表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/116

逃げる女好き王子のプロローグ

 アルタイル王国。第二王子が妃と暮らす東塔。


 最近、あちこちから結婚しろという圧力をかけられている。多分、フィラントと友人レグルスを連れて夜遊びし過ぎて、彼等の妻を怒らせたから。それに妻の尻にペチャンコに敷かれるレグルスが、お前も道連れだと乗っかったせい。変わり身の早い男。身から出た錆の癖に、腹立たしい。


 窓の煌めく星を眺めながら、ワイングラスに口を付けた。仄かに香る果物のような甘い匂い。今夜も酒が飲める幸せ。それに、このソファも座り心地が良い。


「ユース、俺は君にも心安らげる居場所があると良いと思っている」


 ワイングラスを持っていない手で、フィラントに差し出された見合い用の絵を受け取る。正確には絵と手紙が入っているだろう書簡。けれども、中身を見ないでテーブルに放り投げた。気分台無し。


「フィラント、私には小憎たらしいけれど仲良しの弟がいる。その弟は可愛い妹を作ってくれた。甥っ子もいる。家族水入らずで過ごせるこの塔が、私の安らぎの場所さ」


 ウインクをフィラントと彼の妻エトワールの投げる。フィラントは嫌そうに顔を歪めたが、エトワールは愛くるしい笑顔を返してくれた。実に素敵な義妹。癒される。惜しいのは、彼女には決して手を出せない事。一度くらい遊んでみたいけど、フィラントを裏切るのは万死に値する。


「可愛い妹とは嬉しいです。今夜も泊まられますか? フィラント様とお揃いの寝巻きを買ってきたんです」


 エトワールが立ち上がり、鼻歌交じりで隣の部屋へと去っていく。アルタイル城の東塔はフィラント王子と妃の所要物。ここはかなり居心地が良い。フィラントにジロリ、と睨まれる。拗ねたような顔なのが面白い。


「ユース、毎晩毎晩いい加減にしろ」

「新婚生活を邪魔するな?」

「それもあるが、最近、君の生活は自堕落気味だ」

「仕事で疲れているんだもん。だから、ここにお邪魔するんだもん。私は結婚なんてごめんなんだもん。遊べないのはつまらないんだもん。夜遊び禁止だからここで遊ぶんだもん」


 我ながら気持ち悪い語尾。だが、こう言えば、フィラントは「気持ち悪い言葉を使うな」と言う。そうしたら、ペースはこっちのもの。適当にあしらって、見合い話から話題を逸らす。


「気持ち悪い言葉遣いは止めろ」

「やめないんだもん」

「ユース、真面目な話だ。革命後の新政権で酷く疲れて消耗しているのは分かる。だから、こう、なんだ……その……俺は本当に……君に……」


 フィラントの拗ね顔が真っ赤な怒り顔に変わった。この表情の時のフィラントは、怒っているのではなく照れている。我が弟分ながら、分かり難い表情をする男。あちこちで、しょっちゅう誤解されている。


「ユース様、これです。肌触りが良いので快眠出来ますよ」


 エトワールが戻ってきた。ご機嫌そうな声。腕に抱きしめられているのは、紺色の布。昨夜、フィラントが着ていたものと同じ寝間着だろう。「いいな」と、私が何気なく呟いたのを聞いていたに違いない。


「ありがとう、エトワールちゃん」

「どういたしまして」


 ニコニコ笑いながら、エトワールは私に寝巻きを差し出してきた。肌触が良い生地。早速、寝間着を着ようとしたら、フィラントに睨まれた。


「だから、自分の部屋でゆっくりと休め。ここに来るのは良いけど、寝る時は帰れ」

「嫌だね。私に夜遊びや社交場への出入りを禁止したのは君達だろう? 根回ししたり、見張りまでつけて」

「俺達が折れるまで、邪魔をするつもりか!」

「そうだ。勿論だとも」


 妻溺愛男のフィラントに、一番効果的な攻撃は、エトワールと二人きりになれない事。問題はレグルス。あの友人は、チョロいフィラントとは訳が違う。


「あの、ユース様。一度くらい、お見合いしてみませんか? 私とフィラント様のような、運命の出会いが待っているかもしれませんよ」

「そうだ。それでその人と、お互いを支え合って、人生をより豊かにするべきだ」

「この恩知らず夫婦! 手回しして結婚させてやったのに邪魔者、除け者扱い! 結婚なんて嫌だ! 縛られるなんてごめんだ! 断固拒否! まあ、国に利益がある相手なら良い」


