逃げる女好き王子、罠にかかる
仕事が増えて面倒。自業自得だけど、誰かに押し付けたい。青薔薇の冠姫に対応する書類はまだ書きかけ。
エトワールが、レティア 、レティア 、可愛い妹、という感じなので、降嫁の道を消したせいだ。人が良くて真面目が取り柄のロクサス卿を、蹴り上げないとならないし、あってもあっても時間は足りない。なのに、婚約話は進んでいく。
窓の外は、もうどっぷりと闇に包まれている。今夜は天気が悪く、星は見えない。向かい側のソファで、流星国宰相アクイラが、私とマクシミリアンが取りまとめた改訂版の交易契約書に目を通し……さずに、テーブルに置きやがった。この野郎。
「交易関係の権限は無いので訪国の際に、我が国の王か王太子と会談していただきます」
さあ、ワインを注げというように、空になったワイングラスを差し出される。素直に酌をした。
「それよりも娘だ。おい、君、まだ一言も口説いていないだろう?」
「それは、どういう意味でしょうか? 婚約発表や式の日取りを調整している……」
「娘に惚れても居ない相手に、嫁がせる訳が無いだろう!」
ふんっ、と胸を張ると、アクイラは眉を釣り上げた。先日と話が違くないか? 腹の立つ親娘だな。
「ご息女は、どのような方を好まれますか?」
「ダメだ。ダメだ、ダメだ! その嘘臭い笑みなど、カールは踏み付ける。少々、目を肥えさせ過ぎた。ここには誰も……まあ君の護衛は居るが、本音で語ろうでは無いか」
豪快な笑みを浮かべると、アクイラはワイングラスをテーブルに置き、両手を膝の上に乗せた。仕方ないので、笑顔を崩す。
隠し通路に控えるダグラスや、隣室に待機するバランに気がついているのには、驚いた。
「私はこの国を死んでも離れません。娘の晴れ姿や孫が見たくて、流星国に優秀な者が欲しいのでしたら、弟でどうです? 勿論、他にもリストアップ出来ます」
へえ、と目を丸められたが、何に驚かれたのか予想を立てる。いきなり明け透けなくなったことに対して、ではなさそう。それが少し不思議。
「死んでも離れない、とはその身分なのに王子として扱われ、おまけに宰相として励んでいる事に繋がりますか?」
今度はこちらの目が丸まりそうになった。そうならないように、目に力を入れる。対外政策として、私とフィラントはどちらも王子で、奴隷と王子——その後は騎士と王子——の二役を二人でこなし、内外から国を守ろうとしていた。という話にしてある。
真実は、ただフィラントが救ってくれただけ。二人二役ではなく、彼は奴隷の人生を背負ってくれた。殺して成り代わろうとした私とは、真逆の思想。
同じく、気がついても固く唇を結び、それどころか知識や教養を与えてくれたのは、引きこもり王子だったリチャードである。
「ええ。まあ、そうです」
「調べれば調べる程、君の人となりは分からない。娘が絶対にあの男だと……」
「父上! その話をしたら、首を刎ねますよ!」
コン、バーンと音を立てて入室してきたカールに、呆気にとられる。ノック1回で、おまけに扉を開くのに音を立てる令嬢とは、全くもって淑女ではない。カールは手にナイフを握っていて、父親に突きつけた。
「おい、カール。淑女はナイフを持たない……」
脅しかと思ったら、カールは本当に父親の首にナイフの刃を当てた。それで、私を睨みつけてくる。美人が台無しの、鬼のような形相。なのに、顔は真っ赤。
「私はその続きを聞きたいです、カール令嬢」
指名なのは、本人の希望か。頼まれたから、とりあえず婚約するというのは嘘らしい。
海を越え、権力を振りかざして、とりあえず婚約して仲を深めたいというのは……少し可愛い気がする。照れ隠しがこんなに激しい態度なのも、とても興味深い。面白い。
笑いかけてみたら、益々睨まれた。訳が分からない女性だ。
「いいか、別に尊敬する王女に言われたからとか、エトワール様があまりにも勧めるからとか、そういう事ではない」
そういう事、らしい。あんの、お節介義妹め。数日以内に懲らしめてやる。いや、ここのところ眠い、怠い、すみません、とグッタリしているので、止めておこう。
最近活発になってきたクラウスの世話役も選出しないとならない。疲れる。たわわな胸に挟まれ……目の前にいるな。男の夢が詰まった胸が目の前にある。シャツのボタンが弾けそう。
しかし、カール令嬢は暴れ馬のようなので、制御出来る気がしない。まあ、未知に挑戦するのは楽しそう。
「そうですか。まあ、とりあえず婚約する予定ですし……明日、オペラを観に行きません?」
