男爵令嬢、王子様とデートをする 2
ベタベタされながら、帽子や高価なルビーのネックレスを買ってもらった。似合う、可愛い、綺麗、などなど褒められ、悪い気はしない。店員からもお世辞の嵐。嘘だけど、優越感。恵まれているお嬢様は、こんな世界を生きているのだろう。帽子の試着中、ユース王子が離れてくれたので、それはホッとした。店長に別室へ案内されていたので、接待だろう。
その次はメダの小道という所へ移動。王家の儀式で使う場所だという。乳白色の石畳、美しい彫刻の柱、手入れされた花畑。細い枝の木がアーチを作り、トンネルのようになっている。木々の隙間から道に落ちる木漏れ日で、石畳は光ってみえる。ユース王子の腕に手を添えさせられて、二人で並んで歩いていく。前後には護衛の騎士が三名ずつ。
「どう?」
「素敵な場所です」
「ここはかつて、風の神が大鷲を遣わし、迷える民が歩けるように、荒れる大地に道を切り開き、アルタイルへと導いた。と、言われている場所だ」
「もしかして、三賢者伝説の渓谷渡りの場所ですか?」
「そう。この辺りが渓谷だったなんて、とても信じられないだろう? 権威と神話を結ぶにしても、もう少し統合性を持たせるべきだ」
確かにここは、緩やかな道で、岩場の影すらない。珍しく、ユース王子は真面目な表情。凛としていると、まるで別人みたい。微風に揺れる黒髪を掻き上げると、ユース王子は肩を揺らした。
「まあ、アルタイルの王都は起伏が激しい。あながち嘘でもないのだろう。火の無いところに煙は立たない」
「そうでしょうね。この世に奇跡があると信じる方が、豊かになれる気がします」
貴方が現れて、私とアリスに奇跡のような生活を与えてくれた。と、言いたくても言えない。護衛の騎士達は全員見知らぬ顔。私とユース王子が、契約関係なんて知らないだろう。いや、ダグラスと呼ばれた男だけは知っている筈。他の騎士には、チラチラ、チラチラ、珍しいというような目を向けられている。ユース王子が私の方へ顔を向けた。
「奇跡とは例えば、素敵な王子様が見つけてくれた。とかか? 星姫物語のように」
「私は、あの話はあまり好きではありません」
星姫物語は二つ並ぶ北極星に纏わるおとぎ話。働き者の健気な姫が、真実の目を持つ星の王子に見つけてもらい、女神になったという伝説。
「へえ、女性にしては珍しい。何故だい?」
「あの話の続きは厄災や滅亡ではないですか。姫に見捨てられた国を揶揄した、皮肉っぽい説教話に思えまして……。素敵な恋物語というより、どうもそっちに目がいくのです」
「厄災や滅亡? そんな続きは読んだことがない。まあ、絵本しか知らないが」
「そうなのですか? 私の家にあった絵本は、そうでした。降り注ぐ石つぶてで、国が燃え盛る……。あの絵は無性に怖くて、私は、優しい王子が実は復讐をしたと……怖くて……」
「そうか。しかしシャーロット令嬢、信じる事は難しいけれど、信じるという事は大切な事だ。石つぶては流星、燃え盛るではなく夕暮れ。昼と夜の境界、つまり神の世界が垣間見える時。そんな考察も出来る」
風で私の帽子が飛び、ユース王子が帽子を掴んだ。そっと、元の位置に戻される。ユース王子の手が私の頬に触れる。急に演技の時間が始まったようだ。熱い眼差しに、緊張が走る。照れと恐怖。不意に、脳裏によぎったのは若草色だった。丸くて、みずみずしい緑。ロクサス卿の穏やかな笑顔。何で?
「どうしてそう嫌がる。シャーロット令嬢……」
嫌? 嫌だなんて言っていない。嫌? ロクサス卿じゃない……から……? えっ?
「いえ、嫌だなんて……」
「そうか?」
あっと思ったら、頬に手を当てられ、唇にはユース王子の指。瞬きの向こうで、ユース王子は目を瞑っている。指がキスの障害物。
「突き飛ばされなくて安心した」
照れ笑いを浮かべると、ユース王子は私の手を繋ぎ、早歩き。斜め後ろにいた騎士と目が合う。無表情で、顔を背けられた。キスしたと思われた? それにしても、ドキドキ、バクバクして、熱くてならない。ユース王子とのキスの演技ではなく、自分の事の新発見のせいだ。ロクサス卿? 私、ロクサス卿が好き?
