男爵令嬢、面談する
慰労会を楽しんでいたら、ロクサス卿がやってきて、応接室へ行きましょうと促された。彼と父と私の3人で、侍女の仕事内容や条件の確認をするという。エトワール妃、何とか伯爵——覚えられない——夫人達とアリスで、古典文学「輝き姫」の感想を話していたのに残念。
「ロクサス、たまに2人を東塔へ遊びに連れてきてね。オリビアもよ」
「はい、エトワール様。いつもありがとうございます」
「シャーロットさん、アリスさん、またね」
去り際、エトワール妃は笑いかけて、手を振ってくれた。会釈を返す。花が咲いたような可憐な笑顔。女から見ても惚れ惚れするような愛くるしさ。ユース王子との契約、エトワール妃と仲良くは簡単に守れそう。
「お姉様、お妃様って噂通りの方でしたね」
「ええ、そうね」
「私の妹はよくお世話になっています。誘われたので、妹と共に東塔を訪ねると良いですよ。エトワール様は、あのような笑顔で社交辞令を言いません。本心です」
「妹とは、オリビア様ですよね? 先程、ユース様からお名前を教えていただきました」
それで、このロクサス卿は独身。なのに、私は貴族侍女として預けられる予定。それは何故ですか? と質問したかったけれど、アリスが喋る方が早かった。
「東塔とはどのような所ですか?」
「東塔はエトワール妃がフィラント王子、息子のクラウス王子と暮らしている所です」
ロクサス卿は、アリスの質問に丁寧に答えていく。ロクサス卿の妹オリビアは、エトワール妃と懇意。年はアリスと同じ12歳。ロクサス卿はフィラント王子の側近。ユース王子から聞いた話と相違ない。私とアリスはとんでもない人物の家に預けられるようだ。「オリビアやアリスさんといつでも遊びに来てね」という、エトワール妃の発言からも、ロクサス卿とその妹は、いかにフィラント王子とエトワール妃との親密さを感じた。
ロクサス卿は私達と部屋の隅へ移動した。村で会った騎士——貴族服姿——と、品の良さそうな少年と目が合う。
「スヴェン、例の子だ。オリビアの所へエスコートしなさい」
「はい、兄上。アリス・ユミリオン男爵令嬢、初めましてスヴェン・ミラマーレです。妹が談笑していますので行きましょう」
アリスが挨拶をする前に、スヴェンはアリスを連れて行ってしまった。ロクサス卿には、弟もいたのか。スヴェンとアリスの後ろに騎士も続く。
「君は向こうだ。はあ、人使いが荒い」
小声でボヤくと、ロクサス卿は私を壁際へ追いやった。まるで。私を背中で隠すように移動。すると、足に何か当たった。振り返ると壁が動いていた。隠し扉。体の半分くらいの高さの所だ。
「そのままこっちへ」
ユース王子の声。スカートの裾を引っ張られる。これ、逃げた方が……逃げられない。ロクサス卿だけではなく、いつの間にか背の高い男が三人集まっている。うち一人は村で会った騎士。何をされるか分からないが、行くしかない。どうせ最悪の人生、それなら王子を信じて、バカを見る方がマシだろう。今のところ、嘘や不安材料は無い。私は腰を屈め、隠し扉をくぐった。目の前に形の良い掌と揃えられた指が差し出される。戸惑っていると、そっと手を取られた。実に優しい手付き。
隠し扉の先は、本棚に囲まれた小さな部屋。美味しそうな香りが充満している。部屋の中央にあるテーブルに、食事が並んでいた。それに、ワイングラスとワインボトルも置いてある。
「うん、度胸もあるな。それも君にした理由だ。で、信じた結果、こうなる」
会釈をすると、ユース王子がテーブルを示した。立食会場にあったのは軽食だけど、目の前にあるのは魚のムニエル、スープ、サラダ、そしてワイングラス。
「食べなさい」
