新婚初夜は危険な香り1
カール令嬢にユース王子の良いところを話していたはずが、気がついたら愚痴になっていた。
ユース王子は何を考えているのか分からない。勝手に色々画策していたり、私をまるで妹分のようにしか扱わなかったり。
結婚したくない、しない、酷いと言ったり。結婚しよう、愛してると言ったのに、真逆のことも言う。意味不明。
「自分が良いと思うその日まで、私と恋人ごっこをしたいって、どういう意味だと思います?」
侍女サシャが運んできてくれた熱いスープを飲み終えて、元気な上に夕食まで時間があるので、カール令嬢とチェスをしている。
「さあ? 女誑しがレティア様のペースに合わせたいというのなら、まあ見直しますけど。ごっことは、なんでしょうかね」
どうだ、と言うようにカール令嬢は気合いの入った手つきでルークの駒を動かした。その手はあまり良くない。私はサッと次の手を指した。
「あっ……」
「カールさん、戻します?」
「……はい。レティア様、むしろどうやってこの短期間で上達したのですか⁈」
むーっと頬を膨らませると、カール令嬢は太腿の上に両肘をつき、掌の上に顎を乗せた。
悔しそうにチェス盤を見つめている。私がルークの駒を戻すと、長考に入った。
「棋譜を沢山見ました」
「そうですか。私もその棋譜の数々を見たいです」
「はい」
聞きたかった事を質問出来る雰囲気では無くなってしまった。
結婚なんてするか、と聞いてユース王子は嘘つきと苛立ったけれど、どうやらそうでもないらしい。
ヘイルダム卿は「ユース王子は私に夢中」と言っていた。ディオク王子は「頭が少々おかしくなっている」と評した。
ユース兄上に浮気や不倫をさせない理由作りと、私の自由の確保。ディオク王子の答え「国王号令で今日結婚」はユース王子の望む解答。なのに、酷い、怒る、らしい。
カール令嬢の「レティア様のペースに合わせたい」という考察もしっくりこない。私のペースも何も、私はユース王子とどう歩みたいとか、暮らしたいとか、まだ決めていなかった。
いつ結婚するのか、どう暮らすのか、そういうことを話し合いたいなあ、とは思っていたけれど。
そういえば、ユース王子は「まだデートしていない」とか「順序を守れ」と口にしていた。
「しかし私もまだまだ人を見る目が足りないようですね。人を食ったような、いけすかない女好きが、実は献身的で自己犠牲を厭わないとは。エトワール妃がアンリエッタというか、結果的に横入りした私の見合い相手に推薦したことに、今更ながら少々納得しました」
ぶすくれ顔のカール令嬢は、まだ盤面を睨んでいる。私はそーっと、3手前に戻した。
「ええっ、そこからですか⁈ あー、まあここはかなり迷ったところです」
「献身的で自己犠牲を厭わないとは、あの、そこまでではなくて」
「そうですか? 私なら失恋するように仕向けるか、ライバルを蹴落として擦り寄りますよ」
こっちだったか、とカール令嬢はポーンの駒を動かした。私の予想した手と違う。こんな手もあるのか、と感心してしまった。情けをかけて戻したりしない方が良かったかも。
私の後悔を見抜いたのか、カール令嬢はニッと得意げに笑った。
「私も、応援なんて出来る自信ないです」
「だから不安? 本人と話すしかないですよ。そうそう、今夜は初夜ですから、邪魔しそうなルイは私が相手をしておきますね。あの男は放置で良いです。悪い事は出来ないので。口説かれるのは、まあ、良い女性の宿命なので諦めて下さい。ティア様やアンリエッタなんかも、年がら年中男に言い寄られてます」
私が次の手に迷っていると、カール令嬢は掌から顎を離し、嬉しそうに紅茶を飲み始めた。
「レティア様、敵に塩を送るからですよ」
「ええ。そうみたいです。初夜。結婚初夜……。一般的には一緒に暮らすようになりますけど、すでに同じ城に住んでいるので、どうなるのでしょう。フィラント兄上とエトワール様は東塔暮らしですが……」
私とユース王子は? 婚約して、そういう話をゆっくりして、結婚する日を決めるという話だった。なのにもう結婚してしまったらしい。
結婚指輪もなく、教会や聖堂で誓い合ってもいない。なので、何の実感もない。
「アルタイルのしきたりは知りませんが、婿入りならユース王子が部屋に来るのではないですか?」
