男爵令嬢、噂されていると知る
今日は古語朗読会の付き添い。今日のオリビアはピリピリしている。何でも、カーナヴォン伯爵令嬢イザベルと対決なんだとか。私は旦那様に、オリビアの世話役として帯同するように命じられた。スヴェンから「オリビアが暴走しないように見張れ」とも言われている。
あいにくの曇り空。朝からこんな天気だと、気分も沈んでくる。昨夜から、もやもや、もやもやしているのは、エトワール妃にロクサス卿と婚約したと誤解されている件。恥ずかし過ぎるし、オリビアに口止めされているので、聞くに聞けない。
オリビアの支度はバッチリ。先週仕立て終わったドレス。朗読会は奉仕活動の一環なので、灰色にスズラン柄とかなり地味。それでも珍しい貝殻の装飾品は目立つし、髪型も頼まれた通りの、横流しの三つ編み。少しだけ造花を飾ってある。奉仕活動だけど、オリビアは伯爵令嬢だから見すぼらしくし過ぎはダメ。我ながら絶妙なバランス。オリビアは、支度中、ずっと朗読の練習をしていた。三ページ分、丸暗記したらしい。気合いの入っているオリビアとは、雑談なんて雰囲気ではない。支度後は、ずっと無言。私とオリビアは馬車へ乗った。
「アリスの仇、絶対にうってやる」
窓の外を睨むオリビアの横顔は、怒りに染まっている。
「アリスの仇、ですか?」
「猫被り性悪子狐が、アリスをトイレに閉じ込めて、生ゴミをかけたのよ」
えっ? 生ゴミ? お嬢様学校に、そんなイジメがあるの? 怖っ。私は学校に通った事がないので、想像がつかない世界。
「まあ、そんな……。アリスは毎日学校が楽しいと……」
「そうよ。私がいるもの。ミラマーレ対カーナヴォン派閥。今日こそ決着をつけるわ。シャーロットさん、援護を宜しく」
腰に手を当てて、私を見据えると、オリビアはまた窓の外を睨んだ。ミラマーレ対カーナヴォン派閥って……オリビアは女学院で派閥を作っているのか。勝ち気だし、アリスの世話も焼いてくれているので、想像はしやすい。また無言。程なくして、馬車がアルタイル大聖堂へ到着。馬車から降りると、朝早く出掛けたロクサス卿が居た。
「何だオリビア、怖い顔をして」
「緊張しているだけですお兄様。エトワール様の顔に、泥を塗ってはいけませんから」
ツン、と澄まし顔をすると、オリビアは一人でサッサと歩き出した。ロクサス卿の少し後ろにいた壮年男性に声を掛け、アルタイル大聖堂へと進んでいく。勝手知ったる、という様子。
「シャーロットさん、今日は休暇なのにありがとう。代休を取ってもらうし、御礼もきちんとする」
「いえ、大聖堂でエトワール妃陛下が聖書の朗読をするのを、特等席で観れると聞きました。貴族席はごく僅かなんですよね? 私、昨夜はなかなか眠れなかったです」
「貴族席ではなく、関係者席だ。オリビアが参加者側だから」
「やはり、特別な席ですね」
ロクサス卿が私の手を自分の腕へ招いた。物凄くドキドキする。自分の恋心を自覚してから、ロクサス卿の顔をまともに見れない。でも、見たい。荘厳なアルタイル大聖堂の前、そして間も無くオリビアの晴れ舞台である朗読会。緊張感は増していて、心臓の音はかなり煩い。ロクサス卿に聞こえていたら、どうしよう。
「おはようございます、ロクサス卿」
朗らかな女性の声。ロクサス卿が体の向きを変えたので、私も一緒に動いた。黄金色の髪を、これでもかという程巻いた、少しタレ目の女性が二人。一人はオリビアと同い年くらい。後ろに執事らしき、初老の男性が立っている。
「ご機嫌麗しゅうございます、エブリーヌ令嬢。それから、イザベル令嬢。本日はよろしくお願いします」
「麗しいだなんて。それに、妹の名前まで覚えていただいていて、光栄です」
エブリーヌが照れ笑いを浮かべる。ご機嫌麗しゅう、は単なる挨拶で、朗読会参加者の名前を覚えているのも当然の事だけど……。チラリとロクサス卿を見たら、苦笑いをしていた。ロクサス卿は演技下手みたい。
「初めまして、ロクサス・ミラマーレ伯爵。イザベル・カーナヴォンでございます」
この子がアリスを虐め、オリビアと対立しているのか。大人しそうに見えるけど、違うらしい。
「オリビアの同級生でしたよね。いつも妹がお世話になってます」
「はい、とても仲良くさせていただいてます」
イザベル、しれっと嘘をついた。淑やかで優しげな笑顔なので「仲良く」が本当のように聞こえる。でも、オリビアが私に嘘をつく理由なんてない。この子がアリスに生ゴミをかけたのか。
「あの、ロクサス卿。週末のオペラ、予定はどうでした?」
エブリーヌの問いかけに、ロクサス卿は少し気まずそうな表情になった。
「その日、やはり仕事が終わる時間がまだ分からないのです。お誘いしてくださった、カーナヴォン伯爵には申し訳ないのですが……」
「まだ3日もありますし、来られるように、祈っておきますね」
「有り難いのですが、家の用事も出来てしまったので、難しいと思います。今日、正式にカーナヴォン伯爵にお断りをしようと思っています」
えーっと、私はロクサス卿と腕を組んでいて良いのだろうか? それと週末。3日後の日曜、ロクサス卿は完全に休日だ。仕事はしない。一日予定を空けたと言っていた。今度こそ、オリビアとアリスのブランケットを買いに、隣街の雑貨店へ行く。この間、ユース王子に邪魔されて仕切り直しになった外出である。私も荷物持ちでついて行くことになっている。軽い会釈をして、ロクサス卿は歩き出した。すれ違いざま、エブリーヌに思いっきり睨まれた。
