男爵令嬢、質問される
気がついたら、ここはホテルの宿泊部屋の一室。それで、ロクサス卿と2人で並んで、ふかふかのソファに腰掛けている。で、手を繋がれている。何故、こうなった?
「それで、まだ若いせいか、企画案がなかなか通らない。しかし、王都の水路改修は絶対に必要だと思うんだ」
お酒が入って、顔がかなり赤らんでいるロクサス卿は、ずっと饒舌。アストライア街で働いていた頃の話、今の仕事の話、仕事、仕事、仕事、ずっと仕事の話。成功談より失敗談や理想の話が多い。今は、携わっているアストライア街の水路改修を、王都でも進めたいという熱弁。これは、確かに女性にモテなさそう。お見合い相手がこんな話ばかりだと、嫌だと思うだろう。私は……仕事熱心で格好良いと思ってしまう。惚れた弱みというのはこのことだろう。それにしても、握られている手が熱い。
「ああ、すまない。つまらない話を、つい……」
「つまらなくは無いです。私達の生活を、より良くしてくれようとしていると分かるのは嬉しい事です」
ここのところ早く帰宅するけれど、朝早くから夜まで熱心に働いているのは知っている。帰宅をして、少し雑談をする事もあるけれど、ロクサス卿は書斎にいる事の方が圧倒的に多い。書斎へ紅茶かコーヒーを運ぶ時、私は割と胸をときめかせていて、書類整理とか簡単な計算に誤字訂正などを手伝うのも、楽しみにしている。サラサラと羽根ペンを走らせる、真剣な表情の眼差しのロクサス卿の横顔。それを少しでも長く見たくて、何かありますか? と毎回声を掛けている。
で、そんな私の恋心は、こうしていとも簡単に砕けた。真面目で誠実な筈のロクサス卿は、顔も分からない女性を、いとも簡単に密室に誘う。この事実には、胸が痛む。けれども、それならいっそ、顔を見せないまま、一晩愛でられてみたいというズル賢い思考も働いている。
ロクサス卿は無言。私を見た。もう、彼は仮面をしていない。口説こうとした相手が、私だと判明したら、どういう反応をするのだろう? 怖いから、早く逃げたい。いや、顔を見られなさそうなら、このまま。グラグラ揺れる乙女心。ロクサス卿が一夜の遊びをする人だなんて想像もしていなかったが、弟妹の為にまだまだ結婚しないなら当然とも思える。
「それで、シャーロットさん。君はいつまで仮面を被っているんだ? 暑いだろう?」
「えっ?」
ロクサス卿の手が伸びてきて、私の仮面を剥がした。その次は頬を手で包まれる。親指が私の唇をなぞった。ジッと見つめられている。
「あ、あ、あの……あの……」
バレてた。いつから? 最初から?
「声ですぐ分かった。それで、まさか、君が私に好意とは……驚いた。ようやく顔を見れた」
柔らかく微笑むと、ロクサス卿は顔を近づけてきた。ここ最近、こういう状況は、ユース王子に何度か経験させられている。なので、どうすれば良いのか分かる。嫌なら拒否で、そうでなければ目を瞑るだけ。と、思ったらロクサス卿は私の膝の上に倒れてきた。私の膝を枕にして、顔は上向き。私の顔を見ている。
「婚約なんて噂は嘘だ。何処の誰と噂になっているのかも分からないが、特定の女性と親しくしていない。その……君以外は……」
ふわり、と優しい笑みを浮かべると、ロクサス卿は私から顔を背けた。耳まで赤いのは、照れなのか、酔いなのか。先程よりは赤く見えるので後者?
「ユース王子の件もあるし……どうしたら良いのかと思っていたら……許されたというか背中を押され……更には君から来た……。しかし、仮面舞踏会なんて、攫われたらどうする……」
唇を尖らせると、ロクサス卿はほっぺたまで膨らませた。子供っぽい拗ね顔。こんな表情をする人だったのか。
「まんまとユース王子に嵌められた。未婚の妙齢の女性を預けるなんて……最初から変だとは思っていたんだ」
「まあ、奥様のいない屋敷に、普通は貴族侍女は預けられません」
目を見開くと、ロクサス卿は私の方へ顔を戻した。
「そうなのか?」
「ええ。それで、その……言い辛いのですが、オリビア様は私をユース王子が用意した、婚約者候補だと勘違いを……」
「婚約の噂相手は君か。外堀から埋めようということか。ユース王子がやたら君にちょっかいをかけて、私を煽っていたのも、それか」
あー、と呻き声を出しながら、ロクサス卿は自分の顔を手で覆った。
「単純接触効果……」
「単純接触?」
「毎日見るものは、自然と好きになるもの。フィラント様とエトワール様の時と同じだ。図られた……。ハニートラップでも、ユース王子はこういう手を使う……」
「そうなんですか?」
「ああ。しかし、してやられた……。あとは何だ? これに他に何を絡めた? あの人は絶対にいくつも乗せる」
ロクサス卿は体を起こし、私の肩にもたれかかり、髪を掻いた。
「文句もなあ……言えないんだよなあ……。絶対にこう言う。役に立つ、可愛い妻を探してきてやったのに、文句を言うんじゃない」
