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空と恋と愛の旅 7

 間も無く、飛行船は西の地、アシタバ半島に到着する。展望室からの眺めは、夕焼けに染まる穏やかな丘に点在する森や街。アシタバ半島には初めて来たが、ちっとも琴線に触れない。


「お呼びでしょうか、ユース様」


 開け放ったままの展望室の扉に、ロクサスが現れた。私は展望室の丸い窓の前から動かず、出入り口に背を向けたまま、頷いた。


「ああ。呼び出し理由は考察してきたか?」


 淡々と話そうと思っているのに、意外と低い声が出た。緊張は悟られたくない。なので、拳を握る訳にもいかないので、窓に右手を添える。片手にはワイングラスを持ったまま、眼下の景色を眺めて深呼吸した。

 大陸第二の高さを誇る山脈から下り、広大な地へ分岐していく川のお陰で、アシタバ半島はかなり肥沃だという。そういう知識を頭の引き出しから取り出し、冷静さを保つ。

 アクイラ宰相をもてなす為に用意されたソファやテーブルはまだそのまま。振り返って、笑顔でロクサスをソファへ座らせる。

 その筈が、ロクサスの気まずそうな表情を見た瞬間、用意していた言葉を行方不明にしてしまった。


「レティア様の件ですよね?」

「どの件だと思う?」


 ゆっくりと呼吸をして、さあ座れと、ソファを右手の掌で示す。ロクサスは素直に腰掛けた。

 彼は迷うように眉間に皺を作った後、何度か喋りかけて、口を閉ざした。感情の動きが、実に分かりやすい。彼は意を決したように、胸を張り、背筋を伸ばした。


「流星国で、レティア様にいくつか縁談の席を用意している。その件ですよね?」


 悲しそうに微笑むと、ロクサスは目を細めた。予想と違う発言である。さて、どうしよう?


「へえ、何の話?」


 ロクサスは僅かに目を丸め、少しだけ首を斜めに傾けた。ロクサスのレティアへの遠慮っぷりは、彼女への畏怖だけではなく、ディオクのせいだと確信する。

 気がつかなかったのは、私の落ち度だ。レティアを狙う、カール令嬢も噛んでいるかもしれない。


「その話は知らない。レティアを狙う、カール令嬢だろうな。私は単にお節介をしようかと思って呼んだ。君がレティアから過剰に離れ、婚約なんて嫌だというような態度なので、彼女が泣いたり酔い潰れて寝たり、面倒臭い」


 驚愕、という顔に呆れる。気取られないように笑顔を保つ。私はソファへ移動して、ロクサス卿の向かい側に腰掛けた。

 冷静に、レティア優先、理性第一を心掛けて、ワインを口に含む。

 ロクサスが、レティアへの心配を見せないところに腹が立つ。今すぐ私に頭を下げ、部屋を飛び出して、彼女のところへ行け。この大馬鹿男。


「過剰に離れ? 泣いてとは……。あの、アクイラ様に飲まされたとは耳にしております」

「さあ? 彼女の世話人達からの報告だ。外交前に大事な駒を潰すな。外交官の一人として乗船したのに、何をしている。仕事を抜きにしても、自分の大事な女性が酔い潰れて放置とは、私の知る君らしくない。と言いたくて呼んだ」


 戸惑いと、自分への情けなさに反省するような態度に苛つく。イライラを隠す為に、口角を上げて、微笑んだ。


「すみません、配慮が足りませんでした。その……落第点をつけられ、間も無く接近禁止令などが出ると思っていました」

「昼間、君達を会わせる手配をしたのに? 私のフィラントへの甘さも知っている筈だ。そのフィラントのお気に入りの君を無下にすると?」

「そこまで考えた事などありませんでした。確かにフィラント様は私に良くして下さります。秘書官の一人にしていただいていただけでも驚きでした」


 驚き、戸惑い、歓喜に遠慮。ロクサスの感情の動きは実に分かりやすい。

 私はワイングラスを口へ運び、どうしたものかと考えた。


「過剰な自己卑下は出世の邪魔になるぞ。私としては、君とレティアを引き離す予定は特にない。必要性が低いと判断しているからだ。他の者は知らない。ただ、一応、レティアの後見人は私だ」


 ほら、さっさとレティアとのすれ違いという溝を埋めてこい。というように、私はソファにもたれかかり、彼に向かって手で払った。なのに、ロクサスは動かない。


「あの、ご相談しようと思っていたので、この場をお借りして申し上げます。レティア様は、私などにはあまりにも眩い方です。情けないのですが、隣に立つなど畏れ多いです。ですので、接触禁止令や地方へ配属などがあるようなら、甘んじようと考えておりました」


 ロクサスは深々と頭を下げた。


 え?


