男爵令嬢、ガーデンパーティーに参加する1
アルタイル城の中庭に、着飾った自分がいる。というのが信じられない。衣装部屋の姿見で確認した自分の姿が、まぶたの裏から離れない。
胸の下あたりにウエストの切り替えがあるドレス。白地に細やかな花柄のドレスに、青を基調とした厚手の幾何学模様のショール。国内では見たことがない形。
帽子はレース製でどちらかというとヴェールに近いもの。
白粉は薄いし、目の周りの色もキツくない。濃い茶色から薄紫へグラデーションは、何故だか目が大きく見えた。くるりとあげられた睫毛のせいかもしれない。
髪はもう何故こうなったのか分からない。横流しの三つ編みだか四つ編みに、細い三つ編みが絡んでいる。飾られたのは、銀細工の髪留めに色とりどりの生花。
首飾りはロクサス卿からの贈り物。耳飾りは借り物の三連真珠。粒が大きく、虹色みたいに光る、珍しくて高級だと誰が見ても分かるもの。
私の支度をしてくれた、ミレー、サシャ、マルローネという侍女達に、ポイッというようにガーデンパーティ会場に置いてかれて、身の置き場が無い。私は木陰に立ち、扇で顔を隠してボンヤリしている。
このガーデンパーティは立食パーティーのようだ。白いテーブルクロスのかけられた机が10。シェフらしき服装の人物のいる長テーブル、食事が並べられていく長テーブル、それからいくつものベンチ。
ぱっと見の招待客は100人程度。王太子の誕生パーティーとは思えない規模である。
集まってヒソヒソ話すご夫人達の目線、男性貴族達の目線が痛い。どう見ても好奇と嘲り。私、あの優しそうなエトワール妃にまで嫌がらせされた?
まさか、それならこのような質の良さそうなドレスや装飾品を貸してくれるはずがない。香水もそうだし、髪や化粧という支度もそう。
私の支度をしてくれた侍女達も、お喋りで親切だった。年が近くて、友達がいたら、こんな風かな? なんて事まで感じたくらい。
ボーッとしていたら、口髭たっぷりの、年が近そうな青年が近寄ってきた。狐っぽい顔。格好良い分類に入る気がする。
「こんにちは、麗しいレディ」
「こんにちは」
手を取られ、手の甲に手袋越しのキスをされる。挨拶だけど、気後れした。
「素敵な装いです。実に似合っていて、可憐で美しい。女神が紛れ込んだのかと思いました」
歯の浮くような台詞に戸惑う。
「ありがとうございます。こちらは交易で仕入れた、西で流行りのエンパイアドレスです」
この声……振り返ると王室侍女の服を纏ったミネーヴァだった。
「逸れたので、探しました。シャーロット令嬢」
「シャーロット?」
「ええ」
青年の問い掛けに、ミネーヴァは含み笑いを返した。その後、彼女はぐるりと周囲を見渡す。青年は苦笑いして、遠ざかっていった。
「シャーロット令嬢。今度は向こうの方へ」
背後にピタリとくっついたミネーヴァが、耳元で低い声を出す。何だか怖い。
「質問禁止。ナンパも自力で追い払え。突っ立ってないで、あちこち歩け」
これ、ユース王子の命令? もうユース王子との縁は切れたのだと思っていた。あの優しそうなエトワール妃にも担がれたなんて、と悲しくなる。
「そのうちエトワール派というか、本人が貴女を囲うからメソメソしないように。ちょっと反派閥を炙り出すだけよ。エトワール様と会ったら私にエスコートされていた、親切でしたって、言うように」
振り返りそうになったら、ミネーヴァは私の背中を何かで押した。多分、拳。しかし、声色は先程よりも優しい。
「私の上官は誰なのか推測してあるわよね?
その服装や香水を小馬鹿にするのは誰なのか、見つけたいだけ」
質問禁止だけど、教えてくれるとは優しい。ミネーヴァの上官は、恐らくフィラント王子だろう。何せ、彼は騎士団総帥。
「はい。かしこまりました」
少し震える足を前に踏み出す。本当に妃付き侍女になれるのなら、社交場に怯えていたって仕方ない。元々、人から悪意を向けられるのは慣れている。今の私にはお守りの指輪がある。
とりあえず、顔見知りもいないので、ぷらぷら歩く。散策、というように。あちこちからの視線が痛い。と思っていたら、知人を見つけた。
バティスティーヌ夫人とマグロワール夫人。取り巻きを連れて、こちらに近寄ってくる。あまり嬉しいとは思えない顔見知りだ。
「お久しぶりですね、シャーロット令嬢」
「なんてまあ、可愛らしいドレスですこと」
んふふ、という色っぽい笑顔の二人。目の奥は笑っていない。嗤っているように感じる。
「お褒めに預かり光栄です」
「こちらのドレスはどちらで? 見慣れない……いえ、良かったら向こうへ行きましょう?」
「そうですね。女は女同士、楽しく話しましょう」
今だって、女だらけ。なのに二人の夫人に挟まれて、歩けと促される。これか、魔窟というのは。何を言うべき? 逃げるべきだよね?
