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逃げる女好き王子と巻き込まれた男爵令嬢  作者: あやぺん
外伝「溺愛王子と青薔薇の冠姫」
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不埒で純情な男心

 アルタイル大聖堂、祭壇前に置かれた簡素な椅子に座るのは、恵の聖女と呼ばれているレティア姫。

 周りには、青薔薇の騎士団の警護がついている。

 とりわけ目立つのは、レティア姫の右側に凛とした姿で立ち、剣を床に突き立て、柄を両手で握るカール令嬢。

 レティア姫の忠臣、青薔薇の騎士団隊長にして、レティア姫の秘書を務める才色兼備。


 本日は、レティア姫の不定期祈念日。

 偶然居合わせた、参拝者達に、レティア姫は風と鷲への祈念後に、国宝青薔薇の冠に触れることを許す。


「青薔薇は、触れると祝福があるそうです。共にこの国で生きる皆様に、どうか幸福が訪れますように」


 それが、一般市民が聖女レティア姫を拝めることが出来る、貴重な機会。

 椅子に座るレティア姫の膝上に置かれ、彼女の手の添えられた、鮮やかな青薔薇が咲き乱れる冠。

 参拝者のうち希望者は、青薔薇の騎士の誘導の元に整列。

 アルタイル大聖堂の扉は、青薔薇の騎士により1度閉じられ、退出のみの一方通行にされる。


 レティア姫の前で膝をつき、片手を伸ばしてそっと、青薔薇の冠に触れる。それが作法。

 長々と祈りを捧げてから、冠に触れる者が大半。

 中には、祈りや願いを口にする者もいる。

 例えば、涙ぐみ、まるで倒れそうなお互いを支え合うように寄り添う若夫婦。

 今、レティア姫の足元に両膝をつき、両手を胸の前で握りしめた者達だ。

 

「聖女様。子供の高熱が6日も続き、ずっと下がらないのです。しかし、奇跡を与えられる日に礼拝……」

「まあ、(わたくし)は恵の聖女です。奇跡は与えられません。祝福があるという言い伝えがありますから、独り占めではなく、皆様にも触れて欲しいのです」


 感謝の言葉を口にしようとしていた妻は、困惑した。レティア姫に話しかけられるなど、想像だにしていなかったからだ。


「高熱が6日も続くとはかわいそうに。お医者様には診せました?」


 レティア姫は青薔薇の冠を、椅子の左側に設置された小さなサイドテーブルの上へ置いた。

 青薔薇の冠は、みるみるうちにいばらの冠へと変化した。

 国宝、青薔薇の冠は、アルタイルの姫にしか青薔薇を咲かせられない。

 噂を初めて目の当たりにした参拝者達の多くの者が、その場で膝をついて祈り始める。

 レティア姫は椅子から立ち上がり、ゆっくりと腰を落とした。


「あの、は……はい……。原因不明と……。薬も効きません……」

「難病なのですね。様々な国で医学勉強中の方が、この国の医学も知りたいと来訪しています。診てもらいましょう。明日から市内を回る予定でしたが、今日中に子どもを1人診てもらえないか頼んでみます」


 レティア姫は優しく微笑み、妻の手を取ると、そっと両手で包み込んだ。


「奇跡を与えられなくて申し訳ありません。しかし、お医者様を紹介することは出来ます。それから、熱で苦しむ子の元へ、青薔薇の冠を運ぶことも」


 立ち上がったレティア姫は、椅子へと戻り、再び座った。


「あなた方はそちらで待機」


 カール令嬢令嬢が凛とした声を出すと、2名の騎士が夫婦を礼拝用椅子へと促し、着席させた。

 このように、レティア姫は時折、参拝者と会話をし、慈悲深い行動を見せる。


「レティア様は全ての民に、何もかもは与えられん。この日、この時刻に神への信心を示した偶然こそが神の奇跡であろう。風と鷲の神に感謝せよ」

「あの、皆様。何もかもは出来ません。出来ないことの方が多いです。この偶然が、贔屓と非難されることもあるでしょう。けれども、(わたくし)は、何かお力添えが出来るかもしれないのに、見て見ぬ振りはしたくありません」


 レティア姫は更に続けた。


「聖女と呼ばれているのに力が足りず、すみません。私1人では足りないのです。皆様、どうか助け合って下さい。誰かに手を差し伸べて下さい。この国を優しさと幸福の溢れた国にしていきましょう」


 さあ次の方、とレティア姫が声を掛ける。再び青薔薇の冠を膝上に置いて。

 このように、レティア姫は国民の心へ、道徳心や信仰心を抱かせる役目を担っている。

 

(これで合っているのかしら? 全員に頼み事をされたらどうするとか、ディオクお兄様に怒られるかしら? 布石は打ってみたけど……。それにお説教臭かったかしら?)


