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男爵令嬢、王子様とデートをする 1

 私の人生は実に奇妙。雲一つない天気。今までで一番豪華なドレス、帽子、手袋、日傘。全部、昨夜贈られてきた。手紙が添えられていて、明日の朝の礼拝の最後の鐘が鳴った後に玄関前で待っているように、と命じられた。ロクサス卿の買い物の、荷物持ちをする筈だったのに! 行きたかった……。


 カシムと並んで、無言で待っている。住み込んでいるロクサス・ミラマーレ伯爵邸に、王室の馬車が止まった。後ろには馬に乗った王宮騎士が幾人もいる。馬車から降りてきたのは、誘い主のユース王子。ではなかった。馬車操作の騎士が扉を開き、中から出てきたのは、予想に反してフィラント王子だった。黒紫色の瞳が私を捉えた時、冷たい井戸を覗いたような錯覚がした。


「おはようございます。遅くなりました」


 淡々とした、抑揚のない声での挨拶。無表情なので、かなり威圧感がある。正直怖い。


「おはようございます。まあ、可愛らしいドレスですね」


 フィラント王子の後ろから登場したのは、アイボリーに花柄の割と地味なドレスに身を包む、エトワール妃。腕の中には母親そっくりの目鼻立ちの幼子、クラウス王子。エトワール妃がフィラント王子の隣に並ぶ。瞬間、フィラント王子の空気が丸くなった。ふわり、と微笑みを浮かべて、眩しそうにエトワール妃を見つめている。見ているこっちが恥ずかしいような、優しげな眼差し。そのせいで、緊張が余計に酷くなった。


「おは……おはようございます。フィラント王子殿下。エトワール妃殿下。お褒め頂き光栄でございます」

「お兄様と2人で延々と悩んだドレスですけれど、似合っていて良かったわ」

「選んで下さった? ユース王子殿下とエトワール妃殿下が、ですか?」

「そうです。相談されたのです。それにしても、玄関前でお待たせしてすみません。つい、礼拝時間が長くなってしまって。神父様や市民の皆様、色々と話をして下さるから、つい」


 彼女の帽子、手袋はドレスと揃いで仕立てられたもののようだが、全部質素。彼女の瞳と同じ色——青とも緑とも言えない煌めく虹灰色——の首飾りと耳飾りだけは少し豪華。大きくはないけれど、こんな宝石は見た事がないので稀有で高級なのだろう。帽子の隙間から見える艶やかなプラチナブランドの髪、真珠のような肌、潤いのある唇。そして親しみのこもった可愛らしい笑顔。同じ女性なのに、思わず見惚れてしまった。着飾っている自分が、恥ずかしくなる。


「お待たしました、シャーロット令嬢」


 次に現れたのがユース王子だった。フィラント王子とお揃いの黒い服。ただ、刺繍が金色。いつもと違い、額を露わにしている髪型。これは、もっと格好良いかも。目の保養。でも、そんなに緊張感は無い。出会って最初の一ヶ月で、見慣れたのだろう。


「いえ、つい先程出てきたばかりです」

「そう? 私に会いたくて、早く出てきたと言って欲しかった」


 ユース王子が私の左手を取り、手の甲に唇を寄せた。次は抱き寄せられて頬。恥ずかしくて身じろぎすると、フィラント王子がユース王子の肩に手を掛けた。


「ユース、やはり嫌がられているじゃないか。諦めたらどうだ?」

「まさか。私に惚れない娘がいたことがあるか? 文通は終わり。そろそろ言葉を交わして、愛を深めたい」


 フィラント王子はチラリ、とエトワール妃を見た。


「ああ、お転婆珍獣娘ね。出会いが先なら、私に惚れたと思うよ」

「そうかもしれませんし、違うかもしれません。そんな日は訪れず、(わたくし)は死ぬまでフィラント様の妻なので、考えるのは無意味です。ね、フィラント様」


 問いかけられたフィラント王子は無言だった。怒ったようなしかめっ面。恐ろしい表情。


「痒い、痒い! 惚気は東塔内だけでしてくれ。なっ、フィラント。照れてないで、きちんと叱れ。それに怖いんだよ、その顔」

「別に照れていない」


 フィラント王子とユース王子が、照れてる、照れていないと押し問答をし始めた。フィラント王子の表情はどう見ても怒り顔。それにしても、ユース王子とフィラント王子は双子王子というだけあって、並ぶと良く似ている。違いはフィラント王子が少し日焼けしていて、ユース王子はどちらかというと青白い。あと、整えられた眉毛の形が違う。そのくらい。


