男爵令嬢、中傷される
昼食時が終わり、ホッと一息。最後のお客様がお店を出たら、一旦店仕舞いだ。それで、私も帰宅する。窓の向こうで、少しばかり夕焼けが始まっている。
ミラマーレ伯爵邸の貴族侍女シャーロットから、酒場のシャーロットとなって約一月。昼のシェーンベルク酒場は、女性客で賑わうレストラン。私はそこで、料理をしたり、配膳をしたりしている。店主の奥様キャメロンが、私を雇ってくれた。職人通りで顔のきくキャメロンを紹介してくれたのは、スヴェンが親しくしている王宮騎士マルク。彼はスヴェンとダフィの兄貴分、らしい。とても親切で、マルクと親しい騎士も優しい。酒場から家まで、代わる代わる、毎日誰かが家まで送ってくれる。人との縁って不思議で大切だなと実感中。
ロクサス卿は当分の生活費をうんと沢山くれたし、来月また渡すと言ってくれている。でも、お金があるからといって、家でジッとしているのは性に合わない。ロクサス卿はほぼ毎日、仕事帰りに会いに来てくれる。一応変装してくるけれど、カーナヴォン伯爵家の耳に入ったらどうするのだろう? と、とても不安。あと、何故カーナヴォン伯爵はロクサス卿に拘るのだろう? フィラント王子の側近にそこまでの価値がある? エブリーヌがロクサス卿に心底惚れてる? 彼女からの嫌味は、こんな女に負けるのは恥というような感じで、恋慕による憎しみっぽくはなかった。政治、見栄、私にはよく分からない世界の話。
「シャーロットさん、今日もお疲れ様。そろそろ慣れた?」
「はい、キャメロンさん。仕事も、この通り、随分と慣れました」
「妹さんを抱えて生活していくなんて、その若さで大変でしょう? 困った時は、何でも言ってね」
母よりいくつか若いキャメロンは、母とは真逆の温かな目をしている。恰幅が少し良くて、大きく口を開けて笑う姿は、見ているだけで元気が出る。しかし、私は身の上を誤解されている。親は居ない、妹と二人暮らし、という話に尾鰭がついてしまっている。しかし、ロクサス・ミラマーレ伯爵の婚約者——多分——とは勿論言えない。彼がくれた、気絶しそうなほど大きなダイヤモンドのついた、婚約指輪は鎖に通してネックレスにしている。それで、服の下。私が彼を信じる理由の一つで、御守り。
「ありがとうございます」
カラン、カラン、カラン。閉店の看板を立てた筈なのに、お店の扉が開いて鐘が鳴った。
「まあまあまあ、これはこれはユミリオン男爵令嬢。こんな所で奇遇ですわね」
現れたのはエブリーヌだった。隣に見知らぬ男性が立っている。身なりと顔立ちからして、彼女の父親だろう。細めの目が良く似ている。ついでに、嫌な光の宿った瞳もそっくり。
「奇遇も何も、閉店なのに勝手に店に入って……」
キャメロンが詰め寄ろうとした時、床にドサッ、バラバラバラと物が落下した。麻袋とそこから飛び散った銀貨。投げたのはカーナヴォン伯爵。
「身分相応というものを知れ。手切れ金だ」
「は、はあ? な、何これ! ちょっとシャーロット! どういうこと⁈」
「その発情猫が、私の娘の婚約者に色目を使っていまして。店の評判が下がりますぞ」
は、発情猫……。公衆の前で、こんな嫌味を言うなんて……人は居ないか。私とキャメロンしかいない。どうした⁈ と店主のレオナルドが厨房から出てくる。床に散らばる銀貨、カーナヴォン伯爵、エブリーヌを見て、目を丸める。
「はつ、発情猫なんて中傷は止めて下さいませ。わ、私はキスの一つだってしたこと……ありません……」
頭にきたし、悲しくてつい喋っていた。1ヶ月も経つのに、そろそろ大丈夫なんて言っていたのに、ロクサス卿はエブリーヌと婚約したらしい。いや、信じろ。私は服越しに、ネックレスを掴んだ。
