣きしそうなので行きたくありません! 嫌です!」


——嫌がる姫に触るな!


 セルペンスが私の肩からユース王子の腕へ飛び乗り、牙を向けて威嚇をする。私は慌ててセルペンスを掴んだ。


「噛まないで! ユース様は敵ではないから絶対に噛まないで!」


 顔を近づけて囁きかける。


——絶対?


「そうよ、絶対。ユース様は貴方達が(わたくし)を大切にする限り、絶対に味方なのよ。だから何があっても、決して噛まないで」


——それなら、この匂いは覚える


 私は出入口にいる筈のミリエルの様子を窺った。不審に思われたかもしれない。セルペンスはユース王子の腕を何回か突っつき、私の手首へ移動して巻き付いた。


「獰猛な蛇の怒りを鎮められるとは……。しかし蛇? いつ迷い込んだ? レティア様、噛まれる前に、退治します!」

「こんなに大人しいのに退治なんてしてはいけません。怖がらせないであげて」

「……はい! かしこまりました! なんと、聖なるお方は、肉食獣を手懐けられるのか……。威嚇ではなく恐怖と見抜くとは……」


 何か勘違いされた。感激という様子のミリエルはとりあえず無視だ。

 無言のユース王子を、そろそろと見上げる。ユース王子はぼんやりして、焦点の定まらない目をしている。セルペンスに噛まれると怯えた?


「ユース様?」

「ああ、まあ……私は君を裏切らない……絶対に……」


 小さく呟くと、ユース王子はハッと私を見て、みるみる真っ赤になった。それから、またしばらく茫然としていた。

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