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逃げる女好き王子と巻き込まれた男爵令嬢  作者: あやぺん
外伝「溺愛王子と青薔薇の冠姫」
112/116

藪をつついて蛇を出す

 落ち葉がひらりひらりと舞い落ちる、王都中央公園の外れにある小さな林。

 ベンチに並んで腰掛けるのはアルタイル王国の「恵の聖女」レティア姫と、西の大国ドメキア王国の国王宰相ルイ・メルダエルダ。

 艶やかな黒髪を微風にさらさらと靡かせる色白美少女と、少々癖っ毛の黄金稲穂色の髪の凛々しい顔立ちの美青年が、互いに頬を染めて微笑み合っている。

 2人を知らぬ者がチラリとこの光景を見ると、似合いの美男美女の初々しいデート現場だと感じるだろう。

 しかし実際は——……。


(いつまでここで談笑するのかしら。ちっとも市街地視察になっていないわ)


 レティア姫が浮かべているのは困り笑いである。


(やはり可憐だ。それに相変わらず素敵な光を浴びた瞳をしていらっしゃる。ずっとこうしていたい。しかし何度お会いしても私の印象が良くなった気配がない。少々強引に口説いてみろとヴラドから言われたが……口説く、口説く……)


 ルイ宰相は笑顔の裏でグルグル考えている。彼は半年少々前にレティア姫に一目惚れしてからというものの、彼女がユース宰相と婚約してもめげずに横恋慕中。

 ヴラド卿をはじめとした側近達から「馬に蹴られて死ぬぞ」とか「大した利益のない相手との結婚など認められない」などと猛反対されている。

 仕える若き王、シャルル・ドメキア王からは「気が済むまで想うのは自由だが相手に気持ちを押し付けるのは迷惑でしかないと心掛けて常識の範囲内で接しなさい。間違っても強行策など使わないように」と心情自体は尊重されているが、レティア姫の味方だと釘を刺されている。

 レティア姫本人は「他に素敵な女性は沢山いるから早く諦めて欲しい」「申し訳ないけれど、外交や調査を言い訳に毎月毎月数日付き合わされるのは困る」と迷惑がっている。


「ルイ様、そろそろ地下神殿へ参りませんか? 良い景色で癒されますけれど、帰国までに調査を終わらせないとなりませんよね?」

「いえ、調査は終わらなくて構いません。そうすればまた来月貴女様にお会いできます。レティア様、美しい髪に落ち葉が」


 意を決してレティア姫の髪に手を伸ばしたルイ宰相の手を、彼女の肩にだらりんと紐のように乗っていたセルペンスの尾がペシンッと払った。


——姫は(つがい)以外の繁殖期人に触られたくない。人の王の右腕は相変わらず不埒で無礼なり


 セルペンスのこの台詞と行動にレティアは戦々恐々とした。

 この声が自分にしか聴こえていないと分かっていても嫌な動悸に襲われる。


「我が王と同じく、聖なる鷲蛇様が守護されるのは素晴らしいことですが、私が敵視されているのは異国の者だからでしょうか?」


 この問いかけにセルペンスは無反応。


——姫よ、我らはこの者の言葉が分からない。適当な言葉をそなたに任せる


 主であるドメキア王がレティア姫同様にセルペンスに好かれているので、セルペンスに慣れているルイ宰相はセルペンスの尾で叩かれても動じない。無礼者だとレティア姫を責め立てることもしない。話せる訳ではないが話しかけるのも、シャルル国王の真似だ。

