空と恋と愛の旅 5
視界がふわふわする。酔う、とはこういう状態なのか。
「あの男みたいな娘に想い人か」
「そうみたいなのです。流星国に必要な人材探しと、お相手との駆け引きが目的みたいです」
こんな事、喋って良いのだろうか? 良い筈だ。切り込まないと、何も始まらない。お酒の力なのか、気が大きくなっている。
「変だと思っていたが、カールもユース王子も気が合ったと言い張るので、まあ良いかと思っていたが……」
アクイラ宰相は、膝に手を乗せて、頬杖をつき、チェス盤を睨んだ。厳つい顔なので、こういう表情だと怖い。少し、酔いが覚めた。
「気を引きたい……全く思いつかない。見合いという見合いを破壊していたのに、いきなりアルタイル王国のユース王子となら考える、と言い出だしたが……。それがそもそも妙だと思っていた。元々、アンリエッタと会わせてみようという話だったしな」
「アンリエッタとは、アンリエッタ・ハフルパフご令嬢でごさいますか? ティア王女と懇意で、エトワール様もお世話になっていると。あの、贈り物を預かっています」
「ええ。カールの幼馴染みで、常に対抗意識を燃やして、常日頃、ティア王女の隣を争っています。あの二人は、喧嘩ばっかりで、うんざりです」
カール令嬢と争う? エトワール妃から聞いているアンリエッタ令嬢像は「穏やかで気立ての良い気配り上手な方」である。あの自由人のカール令嬢と、喧嘩?
「ああ、あれか! 優秀な右腕は、優秀な右腕を揃えているもの。破壊魔神のカールには無理ね。それだ! あれに怒ったんだな。それで、フィズ様お気に入りの、フィラント王子や噂のユース王子に近寄ろうとしたって事か」
アクイラ宰相が、右手を握り、左手の掌の上にポンッと乗せた。
「しかし、あのカールが恋の駆け引き? 誰も思い浮かばない」
「あの、ティア王女殿下なら、ご存知かもしれません。私、何か尋ねられたら、カール様の為になるように致します」
アクイラ宰相やカール令嬢に恩を売る。それは、きっと役に立つ。交易契約を結ぶ為にも、流星国に擦り寄る必要がある。
駆け引きとか、策略なんて今の私には無理なので、誠実なお付き合いするしかない。両者が得をして、どちらも損をしない。ユース王子のやり方の真似が一番だ。問題は、その方法。ポンポン考えなしに喋るところから、改善しよう。
「それは心強い! 我が妻とも是非話していただきたい」
アクイラ宰相がワインボトルを掴み、私のワイングラスへと傾けた。もう飲めません、とは言い辛い。幸いな事に、三本目のワインボトルはもう空だった。
「新しい物を、お持ちいたします」
置き人形みたいなサー・マルクが、立ち上がった。
「いいや、俺が行く。君はこの壊滅的な盤面をひっくり返す手を考えてくれ。うちの国のマルクと、接戦だったのだろう?」
「あの、自分をご存知で?」
「当たり前だ! 引き抜きたい人材は、全員頭の中に入っている。フィラント王子のお気に入りは、全員だ」
「私がフィラント様のお気に入り?」
「そうだ! 頼りにしているぞ! 剣技の実力も素晴らしいという噂なので、フィラント王子と共に、我が国を支えて欲しい」
バシン、とサー・マルクの背中を叩くと、アクイラ宰相は鼻歌交じりで展望室から出て行った。突然、サー・マルクと二人きり。彼は感激、というように目を輝かせている。
「あのー、サー・マルク……。ユース様がフィラント様を流星国に奪われたくないと言っていますので、アクイラ宰相に飲まれないで欲しいです」
「へっ? す、すみません。フィラント様が流星国へというのは、前々から噂になっています。フィラント様も、満更では無いようで、それならついていきたいので、今の話は嬉しくて」
「フィラント王子が満更でもない?」
「あくまで噂です。フィラント様はご自分の事は、殆ど語りませんので、本心がどこにあるのか、私なんかは知りません」
サー・マルクは、背筋を伸ばし、ジッとチェス盤を見つめている。
いくら考えても、もうこの盤面はひっくり返らないと思う。我ながら、容赦無く戦ってしまった。手を抜くと、アクイラ宰相が不機嫌になるので、つい。
「フィラント王子は、アルタイル王国に必要な柱かと」
外交と騎士団を任された優秀な王子。騎士として暮らし、数々の戦で国を守り、王家の醜聞が流れれば、革命軍と王家の間に入り、無血で新たな政治体制へと導いた。巨大な柱だ。
「その通りだと思います。しかし、決めるのはフィラント様です。私はどこにでもついて行きたいです。きっと……」
続きはなかった。サー・マルクは右手で口元を隠し、日に焼けた顔を、少し赤黒くした。何故だろう?
