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青薔薇の冠姫 5

 リチャード国王と光が注ぐ街並みを眺めて、民衆に手を振っていたら、突然暴風に襲われた。その後、何かに掴まれ、体が浮いた。口を何かに覆われ、声が出せない。

 気がついたら暗い場所。縛られてはいないけれど、恐怖で震えて動けない。何か、は私を離した。人だ。目の前の人は、全身を隠す法衣を纏っていて、何者なのか分からない。距離が近過ぎて、私の視界はほぼその法衣。


「お帰り、姫。ずっと待っていた」


 男性の声。それも、若そう。聞き覚えのない声色だ。


「彼らは君をルシル姫と混同している。彼女はいつも彼らと共にあった。だから、愛されている。お帰りと祝福している分、彼らは時に少々過激にもなるだろう」


 何の話で、彼らとは誰?


 優しい口調なので、震えが消えていく。まるで、春の陽だまりの中みたいに温かい雰囲気。攫われたような状況なのに、実に奇妙な心理だ。


「城下の神殿で歌い、踊り、祈りなさい。甥と神殿を探検しても良い。それから、君達一族はこの地から離れない方が良い。この土地から、加護が失われる」

「あの……」

「この地の守護者は君を守り、美しく飾りたいそうだ。今は一先ずおやすみ、レティア 」


 手を取られ、引き寄せられる。手の甲に生温かさと、固くて冷たい感触がした時に、足首にチクリと痛みを感じた。意識が遠のいていく……。


「——……ト」


「——ロット」


「シャーロット!」


 私を呼ぶこの声は、ロクサス卿——……。重たい瞼を開く。ぼんやり霞む視界。重たい体。ここはどこ? 夢? シャーロット?

 懸命に目を開くと、ロクサス卿が切なげな表情で、私を見つめていた。誘拐された後と同じ。いや、もしかして私は誘拐されたショックで寝込んでいたのかもしれない。

 きっと、そうだ。奇跡のような青薔薇の冠、王都を舞う美しい煌めき、そして謎の男性。そんな人生なんてある訳ない。


「旦那……さ……ま……」


 ずっと会えていなかった気がする。私は思わず彼に抱きついた。背中にしがみつく。


「怖かった……です……」


 温もりに安堵。なのに、込み上げてくる涙は止まらない。ポロポロ、ポロポロ、ポロポロと涙が落下していく。ずっと我慢していた分だろう。


「寂し……あい……たかっ……」


 朦朧とする。グルグルと回る視界に、旦那様の照れ笑いが浮かんだ。いつもの優しい微笑み……。


——おかえり


——おかえり姫


——おかえり


 おかえり? この声は誰? 一度も聞いた事のない声だ。旦那様はどこ? 私の意識は再度暗いところへと吸い込まれていった。


 ☆


 目を覚ました時に、最初に飛び込んできたのは、酷く心配げなロクサス卿の顔だった。全身が怠い。右手が熱い。


「シャー……いえ、レティア姫様。良かった……」


 右手の熱は、手を握られているからだと気がついた。骨ばった大きな手の感触がする。


「だ……んな……さま……」

「ロクサス卿よ、レティア。旦那様だなんてまだ早いわ。でも、奥様、旦那様、って良い響きよね。また呼ばれたいわ。フィラント卿の奥様……素敵……」


 ロクサス卿の隣に、エトワール妃が現れた。彼女は、ぽわわん、と宙を眺めてうっとり顔。両手で頬を包み、てれてれしている。


「あー……エトワール。今はやめてくれ。レティア、気分はどうだ?」


 この声はフィラント王子。彼は私の左側にいた。少し離れた位置にある、椅子に座っている。ここはどこかの部屋で、私は寝台に横になっているようだ。


「顔色は良いな」


 フィラント王子は立ち上がり、体を屈めて私の顔を覗き込んできた。無表情なので、何を考えているか読めない。

 私は自分の最後の記憶を辿りながら、体を起こした。やはり、とても怠い。緩慢な動きだったからか、エトワール妃が私の体を支えてくれた。


「神様からの神託を受けるのは、とても疲れるのね」

「神様?」


 私の目が自然と丸まる。エトワール妃の目も丸い。


「覚えていないなんて……ますます、信憑性が……あら、まあ……」


 エトワール妃が私の左手を取り、ますます目を大きくした。手首に鉛銀色の腕輪が巻かれている。それはシュルリと解けた。

 蛇。蛇だ。頭部は鷲に似ていて、体は鉛銀色。毛羽立っているような鱗。目は深くて青い。人差し指くらいの太さで、長さは私の手首に巻き付ける程度。


——おはよう、姫


 喋った。いや、頭の中に声が響いてきた。謎の蛇の嘴のような口は動いていない。ちょろちょろと先端が分かれた舌を出しているだけ。


「可愛いお客様ね。大聖堂に現れた神様と同じ姿だわ」


 ()()()()()()()()()()()()()()()⁈ エトワール妃の発言にギョッとする。鷲蛇をもう一度見て、鋭い眼光だけど、確かに鳥みたいで可愛いかも? と感じた。爬虫類は嫌いだったはずなのに、嫌悪感もない。