 ルイ・メルダエルダは本来ならレティア姫が惚れてもおかしくない好青年。恵まれた容姿に、聡明な頭脳を持つ男。

 彼は正義感に溢れる真面目な働き者で「西の大王は大鷲賢者に律され、支えられている」と各国にその名を広く知られている男である。

 恋は合縁奇縁、ルイ宰相の敗因はレティア姫と出会うのが遅かったこと。ただそれだけ。

 彼女がまだシャーロットという名前の男爵令嬢であった頃、そして自身の初恋に気がつく前に知り合っていたなら、大勝利をおさめていただろう。

 今後彼が想いを成就させられるかは、ユース宰相がどれだけレティア姫を傷つけるかとその時ルイ宰相が彼女の側にいて慰め、支えられる時がある場合だ。

 そのような未来のことは誰にも分からない。現時点では、レティア姫はユース宰相と甘い甘い時間を謳歌中なので、ルイ宰相の勝率は0%である。


「すみません。髪の落ち葉を払い落とそうとしてくれてルイ様の手とぶつかってしまったのかしら」


 すみません、と謝るとレティア姫は肩の上のセルペンスを両手で掴みそっと抱きしめた。ルイ宰相を怒らせてセルペンスに何かされたら困るから。セルペンスを守る為の体制だ。


——姫を守るのは我等の役目。まあここは心地よい。しかし子らがズルイと煩い。姫よ、早くこの危険な繁殖期人と離れてくれ。我は子らと入れ替わり元の職務に戻りたい

(ルイ様が来ると普段の子が親と入れ替わるみたいだけど、今日もなのね。繁殖期人って酷い言われよう……。セルペンスは恋を繁殖期って呼ぶからややこしいわ……)


「レティア様、もうぶつかり合うことはありませんね。落ち葉をお取りします」


 ルイ宰相は、内心ドキドキ、バクバクしながら、表面上はニコリと涼しい顔で微笑み、再度レティア姫の髪に手を伸ばした。

 目指すは落ち葉ではなく、触り心地の良い髪で、欲を出せばそのまま軽く頭を撫でて彼女に接近しようと目論んでいる。

 瞬間、ルイ宰相のおでこにビシッと硬い物が強襲。コロコロ、と彼の足元に落ちたのはドングリ。

 その後ドサドサドサとルイ宰相の頭目掛けてキノコが降り注いだ。調べると分かるが、どれもこれも食用には出来ない毒キノコである。


「えっ……」

「まあルイ様、大丈夫でしょうか?」


 レティア姫が立ち上がり、ルイ宰相の頭や肩、膝に乗るキノコを取り除こうと動く。

 その時、レティア姫と主を触れ合わせてなるものかとルイ宰相の側近ヴラド卿や近衛騎士達が木陰から飛び出した。

 それに準ずるようにレティア姫の秘書官カール令嬢と近衛騎士も登場。


「ルイ閣下に恵の祈りとはありがとうございますレティア様! 閣下、レティア様、お召し物の土などは我等が払います」

「閣下、レティア様、天気が崩れてきそうですので馬車へどうぞ」

「おお、カール令嬢は相変わらず気が利くな。ありがとうございます」

「お褒めにあずかり光栄ですヴラド卿。ささっ、レティア様。私と共に参りましょう」


 こうして、市街地視察を名目にしたデートは終了。

 翌日、アルタイル城の地下神殿調査では彼の想定外な人物、クラウス王子も帯同となったことでルイ宰相はレティア姫が子守りをする姿にたびたび惚けてデート終了。

 ヴラド卿よりその隣を任されたフィラント王子により、ルイ宰相はさり気なくレティア姫から遠ざけられていた。

 こうして、ルイ・メルダエルダ強襲2日間は幕を閉じ——ようとして閉じなかった。


 ☆★ 夜の会食終了後 応接室 ☆★


「このように、陛下にこの国の戸籍をいただきルイ・メルダ男爵をレティア王女の正室婿に。ドメキア王国のルイ・メルダエルダ公爵は未婚で王国に必要な女性を娶りま……」

「お待ち下さい閣下! このような案に書類をいつの間に! ドメキア王陛下の捺印まで!」


 向かい合わせのソファに座るのはアルタイル国王と宰相のディオク王子、マクシミリアン宰相の3人と、上座側にルイ・メルダエルダ宰相と彼の側近のヴラド卿である。

 ルイ宰相は「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」作戦を放棄し「鳴かぬなら鳴くまで籠の中に入れて待とうホトトギス」戦法に切り替えようとしていた。