「あらあらあら、向こうから来たわ」
「楽しそーう」
バティスティーヌ夫人とマグロワール夫人のクスクス笑いの先にいるのは、シルヴィア夫人、エブリーヌ、他多数。どんどん近寄って来る。
「お久しぶりです」
「こんにちは。シルヴィア夫人、エブリーヌ令嬢」
精一杯、ヴィクトリアの指導通りの会釈をする。取り囲まれて、視線が痛い。
「猫はどうやって迷い込んだのかしら」
顔を上げた時、氷のような笑みのエブリーヌに見据えられた。この「猫」はこの間の泥棒猫に掛かっているのだろう。
「猫? 猫を見かけたのですか?」
「ええ、シルヴィア夫人。先程、物欲しそうな目をした猫を見ました」
「そう、そういえば私、猫を飼いたいのよね。でも、盛りがついていたら、手間暇かかりそう」
シルヴィア夫人からも、棘のある笑顔。普通に聞いていたら、分からないような嫌味とは腹が立つ。
エブリーヌは有る事無い事、シルヴィア夫人に話しているらしい。いや、他の人達にもだ。クスクス、クスクスという嘲笑が巻き起こっている。
「あら、シャーロット令嬢。虫がついてますよ」
エブリーヌの扇が、私の肩をパチンと叩く。金属部分を当てるようにだったらしく。かなり痛い。
「……。ありがとうございます」
虫がついている、と言われれば、感謝するしかない。
「潰してしまって、変な匂いがしますね。ごめんなさい」
「そう? 最初からこういう匂いがした気がするけれど。シャーロット令嬢は、どのような香水を好んでいらっしゃるの?」
「随分と、その……奇抜ですね」
「虫の匂いと混じっただけに決まってますわよ」
エブリーヌの謝罪に続き、見知らぬご夫人と若い女性——どこぞのご令嬢——が口を開いた。
こんなの、嫌味を返すのは簡単。でも、躊躇ってしまう。こんな腹の立つ、性格の悪い人達と、同じような所に堕ちたくない。
「服もですし、センスが時代を先取りしているのですよ」
「出身は確か……アストライアの方でしたっけ? 王都にはない美的感覚をお持ちなのですね」
また遠回しな嫌味。ここには敵しかいないらしい。不意に、ユース王子の言葉が蘇る。
——黙って耐えていても人生は好転しない
——それか演技力を磨け
そうだ、反撃したくないなら笑うしかない。ちっとも気にしていないと示せば、相手は嫌味を言う気が失せるだろう。エトワール妃の権力を傘に着るよりも、良い案だ。
私は胸を張り、背筋を伸ばし、精一杯の笑顔を作った。
「そうです。新しい挑戦に、賛同して下さる方もいましたけれど、そうでない方もいると分かって良かったです。挑戦とは難しいですね。言い辛いでしょうに、ご親切にありがとうございます」
トントン、と背中を叩かれる。この感触はまたミネーヴァだろう。
「ちょっと、どうせ嫌味を言うなら、グサッとやりなさいよ」
耳打ちされた言葉は予想外だった。私は振り返り、ミネーヴァに耳打ちし返した。
「嫌味? いえ、嫌味で返すよりも気にしていないと示……」
「そういう顔はしてないわよ。なら、練習不足ね」
そう言うと、ミネーヴァはずいっと私の前に進み出た。
「シャーロット令嬢の香水は、近々外国へ輸出する香水。名前は古い言葉で流星です」
私はミネーヴァの発言に、頬を引きつらせそうになった。今の台詞の効果は覿面で、この場の殆どの者の笑顔が凍りついている。
「流星? 古語で何でしたっけ?」
誰かが誰かに小さく囁く。アルタイル王国でそれを知らない貴族なんているの⁈
フィラント王子とエトワール妃の結婚記念日が祝日になり、流星の名が冠されているのに⁈
「開発者に因んで、エトワールフィラントです」
しれっと、ミネーヴァが追撃をする。場の空気が凍っていたところに、まるで吹雪が吹いたよう。
私は思わずミネーヴァの横に移動して、彼女に小さく首を横に振った。なのに、ミネーヴァはにこやかな笑顔で私を無視。
