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男爵令嬢、襲われ囚われる

 酒場での騒動後、店長達の事情聴取が終わってしばらくして、ダフィがやってきた。騎士達は店長夫婦に、貴族からの理不尽な対応は投書箱へ投書出来る事と、私はやましい事をしている女性ではないと説明したらしい。キャメロンは色々聞きたげだったけど、店長が止めたので、何も聞かれなかった。それで、私とダフィは帰宅する事になった。職人通りを二人で並んで歩く。


「すみません。良いと言われるまで、待機しなさいって命じられて……」

「そうなの? もしかして、見てた?」

「横の窓から見て、聞いてました。ディオク王子殿下に助けて貰ったようで、良かったです」

「色々驚いてしまったわ」


 ダフィは常に、腰に下げた短剣の柄に手を添えて、周りを気にしている。確かに、今日はいつもよりも暗くなっている。夕日は沈みきり、もう夜は深い。仕事終わりの男達が行き交い、溜まり場で酒を飲んだり、騒ぎ出している。彼らからお金を得ようとする娼婦達もチラホラ出現。職人通りの昼と夜は、まるで別世界だなと、改めて実感。


「あの、ダフィ……その、旦那様が今日の彼女と婚約したって本当?」


 ユース王子の陰謀——もしかしたらディオク王子も——と聞いたけど、もやもやする。


「根も葉もない噂だって、方々に否定して回っています」

「そう……」


 信じないと、と思うけど、信じられない。ロクサス卿の屋敷を出てから、もう一ヶ月も経つ。いや、と私は服越しにネックレスにしている指輪を掴んだ。そうだ、信じないと。


「旦那様、今日から数日、隣街へ出張なんです」

「え?」

「ユース王子に頼まれ事だと聞きました」


 そんな話、聞いてない。昨夜、会いにきてくれた時には何も言ってなかった。


「昼過ぎに遣いが来て、シャーロットさんにも手紙を預かってます」


 そう言うと、ダフィは上着の内ポケットから封筒を出した。宛名は私。裏にはロクサス卿の名前。今すぐ開けて読みたい。でも、歩きながらだと、注意力散漫になる。私はスカートのポケットに手紙を入れた。


「ありがとう、ダフィ」

「もうすぐ根回しが終わるって言っていたんで、心配しなくて大丈夫ですから。相手が焦っただけです」

「焦った?」

「旦那様、珍しく激怒して権力を振りかざそうとしているって、スヴェンが」

「激怒?」

「旦那様、争い事が嫌いですし、相手の事を思って穏便に済まそうと、下手に出てたのに効果無しだったようで……。むしろ増長。それで、憤慨して、やっと怒ったようです」


 私の前では毎日穏やかだったけど、本心は違ったのか。


「旦那様って人が良いから仕事をすぐ引き受けるし、腰も低いから小馬鹿にされてますけど、仮にも王子の直属の部下ですからね」


 ダフィは私を見上げ、ニッと歯を見せて笑ってくれた。


「多分、フィラント様とエトワール様の鶴の一声で終わりですよ。さっきのは最後の悪あがき。シャーロットさんに不信感を与えて、身を引かせようって。まあ、あのタイミングで連れて行かれるって、やっぱり運は善者の味方をするんですね」

「そうかしら……」

「あんな性悪そうな人、旦那様には似合いませんから、神様の後押しですよ」


 少し興奮気味のダフィは、風と鷲の神様は見てくれていると語り出した。自分や父親もそうだ、という話。カシムは盗んだ宝石を返し、施しに感謝し、自ら人生を切り開こうとして、今という結果を得た。聞いていたら、私も何だかそんな気がしてきた。でも違う。

 ダフィは気がつかなかったようだが、先程の騒動にはユース王子がいた。味方として働くなら助けるけれど、逆なら見捨てる。私にそう見せた気がする。ロクサス卿もユース王子に転がされているんじゃないだろうか? このタイミングで出張、それもユース王子の頼みとは、おかしい。


 ぎゃははははは、という下品な笑い声が響き渡り、大勢の男達とすれ違う。それで、ダフィとはぐれた。おまけに、誰かに急に腕を掴まれ、路地裏に引きずり込まれる。


「きゃあ!」


 黒い頭巾を被った者に引っ張られていく。


「誰か! 助けて!」


 叫んでも無駄。路地には誰も居ない。思わず、掌を頭巾めがけて当てた。鼻辺りを突き上げる。相手が呻いてよろめく。スヴェンとダフィが教えてくれた、いざという時の護身術。役に立った! この隙に逃げようとしたけれど、人をぶつなんて初めてで、力が弱かったらしい。走り出そうとしたら、また腕を掴まれた。次は……次は……膝か股間。多分男だから、膝ではない方が良さそう。思いっきり足を上げるべきだ。暴漢の足と足の間を蹴ろうとした。しかし、スカートを踏んづけて壁に激突。