「きっと?」
「いえ。私はフィラント王子を尊敬していて、地方領地の騎士から、王都勤務になれるまで、必死に働いてきました。その、なので、青薔薇の騎士団へ推薦されるのは、大変名誉ですけれど……」
サー・マルクは口元から手を離して、真摯な瞳で私を見据えた。
残念、と思っている場合ではない。今の私には、自分しか駒が無い。ここはサー・マルクを自陣に引き入れるべきだ。
「フィラント王子はアルタイル王国から出て行きません。そう聞いています。ですから、サー・マルクは私の近衛騎士を目指すべきですよ。フィラント王子直轄でしょう。その為には、私に気に入られる方が得だと思いません?」
「フィラント様から? 直轄?」
私はニッコリ微笑んで、頷いた。嘘はついていない。私も噂を聞いているだけ。直轄は単なる推測。
「そもそも、王太子の息子を連れて国を出るとも思えません……」
不思議、という表情を作る。本当に出来ているのかは謎。鏡で確認したい。演技力というか、表情作りの練習は毎日しているけれど、誰かに採点してもらっている訳でも無いので、自信が無い。
「確かに、その通りです。あの……大変失礼な事を申しました……」
身を縮めたサー・マルクについて、考察する。先程の発言は、王女の近衛兵になりたくないというのと同意義。それに気がついた、という感じだろうか?
自分だったらそう思う。ここから、どうしたらサー・マルクに私の味方になってもらえるのか。必死に考えてみる。相手の弱みを握って、その弱点を守る事で手駒にするのがユース王子の手口。
私、さっきからユース王子の模倣をしようとしているのか。何故? それにしても、難しい手だ。だって、相手の弱味なんて、簡単には把握出来ない。相手の性格も見抜かないとならない。
「レティア様……あの……」
怯えた様子のサー・マルクに、私は慌てて手を横に振った。
「違います。こういう顔立ちです。黙っていると、強面らしく……。あの、サー・マルク……。交易契約を結ぶ助力の為に、アクイラ宰相と親しくなっておきたいです。その為にカール令嬢の為になる事をしておこうかと。今までの話、聞いていましたよね? 流星国へ行かれたことがあるなら、何か知りません?」
ぶんぶんと顔を横に振ると、サー・マルクは俯いた。
「強面だなんて……。あまりにも悲しげだったので、傷つけたのかと思いまして……。すみません。決して、貴女様のような方の護衛をしたくない、なんて意味ではありません」
「私のような? 知っての通り、そこらの田舎娘です。少し顔見知りの私と、尊敬する方を天秤にかけたら、当たり前の事です」
そうだ、田舎娘だ。学校に通った事もなく、友人一人だっていない。いや、友達は出来た。オリビアだ。歳の差が気になるけれど……。同じ年頃の友達か。いたらいいのに。出来れば恋や政治の難しさを知っている人。甘ったれた思考に、自然とため息が漏れた。
こんなちっぽけな存在なのに、どうしてロクサス卿はあんなに私を畏れる。ご機嫌麗しゅうとか、恥をかかせますとか……なんで……。
「レティア様?」
声を掛けられ、慌てて滲んだ涙を指で拭う。危ない、また自分の事を考えてしまうところだった。
「すみません。いきなり自分の人生が変わって、中々ついていけなくて。泣き事を言ったり、考えるよりも、励まないとなりませんよね」
とりあえず、目の前の盤面を何手か弄る。アクイラ宰相の逆転は無理だろうけれど、接戦手前くらいにはなる。
こんな才能、役に立たない。本を読んだらすぐ頭に入るのだって、そうだ。知識や知恵は使いこなさいと無駄である。
「そうなのですか。しかし、初めから王女様だったような雰囲気です。あの、泣き言くらい普通だと思います。いきなり、背中に国なんていう重圧が乗って」
「私もそういう空気を感じます。重いには重いですけれど、ちやほやされて、あちこちで優しくされて、甘やかされているので、代わりに頑張りたいのです」
初めから王女のような雰囲気、か。多分、あの青薔薇の冠や不思議な恵の雨、魔除けで隠されていた王女という嘘のせいだ。ディオク王子と双子、なんていう噂話もあるとは、エトワール妃談。
あの手、この手、と駒を動かす。先程より、随分マシだ。
「それにしても、駆け引きなんて、上手くいくとは思えませんけれど、カール令嬢はどんな気持ちでお見合いしに来たのでしょう? いえ、分かります。追いかけて、会いに来て欲しいですよね……」
国を出るなんて、余程の覚悟だ。そこまでしないといけないなんて、片思い?
