【幕間】 女好き王子、切り札を使う
エトワールは女騎士二人と並んで、こちらへ向かってくる。ダグラスが、コゼットの存在や、この職人通りで遊んでいることをバラしたのだろう。仮面舞踏会の時に、そういう態度を取られた。案の定、エトワールはコゼットの前まで移動した。最悪。近寄るか、逃げるか迷いどころ。思案していたら、近くで見よう、とビルに引きずられた。
「大変評判の良いパン屋だと聞きまして、朝食を買いにきました。六つお願いします」
おい、妃に朝食を用意しない国だと思われるから止めろ。と言いたいけれど、黙っているしかない。物陰にコソコソ隠れると、ミネーヴァに気が付かれる。彼女は目敏い騎士だ。ジルと並んで、人混みに紛れて静観。
「六つも食べるのですか?」
「いいえミネーヴァ。貴女とアテナと私とサシャの分です。残りはオットー達に試食してもらいます。皆で研究しようと思いまして。クラウスと一緒に作って、フィラント様を喜ばせられますし、教会で配るパンも美味しい方が、皆さん喜びますもの」
「ああ、そういう事ですか。研究も何も、いつも美味しいパンを焼いているではないですか」
何か、予想と違う? エトワールは機嫌良さそう。妃に突然話しかけられたコゼットは固まっている。エトワール様だ、エトワール様だろうという囁き声の嵐。その中心なのに、何故エトワールはあんなにのほほんとしている。
「エト、エト……エトワール妃殿下……」
コゼットが縛り出すように声を出して、ぎこちないお辞儀をした。
「えっ? ま、まあ! ち、違います。私は……あの……えーっと……そう、アンリエッタ。しがない貴族夫人です」
あの阿呆妃! 王室馬車に乗ってくる、おまけに女騎士を従える貴族夫人なんているか! しかも王子フィラントの名前に王太子クラウスの名前を出して……。アンリエッタとは確か……エトワールと親しい流星国王女付き貴族侍女の名前。あんなにしどろもどろで、嘘だとバレバレ。
隣に立つ女騎士アテナは顔をしかめ、ミネーヴァは愉快そうに微笑んでいる。エトワールの行動を咎めないで、護衛に付き合っている理由は、面白がってだろう。フィラントの許可も、当然取っているに違いない。ミネーヴァはフィラントに最も信頼されている女騎士だ。
「……かしこまりました。アンリエッタ夫人。六つでしたら紙袋をご用意致しますので、お待ち下さい」
平静を取り戻したのか、コゼットは、はきはきと受け答えした。
「いえ、籠を持ってきたので大丈夫です」
エトワールの背後から、ササッと現れて籠を差し出したのは彼女の侍女サシャ。いたのか。そりゃあいるか。いつもエトワールにくっついている、妹分みたいな侍女。動揺で気が付かなかった。
「こちらにお願いします」
「かしこまりました」
「ふふっ、美味しそう」
エトワールは侍女に持たせず、自分で籠を抱え、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「エト……アンリエッタ様。良かったですね。前から行ってみたいと言っていましたからね」
「ええサシャ。噂のパン屋、こっそり寄り道……じゃなかった。コホンッ、買いに行く時間を作るのは大変でした」