 弟分フィラントが彼女に惚れたので手を回してやり、相手のエトワールもフィラントを気に入ってくれた。二人がすれ違えば仲を取り持った。それなのに、フィラントは妻とイチャイチャしたいと、私を邪魔者扱い。腹立たしい。


 チラリと見たら、フィラントはほくそ笑んでいた。政略結婚なら良いと言ったからだ。そしてこの流れで、私が城の私室へ帰ると思ったのだろう。バカめ、政略結婚だってしない。国王である兄、弟ディオクがいるので、外交官のフィラントが何か縁談を持ってきたって話をスライドさせる。そして、今夜も夫婦の寝台を占拠してやる。それがフィラントへの一番の嫌がらせ。私は意気揚々と二人の寝室へと向かった。


「おいユース! だから今夜も泊まるなんて止めてくれ!」

「身から出た錆とはこの事だ。フィラント、君は私を怒らせた」


 腕を掴まれ、足を止める。鍛え上げているフィラントに、力では勝てない。口では楽勝。さて、どう揶揄って遊ぼう? フィラントを揶揄うのは楽しいから、これも息抜きだ。昼間の公務の山で疲れている。真面目な王子なんて辞めたい。長年、真面目さや勤勉さを隠してきたのに、革命を止めるのに際して、暴かれたせいだ。馬車馬のように働かされている。


「私は毎日泊まって欲しいですよ。むしろ城からこの塔へ引っ越してきて下さい」

「エトワール……いや、でも……」


 フィラントは大変不満げな表情。


「ユース様とフィラント様が仲良しな姿は、見ていて楽しいです。フィラント様、何だかんだ、嬉しそうですもの」


 えええ、とフィラントが小さな呻き声を出した。エトワールは愉快そうに笑っている。


「いや、エトワール……それは……まあ……」

「ユース様といる時のフィラント様はくつろいでいて、気が休まって見えます。フィラント様、毎日お酒を選んで待っていますものね」


 ね、と可愛い笑顔を振りまきながら、エトワールはフィラントの隣に並んだ。


「ま、まあ。うん」


 うん、って子供みたいだな。フィラントは拗ね顔。


「ユース様、下の階に部屋を用意したのです。ユース様専用の。案内しますね」


 ね、と可愛く微笑まれると、どうも逆らう気になれない。私はつい「うん」と口にしていた。瞬間、妻溺愛男の鼻の下が伸びる。ようやく妻と二人きりの夜だ、という惚気が表に出たのだろう。無表情に近いが、付き合いが長いので丸分かり。


「ふふっ、それもフィラント様の提案ですよ。家具とか色々、うんと悩んで買いました」

「エトワール、それは言わないと……」

「まあ、そうでした。私の提案って話でした。でも、ほら、ユース様もフィラント様の心配が嬉しいようですから」


 本当に、このエトワールは私達の本音をスルスル見抜く。酒を選んで待ってるとは、我が弟ながら可愛い奴め。フィラントという男は、常に文句を言う。後ろ向きな男。でも、心の中できちんと慕ってくれているならそれで良い。今夜も中々ストレスが減った。それを全部、見透かされている。


「それで、ユース様。この塔にユース様のお客様は出入り禁止ですからね」

「えっ?」

「ここは私達の家です。家族はいつでも泊まって良いですけれど、連れ込みはダメですよ」

「それ、要は帰れってことか。おい、エトワールちゃん。君、味方かと思ったのに結構酷いな」

「何故そうなるのですか。今夜も泊まっていって、朝食を一緒に摂りましょう? クラウスも喜びます。奥様と一緒に移り住むとか、泊まるならよいのですよ。家族は良いのですから」


 見た目はおっとり、中身は勝気なエトワールにグイグイ迫られるのは弱い。甥のクラウスにも釣られそうになる。しかし、うーん、やはり人肌恋しい。これから社交場に繰り出そうにも、主要な社交場はレグルスとフローラの関係者に監視されている。特にフローラ。妃の親友、飛ぶ鳥を落とす勢いの、アストライア領主夫人。その権力と人脈で私を監視している。彼女を怒らせたのは失策だった。温厚者はキレると怖い。


「ふーん。それなら帰る。私の夜は貴重だ」


 フィラントへの嫌がらせは失敗。また別の作戦を考えよう。思考を切り替えて、今夜誰を誘うか考え始める。社交場をフローラに見張られているから街娘しかいない。話が合わないので、する時以外がつまらないけれど、仕方ない。レグルスやフィラントと飲んだ後に、優雅なご夫人と戯れるという至福はもう奪われてしまった。