 日に日に崇拝されて神聖視されている慈愛溢れる恵の聖女。とはいっても、それは偶像。

 レティア姫は国王陛下や宰相達に任された責務を果たそうと、今日も今日とてグルグル悩んでいる。


(今日は帰りが遅くなりそうだわ。ユース様と散歩出来なそうね)


 参拝者に話しかけられないレティア姫は、憂いを帯びた微笑を浮かべた。

 その姿は「力不足を嘆いている」ように見え、レティア姫は国民を深く想ってくれている。という誤解を与える。

 人とは、都合の良いように物事を判断するものだ。


 ★☆


 アルタイル城、レティア姫の書斎。そのソファに腰掛けて縮こまるレティア姫。彼女の隣にはカール令嬢が着席し、涼しい顔で目を瞑っている。

 向かい側に座るのは、国王宰相の1人、レティア姫の兄ディオク王子。

 ディオク王子はレティア姫を睨んだ。


「また仕事を増やしやがったな」

「あの、勝手なことを、すみません」

「医者を紹介したことではない。市街地に行ったりして、市民を騒がしたことでもない」


 レティア姫は顔を上げて、ディオク王子を見据えた。首を捻る。


「カール令嬢の采配に文句は無い。君の発言も素晴らしい。今日の祈念時やその後のことは報告を受けているが、大きな問題はない」

「はい、その通りです。レティア様は素晴らしく、私の仕事ぶりも良かったです。部下の教育も順調ですよ」


 ニッコリと笑うと、カール令嬢はソファの肘置きにもたれかかった。

 近衛騎士姿、それも男性用の装衣なのに、品のある貴族令嬢の雰囲気が消え切っていないことと、自信家な発言に、ディオク王子は小さな苦笑を漏らした。


「……。安心して任せられます。で、レティア。別件だ。ユース兄上に何かした? 修道院の視察を敢行するそうだ。あいつ、ヴェガ修道院に引きこもろうとしている」


 レティア姫はと少々つりあがって猫目やアーモンド型に見える目を、パチパチと動かした。


「修道院に引きこもろうとしている? ユース様に何を? 喧嘩なんてしていません」


 レティア姫は顔をしかめた。


(むしろ昨夜は……)


 首を傾げると、レティア姫は目を閉じた。昨夜から今朝別れるまで、実は喧嘩をしたのか、思い出してみたが、全く心当たりがない。

 それもそのはずである。ユース宰相は支離滅裂な自己妄想のせいで、暴走している。


  