「あの、旦那様……」
「酒の席だが、カーナヴォン伯爵に娘をどうかと前から言われていて。突っぱねられる立場でもないので、のらくら逃げているんだ」
ロクサス卿は困ったような笑顔。
「以前、子爵の頃は年下の彼女にさえ、良く嫌味を言われていた。そういう妻は御免だ。週末、出掛けることは秘密で頼む」
耳元に囁かれた小さな台詞。私は小さく首を縦に振った。アルタイル大聖堂へ入るまでに、ロクサス卿は何人かの貴族に声を掛けられた。それも、若い娘を連れている者ばかり。ロクサス卿は、どのご令嬢に対しても、丁寧ながらも拒絶という姿勢を示した。みんな、可愛いのに。内心、小躍りしている自分を自覚し、何とも言えない気持ちになった。私だって、いつ失恋するか分からない。ロクサス卿が、オリビアの成人まで結婚しないというのを考え直して、誰かを娶ることだってあるかもしれないのだから。
アルタイル大聖堂へ入り、控え室へ案内された。オリビアはもう着席して、ぶつぶつ朗読会の練習を始めていた。今日の古語朗読会の参加者は女学生が三人。その後にご婦人が三人。最後はエトワール妃。お妃様は、自分以外の者が朗読をする間、大聖堂に集まる子供達に、古語を解説してまわるらしい。月に二回行われるこの朗読会に参加するのは、かなりの誉れなんだとか。その後、礼拝時間になり、神父様のよる炊き出しが行われる。
程なくして、控え室に参加者全員が集まった。参加者とその従者、もしくは姉妹などで総勢十二名。控え室内に挨拶が飛び交う。顔見知りばかりの中、私は初対面の方ばかり。世話役なのに、オリビアに紹介され、気を遣われるという。かなり居心地が悪いのは、ジロジロ、ジロジロ見られたから。特にエブリーヌ。おまけにエブリーヌは、係りの人が迎えに来て、控え室から大聖堂へ移動する際に、わざとぶつかってきた。
「横幅があると大変ですね」
「へっ?」
「色目と体を使うなんて、品のない人」
「はい?」
去り際に残された嫌味に、私は固まった。公の場で、こんなあからさまな悪意を向けてくる人っているんだ。ツンツンした態度でエブリーヌが部屋を出て行き、同じ表情のイザベルも後に続いた。彼女達の侍女もついていく。
「あらあらー、若いわね」
「人気者にポッと出が現れたら、まあねえ」
「ふふっ、私はシャーロット令嬢に一票。可愛い反応だもの。ロクサス卿って、素朴な娘を好みそうじゃない? 彼自体が純粋って感じだもの」
「そう? それなら私はエブリーヌ令嬢。カーナヴォン伯爵からの話だと、あのロクサス卿でも断り辛いもの」
おほほほほ、くすくすくす、と楽しそうなバティスティーヌ夫人とマグロワール夫人。突然、シルヴィア夫人が扇で私の顎を撫でた。彼女は実に妖艶で、そんなに襟ぐりは深くないドレスなのに、胸がこぼれ落ちそう。ぽってりした唇には、女性の私でもドギマギしてしまう。
「ロクサス卿、ねえ。本当に素朴なのかしら? フェンリスによ、ろ、し、く」
ウインクと同時に、閉じた扇で軽く肩を突かれた。豊かな胸を揺らしながら、ゆったりとした品のある動きで、部屋を出ていく。後ろに彼女の侍女2人がついていった。フェンリス? フェンリスって誰?
「怖ーい。ねえ、バティスティーヌ夫人」
「ええ、最近ご無沙汰らしいわよ。旦那様も、愛人も、あのユー様ともね」
「あらあら、それで熱心に仮面舞踏会で、若い子に粉をかけているのね」
「こんな地味な娘、フェンリス様は単に揶揄って、ふざけて、目で愛でているだけでしょうに、嫉妬なんて怖ーい」
「両天秤にするなら、そうじゃないかもしれないけどね」
「初心そうで違うってことお?」
「昼は貞淑、夜はって基本だから、そうかもしれないでしょう?」
くすくすくす、うふふ、と笑いながら、バティスティーヌ夫人とマグロワール夫人も控え室を後にした。去り際、マグロワール夫人に睨まれて辟易した。
「言われたい放題ね、シャーロットさん」
「ええ……」
「フェンリスこと、ユース様と最近遊んでもらえないご夫人達、シャーロットさんの噂を耳にして、怒っている方もいるから気をつけて」
今のがそれか。フェンリスはユース王子の偽名らしい。最近遊んでもらえない、ということは、前は相手をしていたってことだ。夫人達ってことは複数。
「気をつけるも何も……私とユース様は何もありません……」
「そう言えば良いのよ。お兄様との事は否定してはダメよ。お兄様、縁談話を減らしたいらしいから、曖昧に答えて相手に誤解を与えておいて」
「誤解? 私と旦那様の仲を疑う方がいるなん……いましたね、先程」
「そっ。知れ渡っているわ。お兄様の耳にはいつ届くかしら? 楽しみ」
いや、楽しみではなく困る。怖い。
私、社交場でどんな噂をされているのだろう? 話の続きをしたかったけれど、案内係りに呼ばれた。オリビアの出番まで近くで寄り添い、その後は関係者席へ移動。私はアルタイル大聖堂の荘厳さや、エトワール妃の美しい朗読に気持ちが逸れ、朗読会後にオリビアと噂についての話はしなかった。