足りない時間を捻り出すには……寝る時間を削るしかないな。面倒。しかし、交易強化の為だ。縁談話が本人の意志なら、誰かあてがえば良い。交流すれば、人となりや、好みを把握出来るだろう。
「音楽は素晴らしい文化ですけれど、興味が湧かなくて眠くなります。そういう、人を食ったような目をしないでください」
面と向かって、そういう指摘をされる事は滅多にない。笑顔というポーカーフェイスを見破られることも同じく。へえ、と内心舌を巻いた。顔は似ていないが、ここは父親似か。
「カール、誘われたのにどうして断る。すみません、娘は……」
「まだ居たのですか? 父上。早く帰国しないと、母上に誤解されて、逃げられますよ。昨夜も、楽しそうでしたね?」
さああ、とアクイラの顔が青くなっていった。
「昨夜? 部屋で大人しく……」
カールは狡猾な笑みを浮かべ、父親にウインクを投げた。
「ま、まあ、早めに帰る事にしよう」
あはは、と空笑いをすると、アクイラはそそくさと部屋を出て行った。娘の尻に敷かれるとは、情けない父親。そしてカールの対応。どことなく、自分に似ている気がする。
アクイラが去ると、カール令嬢はソファに腰を下ろした。足を組み、腕も組む。粗暴なようで、動かし方に品がある。
カール令嬢はワイングラスを手にして、中身をグッと一気飲みした。やはり、風雅な仕草。実に奇妙奇天烈な雰囲気の女性である。
「お酒は好まれるようですね」
「ええ。体を動かすことや、チェスなんかが好きです」
「それなら、チェスを用意しましょうか」
チェス盤と駒は、テーブルの引き出しの中。すぐに取り出せる。用意していたら、カールは即座に黒い駒を手に取った。
「お手柔らかに」
「まさか、ご謙遜を」
カールは後手に回っても勝つ気満々という表情。
「指南してやろうとか思っていると、痛い目に合いますよ」
「それは、楽しみです」
「本当に、そういう笑い方しかしないのですね」
「嘘臭いです?」
「ええ、とても」
なら、疲れるし笑うのは止めるか、と顔の筋肉を緩める。すると、カール令嬢の表情は、険しい顔つきから、割と穏やかな微笑みに変化した。あまりの落差に、少々驚く。
互いに駒を並べ終わり、私は先にポーンを動かした。それから、カール令嬢の手にする空のワイングラスにワインを注ぐ。
指南風に上手く誘導して、負けてやるか、辛勝と見せるか、などと思っていたら、カール令嬢は的確な手しか指さない。思わず真剣になる。盤上と次の手、その先な道筋に集中する。
「きらめく星よ……」
突然、カール令嬢は小さく歌い出した。知らない旋律と歌詞。しかし、どこか懐かしい
「誰かの想い……」
思わず顔を上げた。ソファの肘置きに肘をついて、頬杖するカール令嬢の温和な空気に目を奪われる。実に可憐な笑みで、遠くを見つめている。夏空色の瞳の向こうに、誰かの姿があるのは明らか。
「ふーん、この縁談は誰かの気を引く為ですか……」
つい、口にしてしまうくらい、不快に感じた。自分で思っているより、彼女のことが好みなのかもしれない。
衝撃的な事に、カール令嬢は真っ赤になって、茫然とした様子で私を見つめた。
「気を引く? まさか」
酷い棒読み。図星なのか。カール令嬢はみるみる真っ青になっていった。
「何? 良かった、いってらっしゃいとか言われた?」
面白すぎる反応なので、思わず、口調が砕けてしまった。カール令嬢はそんな事を気にする余裕はまるでなさそう。
「違う! 気を引こうなど、断じて違う!」
また赤くなっている。赤、青、赤とは忙しいな。慌てふためき様が面白い。
「へえ、どんな男性?」
「だから違う!」
「素直でない女性は、可愛くないというのが私の持論だ」
言葉を詰まらせたのか、カール令嬢は仏頂面でルークを進めた。
「そうだ。素直だった事はない。可愛げがあったこともない」
そう言うと、カールはますます仏頂面になった。
「次々と見合いの場を破壊してきて、流石に父上の顔が立たない。そこに、今回の話がきた」
語るなら、黙って耳を傾けるか。カール令嬢が酒を飲み進めるので、酌をする。そうしながら、チェスの対戦を続ける。思わぬ劣勢に、戸惑いを隠せない。ここ何年も、負けたことなんてない。
「気を引きたいではなく、会いに来て欲しいだ。この国には大狼がいるし、王子と結婚となれば噂にもなる。本当なら、私もついて行きたい」
注げば注ぐほど、カール令嬢はワインを飲み干していく。顔色はさして変化しない。蟒蛇なのか?