 私はワイングラスを落としそうになった。


 おい、潔ぎ良すぎじゃないか?


 私は演技も忘れてため息を吐き、ワイングラスをテーブルに置き、頭を抱えた。

 いや、困る。レティア本人は、本能なのか女の勘なのか既に失恋状態だが、現実を突きつけられるのと思い込みでは傷の深さが違う。


「畏れ多いって何だ。自己向上とか、出世欲、彼女への想い入れとか、何も無いのか?」


 本心がただ漏れる。返事が無い。何か言え。というか、レティアと手を取り合って逃亡するくらいの愛情を示せ。

 それは、レティアにも言える事か。彼女は一度だって、ロクサスとの恋を引き裂くなと口にした事はない。私が先回りしていたのもあるか。しかし、今日もそう。恐怖を飛び越えて、ロクサスの胸に飛び込むことはしていない。仕方がない、と諦めて、メソメソ泣いただけ。


 レティアに一番良いのは、何だ? ロクサスを焚きつけるのは簡単。誠実な単純男を刺して、動かす方法や言葉は色々ある。


「何もだなんて! ただ、自信が無いのです。会うたびに、彼女の心が離れていっているのを感じております。手を伸ばそうとする度に、遠ざかっていて……」


 勢い良く立ち上がると、ロクサスは悲痛、というように顔を歪めた。声が震えている。


「レティア様を利用して、出世したいだなんて、思っていません。此度の外交にて、何か少しでも爪痕を残し、こちらを見ていただきたいと思っています!」


 やる気はあるのか。ロクサスの目は闘志に燃えている。


「狭い世界で、たまたま近くにいた私を選んだ。そうではなく、大勢の中から私だと決めて貰いたいです!」


 ど真面目なロクサスらしい考え。暑苦しくてうざったいな。私にではなく、本人に言え。思わず、苦笑が漏れた。


「あのなあ、ロクサス。仕事が出来る男になったって、女心は掴めない。そういう想いがあるなら、伝えないと無意味だ。特にあの小娘は恋愛事に鈍感な上に、男性心理に疎い。何せ、彼女の周りにいた男は父親くらい。それこそ、そういう狭い世界で生きていたんだぞ」


 同じ年頃の、おまけに恋敵に、何でこんな説教をしないとならない。私はワイングラスを手にして、中身を全部呷った。

 反対の手でワインボトルを掴み、空のグラスに手酌でワインをしこたま注ぐ。飲んでないと、やってられない。


「まあ、君の気持ちなんてどうでも良い。信仰熱心で民に心血注ぐエトワールよりも役に立つ、本物の聖女だ。もし違くても、エトワールのように祭り上げる。それを傷つけて、使い物にならなくされるては困る。褒めそやして、機嫌を良くして、働かせろ」


 迷ったように視線を彷徨わせると、ロクサスは唇を噛んだ。


「使い物にならなくなる……。そのような言い方……。それに、私などでは……」

「自己卑下で相手の気持ちを見失ったり、自己満足に溺れて惚れた女性をぺちゃんこに潰すような阿呆男に非難される筋合いは無い」


 察しの悪さと自信の無さは、レティアの件を抜いても批判したいので、睨んでおいた。

 首が飛ぶ覚悟で宰相に楯突くくらいレティアへの熱があるようだから、許してやる。


「誤情報と勘違いの訂正が出来て良かったな。ついでに、フィラントに気に入られていた幸運に感謝しろ。レティアはアルタイル王国の新しい柱にして、大事な駒だ。使い物になるようにしてくれ」

「ですから、そのような言い方はお止め下さい。駒などと、彼女は感情のある、生身の人間です!」

「喧しい。そっくりそのまま返してやる。畏れ多い? 君に距離を置かれ、冷たくされて、めそめそ泣くし、期待に応えようと張り切って酔い潰れている。名前と肩書きが変わったくらいで、人の中身は急激に変わらない」