「シャーロット」
「は、はい……」
目の前の事に集中出来ない。ユース王子の手に、青い花。髪に飾られた。
「似合うな」
「……は、はい……」
その後も、ユース王子は照れながら私と接するというような態度だった。可愛い、可愛いと褒められていたけれど、その中身は右から左へ流れていった。全て「はい」という返事しかしていない。少しの散歩後、馬車へ戻った。過剰なくらい優しい扱いで、エスコートされた。馬車が走り出す。すると、隣に座っているユース王子が、迫ってきた。ニヤニヤしている。
「なあ、シャーロット。誰の事を考えている?」
「は、はい……」
「はい、じゃなくて、誰かな?」
シュルリ、と襟のリボンを解かれた。
「あっ、あの!」
「ほら、言わないと、何かされるぞ」
「きっ、きゃあ!」
言わないと、と口にしたのに、ユース王子は待たないで私の首に顔を埋めた。肌に感じる柔らかで温かな感触。押し返すか突き飛ばしたいけれど、反抗は禁止だ。いや、ユース王子は嫌だと言って良いと教えてくれた。
「あ、あの、止めて……下さ……っ痛」
噛まれて、思わずユース王子の肩を押して押し返す。簡単に離れてくれた。
「よし、バッチリ!」
「あ、あの……」
それきり、ユース王子は私の向かいの席へ移動。一言も発しなかった。どうして噛んだりしたのか聞きたくても、尋ねられる雰囲気ではなかった。馬車はゆっくり走り続け、やがて屋敷に到着。馬車から降りても、ユース王子は私をエスコートしなかった。待て、ということ?
ユース王子がコンコン、コンコンとノッカーで扉を叩く。次はガラン、ガラン、ガランと玄関のベルを、紐を引っ張って揺らした。その後、私を馬車から降ろしてくれた。玄関を開けたのはカシムで、そのすぐ後ろにロクサス卿が立っている。怪訝そうな表情で、口はへの字。
「帰った。会議へ行こう」
ユース王子の発言とほぼ同時に、ロクサス卿がカシムを押しのけて前へと出てきた。玄関ホールにフィラント王子も現れる。ロクサス卿は私を馬車から降ろし、屋敷の中へ連れて行った。ユース王子とフィラント王子がが付いてくる。
「ユース様、ご進言したように、嫌がる女性を無理に付き合わせたりしないで下さい!」
ロクサス卿は見たことがない程、怒って見える。
「なんだロクサス、怖い顔をして。嫌がる? まさか、その逆だ。素敵な贈り物だと、感涙してくれた」
ユース王子が私を引っ張った。腕が肩に乗る。その手が私の首を撫でた。ロクサス卿と視線が交差する。私は自然と身をよじっていた。笑えば良いのか、本心の顔をするべきなのか、判断がつかない。ユース王子は、私に演技力を求めてはいない。きっと、苦笑で良いのだろう。
「ユース様。ですから、見れば分かる……ユース様、彼女に何をしました?」
ロクサス卿は真っ青になった。何?
「さあ? 何故君に話さないとならない」
「彼女が怯えているからですよ!」
「ユース! いい加減にしろ! 諦めるって言っていたよな? せめて相手をよく見て口説け! それとも何か企ててるのか?」
フィラント王子がユース王子にずいっと近寄る。フィラント王子が私の体を、ユース王子から引き剥がした。それで、私をロクサス卿の方へと移動させる。ロクサス卿は険しい表情で、ユース王子を見据えている。
距離が近い。私は……この人を好き……。ユース王子に買ってもらった首飾りをしているのを何だか見られたくないし、首回りが露わなのもどうか思い、私は襟を元へ直した。……噛まれたから、跡でもついている? 結構痛かったから、そうかもしれない。それか! この雰囲気の理由。そういえば、リボンを返して貰っていない。わざとだ。ユース王子なら、絶対にわざとそうした。
「フィラント、怖っ! 遊ぶなの次は、真面目に惚れるな? いい加減にしろ、はこちらのセリフだ。企てる? そうやって、私の気持ちを疑ってばかりだな」
鼻を鳴らすと、ユース王子は屋敷から出て行ってしまった。
「おい、待てユース!」
「フィラント様! 私も行きます!」
フィラント王子、ロクサス卿も出て行った。カシムが「こちらへどうぞ」と二階の応接室へ連れて行ってくれた。エトワール妃がクラウス王子を膝に乗せ、オリビアと向かい合って座っている。他に知らない女性が一人いる。なんだか和やかで楽しげな雰囲気。さっきまでの玄関ホールとは真逆の世界。
ユース王子とのデート演技の次は、なんとお妃様とのお茶を飲むという、とんでもない事態。私の人生、どうなっているの?