 ディオク王子は提示された書類を手に取り、めくり、頭を抱えた。

 大国から多くの利益を得る代わりに、レティア王女の夫にしろという要求。当然、アルタイル王国としては飲むしかないような内容。

 なにせ、ドメキア王の一筆が「他からの縁談避けに是非。我が鷲賢者が姫君へ力任せに迫ったり、貴国を脅迫時はこの件は撤回させるのでよしなに頼みます」である。

 ルイ宰相は暗記していた最後の文まで口にすると、大きく深呼吸をしてアルタイル国王に微笑みかけた。


「祖国で日に日に反対され、妨害されるので堂々とレティア様と接する口実が欲しくて。これでしたら誰にも損はないかと」


 ルイ宰相がキリリと断言した時、蛇の隠し通路内でレティア姫は頬を引きつらせた。


「あの方、何を言っているの? 誰にも損はないって当事者の(わたくし)には損しかないわ」

「レティア様、お任せ下さい。彼の好きにはさせません。乗り込みますので隠し通路から部屋の前へ移動しましょう」


 隣に立つカール令嬢に肩を抱かれ、レティア姫は小さく震えた。応接室内での会話は続く。

「ええ」や「まあ、その……」などとアルタイル国王や2人の宰相が言葉を濁す。


「ルイ様が我等の国の為に祖国で妻を迎えて下さるなら万々歳。東の煌国との外交経路の通り道であるこの国で、別人として息抜きをするとは、良い案を考えましたね」


 ヴラド卿は荒げた声を整え、こほんと咳払い。猛反対から一転、ルイ宰相の味方である。

 この瞬間、コン、バーンと応接室の扉が開いた。現れたのは仁王立ちのカール令嬢と彼女の後ろに隠れてそろそろと顔を出しているレティア姫だ。


「この国ではルイ・メルダ男爵だというのなら遠慮はいらん! 我が国はドメキア王国からの援助など不要。この国には恵の聖女レティア様の加護があるからだ! 故に戸籍は与えても伴侶の座など与えん!」


 この発言にルイ宰相は顔をしかめた。が、彼はレティア姫の怯え顔を見て青ざめた。


「ドメキア王陛下がレティア様を守って下さるとは有り難いことです。このようにレティア様は断固拒絶の意思を示されているので、とっとと帰れ、ルイ。力任せに迫ったら撤回だもんな。帰れ帰れ」


 カール令嬢は半幼馴染のルイ宰相など全く怖くない。しっしっ、と手で虫を追い払うような仕草をする。

『閣下を愚弄するな!』などと叫ぶルイ宰相の側近や近衛騎士はいない。

 カール令嬢といえば、ドメキア王の相談役である流星国王の宰相を父に持ち、祖父は東の大国煌国の皇帝関白殿下という中々の巨大権力を背負うお嬢様。故に誰も逆らわない。まあ、逆えるっちゃ逆えるが逆らわないのは彼等に都合が良いからだ。


「良かったですねヴラド卿。ルイ・メルダエルダ宰相閣下は西の地の者ときちんと結婚するそうです」

「ありがとうございますカール令嬢。左様でございますね。閣下は結婚して下さるそうで、いやあ、良かった良かった」


 カール令嬢は素早くヴラド卿へ采配のボールを渡し、ヴラド卿も即座にそれを受け取った。阿吽の呼吸、以心伝心である。

 ルイ宰相は自分の策で己の首を締めたと悟った。おまけに計られたとも気がつく。

 彼はレティア姫に悪印象を与えたことに怯え、青白い顔色を更に悪くさせた。


「んなっ! レティ、レティア様! 聞いておられたのですか⁈」


 ルイ宰相の瞳には、カール令嬢の姿ではなく悲しげな表情のレティア姫の姿が映っている。


(わたくし)は……」


 レティア姫の口から、か細い声が出ると、応接室内が静まり返った。


(今日こそ言いたかった。今なら言える。だってドメキア王陛下が一筆書いてくださったみたいで、カールさんがここまで言ったってことは、国にもお兄様達にも迷惑を掛けなくて済むって状況だもの)


