お披露目会のその後
青白く光った床が下に動き、どんどん沈み、辿り着いた場所は岩の洞窟。
乗っていた床は階段の最上部に重なった。少々ビクビクしながら、手摺りを掴んで階段を降りる。
私の幅の倍の太さで、体長は数倍ほどのアングイスが現れて、セルペンスにアングイスの背に乗るように告げられた。
アングイスの背の、角と角の間に座り、角を掴む。アングイスは洞窟の中をスルスルといとも簡単に進んだ。
そうして辿り着いた場所は、とても美しかった。
まるで青白い大理石で作られたような洞窟。縞模様のつるりとしていそうな岩に囲まれた空色の湖。それから白い砂。
湖の手前は私の足首くらいの深さしかなくて、底にある石や岩がよく見える。それに、緑色の植物のようなものが生えている。
湖、洞窟の果ては見えない。奥はかなり深そうだ。
「なんて綺麗……」
——セルペンスとアングイスと姫の巣
私の胸元にいるセルペンスが出てきて、シュルリと肩に移動した。頬を突っつかれたのでくすぐったい。
「おばあ様とあなたたちの巣?」
——姫との巣! セルペンスやアングイス達の巣はずっと向こうにある
ぴょん、と私の肩から飛び降りたセルペンスは湖へと入っていった。浅いところを力強く泳いで、水面を飛び跳ねて、楽しそう。
——姫、降りないのか?
頭の中に、セルペンスとは違う声が響く。流星国で聞いたアングイスと同じ声色。
「乗せていただいて、ありがとうございます」
私はアングイスの背から降りた。白い砂の柔らかい感触に少々驚く。胸がワクワクする。こんなに沢山の砂なんて初めて。
アングイスに会釈をすると、会釈のように頭部を揺らされた。その後、アングイスはトグロを巻き、目を瞑った。
靴を脱いで、裸足で砂の上に立ってみる。きめの細かい砂なので、とても心地良い。
——姫、歌って!
遠くへ泳ぎに行ったのか、姿の見えないセルペンスからの嘆願。私は心の中で「ええ」と呟いた。
ふと、頭の中にゆったりとしたメロディーが浮かぶ。知らないのに、懐かしさを感じる曲だ。そして、何故か歌詞も分かる。内側から込み上げてくる。
「きらきら、きらきら、雪は降る。遊びに行こう 雲の国」
瞼を閉じると、セルペンスが白い砂を尻尾で舞い上がる情景が浮かんだ。
そして、鮮やかな青色のドレスに身を包む、黒髪の少女の姿も。彼女の頭上には、青薔薇の冠が乗っている。
この少女がルシルおばあ様? と疑問に感じた時、少女はくるりと回転して、私に向かって満面の笑みを浮かべた。
鏡で見る自分とそっくりだ。正確には、数年前の私と瓜二つ。
——どう? セルペンス。今のが今度の風祈りの舞いよ
目を開いて、瞬きを繰り返す。もう目を閉じても、まぶたの裏にルシル姫らしき少女の姿は映らない。
——きらきら、きらきら、雪は降る
沢山のセルペンス達の歌声が聞こえる。同じ声色で、重なり合っている。
曲も歌詞も分かるので、合わせて歌う。そうしながら、なんとなく周りを見渡す。
すると、左側の奥の方に扉らしきものを発見。好奇心が沸いて、私は歌いながら近寄った。
鉄製らしき扉は、少し錆びている。アルタイル王家の紋様、円に十字、そして鷲を組み合わせた絵で飾られている。
「入っても良いかしら?」
私と同行してきたセルペンスは湖の中へ去って行方不明。なので、アングイスに向かって問いかけた。
——当然である。姫の寝床だ
「そう、ですか……」
当然と告げられて、困惑する。私はルシル姫ではない。
——姫は姫である。
「そう、なのですね……」
躊躇を見抜かれたらしい。私の頭の中、覗かれている?
——我等は話しかけられない限り、感情しか分からん
「そうですか……」
アングイスは私の感情を見抜く、と心に刻む。私は扉のノブに手をかけた。ゆっくりと下に押して、ドアを引く。
「部屋……」
こじんまりとした、レンガ造りの部屋。
本棚、寝台、サイドテーブルとその上にランプ。机と一人掛けの椅子。それから二人掛けのソファが一つ。
床は洞窟と同じ、縞模様の石。しかし、ピカピカに磨かれていて、まるで大理石のよう。
天井には小さなシャンデリアと、青白く光るもの。城の隠し神殿で見た、光苔だ。
ルシル王妃は先代国王が成人した数年後に亡くなったと聞いている。そこ彼女の部屋なのに、室内には埃ひとつない。
寝台に近寄り、ちっとも汚れの目立たない水色の布団にそっと手を触れる。ふかふかだ。カビの匂いもしない。
誰かが掃除や洗濯をしてくれている?