 ☆★ 昨夜 ☆★


 アルタイル城内、中央部の北東塔屋上。

 少々早い夕食後のレティア姫とユース宰相は、散歩をして、そこまでやってきていた。

 2人の目的は日没を眺めて、その後星空を観ること。

 アルタイルでは、もう間も無く夏が終わるという時期。

 今夜の散歩場所は、季節の変わり目には、幻想的な空が多いと本で読んだレティア姫の希望だ。

 レティア姫とユース宰相は屋上まで来て、並んで立ち、薄雲多い夕焼け空を眺めた。

 頭上はまだ青々とした空だが、沈む夕日近くは鮮やかな茜色。その間のグラデーションに、太陽が沈む前の最後の眩さに、レティア姫は息を飲んだ。


「綺麗……」


 レティア姫の視線は眼下に広がる、美しい城下街と夕焼け空に釘付け。

 一方、ユース宰相の視界は、風に艶やかな黒髪を踊らせ、感激顔をしているレティア姫である。

 日没が始まりつつあるが、まだ少々気温は高い。

 階段を延々と登り、汗を掻くなんて嫌だな、と内心思っていたユース宰相だが、今はもう真逆である。


「ああ、綺麗だ」

「ええ。ふふっ、セルペンスも見るのね」


 レティア姫がそう口にした時、彼女の白いレース地のドレスの胸元から、ニュッとセルペンスが姿を現した。

 しかし、すぐにサッと引っ込む。そうしてから、またニュッとセルペンスは体を出した。


「眩しいけど見たい? セルペンスには眩しいのね。ふふっ、くすぐったいわ」


 レティア姫はほんの少し身を捩り、クスクス楽しそうに笑った。

 するとセルペンスは似た動作を繰り返した。


「ちょっ、ちょっと。楽しい? って楽しいのではなく、くすぐったいのよ。あはは、やめて」


 キャッキャと無邪気に笑うと、レティア姫は両手でセルペンスを掴み、自分の胸元から引っこ抜いた。


(棒がレティアの胸に挟まれて、上下……)


 これを、ユース宰相は穴が開くほど、という熱視線で眺めていた。

 レティア姫全体ではなく、風と汗により体に少し密着したドレスが覆う胸のみを。


(挟みたいな。いや、大きさ的にどうだ?)


 レティア姫は2人でロマンチックな景色にウットリ気分。

 不埒なユース宰相の眼差しにはまるで気がつかない。


(私の胸だというのに、レティアは相変わらず嫌がらないな)


 脳内がピンク色だと見抜かれないように、ユース宰相は穏やかで優しく見える微笑を浮かべた。


(少し大きくなったか? くそっ、それなら揉んでおくべきだった。勿体ない)


 ユース宰相は目を瞑り、レティア姫のドレスに手を掛ける想像をした。

 まだ成長するなら、今の状態を1度味わっておきたい。

 頭の中で手順をシミュレーション。しかし、彼の前にレティア姫が立ちはだかる。

 掌サイズの大きさ。子供っぽい白地に青い小花柄ワンピースを着ていて、背中にふわふわの白い羽が生えたレティア姫の幻覚。

 この幻覚は、ユース宰相に向かって無邪気にニコニコ笑った。

 更には「ユース様。大好きです」と溌剌と告げる。


(清楚可憐な純情天使のドレスを脱がすなんて出来ない! くそっ、畜生、こんな色気のない女性には欲情出来ない。肉欲の悦楽ではなく、パフェを食べさせて喜ばせるべきだ)


 ユース宰相は心の中で、レティア姫に対して大変失礼な台詞をぶちまけた。

 元々欲情の始まりはレティア姫の胸だというのに。

 1度目を開くと、ユース宰相はレティア姫を再度眺めた。

 

(挟むなら倍くらいの大きさだよな)


 ユース宰相は思考を切り替えることにした。


(巨乳のうち、柔らかさが断トツだったのは……)


 ユース宰相の瞼の裏に、おっぱいが並び、全裸の女性達が浮かびそうになる。

 そこに、再びレティア姫の幻覚が現れた。

 パタパタ羽を動かしながら、氷のような冷酷無慈悲な眼差しでユース宰相を見据える。


(浮気とは最低です。浮気をする男性は嫌いです。ユース様、さようなら)


 ツーンと顔を背けると、レティア姫の幻覚は飛び去ってしまった。


(んなっ! 嫌い……。さようなら……)


 ユース宰相は壁に手をついて項垂れた。


「ユース様、疲れです? 大丈夫ですか?」


 レティア姫がユース宰相の背中にそっと手を置き、ユース宰相の顔を覗き込む。


「ああ、いや、夕焼けには悲しい思い出が多くて……少し……」


 悲しそうな表情を作ると、ユース宰相はサッと移動してレティア姫に後ろから抱きついた。

 夕焼けに悲しい思い出など全くなく、口から出まかせだ。

 

(アホな妄想をして凹んだなんて絶対言えない)


「ユース……さ……」

「これからは、君と見たこの景色を思い出して、幸せな気持ちを抱ける。ありがとうレティア。愛してる」


 そう言うと、ユース宰相はレティア姫の頬に唇をそっと押し当てた。


(嫌われてないな。当然だ。私は浮気していない)

「ユース様……」


 くるりと体の向きを変えると、レティア姫は背伸びをした。

 真っ赤な顔で、ギュッと目を閉じたレティア姫に、ユース宰相はそっと顔を近づけた。

 早かったのは背伸びをして、ユース宰相のシャツの胸元を掴み、引き寄せたレティア姫の方。

 チュッ、と唇にキスされたユース宰相は固まった。


「私も……好き……ですよ……」


 俯くと、レティア姫は両手を後ろに回して、もじもじと照れた。目を泳がせて、誰が見ても恥ずかしくて仕方がないという様子だ。


(なっ。何! かっ、かっ、かっわいい! 可愛い!)