ソファへエスコートされ、気がついたらナイフとフォークも持っていた。ユース王子が向かい側のソファに腰掛ける。足も腕も組んで、ジッと私を見据える。笑顔だが、嘘臭いというか、愛想笑いに思えた。
「あの……」
「助けてくれた可愛いご令嬢。ちょっと遊ぼうとしたら、かなり素っ気ない。私にそんな態度のご令嬢は珍しい。気になって仕方がない。本気で好きになりそうとは、このことだ」
酷く悲しそうな表情。
「へっ?」
ユース王子があまりにも切なそうで、思わず戸惑いの声が漏れた。王子が私を? そう思った瞬間、ユース王子は、満面の笑顔になり、白い歯を見せた。
「騙されないように。そういう筋書。それが、君にしばらくまとわりつく理由。側近の屋敷で働かせる理由。そういうことだから、しばらく今日みたいな態度でいてね。君に演技なんて求めてない」
さあ、食べろ。と促された。ユース王子は素敵な笑顔を浮かべているが、目の奥の光は怖い。
「あの、はい……」
「本当に良い観察眼だね」
「え?」
「怖がらなくて良い。利用する駒が従順で役に立つのなら、捨て駒にはしない」
見定めるような視線に射竦められる。怖がるなって、怖い光の目だ。
「ロクサス卿は真面目な男だ。真面目に働けば、正当な見返りをくれる。エトワールの覚えも良さそうだったし、妹と共に、新しい世界で好きに、自由に生きると良い」
そう言うと、ユース王子はワイングラスを手にした。慌ててワインボトルを手に取り、酌をする。
「気がきくね。流石その年で地方官の替え玉をさせられていただけある」
「え? あの……」
「色々と調べた。私に従うしかない環境、聡明そうなところ、度胸、見た目などなど。私の目的に対して、条件が見事に一致したのが君だった」
ユース王子は私の手からワインボトルを奪った。そっと、優しく。手酌でワイングラスにワインを注いでいく。フルーティな匂いの白ワイン。ユース王子はやはり怖い。何もかも見透かしているような目が恐ろしい。美麗な顔立ちなのもあり、まるで作り物みたい。だから、上手く言葉が出てこない。
「自らの行動は必ず自身に返る。これまでの君の人生は無駄ではなかった。それを忘れるな」
ワイングラスを差し出された。ユース王子はもう一つのグラスに、またしても手酌でワインを注いだ。全然、口を挟める雰囲気ではない。王子に手酌なんてさせるものでもない。でも、有無を言わせない雰囲気に流されてしまう。カチン、と小気味好い音が室内に響いた。
「ユース様の目的は……聞いてもよろしいのでしょうか? その、間抜けな事を言ったりしないように……」
「声を上げる、質問するというのは良い事だ。偉い偉い。受け身でいたって、人生は好転しない」
目的を話すつもりはないらしい。
「私は酒と女がとても好きだ。とても1人なんて選べない。でも可愛い妹やその友人は、浮気男や女誑しが嫌いだから怒る。私はあんな可愛げのない顔で怒られたくない」
ふくれっ面になると、ユース王子はワイングラスに口を付けた。
「怒られたくない?」
「そっ。一途になったって見せたら、愛くるしい義妹は、きっとニコニコしてくれる。真逆は最悪。可愛げのかの字もない。最低」
「そ、そんな……そんなことで?」
こんな豪華な城に住み、贅沢三昧。恵まれた容姿に、命じれば何でもしてくれそうな部下。父の首を飛ばし、任地変え出来るように、政治も思うまま。こんな大掛かりな芝居の理由が、怒られたくない⁈
「へえ、君のそういう所は好まないな。むしろ嫌いだ。そんなこと? 私が元気に働く原動力だぞ。私が張り切って働くとどうなる?」
どうなる? 突然の問いかけに声が出ない。しまった、つい口を滑らせた。反抗は禁止だった。ユース王子が、パチン、と指を鳴らした。