どう見ても、全然こっそりではない。もう一児の母とはいえ、まだまだ若い。あの子の頭の中はどうなっているんだ? 女騎士は二人とも呆れ顔をしている。
「エ、エトワール様!」
この声はロクサス。振り返ると、人だかりの中をロクサスが人を掻き分けて進んで来ていた。フィラントの側近ロクサス卿。地方官吏から地方領主側近補佐官を経て、第二王子の側近。真面目な勤勉家で、評判は上々。仕事振りは見て、聞いて、良い評価を付けていたが、思慮が浅いというか、配慮が足りないらしい。職人通りで「エトワール様」と叫ぶとは口が緩い。
「おはようございますロクサス卿。貴方が教えてくれたパン屋、やはり人気ですね」
おい、アンリエッタという偽名は何処へ行った。エトワールがロクサス卿に向かって手を振る。本当に頭が痛くなる義妹。
「おはようございますではありません! いくら護衛が付いて……あー……」
ロクサス卿が失態に気がついて固まった。市民が「やはりエトワール様だ」とワイワイ、ガヤガヤ騒がしくなっている。
「エトワール様。偽名はもう終わりですか?」
「お忙しい公務に子育て、それに気を遣う外交の息抜きがてら、市民が困っていないかの視察を兼ねて、職人通りへ行きたいと申していましたが、この通り、進言した通り、お忍びでとは難しいのです」
「そうですエトワール様。私とアテナの忠告通りではないですか。市民を混乱させて、朝から騒がせてはなりません。視察はこのようにロクサス卿が早朝から励んでくれています」
アテナ、ミネーヴァの順にエトワールへ非難の視線。エトワールはしょんぼりと項垂れた。どうみても、仕組まれた流れ。
「はい……すみませんでした……。皆様、すみません」
エトワールが心底申し訳ない、というように頭を下げた。謝罪された市民に動揺が走る。
「購入希望のパンも買えましたし、慰問へ向かいます。皆様、お騒がせしてすみませんでした」
もう一度会釈をするとエトワールは馬車の方へと歩き出した。
「ご一緒致します」
ロクサスがエトワールの隣に並ぶ。エトワールはキョロキョロしている。もしや? と思って周囲を見渡すと、市民服姿の騎士マルクを見つけた。ダグラスも発見。で、フィラントもいた。包囲されているらしい。逃げ場は……なさそう。見つかるのは時間の問題だろう。最悪。エトワールは私の目を奪う囮だったのだろう。ついでに、こっそり職人通りへ行きそうなエトワールへの牽制。怒られたので、もう同じ事はしないだろう。
「おはよう、フローズ」
聞き慣れた声がして、バッと振り返る。
「やあ、レグルス。もう帰宅したと思っていた」
地味な平服姿。レグルスはにこやかに笑った。
「いやあ、少しだけ伸ばした」
「フローズ、知り合いか?」
ジルがレグルスをしげしげと眺める。
「腐れ幼馴染。レグルス、どうやって辿りついた?」
裏切り者はダグラス。あいつはコゼットの存在を知っているような口ぶりたった。ダグラスは黙っているといったのに、フィラントとレグルスに話をしたに違いない。この職人通りへたまに息抜きに来ていることは、誰にも話した事がない。側近や護衛騎士に咎められた事もないから、秘密に出来ていると思っていた。いや、出来ていた筈だ。そもそも、ダグラスはどこから情報を仕入れた?