「あの、流星国城で、誰かと喧嘩する姿は見た事あります。若い官僚っぽい青年と、割と親しげというか、痴話喧嘩っぽい様子でした。後ろ姿だったので、誰かは分かりません。お役に立てなくて、すみません」
「それは朗報です、サー・マルク! お城で働く方、それで官僚。ありがとうございます」
顔を上げて、お礼を言うと、パッと目を逸らされた。
「あの、すみません。何か失礼でも?」
「失礼? まさか……」
チラリ、と私を見て、また目を逸らす。更には俯かれた。私の眉根が寄る。その時、人の気配がした。
「ははははは! レティア様、揶揄いは可哀想ですよ。美女にそんな愛らしい笑顔を向けられたら、そりゃあ直視出来ません」
サー・マルクの肩を叩くと、アクイラ宰相はソファに腰を下ろした。片手にワインボトルを三本握っている。それを、テーブルに置いて、一本のコルクを抜いた。
「揶揄ってなど……。あの、褒めていただき、ありがとうございます」
王女になって、髪や眉毛を整えられ、毎日綺麗な化粧をしてもらえているので、自分でも人並みの容姿になったと思う。そうか、サー・マルクは照れたのか。
「素直で宜しい! しかし、まあ、サー・マルク。なんていう腕だ。よくもまあ、ここまで……」
変化したチェス盤を眺めながら、アクイラ宰相はサー・マルクの肩に手を回した。
「いえ、あの、これは」
「しかし、感心せんぞ。これだけの美女、それも王女様と二人きりで、口説かないなんて、男ではない!」
サー・マルクが目を丸めた。私も驚いた。
「高嶺の花に手を伸ばし、努力して手に入れれば、己の価値はうなぎ登り。そうだ、レティア様。お気をつけ下さい。舞踏会ではですね……」
あの国のこいつはダメ。ハフルパフ公爵家の誰々はダメ。メルダエルダ公爵家のこいつはダメ。
何故だか分からないけれど、アクイラ宰相は私に「近寄ってはいけない男」の名前と特徴を語り出した。大事かもしれないので、頭に叩き込む。記憶力が良くて、良かったかも。
「良いですか、レティア様。コーディアル様の復活された染め物は、大変美しくて我が国の自慢です。エンパイアドレスは、大変お似合いでした。あと二十年若ければ、このアクイラ、貴女様に求愛し、この世で最も輝く女性にするところでした。実に惜しい。俺は生まれる時代を間違えた!」
話が急に変わった。ウインクが飛んできた。きちんと愛想笑いを返せたのか、分からない。ただ、自分の顔の筋肉は固かった気がする。
アクイラ宰相のチェスの手は止まっている。お酌をしようにも、アクイラ宰相はワインボトルを握りしめて、延々と手酌をしている。
「それにしても、いやあ……あのカールに恋人など……。いる訳がない。可愛いの、かの字もない娘にあり得ない。どうせ、国では騎士になれないから、エトワール様付きの騎士になろうと、いや、ティア様から離れるなど……。いいや、騎士になる、なる、絶対なると煩かった」
アクイラ宰相の話は、取り止めが無くなった。しかも、最早独り言である。これが、酔っ払いなのだろう。ちょっと、いやかなり面倒臭い。
「おおお、レティア様。グラスが空です。気がつかなくて、すみません。どうぞ。いやあ、アルタイル王国のワインは美味しいです。我が国のも好きですが、これも大変好ましい」
空じゃないのに、ワインを勧められ、慌てて自分のグラスの中のワインを飲み干す。
繰り返していたら、私の意識はプツリと切れ、気がついたら薄暗い空間に揺れる布を見つめていた。