大狼がいる、という発言。流星国の噂を頭の中に浮かべる。第二王子レクスは大狼を従える。国を去って、旅医者の道を選んだ。確か、そうだ。
「この国なら、多少はやりたい放題出来る。こっそり鍛錬ではなく、堂々とでも平気だろう? この国は、私の機嫌を損ねる訳にはいかないからな」
嫌そうに首を横に振ると、カール令嬢は私から奪ったポーンの駒を掌で弄び始めた。
「ついて行きたい、とは医者になると国を去ったレクス王子殿下です?」
何のために鍛練をするのか? と、問いかけるか迷ったけれど、こちらの質問にした。
「まあ、そうだな。半分は」
「半分? ああ、そういえば彼には兄がいたと聞いています」
神の遣いだった、なんていう嘘としか思えない噂の人物。確か、第1王子のエリニス。
「生真面目だけが取り柄の、体力のそんなにない男がついていった。連れ帰らないと、レクス王子に迷惑をかける。幼馴染も朝から晩まで心配している」
「その従者の気を引きたい、ということですか」
「いや、単に連れ帰りたい。幼馴染がかなり心配している」
噂の神の遣いは存在しないか、カール令嬢にとって関心が無い相手のようだ。それで、幼馴染とやらがレクス王子の従者を慕っている。
カール令嬢はずっと盤面を眺めていたのに、急に私を見上げた。しかめっ面で、顔は赤らんでいる。
「まあ、そんな風に色々だ。好きにさせてもらうから、好きに利用してくれ」
ここまで本心が読めない人物は珍しい。結局、婚約相手が名指しなのは何故だ? カールが立ち上がり、私に近寄って来た。妖しい笑みに、警鐘が鳴る。何か、おかしい。
隣に座られ、立とうとしたら、首に両腕を回された。近くで見ると、気の強そうな顔立ちだけれども、やはりかなり端麗な美女。
「へっ?」
いきなり押し倒された。両腕を片手で拘束される。突然の事態。美女が迫ってくるのは、別に悪い事では無いし、歓迎だけれども、今はそういう状況ではない。
ソファをリズムカルに蹴り、ダグラスへ合図を送る。
「婚約が決定したら祖国で貴方を披露します。大歓迎されて、いつ帰れるでしょうか? 外交官として、フィラント王子殿下とエトワール妃殿下、クラウス王太子もお招きしたい。国王陛下の希望です」
柔らかく笑うと、カール令嬢は力強く「チェック」と言い放った。
「交換条件があれば、婚約破棄出来るかもしれませんね。ああ、フィラント王子達の今度の滞在は、うんと長くて良いそうです」
その時、カール令嬢の腕が背中に回り、体が反転した。私が彼女に迫った、というような体制になる。ソファに座り、膝の上に彼女を抱くような形。それで、カール令嬢の両腕が私の腕を抑えるように、体に回る。
隠し扉から姿を出しかけていたダグラスと目が合う。彼から見ると、私がカール令嬢を膝に乗せ、彼女も抱きしめ返した、というような格好。
ダグラスは無表情でそっと戻っていった。カール令嬢はさっきまで照れ笑いしていたのに、今はニヤニヤしている。
「父上は多分、覗き見してますよ。これで婚約話は決定的になりますね」
カール令嬢は私に抱きついてきた。背筋がぞわぞわする。この婚約話は罠だ。それに気がつくのが遅過ぎた。
ディオクを使えば逃げられそうだと、のんびり構えていたせいだ。 アクイラではなく、策士がカール令嬢本人だったとは、思わぬ伏兵。
「狙いはフィラントですか?」
「国王陛下や父上は貴方でも良いようです。しかし、私としては、ティア王女の為に親友が側にいると嬉しいです。それで、私は絶対にティア王女から離れません」
それはつまり、私と婚約破棄してやる代わりに、エトワールを自国に寄越せということか。
ニッと歯を見せて、悪戯っぽく笑うカール令嬢に、私は満面の笑顔を返した。粗暴なのや奇妙な表情、照れたような笑みに先程の話など、全部演技か!
「や、やっぱり無理だ! 正式に婚約したら、その……努力する!」
私の頬に張り手をすると、カール令嬢は勢い良く私から離れた。そのまま、出入り口の扉へ向かって走っていく。
カール令嬢が両手で扉を開けた時、そこにはアクイラの姿があった。
「父上! 覗き見とは悪趣味ですよ!」
父親の胴体に回し蹴りをしてから、カール令嬢は走り去っていった。茫然としていたアクイラは、ゆっくりと私を見て、玉のように肌をツヤツヤさせてほくそ笑んだ。
「ついに居たか。いやあ、良かった良かった。フィズ様に婚約したと書状を送らねば」
鼻歌混じりのアクイラが、私にウインクを投げて去っていった。あの父親、娘に操縦されているだけということだ。
テーブル上のチェス盤を見たら、私のキングは横倒しで、同じ場所にクイーンの駒。盤上の戦況はまだ途中なのに、いつの間にこんなことをしたんだ。
絶対に、フィラント共々、逃げ切ってやる! エトワールを奪われたらフィラントも去る。彼の宝は家族で、他はそれ以下。天秤にかけるとこの国は捨てられる。
大事な家族にして、国政の要を奪われてたまるか! それで、私だってリチャード兄上から離れない。