 ハッと気がついたロクサスに、自分で気が付けと内心毒を吐く。いっそぶん殴ってやりたい。しかし、ニッコリと笑って、肩を揺らした。


「上司に噛みつくな。世渡り下手め。いや、ある意味上手いか。あの他人に興味の薄いフィラントの友人だもんな。君が謙遜して否定しても、フィラントは絶対そう思っているぞ。覚えておけ」


 ロクサスは「えっ?」と間抜けな声を出した後、一瞬嬉しそうな顔になった。早く部屋を飛びだせよ、この大馬鹿男。喜んでいる場合ではない。めそめそ泣いていたって教えてやったのだから、とっととレティアのところへ行け。熱はあるようで、足りないのか。中途半端な男だな。


「それからなあ、君にとっては宝物でも、私は彼女には……」


 何の思い入れも無い。そう、言い切るつもりが、言葉が喉に引っかかって、止まった。慌てて酒を口に入れて誤魔化す。

 ゆっくりと息を吸い、落ち着け、と自分に言い聞かせる。それで冷静になれた。

 しかし、嘘をつきたくない。レティアに何の思い入れも無いと、どうしても言いたくない。

 こんな風に嘘が辛いのは、久々だ。数年前、上手く立ち回れって守り切れるか分からないフィラントを突き放して、エトワールと亡命させようとした時以来。

 真冬の川で体を洗った時のように寒々しく、飢えて死にかけた時のように苦しい。


「悪い。君の気持ちは分かった。私が大人気無かった。挑発して、とっとと働いてもらおうと思っただけだ……。レティアは……」


 本心に近い言葉を探す。あまりにも胸が痛い。


「エトワールのお気に入りで……クラウスも懐いている。兄上と血が繋がっていて、コランダム様の心証も良い。だから、私もレティアには、多少思うところがある。君なら、利益のない縁談を進めてやっている理由くらい、察してくれると思っていたんだけどな……」


 苦笑を浮かべる。もっと信頼しろよ、と訴えるような表情作り。胸の痛みなど、我慢だ我慢。

 誤解とすれ違いが終わって、レティアはロクサスの事で、可愛らしく笑う。キラキラと眩しい、愛くるしい笑みを想像して、胸の痛みを和げようとした。……割と上手くいきそう。少し、活力が出た。


「あの……本当に申し訳ございません……。そうですよね。ユース様は、私達に良くして下さっているのに……。それなのに私は……つい……」


 縮こまり、情けなく謝罪するロクサスに、苛立ちは更に積もった。私は、こんな男に挑戦すらせず、すごすご退散するのか。しかし、仕方がない。レティアの為だ。

 めそめそ泣かれて、助けて欲しいと縋り付かれ、貴方なら絶対に助けてくれると信頼寄せられた。それを今の私は足蹴に出来ない。

 ここは長年培ってきた演技力の発揮しどころ。ニッコリと笑って、パチンッと指を弾く。


「そっ。分かれば宜しい。青臭い男は嫌いじゃない。腹に一物あるような奴は信用ならないが、君は逆。ただ、噛みつく相手は考えろ。こんなでも、国王宰相だぞ?」


 口調は軽く、良く使うウインクも披露。馬鹿な道化だな、と自分を嘲笑ってみる。虚しい。


「申し訳ございませんでした。お気遣い、誠にありがとうございます」


 ロクサスは謝罪と尊敬のこもった瞳で、大袈裟な会釈をすると、展望室から去っていった。


「疲れた……」


 私はドサリとソファに倒れ込み、突っ伏した。顔を横に向けて、ワインボトルを掴む、

誰もいないし、とワインボトルから直接酒を飲んだ。


「疲れた……」


 今日の予定は、アシタバ半島に到着し、流星国の領土内の小さな街に泊まるだけ。流星国城下街へ入るのは明日の朝。直接向かうと、国王陛下との謁見が夜更けになってしまう。

 絶対に必要な書類作成や考え事も無いし、酔っ払って寝てしまっても、支障はない。

 

「ここまでしてやって、ダメになるなら知らん……。裏切りじゃない……」


 もしも、万が一、この状況から二人がすれ違って、レティアがまた縋り付いて泣きついてきたら……。その時は抱きしめて、優しく慰めて、口説き落として……。

 それで、頼れるお兄様という立場を失うのは嫌だな。ユース様なら助けてくれるという、あの曇りのない信頼に満ちた眩しい眼差し。その煌きが、私の侘しい心を満たして癒す。

 ああいうものは、地位や名誉、金などでは決して得られない。大切にするべきだ。

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