青薔薇の冠姫 4
アルタイル大聖堂から眺める王都に、光苔という青く輝く苔が舞う。青空に舞い落ちる煌めきは、実に幻想的。大変、満足。
リチャード国王と並ぶ、新たな王女レティアへ注がれる歓声にも満足。
私はさり気なく、来賓のアクイラの隣に立った。娘のカール令嬢は反対側に居る。真紅のコートと同じ色のベスト、そして黒い線の細いズボン姿。男性なら正装であるけれど、彼女は女性である。こういう他国の式典でさえ、男装姿を貫くのか。鋼の心臓には、ある意味感心してしまう。
「おおお、市中で全く見なかったのに、この国でも光苔を栽培されているのですね。なんとも美しい。なあ、カール」
「まあ、良い演出だと思います。この様子ですと、この国の方々は光苔の存在を知らないようですから」
アクイラ越しに、カール令嬢が笑いかけてきた。目の奥の光は実に刺々しい。
それはさておき、今良い話を耳にした。光苔とやらは栽培出来るということ。城内の隠し神殿とその通路に生えている、光る植物を育てられれば、高価なランプなど不要になるんじゃないか? 庶民にも明るい生活を与えられる。
「演出……そうか、演出か。そうなんですか? ユース王子」
「ええ。この想いを届けるのに、相応しい光景をと思いまして」
私はカール令嬢の前へと移動した。片膝をつき、彼女を見上げる。浮かべるのはもちろん笑顔。
見合いに来た相手を、このような場で無下に出来るか? いや、無理だ。そうだろう? と私は彼女の左手をとり、手の甲にキスを落とした。キスと言っても、手袋に唇を近寄らせる挨拶の仕草。
カール令嬢の愛想笑いに、頬の痙攣が加わっている。一方、アクイラは満足げなツヤツヤのにやけ顔。兎に角、娘を結婚させたいというのは、本心らしい。毎晩、彼と飲んで、その辺りは探り済み。
「こんなに誰かを知りたいと思ったことは、初めてです、カール令嬢」
「父上。私は三国で祝われたいです。この国、流星国、そしてお祖父様やお祖母様のいる煌国でです」
私を無視したカール令嬢は、甘えるように、父親のアクイラの腕を掴んだ。
「ですから、一度帰りましょう。ドレスをコーディアル様とティア様に作っていただきたいです。あの、エンパイアドレスのようなデザインで。交易の役にも立ちますよね?」
「急にどうした⁈ そうか、ここまでされればお前でもときめくのか⁈」
アクイラが勢い良くカール令嬢を抱き締めた。彼女は嫌そうに顔を歪めている。
「ええ、まあ。そうです。ですから、すぐ挙式ではなく、一生の思い出に、あれこれ準備をしたいです」
「そりゃあ、そうか。そうだよな。すぐにでも挙式なんて、急ぎ過ぎていた」
よしよしよし、すぐに挙式する、もう結婚式典だと迫っていたので、カール令嬢は逃げると思っていた。一先ず、これで時間稼ぎが出来る。
逃げようと隙や弱点を晒すと、権力を有するカールの掌の上で転がされる。なら、選ぶのは逃亡ではなく攻撃だ。
フィラント達をこの国から簒奪しようなど、不愉快極まりない女性なので、いっそ手篭めにしてやる。カール令嬢にディオクを飾るのは後回しだ。
「父上、婚約話やドレスの感想を話していただきたいですので、外交官一家に流星国へ来ていただきません? それから、奇跡の恩恵があるかもしれませんので、レティア王女も」
「レティアは諸外国にご挨拶をしたいそうですので、是非。申し訳無いのですが、フィラントとその家族はしばらく公務が立て続いております」
立ち上がり、カール令嬢にウインクを投げる。案の定、睨まれた。
「それならそれで良いです。レティア王女は我が国の王女と良い友人になるでしょう。そういう気がします。カール、お前は帰国すると、気が変わったと言い出す。帰るのは彼と宣誓してからだ」
アクイラは娘から離れ、彼女の両肩に手を置いた。カール令嬢が、父親に向かって私には向けない可愛らしい笑顔を作る。実に嘘臭い笑い方。
「まさか。父上、私は初めて胸が踊……っ⁈」
ベシリ、とカール令嬢の頭に魚がぶつかった。魚⁈ なぜ空から魚⁈ 見渡すと、あちこちに魚や貝、それから海藻が降ってきている。晴天にはやや厚めの雲。
これはリチャード国王の戴冠式前後と似たような現象だ。フィラントの頭に、たまに魚やきのこが落下してくるのと同じ、謎の現象。
この国に、大量の飛行船はない。それに、このような計略を企てるとしたら、私かディオクくらい。私ではないとするとディオクになるが、そのディオクは私の斜め右前方で目を丸めて固まっている。
海産物と、軽くて風に簡単に浮かぶ光苔とは訳が違う。これは、本物の珍事だ。
ただ、偶然にしてはタイミングが良すぎる。しかし、レティアには追い風。そう思った時に、本当に突風が吹き荒れた。
レティアの青いドレスや髪が風に翻る。まるで花が咲いたようだ。彼女の周りに、青い花びらと光苔がまとわりつく。
私の腕に鳥肌が立った。あの冠といい、この海産物の雨といい、戴冠式や普段のフィラントへの落下物といい、アルタイル王族は本当に特別な血脈だ。
こんなの、過剰だ。私ならこんな演出はしない。この世に神なんている訳が無いが……いるのか?