 ユース宰相はレティア姫を抱き寄せて、腕に力を入れた。


(よし。12日ぶりにキスするか。恥ずかしいのに我慢出来なくて自分からとは、いじらしくて可愛い。焦らした甲斐があった)


 ユース宰相は目を閉じて、レティア姫にキスを落とした。

 恥ずかしくてもう限界、という素振りを見せるまで続けようと、ユース宰相はキスを繰り返した。


(ユース様、レティアはもうお子さまキスくらい余裕ですよ)


 ワンピース姿から肌着姿に様変わりしたレティア姫が、ユース宰相の頭の中に登場。


(次のステップに移行して、また熟れきらないこの果実をた、べ……)


 ユース宰相の脳内レティア姫が、自分の胸を揉みしだく。そこへ、ワンピース姿のレティア姫が登場。


(きゃああああ! 何てことを言うのよレティア! そんなことをしてはダメよ! まだダメよ! 無理よ! レティアは清楚可憐な純情天使なの)

(煩いわね! このお子ちゃま! ユース様と次のステップよ!)

(無理無理無理。ユース様だって無理でしょう? このレティアの胸を触るの?)


 壊滅的に色気の無い姿のレティア姫(幻覚)に対して、ユース宰相は首を横に振った。

 色気はないが、可愛さだけで既に鼻血が出そう。そんな格好悪い姿は見せたくない。そう心の中で呟きながら。


(こんなにキスしておいて、レティアはまだ色気の無い青臭い小娘だなんて言うですか!)


 可愛げのない子憎たらしい怒り顔のレティア姫(幻覚)に対して、ユース宰相は首を横に振った。

 いやいや、ディープキスや胸を少し揉むくらいなら許される気はしている。怒らないでくれレティア、と心の中で呟きながら。


「ユース様?」


 レティア姫から見ると、散々キスした後に、いきなりジーっと自分を見つめているユース宰相という姿。


「ん? ああ、君が可愛いから考え事してた。次のデート先とか」

「あ、あの、星も見たかったのですが、あつ、熱くて……。戻りません?」


 汗臭いと思われたら嫌だと、レティア姫はユース宰相の体を手で押し、スルリと彼の腕の中から抜け出した。


「そうだな。星なら湯浴み後、涼しくなってから部屋のベランダから見よう」

「はい」


 ユース宰相に手を繋がれると、レティア姫はニコニコ笑いながら頷いた。

 


 ☆★ 再度本日 ☆★


 

 昨夜の出来事を思い出すと、レティア姫は再度首を傾げた。

 美しい夕焼けを一緒に見て、沢山のキスをして、部屋に戻って1度お別れをして湯浴み。その後、一緒にチェスをして、夜風が気持ち良くなってからベランダで星空鑑賞。それで寝た。


「やはり喧嘩なんてしていません。ヴェガ修道院のこと、ユース様に聞いてみます」

「いや、聞くな。こっそり根回ししているのをたまたま知ったんだ。酷く憔悴した顔だったそうだから、レティアが原因でないのなら、汚職でも発見したのか?」


 ディオク王子の発言に、レティア姫はまた首を傾げた。


(逆ではないのでしょうか。そもそも、私と喧嘩したら修道院に引きこもるだなんて突飛な発想、ディオクお兄様はお疲れかしら)


 ディオク王子は立ち上がり、礼を言ってレティア姫の書斎から退出。


「ユース宰相のことは放置で良いと思います。本当にヴェガ修道院に引きこもるなら、レティア様に何か一言あるでしょう。それか既に寝込むくらいの酷い有様か」

「寝込む? まさか、ユース様……。ご病気で? カールさん、何か聞いているのですね」

「違います。レティア様と喧嘩して、知らないなどと言い放たれると寝込むくらい落ち込むという意味です」


 ケラケラ笑うと、カール令嬢もソファから立ち上がった。


「そんなことありません。ユース様なら、拗ねた私を追いかけてきて、折れてくれます。それで、私も素直に謝れます」


 照れ照れ笑うレティア姫を無視して、カール令嬢はそそくさと部屋を出て行った。

 彼女は軽い恋愛話くらいでお腹いっぱいになるので、主だが友人でもあるレティア姫が幸せそうなので、もう満足だった。

 むしろ、これ以上話しを聞くには満腹過ぎて無理である。


(相変わらず、レティア様の前では猫被りしているのか、あのアホは)