 グッと拳を握り、腕を伸ばすとレティア姫はカール令嬢の背後から出てきた。


「初めてお会いした時からルイ様の強引さが苦手でございます。どうか、どうか(わたくし)のような平々凡々とした色気のない青臭い娘のことなど、今日を限りにお忘れ下さい。お願い致します!」


 深々と頭を下げた数秒後にレティア姫はルイ宰相にくるりと背を向けた。その後は逃亡。彼女の近衛騎士がその後を追う。


「とのことです。失礼致します」


 カール令嬢は華麗な一礼をし、ルイ宰相にウインクを飛ばしてから高笑いを始めた。そのままレティア姫の後を追っていく。


「レ、レティア様……。平々凡々としたとはなんで謙虚な。それに清楚可憐なご自身をあのように卑下されるとは自信がないのだろうか……」


 レティア姫の決死の拒絶はルイ宰相の心にはまるで響かず。彼はもうレティア姫に嫌がられていることに少々慣れつつあった。

 彼のめげていない様子に応接室内の一同が「あー……」と目を彷徨わせる。


「褒め称える者が少ないのなら私が伝えねば。全く、ユース王子はレティア様をぞんざいに扱っているのか? 許せん」

 

 この台詞に、ヴラド卿は呆れて肩を落とした。

 好きの反対は無反応。ルイ宰相は「嫌悪されているなら恋も芽生える」というお花畑な思考を展開させている。レティア姫にとってはなんともはた迷惑な一途男。

 しかし残念なことに今夜のことで彼はいくつもの見合いをさせられることになり、レティア姫とユース宰相の関係は更に深くなる。


 ☆★ 東塔 ☆★


 ルイ宰相が来訪中は、対外的にはまだ婚約中(半分くらいはルイ宰相の為に婚約扱い)のレティア姫とユース宰相は別々の部屋で夜を過ごす。

 日中、妻を奪われた挙句に夜まで離れ離れとは寂しいしムカつくということでユース宰相が取った策はフィラント王子一家の暮らす東塔で過ごすことである。

 レティア姫を残して城内の客間で寝るが、寝る寸前まではレティア姫の顔が見られる。というわけで、ユース宰相はフィラント王子とチェスをしながら晩酌していた。

 ルイ宰相が何やら企てている件は国王陛下とディオク王子に任せたのと、なるようにしかならないのと先手は打ってあると割とのんびりした心境である。

 そもそも、今夜のルイ宰相の提案の元を考案したのはユース宰相だ。さり気なくルイ宰相の近衛騎士に自分の近衛騎士から伝え、側近から側近へも伝え、カール令嬢に根回しをし、ドメキア王にもそれとなく相談してあった。