下手したら、レティアが欲しいと、他国から攻められるんじゃないか?
疑問と懸念が脳裏をよぎった時、レティアの姿は忽然と消えた。
「レティア⁈」
「レティア王女⁈」
「レティア様⁈」
あちこちから、彼女の名が叫ばれる。私も叫んでいた。レティアの姿はどこにも見当たらない。
誰よりも大きな声を出したのは、ロクサス卿だった。取り乱す彼に何か声を掛けたフィラントが、近衛騎士団長と共に指揮をとり始める。
カール令嬢が、自分も捜索に加わりますとフィラントに駆け寄っていく。何やら話をした後、カール令嬢はフィラントの隣に並んだ。
指示を受けた騎士達が、国王を始めとした王族を大聖堂内へと促していく。
「カール! あまり野蛮な振る舞いはしないように!」
止めるかと思ったのに、アクイラは娘に声援を送った。
「時と場合によります、父上!」
屈託無く微笑んだカール令嬢は、実に可憐。周りの騎士達が、次々と見惚れた。手には剣、そして豪快な笑顔という、淑女とは正反対の姿なのに。私もつい目を奪われた。
それで、何となく感じる。彼女が国を出された理由。
「娘は煮ても焼いても食えませんし、ああなると止まらないので、すみません」
いやあ、あはは、とアクイラは豪快な笑い声を出した。
「もしかして、カール令嬢に縁談話が舞い込み過ぎて困ったりしています? あと、それ関係で政治が荒れそうとか」
「ん? 何です、急に」
「お嬢様は実に可憐で、自由奔放ですので」
アクイラは嬉しがるかと思ったら、渋い顔になった。
「処理が大変なくらいには。あれは本当に自由過ぎる。だから、ティア様に頼んで断れない話を用意したのです。勿論、相手側もですが……。気に入って下さるなら、これ以上はないです。一度受け入れてもらえれば、気立ての良い娘だと分かってもらえると、自負しています」
親しげな笑みを投げられ、狼狽しそうになった。信頼に値する心根など有していない。
言うことを聞くように惚れさせ、傷つけ、投げ捨てて、他の男を当てがおうと思っている。胸は痛……くない。これが私だ。自分の優劣に従って、時と場合によっては、相手を蹴落とす。
「アクイラ様、ユース様、ご避難を」
一番近くで護衛についていたダグラスに声を掛けられた。次々と近衛兵達に囲われる。立場もあるが、非力で運動音痴の私は、捜索隊には加われない。レティアは無事か? 心配はするが、他の者達に任せるしか無い。
私はアクイラ宰相の腰に手を回し、彼を大聖堂内へと促した。リチャード国王やコランダム王太妃、エトワールやクラウス達は、先に大聖堂内に避難している。全員、一様に目を見開き、固まっていた。
「単なる誘拐ではないと思いましたけど……これは……また……どうやったのです?」
隣に立つアクイラの問いかけに、私は首を横に振った。
「こんな演出……出来ません……」
それから、目の前の光景に呆然とした。
正円十字架の下に咲き乱れる青い薔薇。ステンドグラスの光の柱の真下、そこにいるのは、大男の太腿よりも太い、大きな蛇。その蛇の背にレティアが座っている。昼寝、というように目を閉じていて、さながらおとぎ話の眠りの王女のようだ。
レティアを背に乗せる蛇は、鷲に似た頭部で体は鉛銀色。毛羽立ったような鱗だ。深くて青い瞳が、ジッとレティアを見つめている。
この国が祀るのは、鷲と風の神。
そして、アルタイル王族は、生まれた際に体の一部に刺青を入れられる。その柄は、双頭蛇。
「鷲……蛇……」
思わず口から溢れ落ちる。私の横を風が吹き抜けていった。
「シャーロット!」
ロクサスが転びそうになりながら、走っていく。一瞬見えた横顔は、畏怖の念で引きつっていたけれど、それでも彼はレティアへ手を伸ばすらしい。しかし、動転しているとはいえ、消し去った名を叫ぶとは、政治家——それもフィラントの秘書官——失格だ。
ロクサスが駆け寄っていくと、蛇は尾で祭壇にレティアを下ろした。そのまま、するすると壁を登っていく。
残されたのは、ステンドグラスからそそがれる七色の光と、全身にまとわりつく光苔で輝く、中々美しい乙女の姿。
若くて中々ハンサムな貴族に抱き支えられて眠る、青薔薇の冠で飾られたお姫様は、実に絵になる。
「汝、祈れ。汝、歌え。汝、助け、与えよ。蛇鷲神は姫と共にある」
凛としていて、ゆったりとした男性の声。大聖堂に反響する声の出所は分からない。
私はとんでもない娘を見つけ出してしまったらしい。
そして、この国は得体の知れない何者かに目を付けられているかもしれない。私は、神や奇跡なんて信じない。
☆★
こうして、ユース王子の駒として王都に呼ばれたシャーロット・ユミリオン男爵令嬢は、レティア・アルタイル王女となりました。
この日より、彼女はこう呼ばれます。
敬愛を込めて、青薔薇姫。それから、畏怖の念が込められた「鷲蛇姫」です。