——姫、エリニースが戻れって
声を掛けられた時、コンコンという金属音がして振り返る。セルペンスが入り口でピョンピョン跳ねていた。
「えっ? ええ。はい」
——今日もセルペンスは掃除した。偉い?
「そうなの? それはありがとう。とても偉いわ」
——アングイスは洗濯した
「そう、ありがとうございます」
セルペンスの前まで移動してしゃがむ。両手を差し出すと、セルペンスはピョンっと跳ねて私の手のひらの上に乗った。その後、シュルリと腕を這い、首を回ってから胸元に入っていった。かなりくすぐったい。その後、セルペンスはちょこんと頭だけ出した。
——外に出て。アングイスが運ぶ
「分かったわ」
部屋の外へ出ると、私をここまで運んでくれたアングイスがすぐ前にいた。頭部で背中に乗るように促されて、素直に従う。
元来た道を戻り、アングイスとはお別れ。
階段を上り、沈んできた床へと乗ると、今度はゆっくりと浮上。一体全体、この青白く光っめ動く石はどういう仕組みなのだろう。
暗くて長い上空への道を、ゆっくりと進むと、途中で横へも移動した。行きと違う。
上昇途中に前後左右に移動が何度かあり、やがて明かりが見えてきた。ずっと暗闇にいたので目が眩む。目を閉じた時、止まったと感じた。
ゆっくりと目を開いた時、バシャーっと上から水がかかった。水圧で体がよろめく。足に何かがひっかかり、転ぶと思ったけれど、私は何かに座った。お尻に感じる感触はアングイス。
身を竦め、濡れた顔を袖で拭いながら、何が起こったのかと、ここが何処だか確認する。
大聖堂だ。アルタイル大聖堂。礼拝者が幾人もいて、一様に目を丸めている。
そして、私の目の前には驚愕した様子の大司教様。
私にかけられた水には何かが入っていたようで、キラキラ、キラキラ、体が七色に光っている。流星国に到着した時に降ってきた光と良く似た煌めき。
「レ……レティア……王女……様?」
茫然としている大司教様。問いかけられた時、足首にチクリと痛みが走った。目眩がする。これは——……また眠くなるの——……?
遠のく意識。息が苦しい。体が焼け焦げる。炎だ。火に包まれている。ごうごうと燃えるのは不気味な紫色の火炎。
不意に紫の不気味で痛くて熱い炎は消え、悲しげに微笑む青年の姿が見えた。
赤みがかった短い金髪の、そばかす顔で優しげな顔立ちの男性。服装はアルタイルの近衛騎士。
——嫌よ。お願い……
胸が締め付けられる。酷く悲しい。涙が滲み、溢れて頬を伝う。
「……ア。レティア」
レティア? 私はルシル……。いや、レティアだ。私はレティア。
名前を呼ばれ、目を開く。目の前にあったのはエトワール妃の気遣わしげな顔。
ここは、と周りを見渡す。自分の部屋だ。寝台に寝ていて、すぐ脇に椅子に腰掛けているエトワール妃とヴィクトリア。
カーテンが閉まっていて、昼なのか夜なのか分からない。
「レティアちゃん、良かった」
「ママー。レティアちゃおきた。あのね、クラウスがふいてあげる」
妙に温かいなと思ったら、クラウス王子が隣で寝ていた。布団から出てきて、ズボンのポケットからハンカチを取り出し、私の頬をトントンと拭いてくれた。
「うなされていたわ。悪い夢を見た?」
「あの、いえ、あの……」
大聖堂でずぶ濡れになって、恐らくセルペンスに眠らされた。城の自室にいるということは、迎えが来たのだろう。
体を起こし、状況確認をしようとしたが、クラウス王子が私の上に乗ってきた。
「レティちゃん、なないで」
クラウス王子に抱きしめられ、頭をよしよしと撫でられる。
「ありがとうございますクラウス王子」
心配が嬉しくて、クラウス王子の体を抱きしめた。
「ごめんなさいね。離すと泣いてしまって」
困り笑いを浮かべると、エトワール妃は私の両手を取った。
「神様が連れていって、怪我を治したみたいなのよ。覚えてる?」
エトワール妃は興味津々、という表情。
——姫。何も覚えてないって言えって
セルペンスの声がした。
「いえ、あの、何も」
「そうなの。風と鷲の神様は、実は水の神様なのかしら。アルタイル大聖堂にいきなり滝が出来て、レティアちゃんが現れたそうよ」
おいで、とクラウス王子を抱き上げると、エトワール妃は私の顔を覗き込んだ。青にも緑にも見える、灰色がかった瞳がジーッと私を見据える。
