男爵令嬢、説明される
謎の青薔薇の冠に触れた日から、私は東塔に軟禁されている。もう8日が経過。色々と調査するので、結論が出るまでここで暮らすように命じられた。
少し慣れてきた、東塔の客間の寝具の上で目を覚ます。窓の向こうから、柔らかな朝日の明かりが射し込んできて、目が覚めた。
「おはようこじいます!」
ボフッ、という音。それから足に重たい感触。体を起こすと、クラウス王子だった。
この8日間、毎朝起こしにきてくれる。実に可愛い。アリスが小さかった頃を思い出す。
「おはようございます、クラウス王子」
「こけっこ、行こう」
「支度をするので、お待ち下さい」
布団から出て、寝台から降りる。クラウス王子は、ソファに座って大人しく待っている。
背筋を伸ばして、足を揃えて、ニコニコしている。こういうところは大変行儀が良い。
箪笥から借り物のドレスを選び、隣室で着替え。二間続く客間が、私に与えられた部屋。広いし、家具は猫足という可愛い調度品。
アリスは心配だし、ロクサス卿にも会いたいけれど、エトワール妃や彼女の侍女達は親切で、クラウス王子も優しい。そしてまだ8日だからか、少し旅行気分。旅行なんて、した事ないけど。
姫疑惑なんて誤解だろうから、もう少ししたら帰れるだろう、というのが前提ではある。今の生活は、妃付き侍女の予行練習みたいなものだ。表向きも、泊まり込みの講習会ということになっているらしい。
妃付き侍女の制服、水色のドレスに白いエプロン姿に着替え終わると、私はクラウス王子を迎えに寝室へ戻った。
「お待たせ致しました」
「はい。あのね、シャーロット」
ソファから降りて、私に近寄ると、クラウス王子に手を握られた。
「ママに、オムレちゅつくゆの」
「お母様にオムレツを作りたいのですね」
「クラウスがね、こけっこのたまごとる」
握った手をブンブン振りながら、機嫌良さそうに私を引っ張ると、クラウス王子は歩き出した。やはり、力がかなり強い。
「では、このシャーロットが料理人のオットーに掛け合いましょう」
「あいがとう」
鼻歌交じりで廊下を歩き、階段を降りるクラウス王子は、とっても可愛い。朝から大好きな母親にオムレツを作りたいとは、自分の息子もこんな風に育って……息子……ロクサス卿との子供……。
考えたら顔が熱くなった。帰ったら、結婚準備になるだろう。婚約者として披露されたから、そうなる筈だ。
「あのねー、パパがつくゆの」
「お父様がオムレツを作るのですか?」
「クラウスはたまごがかい」
東塔の門は、朝になると閂が外されている。クラウス王子が外へ出られるように、私は門を開いた。
途端にクラウス王子は全速力で走り出す。
「パパー!」
門の前、少し離れたところで素振りをするフィラント王子に、クラウス王子が駆け寄っていく。
今朝もフィラント王子の隣に、カール令嬢がいた。騎士の訓練服姿で、手には模擬剣。
流星国宰相令嬢なのに、彼女は騎士に憧れているらしい。
「おはようございます。フィラント王子殿下、カール様」
「おはようございますシャーロット令嬢」
フィラント王子は無表情の事が多いので、挨拶するだけで緊張する。自然と背筋が伸びる。
彼は息子を抱き上げ、頭を撫でた。クラウス王子には、優しげな笑みを向けている。
「おはよう、シャーロット。昨日も言ったが、カールでいい」
「いえ、そんな……畏れ多いです」
「カール! あのね、たまごとゆの」
「ん? 鶏小屋から卵を取るのですか?」
「ママきちゃう!」
抱っこ、というように、クラウス王子はカールに両腕を伸ばした。カールは当然、というようにクラウス王子を抱き締めた。
クラウス王子は実に甘え上手だと思う。王子だから、というよりも見た目が愛くるしいからだろう。
「クラウス、カールさんだ。あと、人にものを頼む時はどうするんだ?」
フィラント王子は少し屈んで、クラウス王子と目を合わせた。
「カールさん! おねがいすます!」
「お願いします、だ。まあ、いいか。よし、偉いなクラウス。すみません、カール令嬢。お願いします」
「いえ、世話係は得意です」
一礼すると、カール令嬢は鶏小屋の方へ歩き出した。クラウス王子はもう地面に降りていて、カールを引っ張っていく。
二人を見つめるフィラント王子の表情は、実に穏やかで柔らかい。雰囲気は怖いけれど、接する程優しい人なのだと分かってきている。
「今日もクラウスに起こされたのですよね? 気分屋ですみません」
「いえ、カール様と仲睦じいようで羨ましいです」
自然と笑みが溢れる。フィラント王子は、息子の背中を見つめ続ける。城内ではない塔で、家族と暮らしている不思議な王子。想像していた王族の暮らしとは、随分と違う。
クラウス王子は、鶏小屋に入り、ビクビクしながら卵を拾おうと必死の形相。
「あのー、フィラント王子殿下。例の……その……誤解から一週間程経ちます。そろそろ……」
「ああ、そろそろ説明出来る予定です。遅くてすみません」
頭を下げられ、私は慌てて手を横に振った。
「い、いえ! 遅いだなんて……」
「しかし、まあ……誤解では無さそうです」
……。
……?