「あら、そうなの? なら、貴女が勝手にまとわりついていただけなのね。彼、迷惑そうだったもの」
クスクス笑うと、エブリーヌは私に近寄ってきた。彼女の手に持つ扇が、私の頬を軽く叩いた。
「こんな惨めな埃被り令嬢なんて、まあ、そうよね」
ニヤニヤ、クスクス笑うと、エブリーヌは踵を返し、カーナヴォン伯爵と腕を組んだ。
「そこの、拾え」
「えっ? はい?」
「早く拾え! この店を潰すくらい、簡単に出来るのだぞ!」
カーナヴォン伯爵がレオナルド店長を怒鳴りつけた。店を潰す、と言われた時に、店長は不服そうに銀貨を拾い始めた。
「すみません。ご迷惑をおかけして」
私も腰を下ろし、銀貨を拾い集める。
「カーナヴォン伯爵とトラブルなんて、どういうことだシャーロット。この辺りの地主は彼の……」
カラン、カラン、カラン。また入店の鐘の音。店長と私は顔を上げた。ハンチング帽を被った、気の強そうな絶世の美女。肩の上で揃えた、黒檀のような艶のある髪はどう見ても貴族。あんな艶々の髪をした市民はいない。ただ、服は市民と同じ薄汚れたドレス。あれ、あの丸めがねの騎士には見覚えがある。前髪でかなり顔が見え辛いけれど、あのホクロも。ん? 変装? ダバリ村でも見たユース王子の変装姿に似ている。
「シャーロット! 何故ここに?」
美女が私に近寄ってくる。誰? 彼女はしゃがんで、私の肩に両手を置いた。大きくて骨ばった手。
「えっと……あの……」
「なーんて、ね♡」
美女からウインクとチュッというリップ音が飛んできた。同性なのにドギマギしてしまった。瞬間、店内に騎士達が雪崩れ込んできて、カーナヴォン伯爵とエブリーヌを取り囲む。
「脅迫罪で任意同行だ、カーナヴォン伯爵」
美女から飛び出したのは男の声。先程の声色と随分違う。騎士の一人が、丸めた羊皮紙を広げ、カーナヴォン伯爵へと差し出す。
「脅迫罪⁈ どういう事……ディオク王子陛下……」
ドレスを脱ぎ、肩にかけ、ハンチング帽子を私に被せた美女に向かって、カーナヴォン伯爵が膝をついてこうべを垂れる。この間出掛けた際のユース王子と似たような服。そして、国紋のバックル。ディオク王子って、第三王子⁈ ユース王子と目が合う。ニヤついている。私も慌てて頭を下げた。
「職務怠慢、支配的な行動は慎むようにという命令違反、それから王宮侍女にしたい娘への虐待疑惑。今月から、中央議員の取り締まり強化月間ですわ」
また女声。第三王子は、魔除けの為にレティア姫として育てられ、何年か前に男だと公開された。ユース王子同様に、演技派みたい。
「繁盛しているお店は経済を回す歯車。私怨で潰すなんて、ダ、メ、よ♡」
甘ったるい声。思わずチラリとディオク王子を見てしまった。本当に男? こ、怖い。妖しい笑みを浮かべ、カーナヴォン伯爵を見下すように見据えている。
「丁重に連れていけ! 今回は厳重注意だ! なのでこの件は全員他言無用! 噂を流すと、それ相応のものが返ってくる。世は因縁因果だ」
ドスの聞いた威嚇声。ディオク王子は酒場内の全員を見据えた。体が震える。王だ。こういう人を王と呼ぶ。今のこういう気持ちを畏怖の念と言うのだろう。騎士の一人が、ディオク王子からドレスを受け取り、代わりにローブを渡した。白に青い花柄のローブを纏うと、ディオク王子は、どこぞのご令嬢にしか見えない。男だとは全く分からない。
「さっ、カーナヴォン伯爵。可愛いエブリーヌ令嬢。楽しいお茶会をしましょうね」
ディオク王子はまた女声を出し、鼻歌交じりでカーナヴォン伯爵に近寄り、甘えるように腕を組んだ。それで、引きずるように連れて行く。騎士に囲まれ、エブリーヌもついて行った。三人の騎士と、ユース王子は残っている。彼は私に近寄ってきた。騎士達は「事情聴取」だと言って、店長とキャメロンを割と優しい態度で店の外へ連れていった。ユース王子は店内。