「っ痛……」


 呻いた後、顔を上げたら目の前にナイフ。薄明かりに、銀色が光る。


「だれ、誰か! た、助けて!」


 こいつが腹裂きジャック⁈ 真夜中に女性を襲うという噂。なのに、今はまだ夜中ではない。つんのめりそうになり、それでも足を動かす。振り返ったら終わりだろう。グンッと体が仰け反る。頭が痛い。髪を掴まれ、引っ張られた。


「きゃあああああ!」


 痛みで目を瞑る。私、死ぬの? 必死に逃げようと、前へ進む。髪が引き千切れるかも。そう思った時、突然重さが無くなり、転んだ。頭から地面へと突っ込む。


「腹裂きジャック! 待て!」

「大丈夫ですか?」


 肩に誰かが触れる。見上げたら、騎士マルクだった。頭が軽い。髪が切られている。地面に散らばる無残な私の髪。切られたから、腹裂きジャックから解放されたのか。それなら、髪を伸ばしてきて良かった……。振り返ると、騎士の一人が黒い影を追いかけていく所だった。


「シャーロット令嬢?」

「サー・マルク……ありがとうございます……」


 顔見知りの騎士。安心したら、ポロポロ、ポロポロ、涙が出てきた。私、多分死ぬ所だった。


「悲鳴が聞こえて駆けつけたのですが、良かった。また腹わたの引きずられた死体があるのかと……」

「ひっ!」


 腹わた⁈ そうか、腹裂きジャック。腹を裂く名無し男。私はサー・マルクのマントにしがみついた。


「もう大丈夫です。家まで送ります」

「あり、ありがとう……ございます……」

「すみません、咄嗟に掴まれていた髪を切りました」


 そう言うと、サー・マルクは申し訳なさそうに私にマントを掛けてくれた。ローブのように全身が隠れる。今日はとんだ厄日だ。自然と涙が出て来る。サー・マルクに支えられ、私は大通りに出た。また人混み。騒動を聞きつけた者達が集まっている。


「おい! 騒ぐな! 集まるな!」

「捜査の邪魔だ!」

「こちらへどうぞ」


 誰かが私をサー・マルクから引き離した。口元に何か布を当てられ、私の意識は白んでいった。サー・マルクの声が遠退く。白銀の雪原のように真っ白——……。


 ☆


 眼が覚めると、薄暗い石畳みの部屋のなかにいた。壁、天井、全部が石である。扉は鉄っぽい。牢屋? 窓一つ無い、狭い空間。凍えはしないけど、肌寒い。


「今度は何?」


 私は扉に近寄り、開けようとしてみた。しかし、当然のように固く閉ざされている。一応、助けて! と叫んでみたが、自分の悲痛な声が反響しただけ。他に出入り口はない。諦めて、腰を下ろし、体を丸めた。何か薬でも嗅がされたのだろうか。頭がズキズキするし、気持ちも悪い。壁にぶつけた左腕も痛い。涙が止まらない。寒いので、腕をさする。少しはマシな気がする。


 こんな事をするのは誰だろう?


 エブリーヌというか、カーナヴォン伯爵は多分違う。さっき、分かりやすい脅迫を受けた。だから、きっと、別の誰か。他に私に恨みのある人物は誰?


 まず親だ。血の繋がった娘なのに、ぞんざいに扱われてきた。小間使いが居なくなったと……それなら連れ戻すはず。と、なるとカーナヴォン伯爵以外で、ロクサス卿と縁組したかった誰か? それならとっとと殺されそうな気がする。そこに思い至った時、私は丸めている体を更に丸め、自分をギュッと強く抱きしめた。震えが止まらない。王都に出て来てから、良い事が続き過ぎたんだ。人生って、そんなに上手くいかない。綺麗な薔薇にはトゲがあるように、甘い蜜のような話には、落とし穴がある。そういう事だ。


 あれこれ考えてみても、脱出出来る訳ではない。私は袖で涙を拭い、もう一度立ち上がり、扉に近寄った。やはり固くて開かない。思いっきり押しても、引いても、横にズラそうとしても微動だにしなかった。扉を叩いて思いっきり叫ぶ。やはり、自分の声が虚しく響き渡っただけ。扉脇の壁に背を向けてまた座り込む。誰か現れた瞬間、飛び掛かれる位置。でも、複数人で来られたら、返り討ちにあって、反抗する方が酷い事になるかも。


 またジワジワと涙が溢れてくる。メソメソしていても、好転しない。でも、やれる事が無い。私はネックレスを取り出して、指輪を眺めた。内側にはちゃんと、ロクサス卿と私の名前が掘られている。二十年生きてきて、一番の宝物。婚約指輪そのものではなくて、彼自体が私の宝石。鎖から外して、左手の薬指に嵌る。そうして目を瞑ると、穏やかで優しい笑顔が浮かんで、恐怖が少し消えた。

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