巻き込まれた男爵令嬢のプロローグ
大陸中央よりもやや西側にある、小国アルタイル王国。四年前に市民革命が勃発した。結果は無血革命。市民派の王家が王座を得たから。その際に父は失脚。革命で、ではなく革命後。行政改革の為の調査で、脱税、職務怠慢などが発覚。任されていた村から別の村へ配置変えとなった。
栄える一方の領地に属するダバリ村で、父は領主や補佐官に騎士達、更には豪気な村人達にまで監視されている。村長だけど、単なるお飾り。それでも仕事は色々ある。なのに、酷い事に父の書類仕事の多くは、娘の私がこなしている。
父と母は見栄っ張り。社交場に、常に新しい服や装飾品を用意するのに、夕飯無しは日常だ。衣服などを、二回も使えないと、一度使用するとすぐに売ってしまう。しかし、元値より価値は下がる。単なる浪費だ。
貧しい貴族は、働きに行くものだけど、父は「格好が悪い」と拒否。自分の土地の農夫と共に畑仕事、なんて絶対にしない。手に豆を作り、鍬を持つのは私。そうしないと、生きていけない。ユミリオン男爵一家の居場所が無くなる。でも、村人達からは冷たい視線。父や母が、私を嫁にいかせたくないと、男狂いとか、浪費家などと、それとなく悪評を流すせいだ。貯蓄は減り続け、借金はもう間近。
「アリスが結婚して、私達を楽にしてくれるわ」
それが、母の口癖。
「いやあ、娘が器量好しに生まれて良かった。アリスは本当に可愛いなあ」
それが、父の口癖。
私、シャーロットは仕事用。妹、アリスは金を運ぶ縁談用。両親はそう決めているらしい。だから、私、シャーロット・ユミリオン男爵令嬢は、もう20歳になるというのに、縁談話の一つも無い。それか両親に勝手に断られている。妹のアリスは、成人になったら即座に社交場でお披露目されて、金持ちの家へ無理矢理嫁がされるだろう。アリスはしたたか娘だから、ちゃっかり良い男を捕まえて、家族と縁を切るに違いない。本人もそう豪語している。私とは一緒に暮らすとも言ってくれているけれど、両親が私を手放すとは思えない。
私は密かに決意している。アリスが可愛いお嫁さんになり、幸せになったら、こんな親や家は捨てる。このまま貧乏で搾取され続けるなら、いっそ好きに、そして自由に生きたい。
☆
いつもと変わらないある日のこと。夕暮れ時に、その人は現れた。私は家から少し離れた、村外れの井戸へ水汲みに行くところだった。夕焼けを背にしたその青年は目立った。紺色のロングジャケット。シミひとつない純白のシャツ。漆黒のズボンに、銀色のバックル。髪はサラサラの黒髪で、同じ色の瞳は宝石みたいに煌めく。村には居ない、優雅な足取りに、品のある微笑み。丸いメガネを掛けていて、口元のホクロが目を惹く。前髪で隠れて、少し顔が分かり辛いけれど、端麗な容姿。背後には、厳つい騎士が二人。
「こんにちは。いえ、今晩はかな? シャーロット・ユミリオン男爵令嬢」
華麗な会釈をされ、慌ててバケツを地面に置いた。
「こんばんは。はい、シャーロットでございます」
こんなに格好良い男性を目の前にして、灰色のボロボロドレス姿とは死にたい。顔を見られるのも恥ずかしい。男爵令嬢の名に恥じないような会釈を心掛けて、挨拶を返す。悔しさと悲しみで、ドレスを摘む指に力が入った。ふと、彼のバックルの紋様が大鷲蛇だと気がついた。大鷲蛇は国紋……。私は大きく目を見開いた。
「いいね、バックルに気がつくのは良い観察眼だ」
清風みたいな爽やかな笑顔。返答に困る。この国の王家の男子は4名。元第一王子、現国王陛下リチャード。第2王子は双子でユース、フィラント。それから第3王子ディオク。フィラント王子の息子クラウス王子もいるが、まだ2歳。国紋を使用出来るのは王族だけ。だから、目の前の青年はリチャード、ユース、フィラント、ディオク、4人のうちの誰かだ。流石に国王陛下な訳が無い。3人の王子のうちの誰? いや……詐欺師? ……そうだ、詐欺師だ。田舎村に王子様が現れて、私に声を掛ける理由なんてない。ぐるぐる考えたけれど、やはり返事は何も出てこなかった。
「詐欺師だと疑った? 実に良い。聡明でないと困る。シャーロット令嬢、正解はユースだ」
ユースと名乗った青年の右手が伸びてくる。発言が真実なら、無礼な言動は許されない。詐欺師なら目的は何? 人気のない場所で、男3人と向かい合うなんて、体が震える。私、襲われるの? 男狂いって噂のせいで、たまに襲われそうになる。また?