 レティア姫の書斎を後にしたカール令嬢は、そのままユース宰相を探し始めた。

 祈念日はレティア姫の帰城が遅くなる。なので、ユース宰相も定刻で仕事を終わらせずにいるだろう。

 カール令嬢はそう予想を立てて、ユース宰相の執務室を目指した。

 政務室の前に、近衛騎士が2名いて、ノックをすれば部屋の主から返事あり。

 カール令嬢の予想は的中だった。


「カールです。失礼します」

「どうぞ」


 カール令嬢がユース宰相の政務室に入室すると、先客がいた。

 ユース宰相が座る政務机の前、ソファに腰掛けて目を瞑っているのは、フィラント王子だった。


「丁度良かったカール。私は今夜からヴェガ修道院に潜入する。汚職調査が名目だ。レティアに伝えてくれ」


 フィラント王子が目を開き、無表情でコーヒーカップを手にした。


「ユース、本当に1週間もレティアに会えなくて平気なのか?」

「むっ、無理だーー! 無理だよフィラント君。でも一緒にいるのも、答えが出てないから無理! しかし今も無理! あと調査も必要!」


 ベシベシ政務机を叩くと、ユース宰相は政務机に突っ伏した。

 カール令嬢は、タイミングの悪い時に来訪したと即座に判断。回れ右した。


「かしこまりました。失礼します」

「カール令嬢、女性のことは女性だ。身重の妻と息子が待っているので任せる」


 コーヒーを一気飲みしたフィラント王子が、スッとソファから立ち上がる。

 カール令嬢とフィラント王子の視線がぶつかり、バチバチと火花が散った。

 2人はほぼ同時に動き、ドアを開けさせないと手をついたのはフィラント王子で、ドアノブを掴んだのはカール令嬢だった。


「帰らないのですか? フィラント王子」

「俺は貴女にユースを任せた、カールさん」


 無表情のフィラント王子としかめっ面のカール令嬢が見つめ合う。睨み合うのほうが正しいかもしれない、少々不穏な空気。


「あー、フィラント。浮気だ浮気。エトワールに言い付けてやろう。美女に鼻の下を伸ばしていたってな」


 ユース宰相は突っ伏すのをやめて、頬杖をついてニヤニヤ笑いを浮かべた。


「おい、ユース」


 フィラント王子はギロリとユース宰相を睨みつけた。

 戦争で数々の武勲を挙げた歴戦の英雄騎士、黒隼の異名を持つフィラント王子の目は殺気立っている。

 近くにいるカール令嬢の腕にぶわっと鳥肌が立つ。

 フィラント王子がチラリとカール令嬢を一瞥し、その眼差しも殺気を放ったままだったからだ。

 睨まれたユース宰相はというと、兄弟のように育ってきたので、もう慣れっこ。涼しい顔で「冗談だもん」と口にした。


「その気持ちの悪い語尾を、いい加減やめろ」

「やめないんだもん。金髪美女に目がない、鼻伸ばしフィラントには言われたくないんだもん」

「おい! 俺が好むのは金髪美女ではなくてエトワールだ!」

「うげえ。惚気るなよ。友がこんなに困っているのに、好きにしろって何のアドバイスもくれない酷い浮気男。薄情者!」


 シッシッと手を動かすと、ユース宰相はそっぽを向いた。

 フィラント王子はジト目になったが無言。


「あの……。フィラント王子。何を相談されたのですか?」


 雰囲気が丸くなったフィラント王子に、カール令嬢はそろそろと問いかけた。

 ユース宰相はそのカール令嬢に向かってウインクを飛ばした。


(フィラント王子を恐れたことを見抜かれた上に、もう大丈夫だっていうあの薄ら笑い。クソッ、相変わらず腹立たしい男め)


