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男爵令嬢、知らなかった事を知る2

「先週、ブランケットを買ってきただろう?」


 ブランケット? ああ、あの素敵で可愛いチェック柄の毛布。ブランケットと言うのか。


「はい。ありがとうございました」

「それでオリビアとアリスさんにも……ん、味がいつもと違うな」


 かぼちゃケーキをフォークで口に運んだロクサス卿が、少し目を丸めた。大きいけれど白目が少ないから、つぶらに見える目が、かぼちゃケーキを見つめる。その後、ロクサス卿は私を見上げた。


「すみません。カシムさんに教えていただいた通りに作ったのですけれど、お口に合いませんでした?」

「君が?」

「最近、女性執事や料理人もいるそうなので、色々教えて貰っていまして……」


 カシムの負担を減らしたい。良く働く娘だから長く居てもらおうとロクサス卿に思ってもらいたい。そういう欲から出た労働意欲には、バチが当たるらしい。私は両手を膝の上で握りしめた。


「そうか。こう言ってはカシムに怒られるけど、こういうものは女性に作ってもらうと何割り増しに美味しい気がする」

「え?」

「上官なんて、いつも奥様の手作り弁当だ。市民の妻は夫に料理を作るから、自分もそうするって、上官の奥様に惚気られる」


 ロクサス卿はにこやかに笑いながら、かぼちゃケーキを口に運んでいく。怒られなかった。むしろ褒められた? 不味くもないらしい。


「それで、オリビアやアリスさんのブランケットを買いに行く予定なのだが、2人とも女学院の歌劇発表会の準備で忙しいそうなんだ」

「ああ、買いに行けば良いのですね? お店を教えていただければ、明日にでも行ってきます」

「週末、久々に休みが取れたので、たまには気分転換に街へ出たい。それで、下手なものを選んでオリビアに怒られたくないので、付き合ってくれないか?」


 買い物の荷物持ちの要請だったのか。


「かしこまりました。しかし、私にもセンスは無いですよ。まあ、オリビア様から苦言を呈されたら、遠慮なく私のせいにして下さい」

「そういう意味では無い。ははは、君は私をなんだと思っているんだ。単に、たまには可愛らしい女性と出掛けた……あー、今のは口が滑った」


 フォークを置くと、ロクサス卿は両手で自分の口元を覆った。照れ臭そうな表情。顔も少し赤く見える。


「あの、え? あ、はい。お褒め頂き、ありがとうございます」


 可愛いと言われた。男性にそんな事を言われたのは初めて——……ユース王子がいた。でも、あの人の台詞は全部嘘だ。目がいつも嘘だと語っていた。と言っても最近全く姿を見ない。手紙も滞りがち。最後に来たのは三日前。何を考えているのか、契約が何なのか、サッパリ分からない。


「あの、荷物持ち以外でも、何か手伝える事があればお申し付け下さい」

「荷物持ち? あー、そう、そうだ。それで、従者が品の良い可憐な女性というのは、大変自慢になる」

「もしかして、それで私に家庭教師を付けて下さったのですか?」

「いや、あれは上官命令だ。まあ、私も他所様の大事なお嬢様を預かるのだから、誰に頼むのが良いのか考えてはいたけれど、私ではヴィクトリア様のような高名な方は雇えない」


 不機嫌そうな表情になると、ロクサス卿は俯いた。元王宮教養講師ヴィクトリアの雇用主は、ロクサス卿ではなくユース王子ということか。しかし、ロクサス卿は何故機嫌を悪くしたのだろう?


「週末の土曜、11時に屋敷を出たい。間に合うように支度をしておいてくれ」

「はい、かしこまりました」


 ロクサス卿はまた笑顔になった。ホッと胸を撫で下ろす。この人が笑うと、とても安心する。安心というより、嬉しいが近いかもしれない。ロクサス卿が、食べなさい、飲みなさいというように、手や指でティーカップやお皿を示した。私は会釈をして、ティーカップに口を付けた。良い香りで美味しい。次はかぼちゃケーキ。


「……旦那様」

「次はもっと砂糖を使ってくれ」

「はい……」

「かぼちゃ本来の味が分かって、良いと思う」


 確かに素材の味は楽しめる。でも、決して美味しくない。私は教えて貰った分量を間違えたらしい。砂糖不足だ。匙の回数を間違えたのだろう。ロクサス卿はクスクス、楽しそうに笑っている。


「そういえば、あれからユース王子は手紙を送るだけなようだが、何もされていないか?」

「あ、はい。特に何も」


 熱烈なラブレターだと言わないといけないけれど、何だか言いたくない。心臓が嫌な音を立て始める。ロクサス卿は俯いて、何か考えるているような表情。


「独身だし、ユース様と戯れたい女性はうんといる。そういう方と、好きなようにするのは良いけれど、純情な女性を追い詰めるような事は止めるように、そう頼んだ」

「それは……ありがとうございます。あの、ユース王子殿下も謝って下さいました。それで、会いに来ませんし、手紙も少ないです。私を揶揄って面白がるの、飽きたようです」

「まあ、そうみたいだ。君の話を、とんとしなくなった」


 ユース王子は「私が嫌がるのをロクサス卿に見せつける」演出をした感じだった。その目的は何なのだろう?