「部屋に? ここへですか? ユース様の私物、入りきらなそうです。それに、夜に荷運びなんて大変です」
私はユース王子の私室の広さや、どんな荷物があるのかをカール令嬢に説明した。
「いえ、そういう意味ではなくて」
「寝室の荷物量は知りませんけれど。寝室……。寝室? ユース王子と……」
私の思考は停止した。何の心構えもしていないのに、突然やってきた新婚初夜。カール令嬢の「そういう意味ではない」という発言。
さああっと全身から血の気が引いていく。
「レティア様?」
「あっ、あの。むっ、無理です! 無理というか、あの、その、あんなことってどういうことですか⁈ それ、それとなく調べるかエトワール様に聞こうと思っていたのですが……」
結婚したら、男女の営みというものがある事は知識としてある。しかし、具体的な内容は知らない。まだまだ時間に余裕があるからと、調べたり誰かに尋ねたり出来ていない。
キスはされてみたい。して欲しい。そうは思う。しかし、あちこち触られるのは……。
ユース王子の部屋で、ソファの上で、後ろから抱きしめられた時のことを思い出す。
今の私は、あれでもう限界だ。あれが男女の営みではないことは、何となく想像がつく。
男性に襲われるというのは、非常に危険で辛く悲しいことだ、というのも知っていて、それが夫婦だと少々違うらしいというのも、聞いたことがある。
ユース王子の涼しい顔や慣れた様子、何の緊張もしてなさそうな雰囲気を思い出して、気分が沈んだ。
「青くなったり、赤くなったり大変ですね。ユース王子に任せておけば大丈夫ですよ。その初心さを理解して、結婚はまだ先と思っていたようですから。無理はさせないかと」
ふふっと笑うカール令嬢を、私はそろそろと見上げた。
「そうだと思います?」
「違ったら、私がぶん殴ります。それで、別の男を探しましょう。予備知識は無くて良いと思います。私は家庭教師に講義を受けて……」
突然、カール令嬢は真っ赤になって俯いた。
「信じられないというか、無理。知りたくなかった……」
「えええ。あの……」
「だから私は破壊魔人……。何故みんな平気なんだ……」
カール令嬢は頭を抱えて沈黙。戸惑っていたら、ヴィクトリアに夕食だと呼ばれた。
ユース王子と会えると思ったのに、夕食はディオク王子、カール令嬢、ニール卿との4人だった。
黙々と食事をした後、紅茶を飲みながら軽く雑談。
内容はルイ宰相のこと。ドメキア王にリチャード国王との謁見、アルタイル王国の視察を頼まれたので、しばらく滞在するという。
期間はコンケントゥス式典まで。彼は招待客の私、ユース王子、フィラント王子、可能ならエトワール妃とクラウス王子と共に帰国する。
「ルイなら私が追い払いますよ」
「おいカール、だからルイ宰相、ルイ様、ルイ閣下だ」
カール令嬢の隣に座るニール卿が、呆れ顔を浮かべた。
「レティア様の幸せの邪魔をする奴に敬称なんてつけるか。ルイは不敬罪で斬首だ、とか無理な男だし」
「カール、そんなにレティア王女を気に入ったのか。へえ」
ニール卿にまじまじと顔を見られて、なんとなく笑顔を返した。多分、私は苦笑いだろう。ニール卿が困り笑いを返してきた。
「そうだニール。更にレティア様は祖国に祈りを捧げてくれる。ティア様の為にもなる。私も2カ国で暮らせて、念願の騎士に就任。最高だろう」
ふふふん、と紅茶ではなくワインを口に運ぶカール令嬢は上機嫌。飲め、とニール卿にもワインを勧め、ワイングラスに勝手にワインを注いでいる。
「よしニール、行くぞ。ルイの相手だ」
「えっ、俺も? 俺は図書室で本を借りるのと、レティア王女と少し話し……」
「レティア様は大変気立ての良い女性なので、親密になると惚れるぞ。横恋慕なんて地獄だニール。まあ、ニールなら応援しても良いけど……。レティア様は今のところユース王子が良いと言うから、やはり応援しかねる。行くぞ」
カール令嬢は立ち上がり、片手でワインボトルとワイングラス2つを掴み、反対の手でニール卿の腕を掴んだ。
「大変美味しい夕食をありがとうございました。レティア様、ディオク王子、失礼します。レティア様、ここから部屋への送りと、今夜の身支度は、ヴィクトリア夫人と顔見知りの侍女サシャに頼んであります」