 カール令嬢はユース宰相に対して、少々同族嫌悪を抱いている。それは、人を自分の都合良く操るところだ。良く言えば視野が広いということ。

 カール令嬢を怖がらせて、何も気がついていないフィラント王子は逆に視野が狭い。良く言えば、余計な思考をあまりせず、注意力散漫になりにくい。

 カール令嬢は、何となくこの後の展開に気がついた。


「よし決めた。じゃあなフィラント。晩酌出来なくなるのは、少し寂しいな」


 切なげに微笑むユース宰相に、フィラント王子は無表情で無言。


(1人で考え事をしたいから、ついでに気になっている汚職調査をしてくるか。宰相なのに1週間不在とは、根回しが終わる前に陛下とディオクに相談しよう。ユースに説得なんて無駄だ)


 心の中でボヤきながら、それを表情に表す筋肉が上手く動かないフィラント王子は「ああ」とだけ返事をして、無表情で政務室から出て行った。


「よーし、フィラントは私を怒らせた。相談に乗ってくれるようで乗らないって酷い酷い。ノーアドバイスってムカつく。カールちゃん、レティアと私は1週間お引越しするよ」


 パチンッと指を鳴らしたユース宰相に、カール令嬢は冷ややかな視線を送った。


「推測すると、汚職調査はフィラント王子にさせて彼の名誉を高める。彼が不在の間、東塔で暮らし、レティア姫をエトワール妃やクラウス王子に押しつけて、1人で考え事。ですか?」

「少し違うけど、さすが物音に怯えるハムスターちゃん。賢いね。今回は根回しを手伝ってね」

「チッ」


 盛大な舌打ちをすると、カール令嬢はドサリとソファに座り込んだ。


(この国で暮らすようになってまだ半年少々。まだまだ人脈不足で、このアホにはまだ勝てない。変な噂は御免だ。相変わらずムカつく)


 本人の希望と、尊敬する人に頼まれて聖女レティア姫の近衛隊長となったカール令嬢は、時折ほんの少しだけ後悔する。

 彼女は人にこき使われたり、不自由な目に合うことが嫌いだ。

 自国だと完全にユース宰相よりも格上のカール令嬢も、アルタイル王国内だとユース宰相からの、常識的な範囲の命令だと装われた場合、突っぱねられない。

 今から頼まれる事は、その常識の、いや近衛隊長や世話係としての業務範囲内だろう。

 カール令嬢はそう推測して、また舌打ちした。


「ディオク君が、最近一緒に寝てくれないんだ。部屋の鍵を変えて、隠し通路も塞ぎ、近衛騎士に私を追い払わせる。陛下を寝不足にする訳にはいかないしさ」


 んー、と両腕を天井に上げて伸びをしながら、ユース宰相は首を回した。


「純情レティアと破廉恥レティアが喧嘩してて、どちらが正しいのか結論が出ない。1週間くらい考えたら、答えが出るだろう。あっ、言うなよカール。レティアの気持ちではなくて、私の心構えの問題だからな」

「勝手にしろ。私に害が無ければ協力する」


 カール令嬢は腕を組んで目を瞑った。

 

(今回の犠牲者はフィラント王子か。可哀想に。離れて寝ると浮気していない証明が出来ないって、今のレティア様は浮かれ過ぎていて、浮気の心配なんて全くしていないというのに)


 この夜から1週間、フィラント王子は地方の治安視察に旅立たされた。

 ユース宰相の「エトワールは以前暮らしていた街のお菓子が食べたくて仕方がない」という嘘にまんまと釣られて、急な治安視察をアッサリと了承。

 互いに支え合って育ったユース宰相とフィラント王子の、この妻で振り回されるところはそっくり。

 しかし、ユース宰相を似たような手で釣ろうとしたり、操ろうとすると、恐ろしい逆襲が待っている。私の可愛いレティアを駒として使うなんて、許されると思うのか? という思考回路を知らないと痛い目を見る。


 ユース宰相は1週間、フィラント王子の不在中、妊娠中で子育てをしているエトワール妃を手伝うという名目で、レティア姫と共にフィラント王子邸である東塔で暮らした。

 毎晩、レティア姫をエトワール妃か甥っ子のクラウス王子に泣く泣く押し付けて、妻の胸をもう揉むか揉まないかを自問自答。

 寝不足になり、昼寝時間確保の為に仕事をするスピードを早め、側近達に悲鳴を上げさせたが、同時に昼寝しているなんて知らない側近達からは尊敬も集めることになる。


 ユース宰相はレティア姫のことではバカでアホだが、食わせ者の策略家。色々とちゃっかりしている。


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