「フィラント様がユース王子は疲れているのか、最近少々変だと。少し見張るように頼まれている。困った事や、妙な事があれば、遠慮せず、むしろ積極的に相談して欲しい」


 顔を上げたロクサス卿と目が合う。真摯な光を浴びた、若草色の瞳に、ドキリとした。


「はい、ありがとうございます」

「もしも、君が気持ちを寄せているのなら、責任を取るように言う。逆なら、苦言を呈する。一人で抱えないでくれ」


 ブスリと胸に矢が刺さったような錯覚。私はユース王子に頼まれて——ほぼ強制だけど——何かの小芝居に参加ささせられているだけ。ロクサス卿やフィラント王子を振り回している。罪悪感が押し寄せてくる。


「ご心配をおかけしてすみません……。あの、私は勘違いなんてしません。王子様の相手になんて、なれません」

「そうか? 十分良い女性だと思う。君はもっと自分に自信を持つべきだ。で、君が謝る必要はない。ユース様のことだ、何か別の事を考えているか、隠し事だろう。そういう方なんだ」

「そうなんですか?」


 問いかけてみたものの、私は正解を知っている。ユース王子はまさしく、私を隠れ蓑に、別の事を考えている。それが何なのかは知らない。ユース王子の思惑は、フィラント王子にも、ロクサス卿に見抜かれているのか。契約、あっさり無くなるかも。そうしたら、この屋敷に居られなくなる? それは嫌だ。物凄く嫌。


「それが何なのかが、分からない。笑顔の裏で、何を考えているのか、いつもサッパリだ。君を隠れ蓑に、何かしてそうなんだけど、尻尾を出さない」


 バレバレじゃん、ユース王子。こんなんで、私とユース王子が婚約なんてしたら、どうなるんだろう? そろそろ三ヶ月だけど、本当に婚約するの?


「飄々としていて、捉えどころのない方ですものね」

「まるで雲だ。形があるようで、近寄ると霧でしかない」


 肩を揺らすと、ロクサス卿はかぼちゃケーキの最後の一口を食べた。紅茶を飲み、かぼちゃケーキを食べ終わるタイミングを合わせて退室しようと思ったのに、ぼんやりし過ぎた。


「ゆっくりしていってくれ」


 微笑むと、ロクサス卿は立ち上がった。書類だらけの机に向かい、椅子に腰掛ける。


「ゆっくり? いえ、邪魔になりますし、下がります。それか、何か手伝える事があればします。何でも。父の仕事も良く手伝っていましたので、何か役に立てると思います」


 正確には、父の仕事をしていた、だ。もっと正確には、やらされていた。計算、書類整理、誤字修正などなど男仕事は割と得意になった。毎日大変そうで、私やアリスにうんと優しいロクサス卿の役に立ちたい。


「ああ、君の試算書や報告書などは見事だった。女性の字なのでおかしい、と調べたらまだ若い娘があれこれ働いていて驚いた」

「ロクサス卿、ご存知で?」

「君の父の上官は、私の部下だったからな。抜き打ち調査で発覚した。視察には私も帯同していたよ」

「それで、私やアリスにこんなに良くしてくださるのですか?」

「いや。調査後にあれこれ指示を出したのはユース王子だ」


 これは知らなかった事実。私は改めて感謝の言葉を口にした。もし、次の手紙が来たら、ユース王子への返事にお礼を書こう。


「真面目に働く者にこそ幸福や豊かさを。現国王陛下やユース王子の願いと祈りだ。だから、私は二人についていく。フィラント王子にも大変世話になっているしな」


 もう、ロクサス卿は何かの資料であろう本を読み始めて、顔が見えない。私は思わず立ち上がっていた。


「あの、それなら、私も真面目に働きます。なので、もっと仕事を下さい。色々良くしていただいて、心苦しいのです」

「気にするな、という方が難しいだろう。というわけで、明日から少し手伝ってもらいたい。手が空いて、気が向いた時だけで構わない」


 ロクサス卿は顔を上げて、私を見据えた。春の陽だまりみたいな笑顔。


「仕事漬けだと、たまに会話が恋しくなるんだ」


 彼の屈託無い笑みに、私も自然と笑えた。

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