「すみません、つい……気をつけます」


 エトワール妃が困り笑いを浮かべ、フィラント王子とユース王子をとりなす。その後、彼女はカシムを見た。


「カシム、お元気そうで何よりです。ダフィ君も息災ですか?」

「はい。今は洗濯に行っております」

「そうですか。今日は久しぶりなので、とても楽しみにしていました。アップルパイを一緒に食べましょう」


 ……はい? アップルパイ? カシムがエトワール妃を屋敷内へと促す。その次はフィラント王子。いつ現れたのか分からない、付き人風の若い女性も後ろに続く。妃付きの侍女? 男みたいな短髪。手に籠を持っていた。


「2人はロクサス卿達と懇意だ。それで、今日はこの屋敷でお茶会。昼食前には帰る」


 ユース王子が私に耳打ちした。ふっと息を吐きかけられ、飛び上がりそうになる。


「エトワール、フィラント、皆に宜しく。私はシャーロット令嬢と2人でデートだ」


 あっと思った時には、ユース王子に馬車へ引っ張り込まれていた。


「出してくれダグラス!」


 馬車が動き出す。


「待てユース! 話が違う! デートって何だ⁈ 午後の会議前に、休憩がてら打ち合わせだろう! あと視察! この辺りの視察だろう!」


 フィラント王子がロクサス・ミラマーレ邸から飛び出してきた。馬車はもう動き出している。


「視察は宜しくフィラント。ロクサスとスヴェンとオリビアにも宜しく! ロクサスに、たまには酒に付き合えと言っておけ。 私は絶対に、シャーロット令嬢の心を攫う!」


 窓から手を出して、ヒラヒラと振った後、ユース王子は窓を閉めた。


「久しぶり。働いてもらうよ」


 ニヤリと笑うと、ユース王子は私の隣へ移動してきた。肩に手を回されて、途方に暮れる。


「あの……命じられた通りに励みます」

「そのままで良いよ。演技下手なお嬢さんは、私がちゃんと転がす。で、状況説明ね。ロクサス卿はフィラントと懇意。弟の忠臣。で、私の我儘も割と聞いてくれる。エトワール達、私が粉をかけている君を心配して、様子を見にきた」


 ムスッとすると、ユース王子は私を睨みつけた。


「君の拒否っぷりが、伝わっているからだ。スヴェン、オリビア、カシム、ダフィ、そして何よりもロクサス。告げ口する人が沢山いる。お陰で計画変更だ」


 睨まれた後に、今度は笑顔とウインクが飛んできた。


「愉快、愉快。いやあ、お陰で話題に事欠かない。フィラントは酒に付き合ってくれるし、エトワールと甥っ子も一緒に買い物をしてくれる。何より、見合い話を忘れてくれている」


 歯を見せて笑うと、ユース王子の顔が私の首元へ近寄ってきた。首にキスされて、身を竦める。ユース王子の手が私の頬を包んだ。ジッと見つめられ、目が泳ぐ。不意に、ロクサス卿の新緑のような、優しげな眼差しが脳裏によぎった。思わず止めて下さい、と口にしそうになり、慌てて唇を結んだ。反抗は禁止だ。


「君の態度や気持ちを考えて、少し筋書きを変えることにしたんだ」

「私の態度? どういう意味でしょうか?」


 そして、そもそもの筋書きは? 3ヶ月口説かれて、その後婚約。1年前後で婚約破棄。それだ。何故、変更? 何に、変更?


「さあ? 自分の胸に聞いてみなさい。君には多くを望んでいない。演技もね。私の口説きを嫌がっていれば良い。難しくないだろう?」


 唇を指でなぞられ、全身がゾワゾワした。鳥肌が立っている。優しい手つき、甘い声、それでいてこんなに格好良いのに、ユース王子が怖い。何故だろう? 目の奥に冷たさを感じるからだ。ユース王子は、多分私を良く思っていない。なのに、親切。駒にするからと用意された環境は、過剰と思えるくらい整っている。皮肉や文句を言われても、決して害されない。


「ほら、嫌そうだ。唇から血の気が引いている。良かったね、私が本気ではなくて。腹を立てて手打ちにするような、阿呆王子でもなくて」


 そう言うと、ユース王子は私から離れた。向かい側の席へと移動。ニコニコ笑いながら、窓の外を眺め出した。彼が話すと、いつも上手く言葉が出てこない。こんなに近寄り難い人は初めて。笑顔の裏で、何を考えているのかサッパリ分からない。芝居をする理由も、理解に苦しむ。


「何か話したら? 私の機嫌を損ねると元の生活かそれ以下に逆戻り、とは考えないの?」

「いえ。あの、そうは思えません。それならとっくに……。ユース王子殿下は親切です」

「うん。そう思ってくれてるのは伝わっている。君、男だったら良かったのにな。目が良いし、賢い。私をそういう目で見る女性はかなり少ない」


 心臓が嫌な動悸を始めた。私、表情で失態をしている? 上手く笑っているつもりだけど、ユース王子への得体の知れない恐怖で引きつっているのかもしれない。


「そういう目? あの、褒められていると思って良いのでしょうか? 無礼な目付きならすみません。よく、小生意気な顔だと言われます」

「君は初対面から今日まで、ずっと、私を不審がっている。正解だ。私は簡単に心を許したりしない。さて、今日は良く出来ました。君は見る目があるのに、媚びるのが下手だ。そういうしおらしい態度が出来た方が良い」