フィラント王子は複雑そうな顔をした。
「パパー!」
鶏小屋からクラウス王子が、フィラント王子を呼ぶ。出来た! というような嬉しそうな顔をして、小屋から出て来ると、クラウス王子はカール令嬢の手を引いて戻ってきた。
途中でカール令嬢の手を離すと、クラウス王子は走り出す。かなり速い。クラウス王子が転びかけ、フィラント王子が支える為なのか走り出す。
クラウス王子は転ばず、宙返りをして着地。私は目を疑った。なんていう身のこなしをするのだろう。
父親であるフィラント王子も茫然としている。
「パパー! たまご! オムレツ!」
「オムレツ? オムレツが食べたかったのか?」
うん、と告げるとクラウス王子はフィラント王子と手を繋いだ。反対側の手に握る卵を、父親に差し出している。
「パパがつくう。ママがにやにやする」
「あー、クラウス。ニヤニヤではなくニコニコだ」
「あっ! アリ!」
クラウス王子はフィラント王子から手を離して、体を折った。そのままゆっくり歩き出す。
「蟻は後でだ。帰るぞクラウス」
「パパ! あそこ、とり!」
息子を抱き上げようとしたフィラント王子の腕をすり抜けて、クラウス王子は畑の方に走り出した。
「日に日に活動的になっていって、困るな……。そろそろ誰か世話役を頼んだ方が良いのか?」
髪を掻きながら、フィラント王子はクラウス王子の後ろをついていった。
「クラウス王子! ここにアリの巣があります! なんて大きい」
いつの間にか近くまで戻ってきていたカール令嬢が、大袈裟なくらい腕を広げ、わざとらしくしゃがんだ。
「アリのす?」
振り返ったクラウス王子の顔がパアッと輝く。
「おお! あそこにいる鳥は、火食い鳥ではありませんか? オレンジ色ですよ!」
「どこっ⁈ 」
勢い良く戻ってきたクラウス王子を、カール令嬢はサッと抱き上げた。
「ほらっ。あそこで……いや、素早過ぎてもう見えません。それにしても、お腹が減りました。私がこんなにお腹ペコペコだと、クラウス王子のお母上はもっとかもしれません。ああきっと、エトワール様は今頃お腹を減らして……」
ショボくれたカール令嬢を見て、クラウス王子はハッと気がついたような表情を浮かべた。
「パパ! ママがペコペコ!」
「オムレツとかはどうでしょう? そういえば、こけっこの卵が手に入りましたし」
「オムレツ! パパ! はやく!」
早く早く、とクラウス王子は父親を手招きした。カール令嬢はもう東塔に向かって歩き出している。
「子供のあしらいが上手いな」
そう呟くと、フィラント王子はカール令嬢の元へ駆け寄っていった。
意外そうなフィラント王子に同意。男装で、騎士に憧れているカール令嬢の女性らしい一面。
「おはようございますシャーロット姫様」
呼ばれて振り返ると、侍女のサシャだった。エトワール妃の秘書的存在らしい。妃付き侍女の中で、唯一東塔に住み込んでいる。
「おはようございます。あの、何度も言いますけれど、シャーロット姫様はちょっと……」
「先代国王陛下の隠し子疑惑が払拭されない限り、シャーロット姫様です。クリームパンを買いに……こほん。いえ、朝の散歩に行きますから、エトワール様のお世話をお願いします」
ヒラヒラと手を振ると、サシャは遠ざかっていった。世話係が増えて助かったと言って、彼女はちょこちょこ消える。
妃侍女のミレーによれば、勤務時間内に自由時間が増えた! と食べ物を買いに街へ行っているらしい。
東塔に戻り、部屋に戻る。多分、エトワール妃はまだ眠っているだろう。最近、やたらと眠くて仕方がない、と言っていた。
朝食に呼んでもらえるまで、特にすることもないので読書をする事にした。
朝食に呼ばれると思っていたのに、部屋に現れたのはユース王子だった。
「おはよう、シャーロットちゃん」
眩しいくらいの爽やか笑顔。しかし、相変わらず目の奥は笑っていない。