「やあ、シャーロット」
「あ、あの……あの……」
「私の弟、優秀な働き者だろう? 何人かを見せしめにするのに、タレコミしたんだ」
「見せ……見せしめ?」
「そっ。それにしても、この格好なのによく気がついたな。弟でさえ気がつかないのに。まっ、あいつは後ろを見てなかったからだけど」
ユース王子は一定の距離を保って、私から三歩離れて、それ以上は近寄って来なかった。会いにきたら助けてもらえないか探ろうと思っていたのに、全然現れなかったユース王子は、とんでもないタイミングで現れた。
「お金はあるのに酒場で働くって、働くの好きだね」
「いえ、あの……」
「ロクサスをエブリーヌちゃんと婚約させちゃった。まあ、まだ噂の段階だけど」
「へっ⁈」
衝撃的な発言。ニヤニヤ笑いながら、ユース王子は肩を揺らした。
「ロクサス、慌てふためいて、逃げ切ろうと必死。あの伯爵って交友関係が厄介何だよね。さて、そろそろこう言ってあげるつもり。相手を聞き間違えていた。エブリーヌ令嬢ではなくて、シャーロット令嬢なのか。朗読会で親しげだった女性と聞いて、勘違いした、ってね」
言葉を失う。ロクサス卿を掌で転がして、何が目的? ユース王子は寒々しい笑顔。
「お詫びは君との結婚。妻を王室侍女としての登用」
「王室侍女ですか?」
「君は引き続き私の手駒ってこと。役に立たないと、どうなるか分かるよね? 君やロクサスは弱点が増えたから大変だ」
氷のような笑み。私は言葉を失った。なんて返事をして良いのか、思い浮かばない。
「私はそんなの御免だ。この国はまだまだ不安定。私の敵も多い。また内戦が勃発しかけるなんて最悪だから、見張らないといけないところや人物も沢山。味方も増やさないといけない」
小さなため息を吐くと、ユース王子は眩しそうに目を細めた。
「弟みたいな人生も憧れる。でもさ、何もかもなんて手に入らない」
寂しげな眼差しに、胸が痛んだ。ユース王子はこう言いたいのだろう。妻や家庭は欲しいけど、忙しくて無理。新しい家族という弱点も作りたくない。
「その話……きちんとフィラント王子殿下や……」
「してるさ。逆の立場なら、同じ事をすると思う。というか、私は似たような事をしてきた。さて、シャーロットちゃん、ミラマーレ伯爵夫人になりたい?」
ユース王子の口調が、急に軽やかになった。おまけにウインクも飛んでくる。
「分かりやすい顔。あーあ、胸が痛いよ。せっかく、本気になれる、運命の女性と出会えたと思ったのに」
「う、嘘です。ユース王子陛下は私の事……」
「そう、嘘だ。可愛いけど、全くタイプではない。君、全然色っぽくないし」
分かっていたけど、面と向かって言われるとグサリと突き刺さる。可愛いけど、は嬉しいが、色っぽくないのか。まあ、自覚はしている。
「あれ? 落ち込んだ? 何? 遊んで欲しい?」
愉快そうに近寄ってくるユース王子から、私はジリジリと離れた。また揶揄われる。本音を語ったユース王子は、もう引っ込んでしまったらしい。わざと? 本音風だっただけで、私の反応を確かめていた? ユース王子は、本当に雲みたい。本心や思惑がどこにあるのか、捉えどころがない。
「その観察して考察するような目を気に入った。だから、手駒にして、馬車馬のように働かせることにしたんだもん」
サササッと私との距離を縮めると、ユース王子は私の額を指で弾いた。
「必死に私の機嫌を取るように。ロクサスと一緒にね。夫婦で共同作業。きっと絆が深まるよ」
ユース王子は、くるりと背を向けて、あははははと高笑いしながら店を出た。ユース王子って、煮ても焼いても食えなさそう。