「お会いできて……た、大変光栄でございますユース王子殿下……」
深く腰を落とし、頭を下げる。逃亡経路を思案しながら深呼吸。
「顔をあげなさい」
万が一本物のユース王子だと、命令拒否は悪手。私はそろそろと顔を上げた。途中、自称ユース王子はしゃがみ、私の顔を覗き込んだ。騎士は彼から離れている。彼の数歩後ろで、のんびりとした立ち姿。襲ってはこなさそう。
「君が欲しいものを与えてあげるから、1年くらい協力をして欲しい」
ユース王子は背後手を組んで、私から数歩離れた。視線はずっと合っている。
「協力、でございますか?」
「お金。仕事。親と縁切りする為の新しい戸籍。それから姉妹2人への良い縁談。欲しいだろう?」
自称ユース王子は、ニッと悪戯っぽく笑った。並びの良い白い歯が眩しい。悪意のあの字も見当たらない。
「すぐに信用してはいけない。演技上手かもしれないよ」
ウインクをされ、戸惑う。
「さて、私に従うと君は損をしない。選ばれた幸運に感謝して、私と契約しないかい?」
そう言うと、彼は上着の内ポケットから封筒を出した。封蝋で閉じられた封筒。赤い蝋に浮かぶのはアルタイル王国の紋章。円に十字、そして鷲を組み合わせた絵柄。これも王家の証だ。やはり、本物のユース王子?
「君の父親を王都に呼びつけている。十日後の慰労会に参加だ。見張りを付けるから、バラしてはいけない。内容を読んで、よく考えて返事をして欲しい」
そう言うと、ユースは立ち上がった。それからよろよろして、またしゃがんだ。
「ユース様。大丈夫ですか? 具合が悪いのですね。ああ、熱がある」
騎士の1人がユース王子に近寄ってきた。ユース王子の顔色がみるみる青くなっていく。さっきまで、血色が良くてどう見ても健康だったのに……。
「そこの娘、教会へお連れするので先に行って伝えてくれ」
もう1人の騎士が私を見据える。
「その封筒を神父様へ見せたら、詐欺師では無いと分かるぞ」
行け、と騎士に手で払う仕草をされた。私は足を動かした。封筒を握りしめる。ユース王子だなんて信じられない。油断させて、襲うつもりかも。その猜疑心は私の足を全力で動かした。しかし、三人とも追いかけてこなかった。教会で神父様に封筒を見せたら、本物だと判明。ユース王子は、地方官の抜き打ち視察に来て、教会に泊まるという。私は「神父様は忙しい。神父様以外の男に看病なんてされたくない」とユース王子が言うので、世話係に任命された。
しかし、実際は隣の部屋で一晩過ごしただけ。その部屋で、私は封筒の中身に目を通した。
ユース王子に3ヶ月口説かれて、その後婚約。1年前後で婚約破棄。権威の悪用禁止。偽の婚約者だと見抜かれてはいけない。ユース王子の義妹、エトワール妃とは絶対に仲良くすること。それが私に要求された契約内容。意味不明。契約書には、予定変更はあるが指示をするので従え。反抗禁止。逃亡は自由。そんな事が記されていた。この契約内容に、一体何の意味があるというのだろうか? 特にエトワール妃と仲良くしろ?
翌朝、返事もしていないのに、私とアリスは王都の伯爵家に貴族侍女として送ると、ユース王子に告げられた。父は交易街の地方議員の秘書にされるという。ダバリ村の統治から、地方議員の秘書だなんて、左遷だ。
「さあ、悪いようにはしないから契約書にサインしなさい」
教会の小部屋で、満面の笑顔とウインクで脅迫。目の奥が全く笑っていなかった。王子からの命令に逆らえる、貧乏男爵令嬢なんている訳が無い。私は黙って、契約書にサインをした。今だって結構悪い人生。一旦今の生活から逃げられるキッカケが、勝手にやってきてくれたのだから、一度このキッカケを掴んでみよう。ペンを持つ手は震えたけれど、嫌な予感はしなかった。
こうして、私の惨めな人生は、大きく動き出した。