「おはようございます、シャーロット令嬢」
ユース王子の後ろから現れたのはディオク王子。目の下に少し隈が出来ていて、疲れているような雰囲気。
ディオク王子の後ろには侍女服のミネーヴァが居た。布を持っている。
「おはよう……ございます……。あ、あのっ! 誤解が解けたのでしょうか?」
これ、あまり良い予感はしない。
「まさか。むしろ逆」
「えっ?」
「ほらっ、行くぞ」
「はい? どちらへ?」
「陛下の所。いや、お兄様の所だ」
ユース王子に両肩を掴まれ、体の向きを変えさせられる。ミネーヴァが私に法衣を着せ、私の腰に手を回した。
ディオク王子とユース王子が私の前を歩き出し、部屋を出る。ミネーヴァに押されて、歩くしかない。
「おに、お兄様⁈ ま、まさか……私……違います……」
口の中がカラカラで、上手く言葉が出てこない。
「その話をするのさ」
軟禁は終わりらしい。今日は、エトワール妃に珍しい機織りを教えてもらう予定だったのに……。
裏道や隠し通路を通り、いくつもの階段を登り、さあどうぞと開かれた扉の向こうは、絢爛豪華な廊下の端だった。
ミネーヴァが私からローブを取り、元来た隠し通路へと去っていく。
ユース王子に手を取られ、前方に伸びる廊下を進む。中央まで歩くと、白銀製の装飾豪華な扉があって、中へ促された。
部屋中に並ぶ本棚。部屋の中央には台座があって、その手前側にテーブルとソファがある。座るように指示され、一人掛けソファに腰を下ろす。
ユース王子、ディオク王子はそれぞれ私の左右にある二、三人掛けのソファーへ座った。
「シャーロット令嬢、あの青薔薇の冠はどうやら本物のようです」
真っ先にディオク王子が口を開いた。
「シャーロット令嬢、貴女はユミリオン男爵の養子で、孤児院出身でした」
「えっ? 養子でございますか?」
「姉妹格差の理由はそれだ。君は国王陛下の隠し子というか、認知すらされていなかった娘。調査中だけど、姫なのはほぼ確実。あと君は17歳。未成年だから、ロクサス卿との婚約は白紙」
ニコリ、と微笑むユース王子。今の発言を上手く飲み込めない。養子、17歳、そして姫。
混乱する頭の中で、一番考えたのは「ロクサス卿との婚約は白紙」について。それだけは、嫌だ。
「さて、シャーロット・ユミリオン。選ばせてやろう」
立ち上がったユース王子は、パチンと指を鳴らし、ウインクを飛ばしてきた。
「アルタイル王族として生きるか、国外追放。どちらを選ぶ?」
国外追放……ロクサス卿と結婚出来ない。アリスは付いてきてくれるかも。どこの国へ飛ばされる? 生活は?
アルタイル王族として生きる……私がお姫様になる? そうしたらアリスは? ロクサス卿は?
グラグラ目眩がする。
「た、他言しませんので今の……」
「却下。着飾った君、お祖母様にそっくりだから、もう噂が立っている。クラウスもペラペラ喋るしな。三歳児に秘め事を頼んだって無理。いやあ、私が田舎から引っ張り出したせいだ。ごめんね」
あはは、と呑気な声を出して笑うと、ユース王子は再度パチンと指を鳴らした。このような態度、ちっとも悪びれていない。
「シャーロット・ユミリオン。いや、シャーロット・アルタイル。黙って耐えていても人生は好転しない。家畜や奴隷ではないのだから、主張しろ。君はいつも流される」
私を見下ろすユース王子は、白い歯を見せて笑っている。しかし、先程とは打って変って、真剣な眼差し。燃え上がるような熱を帯びた黒い瞳。
いつも流される。その通りだ。私は両目を瞑り、膝の上に置いた手でドレスをギュッと掴み、大きく息を吸った。
「なーんて! 君に拒否権なんて無い。それがあるのは、君の妹やロクサス卿さ」
声を出す寸前に、ユース王子は私の唇に人差し指を当てた。
それで、またしてもウインクが飛んでくる。私の唇から指を離すと、ユース王子は着席して、これから何をするのか説明を始めた。