「こちらは交易で仕入れた、西で流行りのエンパイアドレスです。本日……」
拍手が巻き起こり、ミネーヴァが唇を結んだ。中庭に設けられた舞台上に、クラウス王子の手を引くフィラント王子、エトワール妃が登壇。エトワール妃のドレスは、私と殆ど同じ。
違うのはショールが無くて、帽子の代わりに織物をヴェールのように乗せていること。青地に銀刺繍、薄くてレースのついたヒラヒラしたヴェールは、とても綺麗で目を引く。
ただ、本人の美しい顔がよく見えない。半分隠れている。
「朝早く、礼拝と合わせて式典。その後、昼餐会。今から始まるのは、いくつかの披露を兼ねた小さなパーティよ」
ミネーヴァの囁きに驚く。確かに、この小規模は妙だと思っていた。いくつかの披露という単語に、背筋がぞわぞわする。
フィラント王子が謝辞を述べていくけれど、私の周りの女性達の目線はエトワール妃と私を行ったり来たりしている。
「お祝い。ありがとうございます」
舞台上で、ぺこりと頭を下げたクラウス王子の愛くるしさに、私の興味は移った。エトワール妃はしゃがんで、クラウス王子の背中に手を添えている。実に微笑ましい光景。
周りは見ない。気にしない。何が言いたげな人は全員無視。代わりに私も何も言わない。全員、私と同じようにクラウス王子に注目して、私の存在は忘れて欲しい。
「シャーロット令嬢、素敵な香りに素敵な装いですね」
「そうですね、マグロワール夫人。つい皆様の顔色を伺って、新しいものを褒める機会を失っていました。とてもお似合いで、可憐です」
褒めてくる夫人達に、「この掌返し!」 と言いたくなる。我慢だ我慢。波風立てないのが一番の筈。
「あら、失礼致します皆様。上官から任されているシャーロット令嬢を、外交長官秘書の元へ連れて行かないとなりません」
妖しく笑うと、ミネーヴァは私と腕を組んだ。彼女が腕を手刀のようにして宙を切る。そそそっと人が移動して、道が出来た。
「外交長官秘書? 父にですか?」
エブリーヌが怪訝そうに眉をひそめる。カーナヴォン伯爵は外交長官秘書だったのか。
ミネーヴァが首を横に振ったので、エブリーヌは首を傾げた。その後、エブリーヌは突然破顔した。視線の先、向こうから近寄ってくるのはロクサス卿。彼は私に向かって、優しげな笑顔で手を振ってくれた。しかし、何故か照れ笑いして手を振り返したのはエブリーヌである。ロクサス卿の隣でカーナヴォン伯爵が、青白い顔をして、引きつり笑い。
ミネーヴァは私をロクサス卿の方へと押した。一方で、エブリーヌは私に軽く体当たりをして、勝ち誇ったような見下す視線を投げてきた。
一連のエブリーヌの表情や行動のせいなのか、ロクサス卿の笑顔に、こめかみの青筋が追加された。カーナヴォン伯爵が死んだ目で、娘に小さく首を横に振る。
エブリーヌの表情が陰った。そのせいなのか、そそそそそっと女性達はエブリーヌから離れ、私と距離を縮める。
ロクサス卿とカーナヴォン伯爵の後ろ、少し離れた所にはユース王子の姿。こちらへ向かっている。
うん、嫌な予感。これ、平和的に終わらないやつだ。
「そちらの可愛らしいレディ。そのドレス、コーディアル様のエンパイアドレスですよね?」
何処かで聞き覚えのある声。肩を叩かれて見上げる。そこにいたのは青みがかった金髪のポニーテルを風に靡かせる、純白男装の美人。その目元は、仮面舞踏会で会った女性と良く似ている。
彼女は私を見つめ、爽やかで快活な笑顔で、やあと手を振りながら歩いてくる。
その隣には黒髪で黒目のガタイの良い中年男性。
コーディアル様って、誰?
「シャーロット!」
子供の声。誰? 大男の向こうからやってくるのは、クラウス王子を抱きかかえるフィラント王子と、彼と腕を組むエトワール妃。つまり、今私を呼んだのはクラウス王子?
「シャーロット!」
天使のような笑顔で、手を振るのはクラウス王子。
神様、この状況が何なのか、教えて下さい……。