「あの……何も……。っくしゅん」
「まあ大変。びしょ濡れだったそうなのよ」
エトワール妃の手がおでこに伸びてきた。
「熱は無さそうね」
「ありがとうございます。あの、大丈夫です。少々鼻がムズムズしただけです」
「そう? お医者様にも眠っているだけって言われたけれど、具合の悪いところはない?」
「はい」
「エトワール様。陛下達や医師に連絡と、温かいスープを用意してきます」
「ええ、よろしくヴィクトリア」
私とエトワール妃に微笑みかかると、ヴィクトリアが立ち上がり、部屋から出ていった。クラウス王子がヴィクトリアの後を走って追いかけて「パパのところいく」とついて行く。
エトワール妃が「アテナ、頼める?」と少し大きめの声を出した。かしこまりました、という返事がある。
「一応掛けておきましょうね。それともまた横になる?」
肩にエトワール妃の使っているショールを掛けられた。
問いかけられて、笑いかけられて、私は小さく首を横に振った。
「大丈夫です。ショール、ありがとうございます」
「せっかくのお披露目会だったのに、めちゃくちゃね。いえ、ある意味お披露目会だったわね。神様が現れるなんて」
そう口にすると、エトワール妃は頬に手を当てて、首を傾けた。
「私、神様にお金を貸したことがあります。その時は神様だなんて知らなかったけど。信仰心を試されたということかしら?」
なんのことかと問いかけると、新婚当時、まだ妃ではなくて伯爵夫人だった頃、今日現れた男性と会ったことがあるという話しだった。
助けられた、そうエトワール妃が口にした時、私の部屋に人が雪崩れ込んできた。
一番最初に飛び込んできたのは、国王陛下。その次はカール令嬢。その後ろはルイ宰相。
「気分はどうだ、レティア!」
「レティア様! エリニース様と何がありました!」
「レティア様、お加減はどうですか!」
駆け寄ってくる3人が同時に叫ぶ。
「おいルイ、なぜ貴方も入ってくる。ニール、つまみ出せ」
カール令嬢が私に背を向けて、ルイ宰相と向き合った。それで、腰に手を当てて仁王立ち。
「おいカール、ルイ宰相かルイ閣下かルイ様だ。すみませんルイ宰相、相変わらずで」
ゆっくりとした足取りで入室してきたのはニール卿。彼は呆れ顔でカール令嬢の横に立ち、彼女の腕を両手で押した。
「ストーカーに敬称なんてつけるか。帰れ帰れ。レティア様は本日結婚された」
ニール卿の腕を力強く払うと、カール令嬢はズイッとルイ宰相に顔を近づけた。
「今日、結婚?」
「いくら半幼馴染で、尊敬する大鷲賢者といえど、近衛隊長カールの目が青いうちは、レティア様に指一本触れさせんからな!」
愕然とした様子のルイ宰相と、彼の胸ぐらを掴むカール令嬢。
「近衛……隊長……?」
エトワール妃が呟く。
「はいエトワール様! このカール。エリニース様にレティア様の近衛隊長に任命されました!」
カール令嬢はルイ宰相の胸ぐらを掴んだまま、顔だけこちらにむけて、ニッと歯を見せて笑った。実に豪快な笑み。しかし、どこか可憐さもある。
「もう……結……婚……」
「おいカール、離せ。無礼にも程があるぞ。近衛隊長って、ティア様はどうした⁈」
「悔しいが、ティア様の近衛隊長はルタ王子だ。アンリエッタと不毛な副隊長の座を争うより、エリニース様直々に命じられたレティア様の近衛隊長になる方が良い。私は一番が好きだ。そしてレティア様も好きだ。レティア様は月に1度は流星国でお祈りをするそうなので、ティア様にも会える」
遠い目をしているルイ宰相。困り呆れ顔のニール卿。自慢げなカール令嬢。なんか、珍事に珍事だ。いつの間にか、カール令嬢が近衛隊長になることと、流星国で月に一度お祈りをすることに決まったらしい。
「あー、すみません。色々と話の途中ですので、戻っていただいてもよろしいです? 陛下も、そのように慌てなくても」
コンコン、とノック音。それからディオク王子の声。出入口の扉が開け放たれていて、困惑顔のディオク王子が立っている。
「いいやディオク。半日も眠っていて、心配ではないか」
「ああ。ええディオク王子。レティア様のお加減を確認したら戻ります、と言いましたからすぐに。ニール、診察」