「いや、エトワール、地下の神殿で時折見かける蛇だ」


 しげしげ、というようにフィラント王子が私の腕に乗る蛇を観察する。


「神殿に蛇が住んでいるって話をされていましたね。そういえば鷲に似ているって」

「ああ。王家の紋章も蛇だし、何か縁があるのだろう。神殿で襲われたこともないし、今もだが、害はなさそうに見えるな」


 フィラント王子とエトワール妃は見つめ合った後、ほぼ同時に鷲蛇に視線を移動させた。


——姫、雨が来る。西の川に近寄ってはいけない。流される


 また声。意識を失う直前に謎の男性と会った事が蘇る。


——姫。歌って


「レティア?」

「体が辛いのね。横になりましょう」

「いえ、あの……」


 謎の声、謎の蛇、謎の男性。話すべきだろうけれど、言葉が出てこない。信じてもらえるとは思えない。


「あの……。雨が……」

「雨? 快晴なのに、雨なんて……」


 窓の外を見ると、確かによく晴れている。


——歌って


「ママー! おうた!」


 この幼い声はクラウス王子。声の方向に目を向ける。部屋の隅のソファに、サシャが腰掛けて、膝の上にクラウス王子を乗せている。


「クラウスは歌が好きね。家に帰ったらね」

「お姫さまも、うたう! ください!」


——歌わないなんて、姫は変になった


 私の腕をシュルシュルと這うと、鷲蛇は私の肩に乗った。つんつん、つんつん、と頬をつつかれる。やっぱり、何故だか怖くない。気持ち悪いとも感じない。


「雨だ……」


 ボソリ、とフィラント王子が呟いた。窓に殴りつけるような雨が降り注いで、音を立て始めていた。


「嘘……。それなら、西の川が氾濫というのも……」


 流される、ということは氾濫するという意味に違いない。思わず、謎の声からの忠告を口にしていた。


「きらめくほしよ」


 突然足の上に重たさを感じた。クラウス王子が、ついこの間まで東塔で私を起こしていたように、私の上に飛び乗っている。


「かなえてほしい」


 クラウス王子があどけなく歌う。知らない曲なのに、懐かしい旋律。


「あーのこーのーねがーい」

「誰かの想い……」


 ポロリ、と歌が口から溢れた。


——何だ、姫はやっぱり歌ってくれる


 ピョン、と鷲蛇が私の肩から飛び降り、クラウス王子の頭の上に乗った。体をピンも伸ばし、左右に揺れる。微風に揺れるように、ゆらゆら、ゆらゆらと。

 その下で、クラウス王子も頭を揺らす。ニコニコ笑いながら、私を見上げ、楽しそうに歌っている。


「なーがーれーぼーしー」


——ヘンテコリンが何か言ってる


——こいつの言葉は分からない


——帰ってきた


——また帰ってきた


——おかえり姫


——お祝いにまた魚をあげる


 同じ声がいくつも重なって頭の中に響き渡る。この声が聞こえているのは、私だけではなく、クラウス王子ものようだ。彼が私を「お姫様」と呼んだのも、青薔薇の冠があった神殿で、何もいない空中を指差して、誰かから何か聞いたような様子だったのも、これか。

 謎の男の台詞が脳裏をよぎる。彼ら、はこの鷲蛇だ。それで、一匹ではない。私はルシル姫と間違えられているらしい。クラウス王子も? しかし、こいつの言葉は分からない、と聞こえた。

 青薔薇の冠、謎の声、謎の男は夢ではないらしい。そして、私は間違いなくアルタイル王族だ。私という娘は、こんな訳の分からない存在だったのか……。


 ロクサス卿と目が合った。不審そうな表情をしている。こんなの知られたら、嫌われる。いや、別にクラウス王子を嫌だとか怖いと思わないから、素直に話したら……受け入れて……くれたりとか……。

 

 悩んでいたら、体調不良と思われて、寝なさいと促された。ロクサス卿は始終難しい顔をしていて、それで胸が痛くてならなかった。


 この夜、豪雨がアルタイル王国を襲い、西にあるセヌ川が氾濫。レティア姫は、かつて不幸を回避する予言と恵みを与えたルシル王妃の再来。そういう噂が、国中を広がっていった。

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