「それでさあフィラント」

「失礼します」


 雑談していた時、エトワール妃が談話室にいる2人の元を訪れた。レティア姫を連れて。

 エトワール妃は俯きつつも必死に微笑むレティア姫の背後から彼女の両肩をポンポンと撫でている。


「レティアちゃん、お仕事が終わったみたいだけど随分と疲れたみたい」

「いえ。元気です。こんばんはフィラントお兄様。お仕事が終わりましたので寝る前に少しユース様と一緒に過ごせたらと思いまして」


 フィラント王子は即座に立ち上がった。


「レティアが飲みやすいワインと新しいグラスを用意しよう。世間話をしていただけだし、チェスの続きはレティアに任せる。負けそうだからバトンタッチだ」


 表情筋を動かすのが苦手なフィラント王子はほぼ無表情。わずかな微笑みを浮かべてレティア姫の前へ移動し、彼女の頭を軽く撫でた。


「フィラント様、グラスやワインでしたら(わたくし)が」

「いや俺がワインを選んで侍女に準備させる。エトワール、君は転んでお腹をぶつけたりしたら最悪なので絶対に1人で階段を上り下りしないでくれ」


 来月で臨月の妻の手を取ってエスコートの体制になる。エトワール妃が「フィラント様は心配し過ぎです。レティアちゃん、また後でね。ごゆっくり」と告げると、2人は談話室から去っていった。ゆっくりと扉が閉まる。


「レティア、お疲れさ……ま……」


 とととととっと駆け寄ってきたレティア姫にすがりつくように抱きつかれ、ユース宰相は1人掛けのソファからずり落ちそうになった。


「つ、ついに言いました。苦手なので(わたくし)のことは今日を限りに忘れて下さいと」


 ユース宰相から少し体を離すと、レティア姫は矢継ぎ早に事情を説明。「そうか」「そんな話があったのか」とユース宰相は相槌を打ちながら体制を整え、爆音を鳴らす心臓を鎮めようとゆっくりと呼吸をした。


(計画通りいったようだな。これでしばらく見合い三昧とかでレティアを呼びつけたり、この国に来たり出来ないはず)


 自身の策が上手くいったようだと、ユース宰相は心の中でほくそ笑んだ。


(あの男は諦めない気はするが、一先ず追い払えた。にしてもレティアが甘えにきたのはどういう心境だ?)

「あの、ユース様。その、レティアはその、ユース様のだけのつ……」


 コンコン、とノック音がレティア姫の言葉を遮る。レティア姫は慌てて立ち上がり、扉へ近寄り、返事をした。

 今晩東塔に泊まってエトワール妃やクラウス王子の世話をする侍女が入室。ワインボトルとワイングラスをテーブルへ置き、ウイスキーグラスとウイスキーボトルを回収していった。

