【幕間】王子、脅される
見合い。それは「結婚の相手を求めて、男女が第三者を仲介として会うこと」である。しかしながら、応接室のソファの向かい側に座るのは、年上の大男。名はアクイラ。
西の大国、大蛇連合国に属する流星国の宰相。出身は大陸中央を統一しそうな勢いの大国、煌国である。煌国で栄華を極める華族の一員。
流星国の国王は、煌国の第三皇子で、彼はその宰相。友好的な貿易を行う大蛇連合国と煌国を繋ぐ要、それが流星国で、このアクイラもまた中心にいる人物。
「いやあ、娘は照れているだけです」
アクイラはそう言うと、大口を開けて、陽気に笑った。彼の一人娘、カールはつい先程、こう啖呵を切って応接室から逃亡。
——父上、母上の役に立つのなら結婚くらいします! しかしこの話は得になると思えません!
ふむ、全くもってその通り。アクイラが小国アルタイル王国と縁を結ぶメリットは全く無い。なのに、アクイラは流星国の姫とエトワールが手配したという見合い話に、とても乗り気だと感じる。
カールは青みを帯びた金髪をひっつめた、気の強そうな顔立ちの麗人。男装姿なのは非常に惜しかった。
一方のアクイラは、白髪混じりだが黒髪で黒い瞳。切れ長気味で涼しげな目に四角い顔。体の幅は広くて筋肉質。
見た目は似ていない。ただ、娘のカールからは勝ち気で生意気な感じを受けた。仮面舞踏会でも、深窓のご令嬢とは真反対。
我が国に得はあるけれど、このアクイラと縁を結んで大丈夫なのか? そこが問題。いざという時に拒否出来るのか、相手を兄弟に変えられるのか探ろう、というのが今の私の目的。
「いえ、あの……どう見ても照れでは……」
「落とせない女性はいないのだろう? 娘を口説き落として、孫を見せてくれ! 孫だ! このままでは絶対に見られない!」
いきなり太い腕が伸びてきて、無理矢理握手させられた。ブンブン、と縦に揺らされる。
「無理矢理でも良い!」
思わず「はあ?」と言いそうになる。私は唇を結び、笑顔を浮かべた。
「まさか、大切に育てられたお嬢様に、無理強いなどしません」
女性にも困っていません、と言いそうになり口を噤んだ。危ない。前から知り合いだよな? という態度なので、口を滑らせてしまいそう。
「そうだ! 大事に、宝のように育てた! しかし……甘やかしたせいだ。こう、好きなことばかりさせ過ぎた」
アクイラは私から手を離し、口をへの字に曲げた。
「手元に置いておきたいなどと欲張らず、春霞の局に預ければ良かった……」
ガックリ、と肩を落とすと、アクイラは俯いた。春霞の局とは、煌国の皇居内にある派閥の一つ。私の背中に冷や汗が流れる。夜這いOK、むしろ推奨という国なので、外交の際に火遊びした。しかも、その春霞の局で。まさか、バレている?
「アクイラ様……」
「いや、可愛い一人娘を遠い故郷へなど、無理だった! 俺は最良の選択をしてきた筈だ!」
うんうん、と一人で納得している。馴れ馴れしいし、我が物顔だな、こいつ。それが私の素直な感想。アルタイルは小国で、貿易ルートを変えられると経済的に大ダメージ。完全に舐められている。
「頼む! あの娘を口説いてくれる者は、連合国内にはもういない!」
今度は両肩を捕まれ、前後に揺らされた。
「煌国にもいない!」
鼻と鼻がぶつかりそうな距離まで顔を近づけられて、流石に笑顔が崩れそうになる。男の、それもオヤジの顔なんて近くで見たくない。引きつる頬に力を入れて耐える。
「あの、そのような理由でしたら……」
「我が国の国王は、次期国王に右腕を作りたいと考えている。貴殿やフィラント王子は最有力候補だ」
はあ? と言いそうになり、口に力を入れた。流星国国王が、フィラントをえらく気に入っているのは知っている。外交と称して呼びつけて、毎回中々帰さない。娘を使って、エトワールを懐柔しようともしている。というか、もうほぼされた。半年前なんて、フィラント一家が二ヶ月も帰ってこなくて、国内が少々荒れた。
「小さな国にはおさまらないと、王子が国外へ去ってしまった。国ではなく王子に仕えるのだと、宰相候補者も去ってしまってな」
その話は多少情報を仕入れている。長男は神で、大蛇連合国を厄災から救って、役目を果たして神の国へ帰った。次男は「医者になる」と旅立ったらしい。なんとも奇妙な話。
巨大な虫や蛇が現れた、不治の病が治った、七色の雨が降り注ぎ海産物を生み出した、などなど、大蛇連合国は謎に満ちている。何の対外政策なのか、サッパリ分からない噂話である。
「私や弟は、そんな大層な人間ではありません」
「いいや、とにかく娘を口説いてくれ。色々くれてやるし、フィズ様との間に立つ。だから、娘と結婚だ! いや、せめて婚約で良い! 間違いを起こしてくれ!」
とにかく、だから、とは何なのだ。断ると流星国の官僚にするぞ、という脅迫が出てくるとは思わなかった。
「損が無ければ勿論喜んで応えます。まずは婚約の方向で調整しましょう」
「よし、頼む。娘は見た目は良い。美人だ。権力とコネと、私という盾も付いてくる!」
「それは有り難い事です」
本音は「結婚なんて嫌だ」と「面倒臭い」である。あの義妹は、とんでもない縁談を持ってきやがった! 何だこの男! それに流星国! 脅迫材料ばかり有していて、腹立たしい。