「怠慢者の任地変更。妹想いで働き者の健気な令嬢に手を差し伸べ、ついでにその妹も保護。君が暮らしていた地には、未来の中央官僚が新しい任命官として配属される。村は栄えるだろう。というか、栄えないと困る。私達の国だ。元々、調査していた」
パチン、とまた指が鳴る。
「で、私が張り切って働くとどうなる?」
見惚れそうな笑みなのに、目が怖い。私は余計な事を言って、ユース王子を怒らせた。
「可愛い妹達は、特にエトワールは、奉仕活動を熱心にする。王家と市民の接着剤。革命後、不安定な国政を支えてくれている骨格の一つ。庇護しないとならない。国から逃げられたら困る。彼女を守るのは誰だと思う?」
自分、とユース王子の顔に描いてある。私が答える前に、ユース王子はまた指を鳴らした。パチン、不穏な空気を切り裂くこの音は、叱責の代わりだと感じる。優しい笑顔なのに、単なる語りなのに、鳥肌と寒気がする。
「エトワールを不幸にすると、怒り狂って妻と逃げようとする夫がいる。外交と騎士団を任された優秀な王子だ。国から逃げられたら困る」
ユース王子は、ほんの少し目を細めて、私をジッと見つめている。張り付いたような笑顔に、冷や汗が出てきた。
「フィラントは無血革命の立役者。その人気振りは国王陛下より優る。国民なら知っているだろう? それとも虐げられて、その日暮らしだったから知らないかな? 彼等に逃げられる時、それはこの国が滅茶苦茶になった時だ。誰が防いでいる?」
答えはユース王子。そう言わんばかりの表情。またパチンと鳴る。そう思ったのに指は鳴らず、今度はウインクが飛んできた。
「で、この国に元気な私は不要かい? 元気を無くし、仕事が嫌になり、全部投げ出しても良いかな?」
恐怖で体が震える。私は思慮が浅くて、余計な事を口にした。しかし、こんな回答、分かるわけがない。
「いいえ……。申し訳ございませんでした。失言をどうかお許し下さい」
パチパチパチ、とユース王子が拍手をした。寒々しい笑みに、私の全身から血の気が引いている。
「いいかい? もう一度言う。利用する駒が従順で役に立つのなら、捨て駒にはしない。しかし、反抗したいなら、荷物をまとめて故郷に帰れ。その場合、ユミリオン男爵の任地変えはしない。他の村の整備から始める」
立ち上がると、ユース王子はワイングラスから白ワインを呷った。今の台詞、村も人質って意味?
「不味い酒。笑顔を灯さない女も嫌いだ。可愛いのに小生意気なのが気に食わない。おとぎ話みたいに、素敵な王子様が助けに来てくれた。そうやって可愛らしく笑う方が、人生明るくなるぞ」
はあ、とため息を吐くと、ユース王子は肩を揺らした。
「申し訳ありません。反抗や生意気……」
「申し訳ありません。そんなつもりはありませんでした。こういう顔立ちなのです」
言おうとしていた台詞と似たような事を言われ、動揺した。ユース王子は愉快そう。
「あはは。勿論、君に演技なんて無理だと分かっているから、思うまま生活して良い。失言だって別にして良い。私が好き勝手する。さて、片付けないとならない書類があるから失礼する。君は美味しい食事を堪能してくれ」
そう言うと、ユース王子は壁際に移動した。本棚を動かすとまた隠し扉。いなくなると思ったら、背後に気配。振り返ると、ユース王子は私の頬にキスしてきた。
「かっわいい! 真っ赤になって初心だね。私を誘うのはいつでも歓迎だ。これからしばらくよろしく、シャーロットちゃん」
ぽんぽん、と優しい手付きで頭を撫でられる。今度は心の底からというような笑顔。幼い子供を見るような、温かな光を帯びた眼差し。ユース王子は隣室へ消えていった。
絶対服従。そうすれば、優しくするけれど、逆ならペチャンコに潰す。今の会話の流れは、そういう意味な気がした。
私はキスされた頬に手を当てて、しばらく途方に暮れた。