 再び2人きり。レティア姫はユース宰相の向かい側の1人掛けソファへ腰掛けた。頬を赤らめて俯きながら、いそいそとワインをワイングラスへ注いでいく。


「君は私だけのつ、の続きはなんだい?」


 答えは明白、とユース宰相はニヤつきそうになる口元を軽く握った手で隠し、顔の筋肉にも力を入れて柔らかい微笑みを浮かべた。

 見つめられたレティア姫はみるみる真っ赤。耳まで染まっている。湯気が出そうなくらい、とはこのことだ。


「ユ、ユース様だけの妻でいたいと思っています……。他の方と結婚なんてしません。絶対に」


 しばらくユース宰相を見つめるも、照れて俯き、白ワインを注いだワイングラスをユース宰相へと差し出した。


「ありがとう。今その気持ちを告げてくれたことで、この先何があっても耐えられる。レティア、この世に絶対なんてない」


 ワイングラスを受け取ったユース宰相は窓の方へ視線を移動させて、遠い目をした。

 思っていた反応と違う、とレティア姫は困惑。落胆の表情になった。


「ああ、悪い。ここは私も絶対に君だけだと言うべきだったな。あまり君に嘘をつきたくなくて」


 ユース宰相はグラスの中のワインを全て飲み、手酌でワインを追加。レティア姫が手を出す隙も無いくらい手早い動作。

 前髪を掻き上げ、ゆっくりとレティア姫へと視線を移し、ワイングラスに口を付ける。彼は苦笑の形に唇を歪めて目を細めた。


「まあ君は知らないだろうが、私は粘着質な男だ。多分あいつより余程。今日を限りに忘れろと言われても、心臓が止まるその時まで忘れない」


 この台詞を聞いて、レティア姫は顔をしかめて俯いた。太腿の上にワイングラスを置き、空いてる手をチェスの駒へと伸ばす。


「それは、亡くなられたという恋人のことでしょうか……」


 レティア姫は以前「ユース王子には忘れられない死んだ恋人がいる」とユース宰相の近衛騎士ダグラスから聞いていて、それを思い出していた。


「うん、そろそろ聞きたいかなと思って。地方に飛ばされている間に病気にかかっていた。彼女、貧しくてさ。身分が違うとキスすらさせてくれなかった」


 ユース宰相の声はか細い。ソファに深く腰掛けて、ゆっくりと息を吐き、目を伏せる。逆にレティア姫は目を丸めてバッと顔を上げた。


「日陰者にするむもりなんてなかったけど、あの頃はそんな権力なんて持っていなかった。彼女もさ、首を縦に振ってくれなくて……私から何一つ受け取ってくれなかった。遠慮もあるだろうけど、私を信じていなかったのかもな……」


 レティア姫が黒曜石のような瞳をゆらゆらと揺らす。静かな室内で彼女は心音を大きくし、込み上げてくる熱に耐えた。


「私は君の信じていますという、真っ直ぐな信頼の眼差しがとても好きだ。先程絶対と言い切ってくれた時のような」


 苦笑いのまま、ユース宰相が顔を上げる。赤紫がかった黒い瞳に涙目のレティア姫の姿が映る。


「好きな女性とこんなに長く共にあったことがないので、時折明日が怖くなる。私は絶対とか、永遠なんて信じていない。朝目が覚めた時に君の姿を見るとホッとするし、眠る直前には君の顔を見ておきたい」


 そう告げるとユース宰相はスッと立ち上がった。レティア姫の側を通り、去り際に頭を撫でて通り過ぎる。


「君の心変わりが怖くてサボりがちで溜めてしまった仕事を減らしてくる。お休みレティア。明日からはまたいつもの生活が送れそうで嬉しいよ」


 振り返り、立ち上がるとレティア姫はユース宰相の背中に両手を伸ばした。そのまま、勢いのまま抱きつく。


「ユース様、心変わりなんてしないと約束します。その、旦那様への気持ちがすぐユース様へ移ったことを知っていているので信用しないかもしれませんけれど……。約束します……」


 失恋後、慰めに慰められてユース宰相へ心を傾けたレティア姫。彼女は「約束します」と呟いた。


(いよっしゃああああああ! 本音だけど寂しそうにすれば釣れると思ったあああ! いやっほう! ルイめ、毎月ムカつくがお前なんて私達夫婦の仲を深めるスパイスだ! 私のレティアとデートしやがってザマアミロ!)


「信じて欲しいです」と口にしてギュッと抱きつくレティア姫の悲しそうな様子とは真逆で、ユース宰相は内心小躍りである。

 この男は常に相手がどういう反応を示してくれるか予想をして言葉や態度を選んでいる。

 同じ話を伝えるのなら、より効果的、より自分に都合が良いように、がモットーだ。


(あとは振り返って抱き締めてめちゃくちゃにキ……)


 キスしよう、と意気込んだもののユース宰相の体は動かなかった。

 動悸と手汗が酷い。それに背中に感じるレティア姫の温もりと柔らかさで体に熱が集まっていて筋肉という筋肉が硬直。

 おまけに口元がデレデレと緩すぎて、作りたい表情が作れない。


(私の阿呆。この計算をしていなかった。そうだ、どうでもよい女は百戦錬磨だけど惚れた女に免疫がないんだった……。レティアに格好悪い姿を見せたくない……)


 困った、とユース宰相は途方に暮れた。


 ☆★


 一方のレティア姫、羞恥心よりもユース宰相への愛情が勝り、照れなんて吹き飛んでいる。

 笑って欲しい、安心させたい、大切にしたくてならない。彼女の胸の中はそういう気持ちで満ちている。


「ユース様から何も受け取らなかったなんて、そんなことは絶対に、絶対にありません。信じられなかったのではなくて、きっと勇気がなかっただけです……」

(ヤバイ。マリーの気持ちの代弁なんてされたらヤバイ。泣く姿なんて見せたくない。いつかは話そうと思っていたが、このタイミングは諸刃の剣だった!)