 チラリ、とテーブルに置かれた見合い用の書簡を確認。あれに込められた祈りと願いは、私への幸福、心配、真心、それから首輪といったところ。応えたい気持ちもあるけれど、一夜の火遊び、そのくらいが私には丁度良い。革命後の国の王子だから、先行きが見えなくて伴侶なんて決められない。それに、情報収集の手段を減らしたくない。自分の両肩には、もう乗れるだけ、守りたいものが乗ってしまっている。フィラントのように、この世の何よりも妻が大切、なんてなれないから御免。妻なんて出来たら、絶対に不幸にする。


「ユース様、何度も言っていますが、そればかりは感心しません」

「それ?」

「お顔に描いてありますよ。近頃、夜の街をぷらぷらされていると耳にして、とても心配です」

「まさか。そんな事、していない」

「いいえ。それでしたら、お部屋に居なかったり、城の客間に招いているのは誰ですか?」


 バレてる。東塔に引きこもって、子育て中心生活のエトワールに、どうしてバレている。側近や護衛騎士に裏切り者がいるな。エトワールは何故か、人の懐に入るのが上手い。私の駒を次々と奪っていく。最高の義妹は、最悪の小娘でもある。好きだけど、小憎たらしい。


「じゃあ、エトワールちゃん、君が相手をして……怖っ! 怖いフィラント! だから、私は友の女には手を出さない。冗談だって」


 フィラントに睨まれ、私はウインクを返した。恐ろしい殺気。けれども、この分かり易い反応が楽しい。自然と鼻歌が出てきた。


「私はフィラント様だけですよ。何があっても。ユース様も私を子供みたいに思っていますし」


 エトワールはヤキモチを妬かれて嬉しそう。可憐な顔で、破壊的に可愛いはにかみ笑い。フィラントが頬を赤らめて、微笑した。鉄仮面みたいに表情筋が死んでいた男だったのに、随分と変わったものだ。恋とか愛の力というのは、素直に凄いと思える。フィラントは内心、デレデレ、デレデレしているだろう。見つめ合う夫婦は、自分達の世界から完全に私を追い出しやがった。甘ったるい空気。口に無理矢理、大量の砂糖を突っ込まれた気分。


 黙って退散するか、と足を動かす。今夜も結構息抜き出来た。あとは人肌を感じて、快感に溺れて朝まで眠る。そうしたら明日も張り切って働けるだろう。フィラントの手がエトワールの髪に伸びていたのに、彼女はスルリとすり抜け、私の前に立ち塞がった。


「ユース様。泊まっていってください。女遊びは止めて、運命の相手を真剣に探すべきです」

「運命。好きだね、その言葉。いいか、エトワール、価値観を押し付けるな。私には必要のないものだ」

「そう見えないから、心配しているのです」


 愛くるしい姿で仁王立ち。まるで威圧感がない。しかし、心配で満たされた瞳に怯みそうになる。こういう目をしてくれる者は、彼女が現れるまではごく限られた男友達のみだった。その先頭にいたのがフィラント。フィラントの妻は、あっという間に私のど真ん中、フィラントの隣になった。だから、エトワールに言われると弱い。多分、無条件で愛情を注いでくれた、今は亡き義母を思い出すからだろう。


「うーん、そこまで言うなら……見合いくらい……」

「本当ですか?」


 キラキラと光る瞳に思わず、勝手に、首が縦に揺れた。貴方に幸せになって欲しい。そういう目だから、拒否出来ない。パフォーマンスくらいしよう、そういう気持ちが湧いている。


「家族が増えたら、ユース様はもちろん、私達ももっと幸せで楽しいです。夫婦同士でお出掛けとか、楽しいですもの」


 期待の眼差しに、後ろめたくなる。見合いはしても良いが、絶対に断ることになる。エトワールは私に一歩近寄ってきた。


「レグルス様とフローラと一緒に出掛けると楽しいんですよ。私、フローラが良くしてくれるみたいに、ユース様の奥様と仲良くしたいです」


 ふふふん、と鼻歌混じりのエトワールの発言につい耳がピクリと動いた。


「フィラント様やレグルス様なら、ユース様にピッタリな方を見つけてくれます。ユース様がフィラント様と私を出会わせてくれたように。私もうんと協力しますね」


 可愛い義妹は私に妻がいると更に幸せになるらしい。花が咲いたように笑うエトワールの隣で、フィラントも幸せに酔うのだろう。甥か姪が増えるかも。姪っ子か、絶対に可愛い。よし、彼等と私の妥協点を模索しよう。それから、そろそろこれ以上結婚を強要されないように根回しもしよう。


 私は「おやすみ」と二人に手を振って、東塔を去った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