可愛い、その単語を聞いた時、私の胸がトクンと跳ねた。ユース王子の褒めの時には反応しなかったのに、ロクサス卿だと違うらしい。それに、最初から私だと見抜いて、誘ってきたというのが嬉しくてならない。
「ロクサス卿が結婚となると、自分の見合い話から話が逸れると仰っておりました」
「あー、それか。確かに、最近やけにエトワール様から君のことを聞かれると思った。まあ、あと、君の親を蹴落とすのに、子供を巻き込むのが忍びなかったのだろう」
変な契約だと思っていたけど、色々絡めていたのか。私とユース王子がまた会う日はあるのだろうか? エトワール妃は「職人通り」がどうのこうのという話をしていた。あと、お見合い話。
「でもお見合い話は進んでいます。あと職人通りに何かあるらしいです」
「フィラント様やエトワール様の心配も分かるから、俺はユース様の味方はしたくないのだが……するしかなくなった。君を使って脅される」
ロクサス卿は立ち上がった。手を引かれて、立つように促される。
「話したくて部屋に来たけれど、そろそろ限界。シャーロットさん、話したように俺はスヴェンとオリビアが自立するまで結婚しない。勿論、婚姻前に手は出さない。そういう恋人が嫌でなければ、その……今の生活で……たまに……出掛けたり……」
両手を握られて、顔を覗き込まれる。我儘に対する申し訳なさと、期待の入り混じった表情に見える。
「あの、いえ、その……まだお互いのことを殆ど知りませんし……」
少し期待の眼差しをしていたロクサス卿の顔色が悪くなった。手から力が抜ける。私は慌てて手に力を入れた。
「死ぬまで連れ添う長年のうちの、たった数年のことですし……思い出も色々出来そうなので……たの、楽しみです……。それが、私の今の本心です……」
ロクサス卿は目を丸めた後、嬉しそうに歯を見せて満面の笑顔を浮かべてくれた。
「きちんと、誠実に婚約をして、披露する。万が一婚約解消となる時は、何も要求しないと約束する」
真剣な眼差しに、きゅうううううと胸が締め付けられる。恋って不思議。知らない気持ちがうんと湧いてくる。この人を、こんなに胸が高鳴る相手を嫌になるだろうか? それなら、結婚なんて無理だ。オリビアが十二歳で、成人まであと六年。六年間婚約者。嫌だとは思えない。死ぬまで連れ添ううちの、たった六年。しかも、もう同居中。逆に途中でロクサス卿に嫌がられたら? 私とアリスはどうなるのだろう?
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします。私、何も用意出来ませんけれど……」
「持参金や家柄? 俺は支え合えると思える人と結婚したいと思っていた。君のような、気立てが良くて、生真面目な女性だ。周りには全然いなかった」
「過大評価だと思います。お互い、知らない事だらけですし」
「そうかもしれない。違うかもしれない。ただ、俺は視察の時点から気になっていた」
照れ臭そうに笑うと、ロクサス卿は眉根を寄せた。
「あー、それをユース様に見抜かれていた。君にヴィクトリア様をつけた理由は、君やアリスさんの逃げ道だろう。そういうことか。本当に、先々まで手を打っているな」
「逃げ道?」
「王妃付き侍女、王宮侍女、女学院の講師、君の未来には、選択肢が色々出てきていて、明るいってことさ」
へえ、ユース王子って策略家。しかも親切な方法。私がロクサス卿に捨てられても、大丈夫なようにしてあるって凄い。ただ、勤勉と努力が前提だろう。ヴィクトリアは同情で仕事を斡旋してくれるような、甘っちょろい人ではない。
小さなため息を吐くと、ロクサス卿は片手を離し、繋いでいる手を引っ張った。気がついたら腕の中。全身が熱くなる。今までも熱かったのに。
「なあシャーロット。ユース王子にキスされたって本当か?」
「え?」
顔が近い。鼻と鼻がぶつかる。熱を帯びた視線に絡め取られる。私は小さく首横に振った。
「それは朗報だ。で、手を出さないと言ったけれど、キスくらいは許してくれるかい?」
ボッと全身が熱くなる。火がついたみたい。少し思案してみる。キスくらいは未婚の恋人同士でもする筈。多分、一般的には、常識の範囲内。でも、恥ずかしくて「はい」と言えない。顔も動かない。ロクサス卿は、はにかみ笑いをした後、そっと優しく頬っぺたにキスをしてくれた。必死に顔を縦に動かしてみたけれど、あまり動いたようには思えない。だからか、ロクサス卿は私の手を引いて、部屋を出た。そのまま、私達は二人で屋敷へ帰宅。フローラ様か彼女の従者に挨拶と思ったけれど、ロクサス卿が「もう済んでいる」と言っていた。私、最初からフローラ様とロクサス卿に図られていたのかも。
帰宅後、玄関ホールでもう一度抱きしめられて、頬にキスされた。それから、今度はポンポンと頭を撫でられた。それで、解散。ロクサス卿は仕事が残っていると書斎へ向かった。
これは、つまり、婚約期間中はキスしないってこと? 良いですよと言えば、してもらえる? キスして下さいなんて、恥ずかしくて言えない。私のバカ。首を縦に振るだけで済んだ時に、もっと頑張れば良かった。