ルイ宰相から手を離すと、カール令嬢はニール卿の肩を叩いた。
「痛い。ったく、相変わらず乱暴だな。コホン、レティア王女様」
「麗しの姫君だが、不埒な顔で見るな。すみません、レティア様」
「痛っ。自己紹介しようとしただけだろう」
「レティア様、医者のニールです。今後、貴女様の主治医になります」
「はああああ? おい、カール。俺は……」
「黙ってレティア様の診察をしろ! 顔色良しで、指の怪我も治っているようだけど、念のためだ。レクス王子から直々に学んでいるから信用して任せるんだ。早くしろ」
バシンッとカール令嬢に背中を叩かれたニール卿は、ぶつぶつ「相変わらずだな」と文句を言ってから「失礼します」と私の手を取った。
手首に指を当てられ、骨折していた指を確認され、曲げ伸ばしの指示をされる。
首を触られ、口の中を見せてと言われ、下瞼を確認された。痛みや不調はないか問われ、無いと答える。
「大丈……」
「大丈夫なようだな。よし、ルイを連れて出てけ。私はレティア様の世話をする。エトワール様、あらかた話しは終わったので代わります。大事なお体ですから、御自室でゆっくりして下さい」
そう言うと、はいはい出て行け、とカール令嬢はルイ宰相とニール卿を部屋から追い出した。
「リチャード陛下、レティア様は元気なようです。あとはこの近衛隊長のカールにお任せ下さい」
満面の笑みで国王陛下の手を両手で握ると、カール令嬢は国王陛下の腰に手を回して、恭しいというようにディオク王子の元へ連れて行った。
それから、その次はエトワール妃。ニール卿に「ニール、エトワール様を騎士と共に送れ」と命じ、丁寧な手つきで扉を閉めた。
カール令嬢と部屋の中で2人きり。
「レティア様、今はもう夜です。エリニース 様からの手紙、ありがとうございます」
そう告げると、カール令嬢はエトワール妃が座っていた椅子に腰掛けた。
彼女の上着のポケットから出てきた手紙を差し出され、二枚ある便箋のうちの一枚を渡された。読むように促される。
【サファイア姫を鷲蛇姫の近衛隊長に推薦する。見返りに月に一度、祖国へ来てもらい、祈ってもらうと良い。眠り姫は基本的にはルビー姫に任せよ。鷲蛇姫への献身、親愛は、眠り姫や愛する国の栄華に繋がるだろう。逆は反目である。この世は因縁因果。牙には牙。それを忘れぬように】
差出人は「エリニース 」だ。
「そちらのセルペンスから渡されました」
真剣な表情になると、カール令嬢は眉尻を下げた。
「先刻、レティア様がまだ眠っている時に、ある地域で火災が起こったという話しを聞きました」
「えっ……」
燃えた? 火事?
——セルペンス達はやっつけた
私の胸元から飛び出したセルペンスは、私の手首に巻き付いた。
ああ、そうか、と気分が沈む。私を骨折させたエブリーヌをやっつけたというのが火事。
そんなことしないで欲しいと心の中で呟くと「牙には牙」と子供ではないセルペンスの声がした。
ふと気づく。この話しをするということは、カール令嬢は火事の原因が何か察している。
「幸い死者はいないそうです。例のお嬢様も」
カール令嬢に両手を取られ、握り締められ、笑いかけられた。
「例の……お嬢様……も?」
この言い方、カール令嬢は火事の原因が私だと分かっている。エリニースからの手紙のもう一枚に書いてあるのかもしれない。
「ええ。今後は私が怪我をさせませんので大丈夫です。で、レティア様。ルイをどうします? ルイに熱愛されたなんて、聞いてませんでした。優良物件を蹴って、へらへら王子を取るとは変わっていますね」
カール令嬢はパチリとウインクをすると、ケラケラ笑い始めた。
「大鷲賢者が直々に招待状を持ってきて、視察をしたい。レティア王女にお願いします。数多の女性を無視して泣かせてきたルイが、泣きそうな顔で……笑えます!」
「ええー……。カール令嬢、そのように笑うなんて……。それにヘラヘラ王子とは……」
「恋は盲目らしいです。それともレティア様の前ではヘラヘラしてないのですか?」
カール令嬢の顔に、絶対にルイ宰相と描いてあるので、少しイライラして、私はユース王子がいかに優しいのかと、ルイ宰相が勝手なのか語ってしまった。