「ティア姫の勘は当たる。というわけで君だ。いやあ、良かった。これで孫が見られる」
名指しなのはそういうことなのか。これだと、娘さんをこの国の王妃にするのはどうですか? とか、年の近い弟と縁談はどうでしょうか? などとは提案し難い。頭が痛い。エトワールに説教と嫌がらせをしてやる。ティア姫の勘ではなく、どうせエトワールの思い込みか勘違いだ。
少しでも有利な契約書を交わし、カールに誰か当てがおう。孫が見られれば満足するなら、相手は私でなくても良い。
私はカールの粗暴さを思い出し、心を沈めた。手間取りそう。何も知らずにもう口説いたが、取りつく島もなかった。どんな男をあてがえば良いんだ? 誰か見つけないと、逃げられない。
「婚約となれば、着飾ってくれる」
感激、というようにアクイラの目が潤む。私の事は目に入っていない。独り言のようだ。
「更には結婚となれば、一世一代の晴れ姿か」
満足気な笑顔。この男は阿呆だな。頷くのを止めると、アクイラは私を見据えた。
「出戻りさせてくれて良い。可愛い愛娘が離れるなんて辛い。孫もだ。ああ、しかし君もついてきてくれて構わないぞ」
白い歯を見せて笑うアクイラに、全身の毛が逆立つ。こいつ、娘を使って私を流星国へ連れ帰るつもりだ。というか、そっちが狙いか? 今日、初対面なのに何で気に入られた? エトワールのせいだ。絶対そう。余計な事を、ペラペラ口にしたに違いない。
「光栄ですが、多少はこの国に必要とされている身です。成婚となれば、宜しければ逆に……」
「俺は主をたった一人だと決めている!」
バンッとテーブルを両手で叩くと、アクイラは立ち上がった。
「あれは、三歳の時のことだ」
急に演説が始まった。乳兄弟のフィズ国王を尊敬した日の話。それが、何故か「あの我の強い我儘皇子」という愚痴に変わる。
何か使える話があるかもと、ワインの酌をしながら耳を傾ける。始まったのは、フィズ国王が若かりし頃の破天荒な話や冒険談。内容は愉快で楽しいけれど、別に政治の役に立たなそう。
「父上! 結婚します!」
ノック音もなしに、バーンという扉が壁にぶつかる音がして、カールが入室してきた。まるで討ち入りである。
はあ? 結婚します⁈
「今の服装で良くて、騎士団にも入団させてくれるそうです! だから結婚します!」
カールは腰に手を当てて、仁王立ち。これが二ヶ国の権力を背中に背負うご令嬢。町工場で働く女性の方が、余程淑やか。アクイラが立ち上がった。
「それは……誰からの話だ?」
「エトワール様と歓談中の母上からです」
「あのなあカール、何度も言うが騎士には……」
「いいえ、このカールの腕を見込み、エトワール妃殿下の護衛筆頭にして下さるそうです!」
「それは、誰からの話だ?」
「フィラント王子です!」
アクイラはニンマリと笑い、私を見た。フィラントとエトワールめ、どういうことだ!
「お妃様の護衛は、単身では無いですよね?」
「まあ……そう……なりますね……」
「父上、護衛隊長なのだから、一人ではありません」
このカールは間抜けか? 阿呆か? 要はエトワールの護衛役という名目で、他の騎士に守られていろ、という話だ。騎士なんて地位、肩書きは単なる飾り。
「そもそも、この国は流星国と違って広いです。騎士団の規模も大きく、権力闘争もあるらしいので、腕がなります!」
だめだ、この女性は変だ。彼女は父親を見上げている。結婚相手の私に、関心は無いようだ。
「大切に育ててもらいました。なので、一度くらい父上や母上の望む服を着ます。孫も見せたいです。だって……」
カールは私と向かい合った。勝ち気で、見下すような笑みではなく、柔らかな微笑み。両手を握り、少し俯いて、はにかみ笑い。
これは……可愛い。落差も堪らなく良い。粗暴な印象は消し飛び、実に愛くるしく感じる。
「カール……カール! そうか、そうか。今回はやけに素直だと思ったら、そうなのか。では、私は離席しよう」
ガッツポーズをすると、アクイラはカールを抱きしめ、その後部屋から出て行った。含み笑いを残して。途端にカールはソファに座り、踏ん反り返った。腕を組み、足も組み、私を見据える。
「飾りでも従う。その先の道は自ら切り開く。これから宜しく頼む」
ニヤリ、と笑うとカールは父親が飲んでいたワイングラスを手に取った。酌をしろ、というように傾けられる。
実に腹の立つ態度。一瞬でも「可愛い」などという評価をつけるんじゃなかった。演技か。
結婚なんてしたくはないけれど、国益になるならする。都合が良いことに、カールも己の目的の為に選んだ手段というだけ。
「貴女が宜しいのでしたら……」
「とっとと婚約しよう。で、頃合いをみて破談だ」
私から顔を背けると、カールは不機嫌そうなしかめっ面になった。
「破談、ありきですか?」
「ああ、必要な時は故郷が恋しくて、嫁入りなんて無理だと泣き真似してやる。残るのは強化された国交だ。まあ、あれだ。あちこちから頼まれたので、とりあえず婚約する」
ふんっ、と鼻を鳴らすとカールはワイングラスに口を付けた。その仕草は実に優雅で美しい。多分、これが本来の彼女。実に自然な動作だから、そうだろう。
彼女の顔は赤く、視線を彷徨わせている。ふむ、気難しくて、激しく照れ屋な女性かもしれない。本心は何だ?
私は思った。こんなタイプには会った事がない。楽しそう。
珍しく逃げない