 夫の無反応を悲痛と捉えたレティア姫はますます腕に力を入れた。そのせいで、ユース宰相の足から力が抜けそうになる。


「レティア、ありがとう。今日も好きだった。愛してる。名残惜しいけど本当に仕事が山積みで……」

(胸、やはり予想より大きい気がするというか、そんなに押し付けるな。いや、押し付けてくれ。もっとどうぞ。どうぞどうぞ)

「ユース様、そんなに山積みなら何か手伝います」


 嫌々、まだ離れたくないというようにレティア姫は更にユース宰相に密着した。

「格好良くスマートに!」という理性と「別に良くない?」という本能がユース宰相の中でグルグルとせめぎ合う。

 この時、ガチャリと扉が開いた。


「ユース、ルイが話があると……」


 急かされて慌てていたのでノックもせずに入室しようとしたフィラント王子が目の前の光景に固まる。

 両鼻の穴から微かに鼻血を出し、口を半開きにして歪ませ頬を染めているユース宰相の姿にギョッとしたからだ。


(ユースのこんな顔初めて見たが、気持ち悪い……)


 瞬間、ユース宰相の顔が真っ白になった。表情も戦慄したというようにひきつる。


(うげっ、フィラント! この顔、私はどんな表情をしていた! いや助かった! ナイスタイミング! いや、しかし最悪なところを見られた……)

(鼻血が垂れそうだが指摘するのは悪いよな……)

「ひっ、ひゃぁ! フィラントお兄様! そ、その、何も、何もしていません!」


 ユース宰相とフィラント王子の気まずい空気をレティア姫の悲鳴が断ち切る。

「チャンス!」とユース宰相は固まっていた足をサッと動かして前へと進んだ。

 部屋を出て、即座に扉を閉め、フィラント王子の手首を掴むと向かい側の客間へと駆け込む。


「助かったフィラント! 死ぬ! レティアに殺されるところだった! この私が清楚可憐な乙女の色仕掛けで鼻血を出すとか、それを見られて幻滅されるとか死にたい!」


 ユース宰相は小声で叫びながら、フィラント王子に抱きつき、彼のシャツで鼻血を拭った。


「お、おい。ハンカチを使えよ」

「フィラント助かった。しかしさっきの顔は忘れろ。酷い顔だっただろう? 無理無理無理! 色々無理! レティアとの結婚式典とかまだ無理!」


 スリスリ、スリスリとフィラント王子の胸に頬を寄せると、ユース宰相は彼の足に縋り付いた。頭を抱えるように項垂れる。


「心臓を吐きそう。うえっ。気持ち悪い」

「は、吐くな! 吐くなら風呂場かトイレにしてくれ」

「無理、吐きそう。耐えられない。心破裂する……」


 そこへ「待てない」とルイ宰相が登場。彼は顔が赤くて気持ち悪いと言うユース宰相の様子を見てこう思った。


(酒好きらしいから酒の飲み過ぎか? ダメ男そうなユース王子からレティア様をお救いしなければ)


 まったくもって、その通りのような、誤解といえば誤解である。

 その頃何も知らないレティア姫は談話室の扉の隙間から廊下を覗き見し(なぜまだルイ様が現れるの⁈ ユース様に話って何⁈)とオロオロ。

 最終的にお客様と遊びたくてならないクラウス王子が突撃してきて、1番懐かれているレティア姫(と現れたセルペンス)が子守をすることになり、ユース宰相はルイ宰相に拐われて「女性は褒めちぎるべき」とか「酒を好んで飲んでも飲まれるな」「レティア様の婚約者として相応しい男性になっていただきたい」などと延々と説教をされた。

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