「勘の鋭い、妖精ちゃんからだ」
エトワール? ダグラスでなくて? レグルスは私の肩に手を回してきた。目でジルに下がれ、と訴えている。下っ端だがジルも王国騎士。ロクサス卿、幼馴染、レグルスという名前、領主、という単語や今の状況からジルは私が誰なのか察するか? レグルス・カンタベリ伯爵。領主会議の為に上京してきている、アストライア領主。第二王子、双子王子ユースとフィラントの気に入り貴族。ジルの顔が強張る。彼は頭を下げながら、遠ざかっていった。レグルスも私を人のいない方へと連れて行く。
「レグルス、貴重な友人を奪うな」
「今後も態度が変わらなければ、真の友情を築ける。ごますり野郎なら縁切り。君はそうしたいだろうと思ってさ」
「何でもお見通しって事か。はいはい」
「おほん、はい一回だぞフローズ君」
「で、君も私の憩いの場を奪うのか?」
「悩み中。あの子のこと、早く気がつけば良かった」
レグルスがコゼットを指で示した。
「どこまで知ってる?」
「隠し子だろう? 腹裂きジャックの話をして、治安向上をさせようとしたのはあの子の為だな? ただ、君の今の立場で放置している理由が分からない。帽子屋の良い評判を流すだけって、どう言う事だ?」
「違う。昔、世話になった人の子だ。すくすく元気に育っているのをたまに見にくると、こちらも元気が出る」
「君は隠し事が上手いからなあ。さて、口を割らないとエトワールちゃんが突っ込んでくるぞ。この世で一番、君の嘘を暴く女」
「最低最悪の女。本当に大嫌いだ」
好きだけど、嫌い。義妹は私の妥協をすぐ破壊しようとする。レグルスの言う通り、何故か嘘を見破る。今回も、シャーロットからどうやってコゼットまで辿り着いた? 帽子屋の話をしてしまったせいだろう。つい、口が滑ったのは、あの心配そうな眼差しのせいだ。
「レグルス。フィラントにも言ったのか?」
私と同じように、髪型を変えて、眼鏡をかけていても、背が高いし威風堂々としているのでフィラントは目立つ。取り囲まれて、市民に声を掛けられている。そのせいで、私を見つけられないらしい。見つかる前に帰ろう。レグルスを懐柔するので、見つからなければまた来れる。
「職人通りへ一人で繰り出して、遊んでいるって話はした。エトワールちゃんの行動は、よく分からない。俺とフィラント達は君を探しにきた。君を現行犯逮捕して、出禁にする為にだ。王子が護衛も付けずに、治安が良いとは言えないところで遊ぶな」
「あーあ、私の最後のオアシスを奪われるのか」
「この大嘘つき野郎」
「なんの話?」
「フローラだよフローラ。君が縛られたのだから、レグルスも遊ぶな。君、そうやって私を包囲するんだろう? だから、この場所をわざとバラした」
心の中まで嘘をついたのに、見破られた。さすが、レグルス。
「まあね。ダグラスを奪われた。君は私を守る盾になれ。私は反省して、真実の愛を探す男になる、と周りに見せる事にした。あちこちで遊ばないで、一人一人にする」
「君の敵になるとフローラを怒らせる、か?」
「そっ。切り札は色々持っている」
レグルスに帽子を取られ、髪をぐしゃぐしゃに撫でられる。その後、バシンッとレグルスに額を叩かれた。更に睨まれる。
「この策略家め。ロクサスも手駒にしたな。そのついでに、前から調べていた地方官を罷免。使える子供は保護。働く者を庇護するとパフォーマンスにもなるしな」
「シャーロットちゃんはエトワールへのスパイにする。可愛いロクサスに飾っちゃった♡」
「おい、気持ち悪い話し方をするな。真面目な話をしているんだぞ」
「真面目だもん」
「ロクサスの婚約話で、自分の結婚やお見合い話から話を逸らそうとしたんだろう」
「いや、逸らすさ。ここからが本番。私は腕が良い」
「きっと、そうなるんだろうな」
「ロクサスを手駒にしたし、フローラへの謝罪も終わる。妻の機嫌が治ると、君は私を非難できない。しおろしくするから、まだ結婚は勘弁してくれ。と、しばらく大人しくする。その間に慶事が続いて、エトワールもフローラも私の事はおざなりなるだろう。君達は続く。敏腕だろう?」
レグルスは苦笑いを浮かべた。