カール令嬢はどことなく品のある動きで、食堂から颯爽と去って行った。しっかりとした会釈をしてから。
「ディオクお兄様、私はルイ宰相とどう接するべきです? アルタイル王国として。眠っている間に、何か決まりました?」
「いや、何も。胸が痛い。苦しい。辛すぎる。この体調では一生帰れない、と客間に引きこもった。ルイ宰相の従者達とアクイラ宰相が説得というか、慰めている」
髪を掻くとディオク王子は苦笑いを浮かべた。
「責任を持って連れ帰ります。なるべく迷惑をかけないようにしますが、少々協力をお願いするかもしれません。だってさ」
ため息混じりのディオク王子の発言に、私は小さく頷いた。
「協力とは、私が視察にお付き合いする、とかですか?」
「大方それだ。式典に招いてくれる大国からの、大したことのない要求を突っぱねる訳にはいかない」
その通りだと思うので、私はまた小さく頷いた。気が重い。
「傷口に塩を塗るのもあれだから、ユース兄上はルイ宰相が帰るまでレティアに近寄らないって」
当然のような気がして、気分が沈む。それにしても、今日はめちゃくちゃな日だ。
良かったことは、美麗な地下洞窟へ行けたことと、怪我を治してもらったこと。
ほどなくして、ヴィクトリアが迎えに来た。自室へ戻るまでの間、つい「ルイ宰相が帰るまで、ユース様に会えないそうです」と愚痴をこぼしてしまった。
「ルイ宰相、まさか追いかけてくるとは驚きですね」
「私もそう思いました」
ヴィクトリアは私の背中に手を触れて、軽く撫でてくれた。優しい笑みに癒される。
——姫、寂しい?
胸元にいるセルペンスに問いかけられ、私はほんの僅かに首を縦に振った。
「そちらの蛇様、移動したのですね」
「蛇様? ああ、セルペンスのこと。そういえばそうね。気がついたら手首や頭ではなくて、ここにいるわね」
——親がここが良いって。ここはすぐ隠れられて、すぐに飛び出せる。姫、前は嫌がったけど今は怒らないね
セルペンスの頭を指で撫でる。ルシル姫は嫌がったのか。毛羽立ったような鱗なので少々胸にくすぐったさを感じるが、嫌だとは思わない。
「陛下が蛇様かセルペンス様と呼び、決して傷つけないようにと申されました。ルシル王妃の頃から城で蛇の殺生は禁止でしたけれど、若者は知らないようなので改めてだそうです」
「そうですか。良かったわねセルペンス。危険が減ったわ。明日にでも陛下にお礼を言わないと」
私は再度セルペンスの頭を指で撫でた。それから、ふと「話しかけてしまった」と気がつく。
「貴女様の家庭教師をしていた時が少々懐かしいです。昼間のこと、驚きました」
ヴィクトリアは複雑そうな表情を浮かべた。
「母曰く、ルシル王妃はかなり孤独に見える方だったそうです。レティア様、寂しければ遠慮せずにユース王子に会いに行って良いと思います」
足を止めたヴィクトリアに両手を取られ、軽く握られる。ヴィクトリアの手は少し震えていた。
「ヴィクトリア、私が恐ろしいです?」
「逆です。どのような方なのか、今の立場になる前から知っていますので心配です。我慢ばかりして、耐えて傷つく必要は無いと思います」
心配の眼差しに困惑してしまった。
「我慢ばかりして? ありがとうございますヴィクトリア。このように案じてもらえるなんて嬉しいです」
「今日もジッと身を縮めて蹴られた貴女様を見た時、その後あの娘を庇った時、少々背筋が寒くなりました。いくら大事にしたくなかったとはいえ、痛みを訴えないで……」
言葉を切ると、ヴィクトリアは私の指を見据えた。
「就寝の身支度が終わりましたら、ユース王子に声を掛けます。色々と話したいことがあるでしょう」
さあ、と腰に手を回されて再び歩き出した。
「有り難くて嬉しいけれど、ルイ宰相の手前……」
「最近のユース王子でしたら、私が声を掛けなくてもいらっしゃると思いますけれど、一応です。ルイ宰相の手前というのは、建前でしょう。ここはルイ宰相の国ではないので、こっそり会うなんて簡単ですよ」
その時、廊下の向こうからヴラド卿とリシュリ卿の2人が歩いてくるのが見えた。ヴラド卿も来国していたようだ。ルイ宰相の側近だから当たり前か。
2人に挨拶をされ、ヴラド卿に「ルイ宰相に会って欲しい」と頼まれた。
書類上は、らしいけれど一応今日は結婚初日。なのに、まだまだ珍事か億劫な出来事が続くかもしれない。