 反抗しない。それを心掛けただけなのに、大袈裟な褒め。少し驚いた。()()()()()()()()()。それか、気さくで優しいのに、ユース王子の近寄り難い空気は。一線どころか、いくつもの線を引かれているような距離感は。


「幸運に感謝して一生懸命、自分なりに、与えられた役目をこなそうとする。それも良い事だ。実に真面目に働いているそうじゃないか」


 背筋を伸ばすと、ユース王子は私の方へ体を向けた。


「ロクサスがいつも褒めているよ」


 ユース王子がパチン、と指を鳴らした。何だろう?


「ははっ! シャーロットちゃん、面白いね。まあ、好きに、自由に生きなさい。少し付き合わせるけど、基本的に君はもう自由だから。もっと気楽に私と話してくれ」


 肩を揺らして、歯を見せて笑うと、ユース王子はまた窓の外へと視線を移動させた。自由だから?


「とりあえず宝石店へ行こうか。その後はメダの小道。それで、最近人気の帽子屋だ。遊べなくなったから、ちょっと息抜きをしたい」


 鼻歌混じりで楽しげなのに、馬車内は少し寒い。日が照っていて物理的には温かいのに、この冷気。多分、私とユース王子の溝が生み出している。


「宝石は何が好き?」


 突然、ユース王子は私を見て、前のめりになった。サッと両手を握られる。


「え? いや、あの……」

「人が見ていないから必要はないけど、シャーロットちゃんは初々しくて面白いから、ちょっと遊ぶね。惚れた男に迫られた時に逃げたりしないように、慣れた方が良いよ」


 あはははは、と笑いながら、ユース王子は私の手を強く握り、指でなぞり、おまけに頬にキスしてきた。距離が近い!


「あの、今、今はこういうことは必要……」

「無いね。全く。でも、反応が愉快で可愛いから。素敵な女性がいるのに口説かないのは、紳士ではない」


 そう言うと、ユース王子は私の肩に手を回し、ポンポンと頭を撫でた。毎度の事ながら、沸騰しそうな程恥ずかしい。


「キスの練習はしたい?」

「れん、練習⁈」


 私は慌てて口に手を当てた。反抗は禁止だ。


「いえ、はい。必要があるのでしたら……何でもします……」

「それは良くない。自分は大切にしないと。基本的に他人は自分を大事にしてくれないからだ。で、私はしたくない。必要もない。君が襲ってくれるなら、しても良い。それなら楽しいし嬉しい」


 ユース王子は私の目を見つめ、その後指でおでこを弾いてきた。痛くはない。


「理不尽な要求は、声を上げて拒否しろ。黙って耐えていても人生は好転しない。それか演技力を磨け」


 寒々しい笑顔に、少し怖くなった。


「いえ、あの……すみません……」

「やり直し。手打ちにならないので、安心しました。ありがとうございます。ユース様はとても優しいのですね。はい、復唱」

「手打ちに……」


 また額を指で弾かれた。今度は少し痛い。


「生真面目娘め。説教なんて楽しくない。させるな。いいか、私にうっとりしない女性としたって楽しくない。色仕掛けをしてくる、勝ち気で、やる気満々の女性を、好き勝手に転がすのが趣味だ」

「え?」

「最近、初心な女性の慌てふためく様の観察も、楽しい気がしている。シャーロット、君が愛おしいよ」


 ぶほっ。思わぬ台詞に、甘ったるい声に、吹き出してしまった。嘘で、揶揄われているだけなのに、全身が羞恥に包まれていく。今の密着でも恥ずかしいのに、やめて欲しい。ユース王子から、茶目っ気たっぷりな笑みとウインクが飛んできた。この人は、絶対に私を好きではない。単に楽しんでいる。


「軽口でいないと緊張してしまうんだ。あと、どうやったら笑ってくれるのかなと……」


 ユース王子は急に萎れた。


「はあ、またやらかした……。本気の告白も疑われて当然か……」


 悲しげに俯き、私から離れ、窓の外を見て小さな溜息。えっ? えっ? 今までのが全部照れ隠し……じゃない! ユース王子は私を見て、ニヤニヤし始めていた。


「あははははは! 本気にした? 可愛いね!」


 そう言うと、ユース王子は私の腕を引っ張った。体を倒される。気がついたらユース王子の膝の上に頭。あっと思ったら、ユース王子の顔が近づいてきて、額にキスされた。その後は子供をあやすように頭を撫でられる。


「実に良い天気だな」


 ユース王子は外の景色を眩しそうに眺めながら、そう小さく呟いた。

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