「君はいつも逃げ足が速い。しかし、ロクサスの結婚くらいでは、目眩しにはならないぞ」
「私は多くは望んでいるけれど、結婚とか妻っていうのは優先度が低い。みんな揃って、勘弁して欲しい。レグルス、君は子供が生まれる自分の事を心配していろ」
えっ? とレグルスの目が大きく見開かれた。
「フローラ激怒の理由。報告しようとした矢先に、こないだの一夜の火遊びが発覚。少し長めに付き合っていたミーティアちゃんじゃなくて助かったな? 手を打ったのは私だぞ」
「いきなり脅してきて、慰謝料をむしり取っていったのは、君の暗躍か!」
その通り、というように指を鳴らす。
「感謝しろ。先回りしてやった」
「というより、良くミーティアの事を調べられたな」
「まあね。私の情報網を甘く見るな。さて、初恋に胸を焦がす君のために、ロリコンクソ野郎から救って、君にフローラを飾ってやったのは、この私だぞ。これ以上悪さをすると、流石に逃げられるからな」
ぶるっと震えると、レグルスは頭を掻いた。
「また私に恩を売ったのか。まだまだ君にこき使われるという訳だ。ありがとう、と言っておこう。フローラには絶対に逃げられたくない」
「逃げられろ、逃げられろ。そうしたら私がフローラを妻にしよう。前から欲しかった」
いつものような反応が返ってこない。レグルスは複雑そうな顔付きになった。
「黙れ。それなら俺達をくっつけようとしないで、自分でどうにかすれば良かったんだ。それなのに俺の後押しをしやがって」
「へえ、気がついていたんだ?」
というかそれも最近か? 私は常日頃、妻帯者に今のような軽口を叩いている。いつものレグルスは「やるか、バーカ」と、自信満々な笑みを返してくる。フィラントだと本気で嫌がる。あのヤキモチ妬きは面白い。
「最近だ。フローラが少し話したし、考えてみたらそういう気がした。で、今ので確信」
「それは、うっかりした」
「君は本当に、忍ぶとか、隠すのが上手い。長年、君の初恋について騙されていた」
「褒めてくれてありがとう。君の妻のファーストキスの相手でごめんね」
軽い復讐だ。私も女好きなので人の事はとやかく言えない。しかし、かつて惚れた女を泣かせるレグルスには時折腹が立った。告げた途端、バシンと頭を叩かれた。
「笑顔で怒るな。君だって、フローラが妻でも絶対に浮気するくせに」
「だから結婚なんてしないんだもん。王子を殴るなんて不敬罪だ。絞首台に乗せるんだもん! 俺の敵になると、宝物を奪うんだもん! 子供も増えて弱点が増えるから簡単だもん!」
「はいはい。その軽口には乗るか。あの隠し子の母親は誰だ? 言うわけないか。探し出して、絶対に結婚させる。大反対されても、押し通す権力があるから任せろ」
「まだ敵でいるのか。じゃあ教えてやろう。冷たい土の中で、安らかに眠っているんだもん」
口にしたら、思っていた以上に胸が痛かった。多分、ここのところ、後悔に潰されそうだったからだ。全部、何もかも捨てて、マリーとこの国を出ていたら、貧乏ながらも幸せな家庭を築いていたかも、なんて考えたりしたからだ。私には守り抜いた国や兄弟がいる。彼等にはその家族がいる。革命後、まだまだ不安定。自分の弱点を増やす気はない。それに私の妻は、マリーの座だ。キスさえしてないけれど、その分執着してしまっている気がする。どいつもこいつも、私の繊細な過去を掘り起こそうとするな。
「え? ユー……フローズ……」
「エトワールにだけは言うなよ。フィラントは迷うけど、言うな。フィラントやエトワールに話したら、君の今までの愛人や浮気相手を全部フローラにバラすからな。私が結婚しなくて良いように、根回ししろ」
私の脅迫は効果覿面。レグルスは「すまない。分かった」とだけ口にして、それきり、何も言わなかった。多分、愛人や浮気相手の事よりも、私の発言で、本心を悟ってくれたから。レグルスは複雑そうな、悲しげな表情。これだから言いたくなかった。しかし、仕方ない。世の中、何もかもは思い通りにならない。一つ譲って、他は譲らない。レグルスはまだ良い。フィラントやエトワールには知られたくない。
これで一先ず、レグルスは味方だ。で、レグルスを縛ってあげたと提示したら、フローラも懐柔出来るだろう。